アイマスで分かるソ連権力闘争 ---- #contents(fromhere=true) ---- *講座紹介 この講座では、旧ソ連で起こっていた権力闘争を、ドラマ仕立てで紹介します。 旧ソ連の歴史、人物の文献は、執筆者・編者の主義主張によって大きくバイアスがかかります。そのため実像を知ろうとすると、何冊もの本の中から読み手が答えを見つけなければなりません。ですが当講座では極端な主張、評価をネタとして扱うことによって、むしろ面白さに変えていければと思っています。よろしくおつきあいください。 登場する人物は、社長+アイドル数を上限にしています(つまり架空戦記シリーズみたいに、歴史上の人物がそのまま登場することはない)。これはまあなんとなく。あまり増えるとこんがらがって眼から変な汗が出てくるから。 ちょっと追記: ニコニコ動画にNHKのドキュメンタリー「社会主義の二十世紀」がアップされていて、正直内容がかぶりがちです。あの番組面白いし。向こうでは触れられない小ネタをたくさん挟まないと差別化できないんで、ちょっと方針変えるかもしれません。……とか考えていたら、動画が削除されていた。わあ。 -扱う期間 革命前~未定(大粛清までは確定) ---- *参考文献 一気に書くのはしんどいので、少しずつつけ加えていきます。 **通史 山川出版社 「ロシア史」 「ポーランド・ウクライナ・バルト史」 「北欧史」 参考書で有名な山川出版社の本。7世紀当たりから書かれているので、ロシア革命が大きく扱われているわけではないが、歴史を通して知りたい場合は最適。 **ロシア革命 ハリソン・E・ソールズベリー 「黒い夜 白い雪」 著者はジャーナリスト。1905年から1917年までのできごとを、溢れんばかりの資料を駆使して克明に記している。膨大な人名と注釈が出てくるので多少の読みにくさを感じるが、ロシア革命に興味がある人は必読。 ジョン・リード 「世界をゆるがした十日間」 ルポライターの著者がペトログラードで10月革命を体験。その様子を記した本。当時の演説や談話、声明文がぎっしりと詰まっている。臨場感溢れる内容で、トロツキーが「酒は禁止」と主張した演説はこの本に載っていた。リードはアメリカ社会党左派(アメリカ共産党の前身)所属だが、この本に政治的なバイアスは特に感じられない。そもそも本として面白い。 E・H・カー 「ロシア革命 レーニンからスターリンへ」 専門家向けの大作「ソヴィエト=ロシア史」を分かりやすく書き下ろした本。カーは有名な歴史家だが親ソ派で、ところどころソ連を持ち上げようとする記述が見え隠れする。原著の発刊は1979年。 ニコラ・ヴェルト 「ロシア革命」 2月革命と10月革命を、写真資料をふんだんに使って描いた本。非常に読みやすくてオススメ。ヴェルトは「共産主義黒書」の著者の一人なので、ボルシェビキには皮肉っぽい見方で書いている。 メドベージェフ 「1917年のロシア革命」 ソ連の反体制社会主義者である著者が、ロシア革命をこれでもかと批判した本。革命よりは直後の国家運営に力点が置かれている。文中のあちこちから「レーニン一味さえいなければ……」という無念さが滲み出ていてびびる。 鈴木肇 「人物ロシア革命史」 著者が産経新聞のソ連担当だったためか、強烈な反ボルシェビキに彩られた本。レーニンへの悪口がたくさん。ただ、ロシアの社会主義政党と革命家のことが列伝となって記載されており、そのあたりが便利。wikipediaにも、この本からと思われる記述がいくつかある。 **人物 **その他 歴史探検隊 「ジョーク ロシア革命史」 タイトルとは裏腹に、結構真面目に書かれている本。年表が意外と便利。 ---- *その1 **封印列車 画像は日本国内に見えるけどロシアのつもり。つもりったらつもり。 **イスクラ ソ連共産党の党史によると、イスクラ派にも「強固なイスクラ派」と「軟弱なイスクラ派」があって笑う。レーニンは当然前者。 **中央委員 これに選ばれると党の活動方針に影響を与えられる。組織が大きくなっていくと、当初目的よりもポスト獲得に血道を上げるのはどこも同じ。 **ローザ・ルクセンブルク スパルタクス団創設メンバー。ドイツ共産党の大物(コメントより)。ボルシェビキとは肌が合わなかったっぽい。 **血の日曜日事件 デモを指導した神父ガポンについては、内務大臣スウヤハミルスキーの手先だとする説と、普通の神父だったとする説がある。どっちかワカンネ。 **明石大佐 明石元二郎大佐。駐モスクワ日本公使館付武官。最終階級陸軍大将。革命派(含フィンランド独立派)のために、小銃2万丁以上、弾薬200万発以上を買い付けて送ったそうな。 **ソビエト 評議会の意。ここではもっぱら労働者と兵士によって構成されるプロレタリアートの機関。当初はボルシェビキ以外によって構成されることが多かった。 **エイゼンシュタイン 映画「戦艦ポチョムキンの反乱」を撮影した。