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おもち少女6-2 - (2013/05/27 (月) 22:07:09) の1つ前との変更点

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 ― やばい…よな…。 そう思うのは別に特訓の成果が三日も経つのに出ないからなどではない。 そもそも、三日程度で和のいる領域に達する事が出来るだなんて俺は欠片も思っていなかったのだから。 和が一体、どれほどの時間を掛けてあれほどの境地に達したかは分からないが、凡人である俺は和の二倍は掛かると思っていた方が良いだろう。 故に俺にはまだ特訓に対する焦りはなく…寧ろ、特訓を手伝ってくれる皆との交流を楽しんでいた。  ― 寧ろ…それがやばいというか…。 そうやって俺の傍に誰かしらが居てくれると言うのは別に特訓の時に限った事じゃなかった。 自室に居る時を除けば、殆ど俺の傍に誰かが居て、話や世話をしてくれるくらいなのだから。 最初こそ、そんな状況に喜んでいたものの、三日も経てば、大体の意図は察する事が出来る。  ― これ…明らかに…俺を神代さんから引き離そうとしてるよなぁ…。 特訓を開始したあの日以来、俺は神代さんとマトモに話す事が出来なくなっていた。 二人っきりになる事はまずないし、顔を合わせたとしても、傍にいる他の皆に用事を頼まれ、ろくに会話する事もない。 ここ数日、神代さんと交わしたものと言えば、挨拶くらいなものじゃないだろうか。 そう思うほど俺達の間に交流らしい交流はなく、そしてそれが俺を気落ちさせていた。  ― いや…まぁ…警戒されるのは当然なんだけど…。 しかし…しかしだ。 見目麗しい美少女たちが俺を構ってくれている理由が、姫様と慕う女性から引き離す為だとしたらどうだろうか。 俺そのものに親しみを感じてくれていたなんて事はなく、ただただ…俺と神代さんとの交流を断つ為だとしたらどうだろう。 正直…今まで親しく話していただけに、その想像はかなりキツい。 だが、現状やこれまでの事を顧みるに…今の俺にはそうとしか思えなかった。  ― もう帰った方が良いんだろうか…。 既に能力制御に関しては手がかりになりそうなものを得ている。 後はこれを自分なりに発展させていけば、時間は掛かるかもしれないが、モノに出来るだろう。 少なくとも…永水の人たちにここまで警戒されてまで、鹿児島で続ける理由はない。 能力の後遺症に関する熊倉先生の反応も芳しいものではないと聞いたし…余計にだ。 京太郎「…はぁ…」 そんな思考に自室でため息を吐きながら、俺はそっとマットの上で牌を切った。 勿論、それは到底、集中出来ているとは言えず、虚しい音を立てるだけである。 実際、こんな心の中がグチャグチャの状態で集中なんぞ出来るはずがない。 本来はどんな心理状態でも卓に着いた時点で、牌しか見えない状態にならなければいけないらしいのだが…そんな状態には欠片も入れそうになかった。 京太郎「あー…くそ…」 自分の不甲斐なさに一つ悪態を吐きながら、俺はそっと後ろへと倒れこみ、天井を見上げた。 既に見慣れ始めたそこは高く、俺の視線を吸い込んでくれる。 しかし、重苦しい俺の意識はそのままであり、俺にもう一つため息を吐かせた。 京太郎「(どうすりゃ良いか…なんてもう決まりきってる)」 皆の真意は分からない。 分からないが、俺が歓迎されていない事だけは確かだろう。 ならば、コレ以上ここに居た所で皆の迷惑になるだけだ。 折角、良好な関係が築けていたと思ったのに心苦しいが…もう俺は帰るべきなのだろう。 それを皆は引き止めたり、寂しそうにするかもしれないが…きっとそれも演技だ。 今更、それを辛く思っても…惑わされる事はない。 今から石戸さんにメールを送って…それで明日には全部、終わりだ。 京太郎「(そして…神代さんとも…)」 結局、その気持ちが聞けないまま、終わってしまう人。 自分ではどうしようもない事に傷ついて、そして寂しがっていたかもしれない人。 そんな彼女に…俺は手を差し伸べたかった。 本当の意味でちゃんと友達になってあげたかったのである。 しかし…それもここまで警戒されれば叶わない。 いや…そもそもここまで警戒が厳しいのは…俺が神代さんに嫌われているからなのかもしれないだろう。 京太郎「(実際…判断材料なんてない…)」 アレからぎこちなく挨拶するだけの仲に変わってしまった俺にとって、それは判断しようもない事だった。 時折、俺に寂しそうな視線を送ってくれていたのも…今ではただの自意識過剰なのではないかと思える。 何せ、俺は永水の皆が親しくしてくれている意味さえも、勘違いしていたのだから。 勘違いして舞い上がって…馬鹿みたいに親しくして…それで内心、嫌われていたかもしれない… ――  京太郎「(あー…ダメだな、思考が悪い方向にしか行かねぇ…)」 普段のポジティブさが何処にいったのかと思うほどのグダグダっぷりに俺は思わずため息を漏らした。 どうやら思っていた以上に俺は皆が演技していた事がショックだったらしい。 多分…俺は自覚していた以上に永水の皆の事を、好きになっていた ―― 勿論、異性としての意味じゃなく ―― みたいだ。 そんな自分に苦笑いにも似たものを向けながら、俺はそっと携帯を弄り始める。 京太郎「……」 勿論、後で皆には改めて自分から伝えるつもりだ。 例え、皆の対応が演技だったとしても、俺に良くしてくれたのは事実なのだから。 しかし、この屋敷の雑事を取りまとめる石戸さんには先に一報を入れておいた方が良い。 そう思って作り上げたメールは思った以上に簡潔で簡素なものだった。 とても事務的で…何ら感情が篭っていないそれに一抹の不安を覚えながら、俺はそっと送信ボタンを押す。 京太郎「(これでよし…っと)」 そう思う一方でドッと胸から疲れが湧き上がり、一仕事終えた感が疲労感へと変わっていく。 これでもう永水の皆とお別れだと思うと…やっぱり胸の奥が詰まったように苦しくなる。 しかし、コレ以上、俺が居たところで迷惑にしかならないのは確実なのだ。 それならば、まだ俺が皆を傷つけない内に離れるのが一番だろう。 京太郎「ん…?」 そんな俺の耳に携帯の振動音が届いた。 ブルルと鳴るそれに携帯をイジれば、そこにはメールの着信を知らせるマークがある。 多分、石戸さんへと送ったメールの返事なのだろう。 そう思って開いたそこには石戸さんとは違う人の名前があった。 京太郎「あ…」 そこにあったのは『上重漫』という三文字。 見慣れたその名前に反射的にメールを開けば、そこには今日一日の出来事が書き記してあった。 部活が辛い、や、代行が虐める、なんて愚痴から、誰に勝って負けたなんて事まで。 特に何か用事がある訳じゃなく…俺に話しかけるのが目的のメール。 今ではもう日課になってしまったそれが今の俺にとって、どれだけ救いであるかなんて、きっと漫さんは知らないだろう。 京太郎「はは…漫さんったら…」 無味乾燥なはずのメールの文面からでも伝わってくる彼女の青春。 それに思わず笑みを浮かべながら、俺は返事を書いていく。 一つ一つの出来事に反応するそれは返事を書くにも時間が掛かる。 しかし、それは決して苦痛ではなく、寧ろ楽しい時間だった。 こうして打っている間に俺の顔にも笑みが浮かぶくらいに。 京太郎「うし…っ」 返事を打ち終わり、送信ボタンを押す動作はとても軽いものだった。 さっき石戸さんに送ったものとはまるで違うそれに俺は内心、苦笑を浮かべる。 随分と現金なものだと自嘲を込めたそれに同意を返した瞬間、俺は廊下の方がドタバタと騒がしくなっているのに気づいた。 京太郎「(…なんだろう?)」 時刻は既に20時過ぎ。 ここで働いている人も大半が降り、夕食も食べ終わって一段落した頃だ。 そんな屋敷にいるのは俺を含め、六人しかいない。 このバタバタと騒がしい足音も俺以外の永水の皆に因るものなのだろう。 しかし、彼女たちは普段、決してこんな騒がしい足音を立てたりしない。 寧ろ、恐ろしいくらいに足音がせず、俺が驚いたくらいなのだから。 そんな屋敷内の感じたことのない騒ぎに、俺は… ―― 京太郎「よいしょっと」 何故かそれがとても気になった俺は上体を起こして、起き上がる。 そのまま廊下へと出て、左右を見渡せば右側から何やら声が聞こえてきた。 何か叫ぶような唱えるようなそれは到底、尋常な様子ではない。 やはり何かあったのだと確信を強めた俺は、そちらに向かって足を向け始めた。 霞「小蒔ちゃん…!気を強く持って…!」 初美「く…っ力が強いですよ…!」 京太郎「(神代さん…?)」 そんな俺の耳に届いた声に確かに届いた石戸さんと薄墨さんの声。 それは俺に渦中の人物が神代さんである事をはっきりと伝えた。 もしかしたら…強盗がやってきて、神代さんを人質にとっているのかもしれない。 そう思うと居ても立っても居られなくなり、俺は駆け出すようにして足を早めた。 京太郎「(こっちか…!)」 しかし、そうやって足を進めれば進めるほど心の中で嫌な予感が広がっていく。 いや…予感と言うよりも、それは本能の震えと言うべきか。 近づけば近づくほどに空気が怯え、肌がざわついていくのを感じる。 まるでこの先に見たこともないようなバケモノが…手ぐすね引いて待っているような独特の感覚。 しかし、それでも神代さんの安否が気になる俺は足を止めず、声と気配を頼りに進んでいった。 京太郎「神代さん!無事です…か…」 そんな俺が7つ目の角を曲がった先には、五人の女性がいた。 冷や汗を浮かべ、巫女服の袖が大きく引き裂かれたような石戸さん。 その手にお祓いに使う棒 ―― 確か御幣と言ったっけか…―― を持ち、呪文のようなものを唱える薄墨さん。 玉串を揺らすように鳴らしながら、塩湯を持つ狩宿さん。 その対面に経ち、印を結びながら、薄墨さんと同じく呪文を唱える春さん。 そして…その中心、俯き加減になりながらも、信じられないほどのプレッシャーを放つ神代さん。 京太郎「な…!?」 霞「須賀君!?」 その光景だけを見る事が出来るなら、それはいっそイジメの光景にも思えたかもしれない。 周囲に物々しい雰囲気の女性が囲み、中央では神代さんが俯いてその表情も分からないくらいなのだから。 しかし、それがまったく事実に即していない事は彼女から感じる黒い揺らぎを見ればすぐに分かった。 鈍感な俺でさえ目に見えて分かるドス黒いそれは…間違いなく悪いものなんだろう。 京太郎「(でも…何だ…あれ…!?)」 今まで神代さんがそんな風になった事なんて一度もなかった。 俺が知る神代さんはちょっぴり慌てん坊で優しく、そして天然気味の暖かな女の子なんだから。 