「本日の関東地方は全域で日中雷を伴った激しい雨が予想され、大荒れのお天気になるでしょう。お出かけの際は傘をお持ちください」
俺は傘を持って家を出た。
普段学校に行くのと同じ時間に。
でも向かう先は学校ではない。
いつもの学校行きのバスには乗らない。
目指すは最寄り駅。
みゆきが待つ駅だ。
外は雨雲が立ちこめていた。
俺の気持ちを映したような鉛色の空。
さっきの電話。
みゆきからの電話。
俺から再三かけても一向に出なかったが、みゆきの方から電話がかかってきた。
『おはようございます。男さん、もう起きてらっしゃいました?』
『……ああ』
『うふふ、まるで寝起きのような声ですね。ホントは寝てらっしゃたんではないですか?』
『なあ、みゆき……』
『はい? どうされました?』
『……いや、なんでもない。今日どこに行く?』
『そうですね、今日は雨らしいので、ショッピングモールでお買い物などいかがでしょう?駅で待ち合わせにしませんか?』
『わかった。じゃ、あとで』
『はい。うふふ、楽しみです。では、のちほど』
……みゆきの声は明るかった。
不自然さすら感じた。
つかさちゃんはみゆきにも電話を入れたと言っていた。
着信が残っているはずだが、みゆきはかけ直してないのか?
かがみのこと何も聞いていないのか?
……いや、
逆に…… 知っていたとしたら?
かがみがもういないのを知ってるからこそ、あんなに明るい声を……!?
いや! 落ち着け、俺! それはいくらなんでも考えすぎだ!
会って確かめればわかることだ!
そう、会って確かめれば……
鉛色の空。
今にも雨粒が落ちてきそうなその空の下、俺はみゆきと待ち合わせした駅へと向かった。
「あ、おとこさん。おはようございます!」
「おはよう、みゆき……」
まだ午前中だというのに薄暗く、灰色がかった駅前の風景において、まるでみゆきの周りだけが鮮やかな色を放っているように見える。
みゆきのその明るさが、どうしても不自然に見えてしまう。
「雨が降り出さなくて良かったですね。今のうちにショッピングモールへ行きま――」
「みゆき!」
「はい? 何でしょう?」
「あの、ちょっと話があるんだけど……」
「お話…… ですか?」
「あの、どこか落ち着ける場所に行きたいんだけど……」
「え!? お話なら歩きながらでも……」
「大事な話なんだ! しかも、あんまり人に聞かれたくない話……」
「で、でも…… 私、ショッピングに……」
みゆきはかがみの死を知っているような、少なくとも悲しんでいるような様子ではなかった。
「頼む。来てくれ」
俺は公園のほうへとみゆきを促す。
「……わかりました」
公園のベンチに座った時、とうとう雨が降り出した。
今日の雨は激しくなるって朝の天気予報で言っていた。
みんなそれを知ってか知らずか、公園にはほとんど人がいない。
俺は、ベンチに座ったまま傘を差す。
みゆきも傘を持っていたが、俺のもって来た男物の大き目の傘にみゆきと二人で入ることにした。
「雨の公園というのも風情があるものですね。しかも相合傘だなんて……」
さっきまで渋っていたみゆきだったが、公園に来ると妙に嬉しそうになった。
風情、ね……
だが今はそんなものをのんびり感じている余裕なんてない。
「男さん、それでお話というのは……?」
みゆきはなお明るい様子だ。
今日のデートのことで頭がいっぱいといった感じだろうか?
その浮かれた様子が、みゆきが普段あまり見せないそんな様子が、俺の不信感を増大させていく。
「かがみのことなんだけど……」
「え……?」
みゆきの表情が一変した。
怒ったようでもない。悲しんでいるようでもない。
静かな、でも冷たい表情に。
雨が強くなってきた。
「また、かがみさんですか? まだ、かがみさんですか?」
また。
まだ。
「そんなにかがみさんのことが気になるんですか? せっかくこうして朝から男さんと会えて、相合傘もして…… 幸せな気分だったのに。まだ、かがみさんが男さんの中で…… 大体かがみさんは男さんにケガまでさせたんですよ!?」
みゆきは泣き出しそうだった。
普段の俺なら慰めただろうが、今回はそれどころじゃなかった。
『また』『まだ』『かがみさん』……
みゆきの発した言葉の切れ端が俺の中でぐるぐる回る。
『マタ』『マダ』『カガミサン』……
殺したのに…… また?
