ある日の昼下がりのことだった。特区日本の本部内で行われた会議を終え、僕は学生服姿で特区内の市街地を歩いていた。あることを考えながら。
(この間リヴァルから借りた特撮番組のDVD、そこそこ面白かったな。また借りてみるか)
それは、ある若い男が突然変身能力を手に入れ、魔物や他の変身ヒーローと闘いながら色々なことをしていく物語であった。
(決め台詞があったよな、何故か年甲斐もなくあれを気に入ってしまったんだよなあ。もっとも、実際に使ったら恥ずかしいことになるかもしれないが)
そんなバカなことを考えていた、その時だった。
「で、ですから謝ったじゃないですか!」
「うるせえ!誠意が足りないって言っているんだよ!」
歩道の端の方で、一人の日本人らしき女性と、ブリタニア人の男数人が言い争っていた。というより、そのうちのリーダー格の男が、彼女に一方的に言いがかりをつけているようにしか見えない。
「お前からぶつかってきておいて、その程度の謝り方で済むと思っているのか!?」
「ですから、何度も頭を下げて謝っているじゃないですか!もういいんじゃないですか?」
「良くねえよ!イレブンの分際で、コルチャックさんに口答えする気か!?」
コルチャックと呼ばれたリーダー格の男の子分が声を発し、他の子分たちも「そうだそうだ!」と口々に叫ぶ。彼らの周りを取り囲む人たちは、男たちの剣幕に押されたか、遠巻きに見つめるのみである。
「あっ、あなたたちねえ!ここは特区日本よ、私たち日本人が、日本人と名乗っていい場所なの!それなのにそんな蔑称を使うなんて、どうかしているわ!」
イレブンと呼ばれてさすがに怒ったのか、その女性が声を荒げる。黒の騎士団だけじゃない、みんなの力で勝ち取った特区日本でイレブンと呼ばれたら、彼女が怒るのは当然だ。
そして周りにいた日本人たちも口々にコルチャックたちを非難し、僕自身も心の中は穏やかではなかった。
「う、うるせえっ!」
コルチャックが地団太を踏んで大声で叫び、辺りが静まり返る。軍や警察はまだなのか。
「何が特区だ、何が日本人だ!お前らイレブンは、いつまでも俺たちブリタニア人の足元に這いつくばっているのがお似合いなんだよ!」
「きゃあっ!」
コルチャックが女性の腕を乱暴につかもうとした、その時だった。ついに我慢がならなくなった僕は、乱闘を収めるべく人の輪の中に飛び込み、素早く彼の腕をつかんでいた。
「そろそろ、やめた方がいいんじゃないか?」
「な、何だお前!?」
僕にガッチリ腕をつかまれ、コルチャックがうろたえる。僕は女性を守るようにして立つと、彼の腕を離して言った。
「もうすぐ君たちは捕まるだろう、観念して大人しくするといい。これ以上騒ぎを大きくすれば、罪が重くなるだけだぞ」
「うるせえよ!イレブンをイレブンと呼んで、何が悪い!」
ヤケになったコルチャックの言葉に、僕はカチンと来た。
「ここは特区日本だ。黒の騎士団や、ここにいる日本人たちが、失われた自由を求めて必死に戦って、やっとの思いで手に入れた自由の地なんだ!
君たちには一生わからないだろうな、辛酸をなめ続けてきた人たちの気持ちなんか。そんな君たちには、彼らを罵る資格も、ここに足を下ろす資格もない!」
するとコルチャックが、唇を震わせ、顔色を変えて叫ぶ。
「こ、この野郎!何様のつもりだ!」
その言葉を受けて、僕が何かを言おうとした時だった。すっかり平和になって平和ボケしたせいなのか、あるいはさっきまで特撮番組のことを考えていたせいなのか、はたまた頭に血が上っていたせいか、ある言葉が頭に浮かんだ。
そして熟慮せずに言葉を選ばなかったおかげで、その言葉を若干アレンジして口に出してしまう。
「通りすがりの学生だ、覚えておけ!」
「……は?」
コルチャックが目を点にして、辺りに静かで冷たい空気が流れた。
(あ、ああーっ!し、しまった、無意識のうちにカッコつけてしまった。うわぁ、みんな静まり返っているな。どうしよう、すごく恥ずかしいぞ)
全身が熱くなっていくのを感じながら、僕はさまよう視線を何とかコルチャックたちに向けていた。
「い…いや、学生なのは服装でわかるってんだよ。それに『覚えておけ』と言われてもだな、通りすがりの
名無しの学生を、どうやって覚えろと?」
「え、えーと、それはだな……」
コルチャックや子分の男たちの視線を受け、そして多分元ネタを知らないであろう人たちの視線も受けて、僕は少し腰が引き気味になっていた。
「どいて下さい、我々はブリタニア軍です!」
その時だった。通報を受けて駆けつけたらしいブリタニアの警備兵たちが、民衆の中に割って入ってきた。僕は情けないことに、正直「助かった!」と思ってしまっていた。