触れればそこから喰われていきそうなドス黒い何かを立ち上らせるような子じゃない。 そしてまた…それが永水の皆にとっても予想外な状況であるのはその焦りの表情からも良く分かる。 ならば、俺がここでしなければいけない事は… ―― 霞「っ…!須賀君!逃げて!!」 京太郎「え…?」 ??「きひっ!」 そこまで考えた瞬間、ぬぅっと俺の目前に神代さんが近づいていた。 けれど、その動きは…到底、普通とは言えない。 だって、さっきまで神代さんは俺の10mは先の場所にいたのだ。 それが…ほんの一瞬、目を離しただけで目の前にいる。 しかも、何の音もせず…文字通り、下からぬぅっと生えるように俺の視界に入ったその顔は… ―― 京太郎「(歪ん…で…)」 その唇を大きく歪めて、開くその様は一見、真っ赤な三日月に見えた。 それなのに目元は虚ろで意思らしいものをまったく宿してはいない。 酷くアンバランスなその表情は人間らしいものには到底、思えなかった。 中途半端に人間になろうとしている化け物のようなそれに俺の心は怯え、反射的に逃げようとする。 京太郎「ぐぁ…ぁあっ!」 ??「ひひ…っひあ…あはぁっ」 そんな俺を両腕でがっちりと捕まえるその力は、最早、人間とは思えない。 無造作に抱きしめられているだけなのに、俺の背筋は悲鳴をあげ、腕が押しつぶされそうなのだから。 確かに神代さんは毎日、山を登り降りしてて見た目以上に体力がある人だが…それでもこれはあり得ない。 男子高校生の骨格を軋ませるほどの怪力なんて、持っている人じゃないのだ。 京太郎「(どう…すれば…)」 今の神代さんは普通の状態じゃない。 こういった事に鈍感な俺でさえ、はっきりと分かるほどの『何か』が憑いているのだから。 しかし、俺はそんな神代さんに何をすれば良いのか、まったく分からない。 声を掛けてあげれば良いのか、それともこちらから抱き返してあげれば良いのか。 ギリギリと締め上げられる苦痛の中ではその考えも纏まらず、俺の口から悲鳴のような呻き声が漏れるだけだった。 霞「く…もう一度、囲むわよ!須賀君ももうちょっと我慢して…!」 京太郎「だいじょぶ…っす…!」 勿論、まったく大丈夫じゃない。 正直、ギリギリと締め上げられるそれは痛過ぎて逆に涙すら出ないようなレベルだった。 けれど、だからと言って、ここで弱音を吐くほど格好悪い事はない。 折角、皆が何とかしようとしてくれているのだから、それくらいの間くらいは我慢しよう。 そう思って歯を噛み締めた瞬間、俺を締め上げる神代さんの顔に明確な怒りが滲んだ。 京太郎「(なん…で…?)」 まるで俺が誰かと会話するのが腹立たしいと言うようなそれに痛みで霞む意識が疑問をもった。 本当に神代さんが『何か』に掌握されきっているのならば、きっとそんな風にはならない。 俺は神代さんにこんな化け物染みた動きをさせるような『何か』と知り合いでも何でもないのだから。 だから…きっと神代さんの意識が全て飲み込まれた訳じゃない。 それに微かな光明を見た俺は喉を震わせるように口を開いた。 京太郎「っだ、…大丈夫…ですよ…じんだ…ぃさん…!」 ??「っ~~!」 俺の声に目の前の神代さんの身体がブルリと震える。 まるで何かが身体の内側で蠢いているような激しいそれに俺の身体の揺さぶられた。 ただでさえギリギリだった意識が散り散りになりそうになるが、それを何とか繋ぎ合わせる。 何せ…俺が伝えたいのはそれだけじゃないのだから。 この後に告げる言葉こそが、俺が本当に伝えたいもので…だからこそ、ここでへこたれている訳にはいかない。 京太郎「きっと皆…が…何とかして…」 ??「…あ゛あああぁぁっ!!」 そこまで言った瞬間、神代さんが奇声を発して、俺を振り回した。 グルグルとまるで玩具に八つ当たりするようなそれに俺の腕と肩が悲鳴をあげる。 今にも脱臼して肩が千切れてしまいそうなそれに俺の口からも悲鳴の声が漏れた。 しかし、それでも俺は神代さんの手を離さない。 何せ、ここで手を離したたら、今度は別の誰かがこんな風に痛めつけられるかもしれないのだから。 石戸さんや狩宿さん、薄墨さんや…春さん…その誰かをこうして痛めつける神代さんの姿なんて…俺は決して見たくない。 京太郎「(何より…神代さんがきっと悲しむ…!)」 こうして特殊な環境に押し込められている所為か、皆はまるで家族のような信頼関係を構築しているのだ。 残念ながら、俺はそこには入れなかったけれど…しかし、それを崩すような真似を見過ごせるほど俺は鈍感じゃない。 神代さんが元に戻った後…皆がぎこちなくなるような様子のは嫌だ。 神代さんが悲しんで自分を責めるのはもっと嫌だ! 何より、それを別れ際に見る事になるのが一番嫌だ…っ! だからこそ、壁や床に足が叩きつけられ、引っ張られるのとは違う滲むような痛みが全身に広がっても…俺はずっと神代さんを捕まえ続けた。 京太郎「う…ぐ…ぅ…」 そんな地獄のような時間が終わった頃には、俺の身体はろくに動かなかった。 きっと全身に青あざが出来、あちこちの関節も捻挫している事だろう。 それでも尚、自分から手を離さなかった事を…少しだけ…ほんの少しだけ褒めてあげたい気になる。 結局、鹿児島で何も出来なかった俺が一つだけ…人に話せるような武勇伝が出来た。 そう思うと真っ赤に腫れ上がった頬が緩むのを感じる。 春「京太郎君!!」 京太郎「あ…」 そんな俺を抱き起こしてくれたのは多分、春さんなのだろう。 普段の落ち着いた声からは想像も出来ないくらい辛そうな声だが、声音そのものは変わっていない。 だが、残念ながら、今の俺はその顔を見る事が出来ない。 全身から湧き上がる痛みに視界が滲み、意識の糸も今すぐ途切れてしまいそうなくらいだったのだから。 京太郎「じんだい…さんは…?」 春「…姫様は無事…ちゃんと除霊は終わったから…」 京太郎「そう…です…か…」 途中であの化け物のような力が途切れたからそうかもしれないと思ってはいたが、どうやら無事に諸々は終わったらしい。 それに一つ安堵した瞬間、俺の意識がそっと遠のくのが分かった。 そんな俺に春さんが何かを言ってくれているものの、まるで厚い水の膜を通しているかのように殆ど聞き取る事が出来ない。 しかし…神代さんが無事なのであれば…後は大丈夫だ。 これでもう安心して俺は眠る事が出来る。 そう思った瞬間に、俺の熱い瞼がそっと落ち…そして俺の意識もまた視界と同じように閉ざされていったのだった。 ~ 小蒔 ~ ここ最近、須賀さんとまったく話せていません。 いえ…それどころかろくに顔も合わせられていないのが現実でした。 勿論、食事時にはまず確実に顔を見ますし、廊下なんかでばったり会う事も少ないですがあるのです。 しかし、その度に私や須賀さんの傍にいる誰かが口を挟み、会話らしい会話をする事も出来ません。 小蒔「(流石にそこまでされたら…私にだって分かります…)」 霞ちゃんたちは私と須賀さんと仲良くさせたくはないのでしょう。 その理由までは分かりませんが、きっとそれは私の為。 それは…私にも分かっているのです。 しかし… ―― 小蒔「(少しくらい…相談してくれたって…良いじゃないですか…)」 そうやって須賀さんを私から遠ざけるにはそれだけの理由があるはずです。 しかし、それは私にまったく事情を聞かさないまま、皆が勝手に決めた事。 幾ら私の事を思っていると言っても…それでは反発も覚えます。 ましてや…須賀さんがそうやって私から遠ざけるような悪い人ではないのですから余計にでした。 小蒔「はぁ…」 これが私が知らないだけで須賀さんが悪人…などと思えばまだ納得は出来るのでしょう。 しかし、皆と和やかに話す須賀さんは寧ろ、とても良い人である事が所作一つ一つから伝わってくるのです。 それに皆も少しずつ打ち解け、心を許し始めているのが目に見えて分かるだけに…正直、寂しいのが本音でした。 皆で須賀さんを独り占め ―― と言うのもおかしな話ですが ―― にして、私だけ…仲間外れにされている。 そんな感覚がどうしても否めないのです。 小蒔「(でも…皆はどうしても話してくれません…)」 昨日、流石に我慢出来なくなった私は霞ちゃんたちにそれを伝えました。 しかし、皆は気まずそうに誤魔化すだけで決して本当の事を言ってはくれません。 それが私にとってはまた『壁』を感じる事であり…気分を落ち込ませていました。 小蒔「(…須賀さんとお話したいです…)」 きっと須賀さん相手ならこんな事はないのでしょう。 私の『友達』になってくれると言ってくれたあの人なら…こんな風に私を除け者になんてしないはずです。 しかし、私は未だあの日の返事一つマトモに返す事が出来ていないままでした。 いえ、それどころか…手伝うと言った能力制御の手伝いにさえ…参加させてもらえていない有様なのです。 小蒔「(私…約束を破ってばっかり…)」 折角、ああやって須賀さんに意気込んだのに…私がやっている事はまったく正反対の事。 それに顔を俯かせながら、私はそっとため息を吐きました。 これでは須賀さんの友達だなんて到底、自分で言う事は出来ません。 しかし、約束を護ろうにも…須賀さんの傍には常に誰かが居て、私が入る隙間なんてないのです。 小蒔「(いえ…違います。本当は…強引に入る事だって出来るんです…)」 でも、そうやって強引に入った後、私が須賀さんの手伝いが出来るかは疑問でした。 いえ、やると言った以上、私だってその気はありますし、そうしなければと言う気持ちはあるのです。 しかし…それが他の皆よりも成果を出してあげられる…と言う意味では決してありません。 寧ろ…私が邪魔をしてしまう可能性だってあり得るのです。 そう思うと…無理に割り込む気にはどうしてもなれず、私は結局、遠巻きに須賀さんたちを見るだけでした。 小蒔「(もっと…自信が欲しいな…)」 決して揺るがないような自信があれば、こんな事はないのかもしれません。 しかし、私には他の皆よりも秀でていると思えるようなものはないのです。 例外は…『巫女』としての能力だけ。 しかし、それでは須賀さんの手伝いをするなんて到底、出来ないのです。 普段…姫様だと持ち上げられながらも、手伝い一つ出来ない力に自嘲が漏れました。 霞「あら…姫様?」 小蒔「あ…」 そんな私に呼びかける霞ちゃんの声に私はそっと顔をあげました。 そのまま視線を右へと向ければ、そこには着替えを持った霞ちゃんがいます。 進行方向から察するに霞ちゃんもお風呂に入りに行く途中なのでしょう。 霞「小蒔ちゃんもお風呂?」 小蒔「え、えぇ」 そして私もまた霞ちゃんと同じくお風呂に行く途中でした。 とは言え、その返事が微かにぎこちなくなってしまったのは…霞ちゃんに対して含むところがあるからです。 皆が須賀さんの周りを囲み、私を近づけないようにさせているのは間違いなく、霞ちゃんの指示なのですから。 