殺したのに…… まだ?
殺したのに…… かがみさんを。
いや、落ち着け。
まだ決め付けるのは早い。
早過ぎる。
こんなのは妄想だ。
確認をとればいいだけなんだ。
そんなことないよ、っていう確認を……
「みゆき、落ち着いて……」
俺も落ち着け!
「みゆきは聞いてないのか?」
あるいは聞く必要もないのか?
「……? 何をですか?」
「………かがみが ……死んだこと」
「……ッ!」
一瞬だった。
ほんの一瞬だけ、みゆきの顔が引きつった。
ように見えた。
驚いたのか?
知らなかったのか?
いや……
俺には、みゆきの顔が……
笑うがごとく引きつったように見えた。
笑うがごとく。
『ええ、ちゃんと殺しましたよ』
『男さんのために』
そんな声が聞こえた気がして、俺は吐き気がした。
「今朝、男さんからもつかささんからも何度か着信が入っていましたけれど、そのことを伝えるために?」
一瞬で表情を落ち着かせたみゆきが言った。
まるで、きちんと表情を調節したかのようだった。
淡々とした表情。
冷たくすらある眼。
それは、泣き崩れていたこなたや、憔悴しきったつかさちゃんとはあまりに違う反応。
悲しくないのか?
気丈に振舞ってるだけなのか?
それとも――
――自分がやったから?
「そ、そうだよ。俺にもつかさちゃんから連絡があって…… つかさちゃんはみゆきにも連絡したけど、つながらないって……」
「そうですか…… かがみさんが。お気の毒に……」
『お気の毒に』 ……本心なのか?
「それで男さんは、今朝は様子がおかしかったんですね? なんだか沈んでらっしゃるようでしたけど?」
「え!? あ、ああ…… そりゃ、だって……」
「男さんは悲しいんですか?」
「あ、当たり前だろ!」
「私とのデートを楽しめないくらいに悲しいんですか?」
「そ、そんなの当たりm――」
「やっぱり邪魔をするんですね、かがみさんは……」
ため息混じりに言った。
「かがみさんのせいで、男さんはいつも私のことをちゃんと見てくれません。男さんと一つになれたことで、ようやく男さんは私のことを、他のことに煩わされることなく、見てくださると思っていましたけれど。そうやって男さんの心の中にいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも居座っているんですね」
眼はどこか虚ろで、春の雨に濡れる公園を見ている。
「でも、それはいいんです…… いえ、正直に言うとよくはないんですけど。でも、男さんがかがみさんとも仲良くするようにと仰いましたし、私の魅力が不足しているというのもありますし…… そこはまだギリギリ許容範囲内でした。でも…… でもですよ?」
みゆきは突然首をぐるりと動かしこちらを向く。
その顔に張り付いてた笑顔は不自然を通り越して、痛々しくさえあるものだった。
生まれて一度も笑ったことのない人間が、無理やり笑う練習をさせられたらこんな感じだろうか……?
不自然に歪んだ口元が次の言葉を繋ぐ。
「男さんを傷つけるなんて完全に許容範囲外です。到底容認できません。論外中の論外です。まったく何を考えていらっしゃったんでしょうね? かがみさんだって男さんのこと好きだったでしょうに…… もしかして、男さんに選ばれなかったから逆恨み? ホント怖いですよね~」
「違う! かがみはそんなんじゃ――」
「安心してください、男さん。これからは私がそばにいますから。それにかがみさんももうこんなことはできませんよ、うふふ。だって――」
次の瞬間、周囲に閃光が走ったのは気のせいではなかった。
「――昨日ちゃんと手を打っておきましたから」
その言葉と落雷の轟音が重なった時、俺の握っていた傘が、手から滑り落ちていた。
大粒の雨を降らせる鉛色の空の下、みゆきのそれは、決定的な一言だった。
俺たちに降り注ぐ雨。
みゆきのピンクの髪がみるみる雨に打たれて濡れていく様子だけがかろうじて俺の目に映っていた。
最終更新:2008年08月04日 15:12