映画史に残る監督。 **ラスプーチン 1905年11月1日ニコライ2世「トボルクから来た神の人グレゴリー(ラスプーチン)に会った」と日記に記す。筆まめだね。 **ストックホルム統一大会 なんか画像がなかったんで、ナチ党の党大会画像にしました。 **「ブルジョワに買収されています」 レーニンは実際に文書にこう記して攻撃している。頭に来たメンシェビキが党内法廷に訴えると、「政治的闘争においては、身内に対する闘争であってもあらゆる手段が正当化される」と反論した。あずささん風に言うなら、「同じ事務所のアイドルでも、バストサイズを批判するのは正当行為です」。 **協議会 党大会より一つ下の格付け。プラハでスターリンが中央委員に選出されたのと、某アイマス架空戦記がなんかかぶってる気がする。 ---- *その2 **津田三蔵 大津事件の下手人。教科書ではニコライ2世が斬りつけられたことよりも、裁判で司法が政府の圧力をはねのけた例として載っていることが多い。 **ストルイピンのネクタイ 他にも貨車に流刑囚を詰め込んでシベリアへ向かう列車を、ストルイピン車両と呼んだとか。 **チフリス グルジアの首都トビリシのこと。 **偽ルーブル ベルリンでドイツの警察が発見。しかも機材がドイツ社民党の機関誌を印刷している社屋にあったので、どえらい騒ぎになったとのこと。 **「あのゆとりを縛り首にしなさい」 実際にアレクサンドラ皇后は「あの男を絞首台に送りなさい」とニコライ2世に詰め寄っている。「美希はー、今度ブランコに乗るのー。階段が13あるんだって」 **オフラナ 実はオフラナ内部にも革命派のスパイが潜入することもあって、もう滅茶苦茶。 **マリノフスキー事件 ボルシェビキの中で、マリノフスキーをもっとも非難したのはブハーリン。だけど動画では、ブハーリン自身がもっと後にならないのと出てこないので、メンシェビキだけが頑張って攻撃しているように見える。 **サラエボ事件 wikipedia見たら、写真で捕まえられている男はプリンツィプ(オーストリア皇太子狙撃の実行犯)じゃないんだって! さっき知った。 **シベリア送り 写真の白樺は本当にシベリアです。軽井沢ではありません。 ---- *その3 **オフラナ ケレンスキーは大の秘密警察嫌いで、オフラナを廃止した。 **亡命 イギリス亡命はソビエトの反対でなくなった。欧州の王室ネットワークを考えると、亡命させた方が明らかによかったのだが。 **多いか少ないか モスクワの騒乱はもっと激しかったという話。 **「没」 スターリンは実際に検閲をかけて、レーニンの書簡を没にしていた。 **動員 クロンシュタットから水兵も呼ばれました。レーニン見たさに人が押し寄せたのは、翌日になってから。 **インターナショナル(歌) ラ・マルセイエーズは知っていた。 **「ババアのうわごと」 正確には「キチガイのうわごと」。古参ボルシェビキであるボグターノフが漏らした一言。ちなみにボグターノフは血液交換に関する画期的な実験を自分で試そうとして、失敗して死んだそうな。 **金持ち上位100人 「子供じみた救済策」とはケレンスキーの言葉。 **ホフマン ドイツ陸軍の大天才。ただし毒舌で傲慢。おかげで煙たがられた。ブレスト=リトフスク条約をまとめたのもこの人。 **ケレンスキー攻勢 目指すはイスタンブール(トルコ領)だってんだから、無謀にもほどがある。 **ビカチュウ 美希の髪型はむしろ美輪明宏。 **フィンランド逃亡 鉄道車夫の変装をして逃げた。 ---- *その4 **トロツキー このころのトロツキーは、レーニンのやることのほとんどに賛成している。逆にカーメネフは反対ばかりしている。 **ドイツ軍 攻勢にはオーストリア軍も加わっている。ただしどちらも西部戦線に忙しくて(オーストリア軍はイタリア戦線)、適当にすませていた感は否めない。 **蜂起 実は10月革命には、左翼社会革命党とアナーキストが加わっていた。共産党史では無視されていることが多い。 **トロツキーの演説 「歴史のゴミためへ行け!」とマルトフに言った。wikipediaにも載ってます。 **女性大隊 初の女性大隊であるボチカレーア中尉率いる「決死隊」とは別。この決死隊はスモルゲンの戦いで「男は女のあとについてきなさい」と言い放って突撃したことで有名。 冬宮を守備した大隊が最後まで持ち場を離れなかったのは、赤衛兵に捕まったら暴行されると信じていたからという説がある。武装解除された彼女たちが暴行されたかどうかは定かではない。E・カレール=ダンコースは著書の中で「レイプが吹き荒れた」と書いているが、H・E・ソールズベリーは「一件もなかった」と言い切っている。ジョン・リードの著書には「小委員会の調査の結果3人が暴行を受けたとの証言が出た」と記している。一人自殺者が出たのは確実らしい。 ---- *その5 **議長 レーニンはトロツキーに「革命は君が現場で頑張ったんだから、君が議長をやったら」と譲ろうとした。トロツキーは「ボルシェビキはあなたの組織なので」と辞退。 **左翼社会革命党 すぐテロ行為に訴える政党。尖り具合はボルシェビキの上を行く。 **酒禁止 「ブルジョワが兵士達を酒で惑わせているから、所有してる人は正確な樽の個数を申し出なさい。さもないとダイナマイトで爆破するよ」という布告が、ジョン・リードの著書に載っている。 **新聞統制 みんなびっくり。トロツキーは「銀行も国有化するんだから、新聞も国家統制すべき」と驚くべき理屈。そりゃ野次も飛ぶわ。 **憲法制定議会 帝政時代からやるやると言われていて、結局半日でボルシェビキが閉鎖。E・H・カーは「ブルジョワ的慣習に背を向けた」と苦しい褒め方をしている。 **「算術的多数ではなく……」 ザロドフという理論家が言った。 **ラトヴィア人狙撃兵 ここでは歩兵と同じ意味。チェーカーの忠実な手足。いずれ収容所にぶち込まれる運命。 **ブハーリン ここでは左翼グループを結成しているが、のちに右翼のレッテルが貼られることになる。それについては本編でいずれ。 ---- *その6 **社会革命党の綱領のパクリ レーニンは「別にいいじゃん」と言っている。 **白軍 てんでバラバラ。統一された指揮系統がなかった。地理的にも赤軍に内線の利があった。 **トゥハチェフスキー 彼に限らず、革命側は若くなりがち。とはいえ25で **ロシア農村 ロシアの農業は及び農村共同体(ミール)によってなりたっていた。農村共同体の思想では、土地は神から与えられたものであり、私人ではなく公に共有しなければならない。これは原始共産制に近いもので、社会主義者たちの理想の一つ。一部知識人による「ミールに帰れ」という運動は実際にあって(ナロードニキ運動)、ここから「人民の意思派」を形勢し社会革命党の源流となっていく。レーニンたちの運動はこれとはちと違う。 **富農 いわゆるクラーク。レーニンが目の敵にした。農村自由化における勝ち組。 革命前の話になるが、ストルイピンは改革によって共同体の解体を目指しており、土地を農民に所有させて自由に市場で売らせ、意欲と生産量の増大を目指していた。これは成功すると富農になるが、失敗すると小規模自由農家から貧農に転落する諸刃の剣。 なおストルイピン改革は進んでいた、進まなかったと2種類の解釈があって、うp主にはどちらが正解か判断がつかない。 **闇屋 大規模なものになると河川上で穀物をやりとりし、警備艇が護衛をしていたとか。 **国家の買い上げ 最初は穏便だったが、徐々に強制力を伴い、農民たちの顔面を凍らせていく。 **食糧独裁 後世の反共産主義学者がつけたネーミング風だが、どうも当時の公文書に使われていた模様。 **左翼エスエルの蜂起 この左翼社会革命党の蜂起ははっきり言っていい加減で、せっかくチェーカー本部を制圧してもそのあとの計画がなかった。制圧できたのは、チェーカー隊員の中に社会革命党シンパがいたから。 **収容所 ラーゲリあるいはグラーグ。グラーグというのは収容所管理総局の略称。転じて収容所そのものを現わす言葉になった。 **スターりん 「他人にプレッシャーをかける能力はスターりんが一番すごいの」ってカーメネフが言ってた。 ---- *その7 **尼港事件 日本人がたくさん殺されました。この事件は第二次大戦後まで尾を引いたとかなんとか。 **ドイツ降伏 連合国はドイツに「ウクライナとベラルーシにはしばらく駐留してなさい」と言ったのだけど、ドイツは動員解除。軍隊は金食い虫だしね。 **ウクライナ 穀倉地帯のせいで周辺国から狙われがち。 **フルンゼ シベリア流刑中に軍事の本ばかり読んで目覚めたという、小説の登場人物みたいなことをした人。 **ホルティ提督 オーストリア=ハンガリー海軍の提督だったから提督。当時はアドリア海に面しておりました。 **ワルシャワ包囲 そもそも補給の限界をとっくに超えていたとの説あり。「このときの赤軍は山賊みたいなものだから」と言ったのはドゴール。 **対ポーランド戦 ロシアはポーランドに敗北したため、賠償金を払ってベラルーシのほとんどを割譲するハメになった。なにしろリトアニアがロシアと国境を接さなくなったのだ。当時のベラルーシは一応独立国の体裁をしていたが、外交権をロシア(=ボルシェビキ)に委託していたのでされるがまま。国境線の変化はwikipediaを参照のこと。それを見れば、なんでナチスと手を組んでボーランドを分割したか分かるはず。 ---- *その8 **電化 「農民が電気を神とあがめるようになる」とはレーニンの言葉。 **ウェルズ 「タイム・マシン」で有名なH・G・ウェルズのこと。なんでレーニンと会見できたかというと、フェビアン協会に入っていたから。フェビアン協会はイギリスの社会主義知識人の団体で、労働党への影響力が強い。 ----