それを思えば、以前のように仲良くする気にはどうしてもなれず、一緒に並んで歩いている今も…どこかぎこちない雰囲気が流れていました。 小蒔「(本当は…こんなの嫌なのに…)」 私だって本当は霞ちゃんと仲良くしたいのです。 幼い頃から私のお姉ちゃんみたいに仲良くしてくれた霞ちゃんとギクシャクなんてしたくありません。 けれど、その為には…霞ちゃんが事情を話してくれるのが必要不可欠なのです。 そうすれば…私だって色々と納得して、今の措置にも理解を示す事が出来るでしょう。 しかし、霞ちゃんは頑なに事情を話してはくれません。 それが私達の間にしこりとなって、ぎこちなさへと変わっていました。 霞「あら…」 それでも一緒に並んでしまう自分に胸中で苦笑を向けた瞬間、霞ちゃんがそっと懐から携帯を取り出しました。 それは私の教育に悪いからと決して与えられはしなかったものです。 しかし、その半面、私の周りの皆は連絡の為に持たされ、それを使いこなしていました。 それにもまた『壁』を感じる私の前で、霞ちゃんの顔が驚きへと変わっていきます。 小蒔「…どうかしたんですか?」 霞「あ…いや…何でもないのよ」 霞ちゃんはそう言って誤魔化しますが、到底、そうは見えません。 ある程度の事なら表情を崩さずに処理出来る霞ちゃんがこんなにも露骨に表情を変えたのですから。 きっとそれだけ大きな事が携帯には書いてあったはず。 それなのに…私にはまた教えては貰えない。 それに今までずっと仲間外れにされてきた疎外感が不満と共に一気に暴発し、私は指を明後日の方向へと指さしました。 小蒔「あ…お父様!」 霞「えっ!?ご当主様!?」 瞬間、私の声に弾かれるようにして霞ちゃんが明後日の方向へと向きました。 その身体が反射的に中腰になって挨拶の姿勢を取ろうとしているのは条件反射のようなものなのでしょう。 そして、故にそこが付け入る隙となるのです。 普段であれば…決して私に携帯を取らせはしない霞ちゃんの手から…その携帯を奪い取る為に必要で決定的な隙に。 霞「あっ!」 そんな私の動きに霞ちゃんが気づいた頃にはもう遅いです。 既に私の手には携帯が握りしめられ、その画面を開いていました。 瞬間、私の目に飛び込んできた文字は… ―― 小蒔「…え?」 『須賀京太郎』と言う私も知る男性の名前と…そして『急な話で申し訳ありませんが、明日、帰ります』という簡潔な文章のみ。 けれど、私はそれを最初、信じる事が出来ませんでした。 だって…須賀さんはついこの間、このお屋敷に来たばかりなのです。 まだ能力を制御する方法だって確立出来ていませんし、須賀さんが本当に求めていたという後遺症をなくす方法もまったく見えていません。 それなのに…帰ろうとするなんて何かがおかしい。 そう思った瞬間、私はその下にもう一文、付け加えられている事に気づきました。 ― 『ご迷惑をお掛けして申し訳ありません』 小蒔「迷…惑…?」 一体、彼が何時、誰に迷惑を掛けたと言うのでしょう。 寧ろ、須賀さんはとても皆に馴染み、私が疎外感を感じているくらいなのですから。 そんな須賀さんが迷惑だと思うような事なんて…私には一つしか思いつきませんでした。 いえ…もっと言うならば…あんなに皆に囲まれていた須賀さんが自分の存在が迷惑だと思うほどに疎外感を感じる理由なんて…一つしか思い至らなかったのです。 小蒔「(社交辞令なんかじゃ…ない…)」 私の知る須賀さんはこんな社交辞令を書くような人ではありません。 書くのならば、『申し訳ありません』よりも『有難うございます』と書くでしょう。 そんな人が…謝罪を文面に残すほど、追い詰められ、苦しめられている。 それは… ―― 霞「小蒔ちゃん…?」 小蒔「…霞…ちゃん…」 それは…きっと皆が創りだした『壁』の所為。 私と須賀さんを隔てる『壁』に…須賀さんもまた気づいていたのでしょう。 皆に慕われるように囲まれて笑みを浮かべながらも、そこに困るような、傷つくような表情を混ぜていたのはきっとその所為だったのです。 それ故に…須賀さんは今、この屋敷から出て行こうとしている。 それが私には…涙が出そうになるほど悲しく…そして… ―― 霞「っ!だ、ダメよ、小蒔ちゃん!!」 必死さを強く感じさせる霞ちゃんの声は私にも届いていました。 しかし、心の奥がポッカリと空いた寂しさはそれでは埋まらないのです。 それを埋めてくれるのは…たった一つ。 ドロリとした暗い感情と…確かにある皆に対する怒り。 そして…それに惹かれて現れる…ドス黒い力の形。 霞「気をしっかりもって…!小蒔ちゃん…!」 小蒔「4る。い…!」 そんな私に呼びかける霞ちゃんへと応える声は…もう私のものではありませんでした。 私という器に何か大きなものが満たされて、それが私を通して話しているのです。 しかも…それは普段、私を通して降りていると言う九面様のような優しい感じじゃありません。 ただただ暴れて…力を撒き散らす事を望む怒りと嫉妬の化身。 それが私の身体を今にも乗っ取ろうとしている感覚に…私は… ―― 小蒔「あは…Aは…っ♪あはは…あは…あはHAH3Fはっ」 どうしても抗えず…意識がゆっくりと下へ下へと落ちていきます。 そんな意識とは対照的に…私の口から狂気するような声が漏れるのが聞こえました。 まるで…この世に生まれ落ちた事が楽しいと言うようなそれを抑えようと霞ちゃんが手を伸ばします。 しかし、既に冷たい力で満たされた私の身体は霞ちゃんにも容赦しません。 寧ろ、その牙を嬉々として向けるように、無防備な衣服を引き裂いて傷を与えようとするのです。 小蒔「(霞ちゃん…逃げ…て…)」 最後に頭の中でそう呟いて、私の感覚はそっと途切れます。 ただただ、暗い闇の中で眠るようにして意識が横たわっているだけで…外の様子が分かりません。 ですが…嬉々とするドス黒い意識が、皆を傷つけている事だけがはっきりと伝わってくるのです。 小蒔「(もう…もう止めて…!!)」 心の中でそう叫んでも、私の身体は止まりません。 寧ろ、嬉々として暴れ回り、また誰かを傷つけているのです。 それが辛くて…苦しくて…でも、謝る事すら出来ない現状に私の意識は悶えました。 それにドス黒い意識が喜ぶのを感じながらも、私は何度も何度もそう叫びます。 京太郎「神代さん!無事です…か…?」 小蒔「(え…?)」 そんな中、須賀さんの声がはっきりと私の耳に届きます。 まるで…まるでそれだけは決して聴き逃しちゃいけないと思っているように…はっきりと私の意識に届いているのです。 それに驚きの声をあげた瞬間、ドス黒い『何か』がニタリと嫌な笑みを浮かべたのが分かりました。 まるで私を傷つける最高の道具を見つけたようなそれに…私の意識は慌てて叫びます。 小蒔「(須賀さん!逃げて!!)」 京太郎「ぐぁ…ぁあっ!」 しかし、どれだけ叫んでも私の声が須賀さんに届く訳がありません。 そう分かっていても、私は叫ばずにはいられませんでした。 だって…須賀さんは何も関係がないのです。 こんな…私の…おかしな力に巻き込まれる必要なんてなかったのですから。 しかし、私が反応してしまった所為で…私の身体を支配している『何か』は須賀さんに矛先を変えてしまった。 小蒔「(あぁ…っ!あぁぁぁ…っ!!)」 それに押しつぶされるほどの罪悪感と痛みを感じて、私の心が悲鳴をあげました。 今にも心が真っ二つに引き裂かれそうに思えるその痛みに何度も何度も叫びます。 止めてって…もう止めてくださいって…枯れそうなほどに。 けれど…『何か』はニタニタと笑うだけで…決して止めてはくれません。 寧ろ、そんな私や須賀さんの苦しみを喜ぶようにして、余計に彼を痛めつけようとしているのです。 京太郎「だいじょぶ…っす…!」 小蒔「(え…)」 それに心がバラバラになってしまいそうに思った瞬間、私の耳に強がった声が届きました。 今にも消えてしまいそうなくらいに掠れているのに…誰かを励まそうと必死に漏らすその声に…私は驚きます。 だって、それはまるで…私の声を聞き届けているようなものだったのですから。 それに今にもバラバラになりそうな私の心がギリギリの所で踏み留まり、痛みがほんの少し和らぎました。 小蒔「(でも…それは私にじゃないはずです…)」 勿論、そうであって欲しいと言う気持ちは私にもあるのです。 しかし、私の声が届いていないのは明白で…それはきっとその場にいる他の誰かに向けたものなのでしょう。 そう思うと胸の奥から妙な腹立たしさが溢れ、拗ねるような気持ちが大きくなっていきます。 京太郎「っだ、…大丈夫…ですよ…じんだ…ぃさん…!」 ??「っ~~!」 それに身体を支配している『何か』が喜悦を浮かべようとした瞬間、再び私の意識に須賀さんの声が届きました。 今度こそ…今度こそ本当に私へと向けられた須賀さんの声。 それに『何か』が信じられないかのように目を見開き、困惑するのを感じます。 いえ…寧ろ、普通では有り得ないはずの反応に、『何か』は困惑を通り越して、微かに怯えていました。 京太郎「きっと皆…が…何とかして…」 ??「…あ゛あああぁぁっ!!」 それを認めまいとするように『何か』が暴れ始めます。 それに須賀さんも巻き込まれているのでしょう。 手のひらから何かを叩きつけるような感触が伝わってくる度に、潰れるような須賀さんの声が聞こえました。 苦痛に強く彩られたそれは…聞いているだけでも胸が張り裂けて死んでしまいそうです。 しかし…それでも、私の手のひらから伝わってくる感覚はなくなりません。 これほどまでに『何か』は怯えているのに…逃げようとしているのに…なくならないそれは…もしかしたら… ―― 小蒔「(須賀さんが…握ってくれているんですか…?)」 それが一体、どうしてなのかは分かりません。 私が怯えないようになのか、それとも他に誰かを傷つけない為になのか。 しかし…私の身体を支配し、尋常ならざる怪力を振るう『何か』に対して須賀さんも立ち向かおうとしてくれているのは事実でしょう。 ならば…私も…逃げている訳にはいきません。 何の力もない須賀さんがこうして私を助けようとしてくれているのに…何時までも一人泣いている訳にはいかないのです。 小蒔「(いい加減…私の中から出て行きなさい…!!)」 その言葉に何かの意味がある訳ではありません。 一度、降ろしてしまったものに対して、私はあまりにも無力で…そして受動的なのですから。 しかし…それでも霞ちゃんたちの手によって弱り、怯えた『何か』に対して、決定打となる力はあったのでしょう。 それを契機としたように『何か』がふっと私の中から抜けていくのを感じました。 小蒔「あ…」 霞「姫様!?」 そんな私が床へと倒れこむ前に抱きとめてくれたのは霞ちゃんでした。 それが…少しだけ不満なのは多分、贅沢というものなのでしょう。 