アットウィキロゴ
 教室の喧騒の中でも、その声はうつぶせになって眠る私の耳から入ってくる。
あるいは頭の中に直接響いているのか。
憂鬱な考え事ばかりですっかり疲れきった私は、休み時間にはずっと机にうつ伏せて
寝てばかりいるようになっていた。

『そろそろ覚悟が決まった頃かな?』

ほら、また囁きかけてくる。

『…大丈夫。もうすぐ思い悩むこともなくなるから』

甘い誘惑。

『好きな人を奪うような悪い魔女は滅ぼされる運命』

魔女…滅ぼす…

『笑顔を振りまいてごまかしても通用しないんだから』

 ごまかし…そうなのかな。
違うよ、あの子は…そんな子じゃないよ…そう信じたい、けど。

『もう彼のことで悩まなくなるたった一つの冴えたやり方』

甘い囁きがさらに近づき、細い手が何かを差し出してくる。

『悩まなくなるにはこれが一番…』

もう限界が近い。これ以上いろんなことを考え、悩み続けていればいずれは壊れてしまう。

『そうそう』

だから、考えないようになればいい。

『そう…しっかり握って。誰にも見つからないように』

考えないようにするには。

『いい子ね――』

…その悩みの元を断ってしまえばいい。

 今週は期末テスト期間のため、今日も午前中で終わり。
部活も期末テストが終わるまでは休みなので、ホームルームが終わるとみんなは
テストどうだった?などと騒ぎながら教室を次々と出て行く。

「うげっ、そっちかよ!」
「あたしBにしちゃった…」
「赤点決定だなこりゃ」

 割と悲惨な状況の人が多いように見えるのは気のせいだろうか。
私は…まあ、悪くはないと思う。

「ゆたか、帰ろ…」

 すぐそこにいたはずのゆたかはすでに教室にいなかった。
ここしばらく様子がおかしかったけど、昨日と今日は特に変だ。

(挨拶もしないなんてことは以前ならなかったのに)

 一緒に帰れないのが寂しいというのもある。
でもそれ以上にゆたかや男先輩の最近の様子がどうしても気になっていて、
何かあったのだろうかと心配になっていた。
本人達は何も話してくれないし余計に心配だ。

「……」

 廊下に出ると、階段の前でゆたかはカバンを抱えたままきょろきょろしている。
誰かを…探してる?

「ゆたか」
「あ、みなみちゃん。ごめんね、一緒に帰ろうと思ってたんだけど」
「なにかあったの?」
「うん…こなたお姉ちゃんが放課後話があるからって」

なるほど、探しているのは泉先輩か。

――この二人の様子がおかしい原因なのかはわからないけど、数ヶ月前からあの人もどこか変な気がする。
目はうつろで、時折ひとりで何かを呟いていることがあって。
今では同一人物とはとても思えないくらいに変わってしまっていた。

「先輩は?」
「それが、お姉ちゃんが『二人だけで話したい』っていうから何も言ってないの」
「…そう」

 答えながら視線を移すと、廊下の奥の方を泉先輩が歩いているのが見えた。
私達に気付いたのか先輩はちらりとこちらを向く。
――その目を見た瞬間、何とも言えない恐怖が背筋を走った。

(なに…あれは…)

 無意識に一歩後ずさる。
だけどゆたかは何も感じなかったのか、泉先輩を見つけると向こうに駆け出していく。

「ゆたかっ!」

半ば叫びのような呼びかけにゆたかは足を止め、私の方を見る。

「ど、どうしたの?」
「…気を、つけて」
「?…うん」

 そしてまた走っていく。
たぶん、私の言葉の意味には気付いていない。

「……」

 廊下の喧騒の中で私は考える。
今のあの人は普通じゃないと直感でわかる。

「…どうすれば」

 二人だけで話をすると言った。
本当に話で済めばいいけど――あの目を見てしまった今ではそうは思えない。
あの方向からすると、行き先は。

「考えてる時間はないか」

踵を返すと、私は唇をかんで走り出した。

 雷の音が遠くで聞こえる。
空は灰色の雲に覆われてしまっていて、太陽の光など一筋も射しては来ない。

「お姉ちゃん?」

中央に立ち尽くしているお姉ちゃんはこちらを向いてはくれない。

「…ずっと、悩んでたんだ」
「え?」

吹き付ける風に、長く青い髪が流れるようにたなびく。

「あの光景を見てしまったあの日から、ずっと悩んでた」

あの日、って…?

「諦めたくても諦めきれなくて。ずーっと男のことばっかり考え続けて」
「……それって」

 空にゴロゴロゴロゴロ…と雷の音が響いている。
それは時間と共にこちらに近づいているような気さえしてくる。

「それでさ、もう悩むのはやめようって」
「おねえ…ちゃん?」
「考えるのはやめようって思った」

 その声からだんだん感情がなくなってきているのが私にはわかる。
今のお姉ちゃんはとても冷たくて…黒くて、怖い。
気が付かないうちに私の足は後ろへと向かいそうになっていた。

「無理やり考えないようにするのは無理だってわかったから」

ジャリ、と右足を動かす。

「悩まなくなるようにするには、その元を断てばいい」
「――っ!」

くるりとこっちを向いたお姉ちゃんの右手には…銀色の、刃。

「うそ、だよね…」
「もう疲れちゃったんだ。悩みすぎて壊れちゃいそうでさ」

あるいは、もう壊れてしまったのか。

「もう一人の『私』が言うんだよ。邪魔者は消しちゃえって」
「うそ、うそだよ…そんなこと…」

 首を振りながら必死に今この場にある現実を否定しようとする。
でも…銀色のサバイバルナイフがそれをさせまいと鈍い輝きを放つ。
こんな、こんな暗い時だというのにあれは…自分という存在を主張している。

 ――お姉ちゃんが恋する人。
男さんの隣にいる私を、この世界から消すために。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年08月16日 13:28