その警備兵を率いていた、スザクの顔を見かける直前までは。
「あれっ、ライじゃないか!もしかして、君が止めようとしてくれていたのかい?」
「うっ、スザク!?な、何故君がここにいるんだ。殿下の警備はどうしたんだ」
正直今は顔見知りに会いたくなかった僕が小声で尋ねると、スザクは警備兵たちにコルチャックたちを捕縛させながら答えた。
「ああ、そのユフィの指示だよ。『たまには警備の方たちとご一緒して、色々な方との連携や意思疎通を図るべきです』ってね。
でもありがとう、ここに君がいてくれて良かったよ。君のおかげで、怪我人が出なくて済んだ」
「えっ、あ、ああ。まあ、大したことはしていないけどな。じ、じゃあ僕は少し用事があるから、後はよろしく頼む!」
「あっ、ラ、ライ!?」
スザクが引き止めるのも聞かず、僕は走りだそうとした。この恥ずかしい空気から、一刻も早く逃げたかったのだ。
「あ、あの!待って下さい」
その時、さっきの女性に服の袖を引かれた。
「あの、本当にありがとうございました!おかげで助かりました」
「い、いや、僕は本当に何もしていませんから。怪我がなくて何よりでした」
「いえ、本当に助かりました。よろしければ、お名前だけでも」
女性に名前を尋ねられ、僕はとっさに言った。
「いや、見ての通り僕は通りすがりの学生です。覚えなくていいんです」
するとその女性は、微笑んで答える。
「ふふっ、それなら聞きません。なんちゃって」
僕は彼女やスザクの方を見ることなく、一目散に走っていった。それはもう、脱兎のごとく全力で。
それから数日が過ぎた。アジトのラウンジにいた僕の所へ、ゼロがやってきた。
「ライ、以前に『新入団員の中から、ライの仕事を助ける補佐を探そう』と話しただろう?適任者が見つかったぞ」
そう。作戦補佐として、あるいは特区日本の要職として忙しい日々を過ごしていた僕のために、ゼロが補佐を探してくれる約束を以前に交わしていたのだ。
そして面接の結果、適任者が見つかったらしく、今日ここに来ているらしい。
「そうか、どんな人なんだ?」
「うむ、紹介しよう。入りたまえ」
「失礼します」
ゼロが声をかけると、一人の女性がラウンジに入ってきた。そして目が合った瞬間、僕と彼女は驚きの声を上げる。
「ええっ!?あ、あなたはあの時の!」
「そ、そんな!?通りすがりの学生さんだと思っていたのに、作戦補佐の方だったなんて!」
あろうことか、その女性は先日僕が特区で助けたあの女性だったのだ。しかし一つ言わせて欲しい、通りすがり云々をここで出すのはやめてくれ。せっかく恥ずかしい思い出を忘れかけていたのに、思い出してしまった。
「何だ知り合いだったのか、ならば話が早い。双葉綾芽君だ、今日から彼女には君の補佐をしてもらうことになる」
「あっ、双葉綾芽です。その、未熟者ですがお願いします」
「あ、ああ。黒の騎士団の作戦補佐をしている、ライと言います。こちらこそ、よろしく」
予期せぬ再会に動揺しつつ、僕と双葉さんはペコペコとお辞儀し合う。
「何だ、顔見知りなのにロクに自己紹介もしていなかったのか。まあいい、これから二人とも、存分に励んでくれ。双葉君、彼は優しい男だから、緊張せず指示に従えばいい。ではな」
「は、はい、頑張ります!」
「礼を言おう、ゼロ。これからも任せてくれ」
立ち去っていくゼロに対して、双葉さんは頭を下げ、僕は礼を言った。そして二人きりになったラウンジに、何とも言えない空気が漂う。
「その、双葉さん」
「あっ、綾芽と呼んで下さい、ライさん」
「じ、じゃあ綾芽。その、この間僕が往来でしゃべったことは、内緒にしてくれないか?実はあれは、思い出すのもかなり恥ずかしくて。いや、何故かは聞かないでくれ」
すると綾芽は、微笑みながら言った。
「まあ、そうですよね。あれは少し恥ずかしいかもしれません。でも驚きました、ライさんがあの特撮ヒーローのファンだったなんて」
「えっ、ええっ!?君は知っていたのか?」
「ええ、実は私もあの番組のDVDは持っています。恥ずかしくて、周りの友人には話していませんけど」
恥ずかしそうに、綾芽が頷く。意外だった、まさか彼女にそんな趣味があったなんて。
「こんな形でお会いできて、嬉しいです。もしよろしければDVDもお貸ししますし、その…色々とお話がしたいです」
「あ、ああ。僕もそうしたいな、共通の話題が多いのはいいことだから」
「それじゃあ、これからよろしくお願いしますね、ライさん」
「ああ、よろしく」
綾芽の明るい笑顔に対し、僕も優しい笑顔で返した。変にカッコつけて恥ずかしい思いはしたが、こうして仕事のパートナー兼趣味仲間ができたので、良しとしよう。
街中であの台詞は、もう二度と使いたくないが。