それでも、出来れば…まるで物語のヒーローのように須賀さんに抱きとめて欲しかったのは否定出来ません。 どれだけ我儘であると理解していても…暗く、深い悪意の中、私に必死に呼びかけてくれていた彼に受け止めて欲しかったのです。 小蒔「須賀…さんは…?」 霞「…大丈夫よ。今、春ちゃんが看てる」 しかし、アレだけ暴れた私の手をずっと握り続けた須賀さんは決して無事とは言えないのでしょう。 ほんの少し遅れた霞ちゃんの声は微かに震え、それが決して言葉そのものの意味ではない事を教えてくれました。 それが悲しくて私の目に熱いものが浮かびますが、私はもう目を開ける力もありません。 悪神・悪霊と呼ばれる類のものに憑かれるのは、九面様を降ろすよりも遥かに疲れる事なのですから。 まして、それが私の身体で遠慮無く暴れまわった後ともなれば、身体は疲労感で満ちていました。 小蒔「(あぁ…私…は…)」 こんな風になるのは別に今回が初めてじゃありませんでした。 九面様全てを降ろす事が出来る巫女と言うのは、謂わば巨大なアンテナも同然なのです。 それを狙って、幼い頃から私の周りには悪いものが付き纏っていました。 私の心が過度に弱ってしまった際、その心のスキマに入り込み…自らの欲求を満たそうとするものたちが。 霞ちゃんたちが親元を離れ、こうして私の傍についてくれているのは私を護る為だけではなく、それらを祓う為でもあるのです。 小蒔「(また…やってしまい…ました…)」 それでも霞ちゃんたちが傍に居るようになってから、それらは殆どありませんでした。 けれど…今、私は久しぶりにそれを起こし、須賀さんを傷つけてしまったのです。 何の関係もない…ただ、私のお友達になろうとしてくれただけの…優しい人を…傷めつけてしまったのでした。 小蒔「(巫女になんて…ならなければ良かった…)」 こんな力がなければ、須賀さんを傷つける事なんてありませんでした。 こんな力がなければ…須賀さんが自分のことを迷惑だと思う事もなかったのです。 こんな力がなければ、霞ちゃんたちだって普通の女子高生として暮らす事も出来たでしょう。 それは…逆に言えば、この力がなければ、須賀さんとも、霞ちゃんたちとも出会う事が出来なかったと言う事です。 しかし…それでもどうしても…私の心の中からその声はなくなりません。 今回の事でさらに強くなった感覚に…私は胸を震わせながら、そっと意識を手放し、暗い眠りの中へと落ちていったのでした。 ……… …… … 小蒔「あ…」 そんな私が目を覚ましたのは自分の部屋の中でした。 目の前に柔らかい布団の感触がある事から察するに誰かが私の事を部屋まで運び、布団に寝かせてくれたのでしょう。 それに感謝の気持ちを感じる反面、放っておいてくれても良かったのに…と思う気持ちが私の中にありました。 小蒔「(…皆に会わせる顔がありません…)」 勿論、霞ちゃんたちにとって、私がああやって取り憑かれた姿を見るのは初めてではありません。 しかし、害意を持って暴れまわる私に対して、恐怖を感じないはずがないのです。 幾ら六女仙として、そう言ったものに立ち向かう訓練を受けているとは言え、皆も普通の女の子なんですから。 どれだけそれに立ち向かう力があったとしても…怯える気持ちをなくした訳じゃないでしょう。 小蒔「(それに…私は…須賀さんを…)」 そう胸中で呟きながら、そっと見下ろした手の中には、未だ肉を壁や床に叩きつけた嫌な感触が残っていました。 グシャリと音を立てるようにして腕に伝わるその感触は今にも吐き出しそうなほど気持ち悪いものです。 しかし…本当に辛いのは私ではなく、須賀さんの方でしょう。 アレだけ傷めつけられても…私の意識が身体の支配を取り戻すギリギリまで…私の事を握り続けてくれていたのですから。 小蒔「(…だって…こんなにも…私の手に…痣が残っています…)」 須賀さんには霞ちゃんたちと違って、何の力もありません。 いえ、ある事にはあるのですが…その…ああなった私に対して有効なソレではないのです。 ましてや除霊の為の訓練など受けているはずもなく、あの場ではただ傷めつけられていただけ。 しかし…それが何より…私の心に残っていました。 本当なら真っ先に逃げたいであろう立場だったはずなのに、ただ巻き込まれただけなのに…あの場で出来る最善を考え、尽くしてくれた人。 私の手に痣が残るほど強く握りしめ、暴れる私の手綱をギリギリの所で締めてくれていた…優しくも強い人。 その人のお陰で…私は霞ちゃんたちを傷つける事はなく、取り憑かれたにしては比較的被害の少ない結果に終わったのでしょう。 小蒔「…須賀さん…」 その人の名前を呼ぶと…私はもう我慢出来なくなりました。 申し訳なさと感動で目尻が熱くなり、痣がズキリと疼きます。 それが背を押すままに私はそっと布団から抜け出し、時計を見ました。 時刻は既に深夜の三時。 丑三つ時と呼ばれる時刻ですが…関係ありません。 今の私は…ただ須賀さんの安否を自分の目で確認したくて仕方がなかったのです。 小蒔「ん…く…」 しかし、それでも身体の気怠さが私の足を引っ張ります。 幾らか寝てマシになったとは言え、私の身体は休息を求めているのでしょう。 身体中で筋が引っ張るような感覚が起こり、ピリリと痛みを感じました。 それでも足を止める気にはなれない私はそっと襖戸を開き、廊下へと顔を出すのです。 小蒔「(誰もいません…ね?)」 念のため、周囲を確認してから私は廊下へと足を踏み出しました。 流石に時間が時間だけにないとは思いますが、霞ちゃんたちに会ったりすると目も当てられません。 これから私がやろうとしている事は紛れもなく殿方の寝所に顔を出す事なのですから。 小蒔「(れ、冷静に考えると…凄いはしたない事ですよね、これ…)」 こんな夜中に殿方の寝床に行くだなんて…夜這いも同然だと言われてもおかしくはありません。 それを思うと私の頬がそっと熱くなり、恥ずかしさが湧き上がって来ました。 もし…須賀さんに見られてはしたないと思われてしまったら、どうしましょう…。 そうは思いながらも、私はその顔がどうしても一目見たくて…足を止められませんでした。 小蒔「(…き、来ちゃいました…)」 結局、数分後には私の足は須賀さんが寝ているであろう客間にたどり着いていました。 けれど、私の手は中々、その襖戸を開ける気にはなれません。 後ほんの数メートル先に須賀さんの寝顔があると思うと妙にドキドキしてしまうのです。 小蒔「(だ、大丈夫ですよ、確認…確認するだけなんですから)」 そう自分に言い聞かせて、大きく深呼吸した後、私はそっと襖に手を掛けました。 そのまますっと動かせば、その向こうには見慣れた客間があります。 そして…そこに敷かれた一式の布団。 その中には腫れ上がった顔で横になる須賀さんの姿があり、そして… ―― 小蒔「(あれ…?どうして春ちゃんが…?)」 そんな須賀さんの脇には畳へと倒れこむように寝ている春ちゃんの姿がありました。 恐らく途中まで看病をしていたのでしょう。 その近くには水の入った小さな桶と濡れたタオルが置いてありました。 微かに血の染みこんだそれは須賀さんの顔を何度も何度も拭いた事を私に教えます。 小蒔「(…ごめんなさい…)」 そうやって春ちゃんが看病の途中で糸が切れてしまうくらい…須賀さんの様態は酷いものだったのでしょう。 それが伝わってくる光景に私はぎゅっと歯を食いしばりました。 そのまま今すぐ春ちゃんにも、須賀さんにも謝罪したいですが、今の時刻は到底、それが出来るものではありません。 それよりも今は…須賀さんの横に布団を引いて、春ちゃんをちゃんと寝かせてあげるべきでしょう。 小蒔「よいしょ…」 未だ筋張った感覚が残る身体ではそれも難しいですが、決して出来ない訳じゃありません。 数分後には備え付けの布団を一組おろしきった私は、そこに春ちゃんを横たえさせる事に成功しました。 その最中、春ちゃんがまるで離れたくないとばかりに私の服を掴んだのが少しだけ気になります。 一体、どんな夢を見ているのか、その唇は微かに動き、何かを言っていました。 小蒔「(何となく…それに気づいちゃいけない気がして…)」 まるで縋るように…何度も何度も唇を動かす春ちゃんの姿。 それは今まで一度も見たことがないくらい必死で…そして悲しいものでした。 それを向けられる誰かはきっと光栄だろうと思うそれを…私は思考から弾き出します。 春ちゃんの事は勿論、大事ですが、今は何より須賀さんの事が第一なのですから。 小蒔「(…須賀さん…)」 とりあえず一仕事終えた事を確認した私は改めて、須賀さんの布団の脇に腰を下ろします。 枕元の右側からそっと見下ろすその顔は…とても凄惨なものでした。 精悍な顔つきを作っていた頬は腫れて真っ赤になり、瞼の上も切れているのか、真っ赤になったガーゼが押し当てられています。 唇もボロボロで、その端からは真っ赤な跡が鋭く切り込まれていました。 鼻にも添え木が当てられていて、無事では済まなかった事を私に教えます。 小蒔「(でも…こんなのきっと…氷山の一角にすぎないのです…)」 こうして顔を見るだけでも怯んでしまいそうな大怪我。 しかし、それが顔だけでは済まず、全身に広がっているのが私には分かります。 きっと腕や足にも湿布や包帯が巻かれ、顔にも負けない悲惨な状況になっているのでしょう。 それにじわりと涙が浮かびますが、私にはどうしようも出来ません。 人をこうして傷つける力はあるというのに…人を癒す力なんて私にはないんです…。 小蒔「…ごめん…なさい…っ」 思わず呟いたその声と共に私の目尻から涙が溢れました。 勿論、泣いたって何も解決しませんし…その言葉を捧げるべき人は今も眠っています。 そんな状態で…謝罪を口にしても何の意味もないでしょう。 しかし…それでも思わず私の口からその言葉が出てしまうくらいに…須賀さんは痛ましい姿だったのです。 会った時の陽気で…ちょっと意地悪で…でも、とても暖かで優しい須賀さんと本当に同一人物とは思えないくらい…酷い状態だったのです。 小蒔「ごめんなさい…っ!」 もう一度、呟いた私の指先がぎゅっと袴を握り込みます。 そこに幾つもの染みが広がっていくのを感じながらも、私はそれを抑える事が出来ませんでした。 幾ら謝っても奥から奥から溢れ出る感情の波が私を責め続けているのです。 身体の内側に留めおく事が出来ないそれに私は涙を流し、何度も何度も小さな声で謝り続けました。 京太郎「神代…さん…?」 小蒔「え…?」 そんな私に唐突に聞こえた声。 それに思わず聞き返した私の目にこちらを向いた須賀さんの顔がありました。 その目は腫れの所為か微かにしか開いていませんでしたが、それでも須賀さんの目が完全に覚めているのを私に教えます。 京太郎「どうかし…いたっ!」 