「……」 私は、あるビルの前で彼の到着を待っていた。 時折手鏡で身だしなみをチェックしたり、きょろきょろとあたりを見回していると、向こうから彼がやってくるのが見えた。彼にわかるように、しかしみっともなくないよう小さく手を振ってみせる。すると、彼も手を振り返しながらこちらに向ってきた。 「すいません、お待たせしました」 「ううん、私も今来たとこだよ」 やって来た彼の服装は、白一色のスーツ。彼の鮮やかな金髪が映えるようにと私が贈った物だ。 対する私の服装は、黒のドレス。決して華美ではないけれど、大人の魅力を十分に引き出せるようにと特注した物だ。 シルクの手袋に包まれた手で彼の手を優しく握る。彼に腕を差し出してもらって、私が腕をからめエスコートしてもらうというのも魅力的だ。しかし今日は私が彼をエスコートするのだ。 「いらっしゃいませ」 二人でビルの中に入ると、背筋のピンとしたウェイターが声をかけてくる。ここはドレスコードのある巷で噂の高級店。ホテルと併設されたレストランは三ツ星を得るほどの名店だ。 「小鍛治です」 「小鍛治様ですね。では、こちらへどうぞ」 私が名前を告げると、ウェイターが奥へ案内してくれた。 ウェイターの案内でエレベーターに乗る。そして十数階昇った先には、一つのテーブルと、二つの席だけが置かれた広いフロアがあった。 「……」 「くすっ、緊張してるの?」 「は、はい……こんなとこ来たの初めてで」 「緊張するのは今だけでいいよ。だって」 誰もいないフロアで、私は両手を広げて見せた。 「今日は私達の貸し切りなんだから」 「食事は順にお持ちいたしましょうか? それとも一度にお持ちいたしましょうか?」 「一度に持ってきて下さい」 コースで楽しむのもいいが、折角の彼との時間をいちいち煩わされてはかなわない。 「お飲み物はいかがなさいましょう」 「私はワインで。京太郎君は?」 「と言われましても何があるのかとかわからないんですけど……」 「じゃあジュースでいいかな」 「は、はい」 「かしこまりました」 注文を受けたウェイターが一礼をして去った。 「見て、京太郎君」 視線を窓に流して見せる。彼も釣られて顔を窓に向けるのを感じた。 「……」 「綺麗でしょ?」 「…………はい、凄く」 夜景と同じように瞳をキラキラさせている。 それを見て私はますます機嫌が良くなる。友人に頼み込んで下調べに来たかいがあったというものだ。 「ふふ……」 彼の無邪気な瞳に、自然と笑みがこぼれた。それに我に返ったのか、彼が慌ててこちらに向き直る。幻想的に演出された照明に照らされた彼の顔が赤く染まっているのが見てとれた。果たしてそれは、夜景に無邪気に見惚れていた照れくささなのか、それとも別の何かなのか。 「お待たせいたしました」 料理が運ばれてくる。一流のシェフの手によって作られた料理の香りが鼻腔をくすぐる。 私はワインの入ったグラスを掲げて見せた。 「じゃあ乾杯しよっか」 「は、はい。それじゃあ」 「「乾杯」」 キンッと澄み切った音が響き、二人きりのパーティーが始まった。 楽しい時間というものは矢の如く過ぎ去ってしまうものである。他愛のないことを話している内に、気付けば豪勢な料理のほとんどを片づけてしまっていた。 彼はもっていたグラスを置き、一息ついた。 「今日はありがとうございました。こんな素敵な食事をしたのは初めてです」 「どういたしまして」 「でもお高かったんじゃないですか? こんな都会の高級レストランに、このスーツも……」 「ふふ、グランドマスターの称号は伊達じゃないよ。こういうところに来てももう一生遊んで暮らせるだけのお金はあるんだから」 「す、すごいですね……」 「ねぇ、京太郎君……」 「な、なんでしょう」 身を乗り出し、彼に顔を近づける。 私も随分と酒が回ってきたようだ。心の歯止めが利かなくなってきているのが自覚できた。でも、それでいい。歯止めなどもういらない。 彼が、欲しい。 今日こそ、彼を。 彼の全てを、私が。 私はバッグにしまってあった鍵をコトリと。テーブルの上に置く。 「上に部屋をとってあるんだけど、今夜どうかな?」 彼の唾を飲む音が聞こえた気がした。 「……はい」 のぼせたような顔で頷く彼の姿に私は勝利を確信し、見えないように舌なめずりをした。