小蒔「あ、あわわ…」 そんな私の前で急に起き上がろうとした須賀さんが痛みを訴えました。 ぎゅっと身体を丸めるようなそれはきっと全身に苦痛が走っているが為なのでしょう。 しかし、それを見ながらも、急激に変化する展開に私はついていけません。 痛みを訴える須賀さんにどうして良いか分からず、私は視線をあちこちへと彷徨わせました。 小蒔「え…えいっ!」 京太郎「ぬぉあ!?」 それでも消えぬ焦りに背を押され、私が選んだのは須賀さんを布団へと押し戻そうとする事でした。 ぐいっと須賀さんの肩を押してのそれに須賀さんはバランスを崩し、布団へと戻ります。 そのまま反発を利用して戻れば良いものを、焦った私は力加減を間違ってしまいました。 ぐいっと押した勢いのままに…須賀さんを布団へと押し倒してしまうのです。 小蒔「あ…」 須賀さんの顔を上から見つめる私の髪がそっと垂れました。 霞ちゃんほどではなくても、それなりにある私の髪が須賀さんの顔を包み、それ以外を視界から排除します。 まるで…世界に私と須賀さんしかいないような…そんな何とも言えない感覚。 それに胸の奥がトクンと跳ねたのを感じながらも、私は須賀さんから目を離せませんでした。 小蒔「(何でしょう…この…感覚…)」 さっきまで須賀さんの顔を見ていた時には決して感じなかった不思議な感覚。 それに疑問を覚えながらも、それは決して嫌ではありませんでした。 いえ…寧ろ、こうやって見つめ合うだけで胸の奥から暖かな気持ちが沸き上がってくるのですから。 今まで感じたどんなものともズレているそれの名前を私はまだ知りません。 ですが…それでも今、私が求めている事だけは…しっかりと分かるのです。 小蒔「(わ、わわ…私…今…欲しがってる…須賀さんの…唇を…接吻…を…)」 今…胸が焦がれそうなほど、私が求めていたのは須賀さんの唇でした。 私の所為で血に濡れ、荒れてしまったその唇に…私は自分の証を残したかったのです。 そ、そんな事…女性がやるような事じゃないなんて…私にもちゃんと分かっていました。 まして…殿方を押し倒しながら、接吻しようだなんて…あまりにも破廉恥が過ぎる行為でしょう。 しかし…それなのに…あの時の私は…まったくそれに対する忌避がありませんでした。 それどころか…そうする事がとても正しい事のように思えたのです。 京太郎「えっと…とりあえず…大丈夫ですか?」 小蒔「は、はい…」 そんな私の気持ちを察してくれた須賀さんの言葉に私はそっと頷きました。 一体、何が大丈夫なのか、色々ありすぎて分かりませんが、今の私は大丈夫なはずです。 途中で気づいたお陰で、接吻しようとするような衝動は霧散しましたし、何かに取り憑かれている訳でもないのですから。 何時も通りの…普通の神代小蒔に戻っているはずです。 小蒔「まず…須賀さんにこんな大怪我をさせて、すみませんでした…っ!」スッ 京太郎「あ、頭をあげてください。神代さんは何も悪くないじゃないですか」 そして…だからこそ、しなければいけない事がある。 そう心の中で思考を切り替えながら、私は畳に手を着いて頭を下げました。 所謂、土下座と呼ばれるそれに須賀さんが焦ったように慰めてくれます。 しかし…それでも私は頭をあげる事が出来ません。 それだけの事を…私は須賀さんにしてしまったのですから。 京太郎「そ、それより神代さんの方こそ大丈夫なんですか?」 小蒔「わ、私は平気です…それより須賀さんの方が…」 そんな私を気遣ってくれたのでしょう。 須賀さんは逆に私の安否を気にする言葉をくれました。 それにジンと胸の奥が熱くなるのを感じながら、私はそう言葉を返します。 確かに私の身体には疲労や筋張った感覚が残っていますが、それだって何かするのに大きな支障が出るレベルではありません。 全身が腫れ上がった須賀さんの前で口に出来るようなものでは決してないのです。 京太郎「…嘘はいけませんよ。動きが少しぎこちないじゃないですか」 小蒔「う…」 しかし、それは須賀さんに見抜かれてしまったのでしょう。 呆れたように言う須賀さんの言葉は確信を伴ったものでした。 それに言葉を失う私の前で須賀さんがそっと左手を伸ばし、伏せたままの私の頭にそっと触れるのです。 京太郎「顔をあげてください。そうじゃないと…お話も出来ないです」 小蒔「あ…」 ポンポンと子どもをあやすような優しい手つき。 まるで父が我が子にするような暖かなそれは……須賀さんが本当に私の事を許してくれている証なのでしょう。 そう思うとまた目元が熱くなり、涙が漏れそうになってしまいます。 今にも泣きそうな顔を見られるのはどうしても嫌で…私はそのまま伏せていました。 京太郎「それとも…こうやってずっと髪を撫でられて居たいですか?」 そんな私に悪戯っぽく告げられるそれはとても魅力的な提案でした。 だって…こうやって須賀さんに撫でられるのは胸が震えるほど嬉しい事なのですから。 安堵と緩やかな歓びが混ざったそれは何時までも何時までもして欲しいくらいです。 小蒔「…いたい…です…」 京太郎「え…?」 小蒔「あ…」カァァ それがそのまま口に出てしまった私に須賀さんが驚いたような声を漏らしました。 きっと私がそんな風に応えるとはまったく予想していなかったのでしょう。 それに頬が羞恥を灯し、赤く染まっていくのを感じました。 一体、私は何でこんな子どもっぽい事を言っているんでしょう。 そう胸中で自嘲の言葉を漏らしながら、私はそっと顔をあげました。 京太郎「ともあれ…無事で良かったです」 小蒔「…須賀さんの方は…」 京太郎「頑丈さだけが取り柄みたいなもんっすから大丈夫です」 それは…強がり以外の何者でもないのでしょう。 そう言って、そっと笑う須賀さんの表情は強張っていました。 あれだけ傷めつけられたのですから…今もその身体は苦痛で一杯のはずです。 それなのに私の事を気遣って、強がる須賀さんの姿はとても痛ましいものでした。 もしかしたら、こうやって話しているのも辛いのかもしれません。 しかし、それでもそれを漏らそうとせず、私の事を第一に考えてくれるその姿に…私は… ―― 小蒔「ごめん…なさい…っ」 再び漏れる大粒の涙。 けれど、本当に泣きたいのは須賀さんの方なのです。 何の関係もないのに…ただただ巻き込まれ、今も苦しんでいるのですから。 それなのに強がってくれている人の前で泣いても…無意味でしょう。 それが分かっているのに…私の涙は止まりません。 小蒔「…ぁ…」 京太郎「泣かないで下さい」 そんな私の手に包帯が巻かれた須賀さんの手が伸びました。 そのまますっと頬を撫で、目尻を拭ってくれるそれはとても優しく暖かなものです。 さっき私の頭に触れてくれたのと変わらないそれに私の涙はさらに溢れます。 それが…須賀さんの優しさが嬉しいからなのか、そんな須賀さんに対して何も出来ない自分の情けなさからなのかは分かりません。 ただ…グチャグチャになった胸中から感情を絞り出すように…私はずっと泣き続けていたのです。 小蒔「ぐす…っ」 京太郎「…落ち着きました?」 小蒔「…はい。ご迷惑をお掛けしました…」 数分後、それが一段落した頃には、私の顔はグチャグチャになっていました。 須賀さんが必死に拭ってくれたものの、涙で濡れて、到底、見れたものではないでしょう。 しかし、それとは対照的に、私の胸は少しだけすっきりとして…気分が軽くなっていました。 小蒔「どうして…ですか…?」 京太郎「え…?」 小蒔「どうしてそんなに…優しく出来るんですか…?」 そんな私の頬を優しく拭い続けてくれる須賀さん。 その優しさは嬉しいものの…どうしてもそんな疑問が私の胸から浮かび上がってくるのです。 普通の人であれば…あれほど痛めつけられれば、私を怖がったりするでしょう。 私の力を知っている人でさえ、暴走に巻き込まれた時には明白な恐怖を浮かべるのですから。 しかし、須賀さんはそんな私を怖がったりしないどころか、こうして優しく慰めてくれるのです。 正直…恨み言の一つや二つは覚悟していた私にとって、それは嬉しい誤算ではありましたが、同時に理解できない事でもあったのです。 京太郎「あー…ファンだから…じゃダメですか?」 小蒔「ファン…ですか…?」 勿論、それは私も把握していた事です。 だって、それは初めて会った時から須賀さんが言ってくれた事なんですから。 ですが…そう言ってくれた時は確かに嬉しかったはずなのに、今の私には少し…不満な答えでありました。 嬉しいのは事実ですし…納得出来る答えであるのは事実ですが…何か物足りない気がしてならないのです。 京太郎「後、友達になりたいっていう下心も割りとあったりですね…」 小蒔「あ…」 そんな私の耳に届いた申し訳無さそうな言葉。 それに私の胸がジンと震えて、嬉しさを沸き上がらせました。 須賀さんも…まだ私と友だちになりたいと思ってくれている。 それをこうして確認できた喜びに…再び涙が漏れそうになりました。 私はこんなに泣き虫さんじゃなかったのに…一体、どうしてなのでしょう。 さっきから…私の心は須賀さんの言葉に振り回されてばっかりなのです。 小蒔「(でも…それが嫌じゃありません…)」 こうして言葉一つ一つに振り回され、涙が出そうになっているのに…それがまったく嫌じゃないのです。 それはきっと…須賀さんがとても暖かで優しい人であると分かっているからなのでしょう。 そうやって振り回されるのも須賀さんの優しさの所為なんだと思えば…胸の奥が熱くなるようにすら感じるのです。 小蒔「本当に…良いんですか?」 京太郎「え…何がです?」 小蒔「だって…私…『普通』じゃないです…」 しかし、それでも、私は須賀さんの言葉にすぐさま頷くことが出来ませんでした。 だって、私は…『巫女』で…決して『普通』ではないのです。 それはさっき私に痛めつけられてしまった須賀さんには良く分かっている事でしょう。 ですが、それでも…確認するように口にするのは…もう自分では止まる事が出来ないからです。 小蒔「(本当は…お友達にならない方が良いって分かっているのに…)」 私は須賀さんを傷つけてしまいました。 須賀さんがそれを許してくれたといっても、その事実は変わりません。 そして…また何時…さっきのように須賀さんを傷つけるかどうか分からないのです。 それを思えば…自分からその申し出を断るのが最善なのでしょう。 ですが…これまでそれを望み、しかし、手に入らなかった私の心はそれを選ぶ事が出来ません。 傷つけるかもしれないという恐ろしさよりも…これからずっと一緒にいたいという喜びの方を…選んでしまうのです。 京太郎「何言ってるんですか」 小蒔「え…?」 京太郎「神代さんは何処にでもいる『普通』の女の子ですよ」 そんな私に須賀さんは何でもないように言ってくれました。 まるで…本当に本心からそう思ってくれているような…普通の言葉。 しかし、それが私にはどうしてなのか理解出来ません。 だって、私の特異性はついさっき須賀さんも体験したばかりなのですから。 例え、神様の存在を信じていなくとも、私が危険である事くらい分かるでしょう。 京太郎「寧ろ、俺の方が化け物じみた能力をしてますってば。脅威度で言えば、俺の方が遥かに上ですよ」 小蒔「そ、そんな事…」 京太郎「それに…神代さんの力はそれだけじゃありませんよ」 確かに無差別に女性を、その…え、エッチな気分にさせると言うのは脅威であるかもしれません。 ですが、それは私の脅威とはまた違い、一緒にするようなものではないでしょう。 そう言おうとした私を遮るようにして、須賀さんが言葉を付け加えました。 京太郎「俺みたいに…人を傷つけるだけの力じゃないでしょう?」 小蒔「…あ…」 そう言いながら、怯えを見せる須賀さんの瞳を見て…私はようやく彼の感情に気づきました。 須賀さんは…誰よりも自分の能力の事を恐れているのです。 大事な人たちを傷つけてしまった自身の事を…何よりも恐れているのでしょう。 だからこそ…須賀さんは自分をこんなにも傷つけた私の力が怖くないのです。 それよりももっと恐ろしい事を知っているが故に、須賀さんは自分が傷つくという事に無頓着なのでしょう。 いえ…もしかしたら、こんな能力を持っている自分なんて死んでしまえば良いと…内心、思っているのかもしれません。 小蒔「(そんな事…)」 無いと…言ってあげたい。 そうやって卑下するような言い方をするほど酷い能力ではないと…言ってあげたいのです。 しかし、私は実際に経験した訳でも、何でもありません。 伝聞でしか知らない私が慰めるようにそう言っても、須賀さんの心には届かないでしょう。 京太郎「それに普段の神代さんはちょっと可愛くて頑張り屋さんなだけの何処にでもいるような女の子なんですから。問題ないですよ」 小蒔「……そう…でしょうか…」 そんな私を励ますように言う須賀さんの前で私は一抹の寂しさを覚えました。 こうして私が須賀さんの傍に居るというのに…何処か手が届かない…もどかしい寂しさ。 私にとって当事者であり、被害者である須賀さんとは違い…私は彼にとって加害者にも被害者にもなれていないのです。 その一方通行感が何とも重苦しく、私の言葉を途切れさせました。 小蒔「…あの…聞いてもらえますか?私の…力の事」 それでも決心するようにそう言ったのは、私の事を少しでも須賀さんに知ってもらいたかったからです。 そうやって私の力に対する理解を深め、もう少し…判断する余地を与えてあげたかったのでした。 …いえ、それはきっと建前なのでしょう。 今、私が感じている一方通行感は思わずそんな言葉が漏れてしまうほどに寂しいものであったのです。 小蒔「(嫌われて…引かれてしまうかもしれない…ですが…)」 ここまで巻き込んでおいて…何の説明もしないという訳にはいきません。 何より…これからお友達として付き合ってくださるという須賀さんに対して隠し立てする事でもないのです。 そう理性が言う言い訳を加える私の前で須賀さんが小さく頷きました。 それに小さな安堵を得ながら、私はそっと唇を開いたのです。 小蒔「私が巫女であり、ここで祀っている天孫降臨に出てくる九神…所謂、九面様を降ろす事が出来る…と言うのは知っていますか?」 京太郎「一応…霞さんに聞きましたけれど…」 どうやら、その辺りの基礎的な説明は霞ちゃんにされていたみたいです。 それに少しだけ拗ねるように思うのは、私の役目がまた霞ちゃんに取られたと思うからでしょうか。 しかし、今はそれを表に出している余裕はありません。 それよりも須賀さんにも分かりやすいような説明を心がけるのが必要なのですから。 小蒔「巫女とは凄い大雑把に言えば…アンテナと蓄電器みたいなものです。基本的にはお互いに波長を合わせた場所と交信しますが…時折、混信する事もあります」 京太郎「それが…今日…いや、昨日みたいな事だと?」 小蒔「はい…もっとも…あんな風に乗っ取られるのはこれまでも数回しかないくらいなんですけれど…」 しかし、それでもその度に暴走を繰り返し、周囲の人々を傷つけるのは紛れもない事実です。 それにそっと顔が俯くのを感じながらも、ここで言葉を区切る訳にはいきません。 これはまだ説明の入り口や基礎と呼ばれる部分であり、ここからさらに発展させていかなければいけないのですから。 小蒔「今は無意識的にそういうものを弾く訓練を受けているのですが…精神的に極端に弱るとああいうのに憑かれやすくなりまして…」 京太郎「今回もそうだったんですか?」 小蒔「ぅ…」 そう尋ねる須賀さんの顔には心配そうなものが浮かんでいました。 それも当然でしょう。 こんな言い方をされれば、誰だって今回もそうだったのではないかと思います。 それにまったく思い至らなかった自分の迂闊さに私は言葉を詰まらせてしまいました。 小蒔「はい…」 京太郎「何かあったんですか?俺で良ければ相談にのりますよ?」 ですが、それでもそうやって無言のままではいられない。 そう自分を叱咤した私の口から肯定の二文字が漏れました。 それに須賀さんが優しく、落ち着いた声音で聞いてくれるのです。 小蒔「(で、でもでも…な、何て言えば…!?)」 勿論、本当は須賀さんが帰るのが寂しくて、心に隙間を作ってしまったからです。 皆に迷惑を掛けたと、私と同じように仲間はずれにされていたのだと…そう感じたであろう須賀さんが辛くて…隙を見せてしまったのでした。 しかし、そんな事、本人の前で恥ずかしくて言う決心なんて中々出来ません。 かと言って、他の言い訳なんて思いつかない私は俯いた顔を赤く染め、視線を彷徨わせてしまいます。 京太郎「あ、いや、無理に言おうとしなくても…」 小蒔「だ、大丈夫です!…あ…」 そんな私に優しく言ってくれる須賀さんに私は反射的にそう返してしまいました。 それに自分で驚く声を漏らすものの、最早、後戻りは出来ません。 こう言ってしまった以上、やっぱりなしでと言われるのが一番、辛いですし、気になる事でしょう。 既に須賀さんに対して、酷い事を一杯してしまっている私にはそれを選ぶ事は出来ないのです。 小蒔「あ、あの…須賀さんが…帰るって…知って…ですね」 京太郎「え…?」 小蒔「だから…す、須賀さんが帰るなんて言うから…思わず…寂しく…悲しくなって…」 しかし、それでも、当時の私の心境をそのまま伝える事はどうしても出来ませんでした。 私が勝手に須賀さんにシンパシーを感じていただなんて…もし、そうじゃなかったら恥ずかしすぎるのです。 当時はソレしかあり得ないと思っていましたが、頭も幾分、冷えた今なら、ソレ以外の選択肢も見えてきているのですから。 それでもこうして驚いた顔をする須賀さんの前で思いを吐露するのは恥ずかしいものでした。 京太郎「…神代さんは甘えん坊なんですね」 小蒔「うーっ…」 からかうように言う須賀さんの言葉に私は逃げるように布団へと顔を埋めました。 ボスリと言う音と共に私の顔を受け止めてくれるそこには須賀さんの身体がありません。 下手に須賀さんの身体を刺激しないように心がけていたとは言え、それにちょっとした寂しさを感じてしまいます。 京太郎「でも…嬉しいですよ。有難うございます」 小蒔「須賀さんは意地悪です…」 最初からそう言ってくれれば、私だってこんな子どもみたいな真似をする事はありませんでした。 勿論、それが八つ当たりにしか過ぎないと私も理解していますが、やっぱり失態を見せてしまった以上、どうしてもそう思ってしまうのです。 そんな自分がこそばゆくて、でも、何処か嬉しくて…私は布団にグリグリと額を押し付けるように動いてしまいました。 小蒔「でも…どうしてあんな…迷惑だなんてメールを送ったんですか?」 京太郎「あー…」 そんな私の思考にふと浮かんだ疑問。 それは私にとって、どうしても確かめなければいけないものでした。 私も皆もきっと須賀さんの事を迷惑だなんて思っていないのです。 だって、霞ちゃん達に囲まれる須賀さんの姿はとても自然で、暖かなものなのですから。 こうやって五人でいる事が最初から当然であったようなそれを見て、誰も須賀さんの事を異物だとは思わないでしょう。 それなのに当事者である須賀さんが何を迷惑だと思ったのかは私には思いつきません。 しかし、それはきっと考えすぎであり、誤解なのです。 それを解消してあげなければ、と思って口にした疑問に須賀さんが困るような声を漏らしました。 京太郎「…ほら、俺、ちゃんと手伝いも出来てないですし」 小蒔「最近は朝早くから起きだして、初美ちゃんや巴ちゃんと一緒にお掃除してると聞きますけど…」 京太郎「む、無駄飯喰らいですし?」 小蒔「…霞ちゃんと一緒にお料理してる所は何度も見ましたし、霞ちゃんも褒めてましたよ?」 京太郎「と、特訓に皆を付きあわせていますし…」 小蒔「春ちゃんは須賀さんと一緒にいるだけで何時も嬉しそうです…」 京太郎「う…うぅ…」 一つ一つ丁寧に否定する私の前で須賀さんが呻くような声を紡ぎました。 …でも、本当はそうやって唸りたいのは私の方なのです。 こうやって皆と一緒にいる所を指摘する度に胸の中がチクチクして堪らないのですから。 まるで小さな針でイジメられているようなそれは不愉快という程ではありませんが、気に障るくらいの影響力はあったのでした。 京太郎「いや…まぁ……その…何て言うか…」 そして事此処に至っても言いづらそうにする須賀さんに私は確信を深めました。 本当に何でもない事だったなら社交辞令と言えば良いだけの話なのです。 それをこうして言いづらそうにしているのは何か理由があるからなのでしょう。 そして…皆の名前を出す度に、その目に迷いが浮かぶ姿を見れば…もう一つしかありません。 小蒔「…皆に…何か原因があるんですね?」 京太郎「あ…」 確かめるような私の言葉に須賀さんが小さく声を漏らしました。 そのままそっと視線を逸らす姿は、紛れも無い肯定の姿です。 子供っぽく見えるくらいに分かりやすいその姿に私はクスリと笑みを漏らしました。 けれど、その笑みは長くは続きません。 だって、その仕草はとても可愛らしく、ナデナデしてあげたくなるものの、その理由となった心の部分で須賀さんが深く傷ついているのが伝わってくるのですから。 京太郎「い、いや、ほら、俺ってば…やっぱり男じゃないですか。それなのに…皆、あんな風に仲良くしてくれて…」 京太郎「だから、皆、俺に対して気を遣ってくれているんだなって…そう思ってですね…」 小蒔「…須賀さん…」 私から目を背けながら言う須賀さんのその言葉に偽りはないのでしょう。 しかし…それだけでは迷惑だとメールに書き、中途半端なまま帰ろうとはしないはずです。 誰よりも自分の能力を恐れ、『警戒される事が嬉しい』とまで言った須賀さんにとって、能力制御は大きな課題なのですから。 故に…私に対して意図的に隠している部分がある。 それはきっと… ―― 小蒔「…皆が…私から遠ざける為に…演技しているだけだって…そう思ったんですね?」 京太郎「っ…」 その部分へと切り込んだ私の言葉に須賀さんが表情を固くしました。 ぐっと強張ったそれは私の指摘が紛れもない事実であった事を教えてくれます。 やっぱり…須賀さんは最初、私が思っていた通り…皆の姿に追い詰められていたのでしょう。 明らかに不自然で…何か理由があるだろうその姿に…ずっと一人で思い悩んでいたのです。 京太郎「…すみません…」 小蒔「なんで…謝るんですか…」 須賀さんが謝る必要なんて何処にもありません。 寧ろ、謝らなければいけないのは私の方なのです。 私がもっと霞ちゃんたちに強く出る事が出来ていれば、須賀さんがこんな風に思うことはなかったでしょう。 今みたいに…夜中に部屋へと足を向ければ、もっと違う結末があったはずです。 しかし…それはあくまでも…『もしも』の話。 私はそれをしませんでしたし…出来ませんでした。 京太郎「いやぁ…この程度でガタつくとか情けないですし…」 しかし、須賀さんはそんな私や霞ちゃんたちを責めはしません。 寧ろ、申し訳なさそうに目を伏せて、視線を逸らすのです。 それに私の胸の痛みは強くなりました。 そして、その痛みに突き動かされるようにして、私の手はそっと須賀さんの額へと伸びたのです。 小蒔「…誰だってそうなります」 そう慰めるように言った言葉は私の本心でした。 だって…誰だって、自分に親しくしてくれている人たちが演技しているだけだと思えば辛いでしょう。 ましてや、それが誰かから遠ざけるために『仕方なく』やっている事だと思えば、尚更です。 その疎外感と申し訳無さに須賀さんが押しつぶされそうになっているのは至極、当然の事。 そう思うのは…私が普段から皆に対して『壁』を感じているからだけではないはずです。 小蒔「それに…そんな事はないですよ」 京太郎「え…?」 小蒔「皆…須賀さんの事が大好きです。それは私が保証しますから」 確かに…最初、皆が須賀さんの周りにいるようになった理由には私から遠ざけようとする意図があったかもしれません。 しかし、こうして共同生活が進む内にそれだけでないのは簡単に見て取れました。 皆、須賀さんの傍にいる時にも自然体で、とても安らいでいるのですから。 私が疎外感を感じるほどのそれは、内心、嫌っていては到底、作り出せない表情でしょう。 小蒔「だから、そんな風に自分を責めないで下さい。…そうされると…皆、辛いです」 そして、それはこの一件に関しては部外者である私に分かるほどはっきりとしているのです。 当事者である皆にとっても、それは自覚出来ているものでしょう。 だからこそ…あの時、メールを見た霞ちゃんはあんなにも露骨に表情を変えたのです。 霞ちゃんもまた…須賀さんに対して申し訳なく思っているが故に…好ましく思っているが故に…あれほど複雑な表情を見せたのでしょう。 京太郎「神代さん…」 小蒔「…小蒔で良いですよ。…お友達でしょう?」 そうやって悪戯っぽく言うのは恥ずかしい事でした。 もしかして自意識過剰過ぎて嫌われるのではないかという思考も過ぎり、気を緩めればあたふたとしてしまいそうになります。 しかし、それでも今の傷ついた須賀さんを一人にはしておけません。 ずっとずっと…仲間外れにされてきて…傷ついた須賀さんに必要なのは…壁なく心が触れ合える『お友達』なのですから。 小蒔「(それに…それは…私も同じで…)」カァァ 私は須賀さんほど深く傷ついている訳ではありません。 しかし、本当の意味でそうやって接する事が出来る『お友達』は一人もいなかったのです。 本当はずっとずっと欲しくて…諦めきれなかったそれに羞恥とは違う感情が胸の中へと混ざるのを感じました。 トクンと胸の奥を打ち、優しく温めてくれるそれはきっと喜びなのでしょう。 こうして…自分から須賀さんの手を取り、『お友達』になる事が出来た事への。 京太郎「あー…小蒔さん?」 小蒔「呼び捨てで良いですよ」 京太郎「いや、流石に年上を呼び捨てってのはどうかと思いますよ」 小蒔「…敬語もダメですー」プクー 京太郎「え、えぇぇ…」 けれど、須賀さんはそんな私にまだ堅苦しい感じを残していました。 あの夜、あんなにも親しげに話しかけてくれた人と同一人物とは思えないそれに私の頬が拗ねるように膨らみます。 自分でも少し子どもっぽいと思うものの、折角、こうしてお友達になれたのですから、そう言ったものが入り込む余地がないようにしたい。 そう願うのは多分、当然の事でしょう。 京太郎「じゃあ、小蒔さんも…」 小蒔「小蒔です」 京太郎「…じゃあ、小蒔も呼び捨てにしてくれよ」 小蒔「そ、それは駄目ですっ」 京太郎「な、何で?」 かと言って、私が敬語を崩したりする訳にはいきません。 だ、だって…そんな…女の人から呼び捨てだなんて…は、はしたないにもほどがあります。 ま、まるで…こ、恋人みたいな…そ、それはまだ早いっていうか…決心がつかないというか ―― 小蒔「い、いいいい嫌じゃないんですよ!?」 京太郎「わ、分かった。分かったから落ち着いてくれ」 思わずヒートアップする私を須賀さんがそっと宥めてくれました。 そのままチラリと須賀さんが視線を向けた先には静かに寝息を立てる春ちゃんの姿があります。 いつの間にか寝返りを打っていたのでその顔を確認する事は出来ませんが、どうやら起こした訳ではなさそうでした。 それに一つ安堵の溜息を吐きながら、私は大きく呼吸をして、心を落ち着かせます。 小蒔「と、とにかくですね…。そう言うのはもうちょっと段階を踏んでから…」 京太郎「例えばどんな段階を踏めば良いんだ?」 小蒔「そ、それは…」 ふと尋ねてくる須賀さんに私は言葉を詰まらせました。 自分で言っておいて何ですが、具体的なアレコレなんてまったく考えてなかったのです。 しかし、自分で言ってしまった以上、それを有耶無耶にし続ける訳にはいかないでしょう。 そう思って思考を紡ぐ私の胸が羞恥の色で埋め尽くされて行きました。 小蒔「手、手を握ったり…み、見つめ合ったりとか…その…い、一緒にいて…ポカポカしたりとか…その…い、色々です」 だって、それは私がその…愛しあう殿方とやってみたいと思っている事なのですから。 少女漫画などを見て、内心、夢見てきた…色とりどりの甘い想像。 それを須賀さんに言うのはやっぱり恥ずかしいものでした。 馬鹿にするような人ではないという事は分かっていますが…願望混じりのそれは内心、秘めておきたい事だったのです。 京太郎「…なぁ、俺、その全部やってるっぽいんだけど…」 小蒔「え…?あ…」カァァ しかし、それに対する須賀さんの反応は私が思っていたものとは大きくかけ離れたものでした。 ポツリと確かめるように漏らすようなそれに私はこれまで須賀さんとやってきた事が脳裏に浮かびます。 確かに…手を握る事も…見つめ合う事も…ポカポカする事も…全て初日に済ましている事でした。 いえ、それどころか…抱きついたり…もっとはしたない事もやってしまっているのです。 京太郎「じゃあ、小蒔も呼び捨てだな」 小蒔「う…うぅ…」 ニヤリと追い詰めるように笑う須賀さんの表情を見て、私もようやくからかわれているという事に気づきました。 しかし、かと言って、須賀さんに対して、有効な反撃方法など鈍った思考で見つける事は出来ません。 実際、私が作ったハードルを須賀さんはとっくの昔に乗り越えているのですから。 ここで呼び捨てにしなければ…さっきのそれが嘘になってしまいます。 それになにか思うような人ではないと分かっているものの、ようやく出来たお友達に例え冗談でも嘘を吐きたくありません。 だからこそ、私は、恐る恐ると口を動かし、喉を震わせるようにして、それを言葉にするのです。。 小蒔「き、京太郎…?」 そう呼びかけた瞬間、私の背筋にゾクリとしたものが走り、胸の奥が震えます。 ジィンと感動に揺れるようなそれは…とても甘くドロリとしていたものでした。 まるでじっくり煮込んだシチューのようなそれは私の身体へとジワジワと広がっていきます。 その感覚は私の今までの人生で一度も感じたことのないものでした。 しかし、身体はその感覚がもっと欲しくて…私が何か思うよりも先に唇を動かしてしまいます。 小蒔「京太郎…京太郎…京太郎…っ♥」 そうやって呼べば呼ぶほど、私の中で甘いものが湧き上がり、四肢へと広がって行きました。 心だけでなく、身体までもトロンとさせるその甘さに私の身体からふっと力が抜けていくのを感じます。 そのままドサリと須賀さん…いいえ、京太郎の方へと倒れ込みたくなるような…その心地良さ。 それに何度目か分からない呼びかけをしようとした瞬間、私はふと我に返りました。 小蒔「……忘れて下さい」マッカ そのままボスンと京太郎…じゃ、なくて…須賀さんの布団に顔を埋めながら、私は小さく言いました。 勿論、そう言ったところで須賀さんが忘れてくれるはずがありません。 ですが、さっきの自分とは思えないほどの痴態に打ちのめされている私にはソレ以外に言う言葉がありませんでした。 京太郎「え…いや、でも…」 小蒔「あ、アレは…ダメです…ダメじゃないんですけど…ダメになるっていうか…ともかくダメなんです…」 とは言え、ああやって呼び捨てにするのが嫌だったかと言えば、決してそうではありません。 寧ろ、何度も言っているようにそれはとても甘く、心地良いものなのですから。 しかし、それが私にとって悪影響を及ぼさないかと言えば、決してそうではないのです。 ああやって呼べば呼ぶほどに私が私じゃなくなっていき…何か気づいちゃいけないものにまで気づいてしまいそうな感覚。 それが怖くなった私にとって、それは当分、封印しておきたい呼び方でした。 京太郎「…じゃあ、せめて下の名前で呼んでくれないか?」 小蒔「す、須賀さんじゃ…ダメですか?」 京太郎「んー…それでも良いといえば良いんだけど…少し一方通行感があるし…何より…」 そこで言葉を区切った須賀さんの布団からそっと顔をあげた私を、彼はじっと見つめました。 まっすぐに私の顔を見るそれは引き締まっていて、何処かキリリとしています。 ボコボコに腫れ上がった顔にこんな事を言うのもおかしな話かもしれませんが…それは私にとって格好良く見えてしまうのでした。 京太郎「小蒔には下の名前で呼んで欲しいな」 小蒔「あう…ぅぅぅ…」マッカ そうやって恥ずかしいセリフを口にする須賀さんが私をからかっている事くらい気づいていました。 今までの傾向から考えても、そうやって顔を引き締めた時には大抵、私をからかっている時なのですから。 しかし、それでも一見、真剣そうに見える眼差しが私をドキドキさせて仕方ありません。 もっとこの人に見つめられたいと思うその独特の興奮に私はほぅ♪と一つ息を吐いてから、ゆっくりと唇を開きます。 小蒔「…『京太郎君』は意地悪です…」 京太郎「そんなつもりはないんだけど、何故か良く言われている気がする」 私の言葉に白々しく、そして勝ち誇ったように言いながら、京太郎君はそっと目を閉じました。 その瞬間、微かに口の端を歪めたのは恐らく苦痛の色でしょう。 さっきよりも幾分、強くなっているそれは、もしかしたら本格的に痛み止めが切れてきた所為なのかもしれません。 そう思うと何時までも雑談をしている自分が申し訳無くなって来ました。 小蒔「だ、大丈夫ですか?」 京太郎「大丈夫。この程度でどうにかなるような軟な鍛え方はしてないって」 京太郎君はそう言ってくれるものの、その身体の傷は鍛えたからと言ってどうにかなるものではありません。 そんな傷を京太郎君につけてしまった申し訳なさから、私は周囲を見渡すものの、痛み止めらしきものは見当たりませんでした。 恐らくその所在を知っているのは春ちゃんですが、流石にこんな夜中に起こしてあげる訳にはいきません。 小蒔「ごめんなさい…」 そんな自分の情けなさに押しつぶされるようにして、私はそっと謝罪の言葉を口にしました。 もう何度目か分からないそれに内心、嫌になりますが、私は苦しむ京太郎君に対してそうやって謝る事しか出来ないのです。 それにジワリと目尻が潤み、私からまた涙が出そうになった瞬間、京太郎君がそっと口を開きました。 京太郎「…それじゃ、明日から俺の世話を頼めるか?」 小蒔「…え…?」 京太郎「まだ当分、マトモに動けそうにないしさ。出来そうな時だけで構わないんだけど」 そうやって付け加える京太郎君の意図は…すぐさま分かりました。 だって、そんなの…一々、言わなくても当然の事なのです。 私は最初からそうするつもりでしたし、そうしなければいけないとも思っていたのですから。 それをこうやって京太郎君の方から申し出てくれる理由なんて…私には一つしか思いつきません。 小蒔「…京太郎君は優しいです…」 京太郎「意地悪なんじゃなかったのか?」 小蒔「意地悪だけど…それと同じくらい優しいんです…」 不器用で分かりやすいその優しさにいつの間にか私の涙は引っ込み、クスリと笑みが漏れていました。 それが京太郎君の狙いだと理解していても、上向く気持ちを抑える事は出来ません。 だって…京太郎君がわざわざそうやって分かりきった事を確認したのは私の自責を抑える為なのですから。 コレ以上、私が自分を責めなくても済むように、代替行為を提示してくれたお陰で、気持ちが大分、楽になってくれたのです。 京太郎「じゃあ、その優しい俺からの忠告だけど…そろそろ部屋に戻った方が良いと思うぞ」 小蒔「でも…」 勿論、こうやって雑談する事が京太郎君にとって苦痛かもしれないとは思っていました。 しかし、それならそれでお互いに無言でいれば良いだけの話です。 京太郎君となら…私は全然、苦になりませんし、それに春ちゃんが眠っている今、看病をする人間は私しかいません。 それを知っているのに、一人部屋に戻って安らかに眠る事なんて出来ないでしょう。 気を失っていたお陰で眠気もありませんし…もう少し京太郎君の傍に居たいのが本音でした。 京太郎「でも、じゃないさ。このままじゃ寒いだろ?」 小蒔「う…」 確かに布団に入っている京太郎君はともかく、こうして外で座っている私にとって今の外気は肌寒いものでした。 冬も間近で屋敷の位置も高く、夜も更けているとなれば、当然でしょう。 しかし、それでも私は京太郎君の傍を離れたくありません。 それくらい我慢出来るからお傍に置いて欲しい。 どうしてもそう思ってしまうのでした。 京太郎「小蒔の体調まで崩れたら俺は一体、誰に世話をしてもらえば良いんだ?」 小蒔「ぅー…」 とは言え、京太郎君の言う言葉に思う所があるのは事実です。 確かにこうやって無茶をした結果、私の体調を崩してしまったら、元も子もありません。 それよりも早く部屋に戻って暖かくして寝るべきだと言うのは私にも分かっているのです。 しかし、それでも何か一緒にいられる方法はないかと周囲を探る私に春ちゃんの布団が飛び込んできたのでした。 小蒔「…あ、そうだ。もう一組、お布団がありましたし…それを横に敷きましょう」 京太郎「え…?」 唐突に思い付いたそれは私にとって、とても名案に思えました。 丁度、京太郎君の隣はもう片方、空いていますし、布団を敷くスペースがあるのです。 そちらで寝転びながら、京太郎君の看病をすれば、何も問題はありません。 幸いにしてこの客間には布団が三組備えてありますから、他の部屋に行く必要もないのです。 京太郎「い、いや…流石にそれは色々と拙くないか?」 小蒔「え…?何がダメなんです?」 流石に同衾ともなれば、私も拙いとは思います。 しかし、布団を並べる程度であれば、何も問題は起こらないでしょう。 ましてや、京太郎君は病人であり、身体を起こす事さえ出来ないような状態です。 そんな京太郎君の口元に水差しを運んだり、汗を拭いたりする人手は必要でしょう。 小蒔「それに…春ちゃんはもうしてるじゃないですか」ムスー 京太郎「それは仕方ないからで…」 小蒔「私も仕方ないんです。緊急避難なんですから」 それとはまったく関係ありませんが…春ちゃんは京太郎君の隣で今も眠っているのです。 それを思えば…私だけダメだと言われるのはとても不公平な気がしました。 ましてや…私は京太郎君にとって加害者であり、お友達なのです。 そのどちらでもない春ちゃんだけが傍に居るというのは、あまり面白くありません。 そう思いながら、私はそっと立ち上がり、布団を襖の向こうから取り出しました。 小蒔「よいしょっと」 京太郎「あー…手伝えなくてごめんな…」 小蒔「もう…それは私のセリフですよ」 それをいそいそと京太郎君の隣へと敷く私の耳に謝罪する彼の言葉が届きました。 意外と男らしい京太郎君はこういった力仕事を目の前で女性にさせている事に心苦しく思っているのでしょう。 しかし、基本、六人でこうして暮らしている私達にとって、ある程度の力仕事はどうしてもやらなければいけない事なのです。 少なくとも、そうやって気遣ってもらわなければいけないほど、私も軟ではありません。 ましてや…そんなになるまで京太郎君を痛めつけたのが自分だと思えば、謝るべきは私の方でしょう。 小蒔「えへ…♪」 京太郎「はは」 そうやって会話をしている間に、布団の一式は京太郎君の隣で完成していました。 その中にいそいそと足を差し込む感触は冷たく、私の肌がブルリと震えます。 しかし、それは最初だけであり、すぐにぬくぬくとした感触が強くなっていき、私の身体を暖めてくれるのです。 それに思わず笑みが溢れる私の前で京太郎君が小さく笑いました。 小蒔「わ、笑わないで下さい…」 京太郎「いや、今のは無理だろ。可愛すぎて無理」 小蒔「うぅぅ…」 サラリと人の事を可愛いと言う京太郎君の前で私はそっと掛け布団を引っ張りました。 その頬は羞恥に染まり、火照りを得ているのが分かります。 しかし…それだけではないと思うのは、私の胸が妙にドキドキとしているからでしょう。 ただ恥ずかしがっているだけじゃなく…私が今…嬉しがっているのです。 小蒔「…お布団、暖かいんですもん…」 京太郎「分かってる。仕方のない事だったんだな」 小蒔「…そうです。仕方がなかったんです」 そんな私の言い訳じみた言葉に京太郎君が頷いてくれました。 それに繰り返すように告げながら、私は布団の中でそっと呼吸を繰り返します。 一度二度と繰り返したそれに少しずつ羞恥心も落ち着き始め、私はひょっこりと布団から顔を出しました。 小蒔「あ…」 京太郎「ん…?」 瞬間、私を見ていた京太郎君と視線が合ってしまいました。 それに驚いたような声をあげる私に、京太郎君の方から気遣うような声が漏れます。 しかし、私はそれにすぐさま応える事が出来ませんでした。 ただただ…じっと京太郎君の顔を見つめて…引き込まれて行くのです。 小蒔「(こうしていると…まるで夫婦みたい…) 言葉少なく意思を交わしながら、並べた布団の間で見つめ合う男女。 その姿は…お友達と言うよりも夫婦に近いものでしょう。 そう思うと胸の奥が微かに疼き、くすぐったさが湧き上がって来ました。 けれど、そのくすぐったさが嫌ではないのは…私と京太郎君の間に穏やかな時間が流れているからでしょう。 そんなくすぐったさが気にならないくらい、私は京太郎君に… ―― 京太郎「どうした?俺の顔に見惚れてるのか?」 小蒔「ふふ…そうかもしれませんね…♥」 京太郎「え…」 そこまで考えた瞬間、告げられた言葉に私は思考を打ち切りながら、そう答えました。 確かに…今の京太郎君の顔は腫れ上がった悲惨な状況です。 しかし、それは私を、そして皆を護ろうとしてくれた名誉の負傷なのですから。 それをつけてしまった私にとっては罪の象徴でもありますが…それでも格好良いと思うのは事実です。 小蒔「京太郎君は格好良いですよ…♪」 京太郎「や、止めてくれ。すげぇくすぐったい…」 それを改めて告げた私の言葉を冗談か何かだと思ったのでしょう。 京太郎君は布団の中でもぞもぞと動きながら、居心地悪そうにしました。 しかし、そんな姿も何処か様になっている…なんて風に思うのはお友達の欲目が過ぎる話でしょうか。 小蒔「(でも…仕方ないですよね)」 私にとって京太郎君は初めて出来たお友達と言うだけじゃなく、私を助けてくれたヒーローでもあるのです。 誰にも渡したくない…大事な大事な宝物であると同時に、悲しんでいる私の手を掴み、決して離さなかった最高の殿方なのですから。 そんな人が見せるあらゆる仕草に引きこまれ、私の胸は容易く反応してしまう。 それすらも嬉しく思える私にとって、京太郎君が格好いいと思うのは当然のことであり、仕方のない事だったのでした。 京太郎「それより…折角だからもう少し色々と話しようぜ。俺もまだ眠れそうにないし」 小蒔「はい…お付き合いしますね♪」 誤魔化すように言う京太郎君に私は笑みを漏らしながら、頷きました。 私も…色々と京太郎君に対して聞きたい事が一杯あるのです。 今にも私の胸から飛び出してしまいそうなそれを語っていれば、時間はすぐさま過ぎてしまうでしょう。 けれど…それを恐れる必要はありません。 京太郎君は私のお友達であり、まだ当分、ここから離れる予定はないのですから。 二人で絆を深め合う時間は沢山ある。 それに一つ笑みを深めながら、私は京太郎君と誰にも言えない夜の会話を続けたのでした。

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