043-064 Dorping Kiss @蒼い鴉

「……行きますよ、コーネリア殿下」
「あ、あぁ」
紫がかった髪と軍服に身を包んだ豊満で均整のとれた体に腕を回してソファの上に倒すと、ライはそのように呟き、彼女はそれに答える。
手袋を外し、素肌でコーネリアの髪を梳くように一撫でして、その手を頬に移すと、コーネリアはピクンッと肌を震わせて、甘えるようにライのその手に擦り寄り、小さな甘い吐息を漏らす。
猫のようにとも、犬のようにともとれる行動はとてつもなく可愛く愛しいものであった。
それは、厳格な雰囲気を身に纏わせるエリア11の総督であると同時にブリタニア皇族である彼女からは想像できるものではなかった。
互いの視線を交換し、二人の顔はうっすらと赤みを帯びる。
そして、ゆっくりと二人の唇が近づいていく。
距離の縮まる唇と唇。近づくにつれて大きく動く互いの心臓。
しかし、残り数センチといったところで互いの唇の動きが止まった。
そして、コーネリアが静かに声を出す。
「…何をしておられるのですか、エニアグラム卿?」
それは自分の上にいるライに向けられた言葉ではなく、その上でライの頭を両手で押しているナイトオブナインに向けられた言葉であった。
「いや、私のことはお気になさらずに」
「気にしますっ!」
思わず、コーネリアはライを挟みながら剃刀のように目を鋭くさせてノネットに対して声を張り上げる。
「気にしなくともよろしいのに……」
どこか残念そうな声を出すノネットはライが淹れたブランデー入りの紅茶を飲む。しっかりと紅茶に於けるゴールデンルールを守ったその紅茶は自分の領地へ引き取った時からのお気に入りであった。
「ですから、気にすると申しているのです!エニアグラム卿!」
向かい側に座っていたコーネリアはヒビでも入れんばかりにテーブルを叩き、紫がかったの髪を振り回しながら荒い声を出す。
その隣に居るライが「まぁまぁ」と宥める。すると、彼女は素直に、若干むくれた顔をしながらライが差し出した紅茶を飲み始める。
もし、今より昔にコーネリアという女性を知る者がいたら、どのような顔をするのであろう。
神聖ブリタニア帝国第二皇女コーネリア・リ・ブリタニアが、各エリアで様々な武勲を立てた女傑がたった一人の少年の言葉を素直に聞いたのだ。
しかも、先程の行為の最中の彼女は子猫同然であった。
どんな人間でも愛しい者の前ではチョコレートのように蕩けてしまうという良い例だ。
「しかし……」
紅茶を半分ほど飲み干すと、ノネットはカップをソーサーに置く。
「未だにできていないのですか、キス」
ノネットの言葉、主に最後のキスという部分にコーネリアは頬を紅潮させる。その反応でノネットは若干呆れたような表情をする。
戦や軍に関することは満点でも、愛やそれに関することはほぼ0点と言った所か。だが、それだけ彼女が学生時代などで如何に武門に打ち込んでいる証明でもあった。
「殿下、いちいち恥ずかしがっては先に進みませんよ?あと数週間もすれば本国で結婚式なのに、本番ではそれは通用しないんですから」
その言葉に紅潮させた顔を更に赤くさせたコーネリアは呆れたような口調で紡ぐノネットに反論をした。
「さ、先程のはできそうだったのです!あと少しもすれば…」
「でも、結局できませんでしたよね」
「ぬぅ……」
ノネットの言葉に思わず口ごもるコーネリア。
「それに、ライ。お前もお前だ!男だったらきっちりと女性をエスコートしてハートを鷲掴みにしてしまえ!」
「鷲掴みって……」
向けられた少々厳しめの視線に対してライは苦笑を浮かべて頬を掻く。
「お前もエニアグラムの名を持つ者として、殿下の夫となる者としてそれぐらいはしろ、ってことだ」
今から、一年と少し前にここエリア11ではコーネリアの妹でもあるユーフェミアが提唱した行政特区日本が設立した。
その式典の最中、ノネットが遅れながらに記念式典の会場に到着した時に肩からの血で腕を濡らしたライを見つけた。
何があったのかを頑として言わず、しまいには自分を殺せなどと言ったのだ。ただ事ではないことを察知したノネットはライを自分の領地へと連れ帰った。
そして、一年後にはエニアグラムの名を持つことになった銀髪の少年はコーネリア・リ・ブリタニアにプロポーズを行ない、コーネリア自身もこれを受け、二人は結ばれることになり、数週間後には結婚式を迎えることとなった。
だが、先程も言ったようにこの二人――特にコーネリアは恋を始めて知った初心な少女のようにライとのキスに対して戸惑いと恥ずかしさを覚えている為か今まで何度も挑戦するが結局できずにいた。
ノネットも最初の内は微笑ましいと言って多めに見てきたが、さすがに本国での結婚式の日が迫る中で多少の焦りを覚えて、ライとコーネリアのキスを無理やりサポートを行うこととなったのだ。
「まぁ、確かにいくら何でも無理矢理なサポートでキスを交わしたとしても嬉しくはないでしょう」
そう言ってノネットはソファから腰を上げるとその横にある四角い物体に手を伸ばす。プラスチックのケースであるところからクーラーボックスであると考えられる。
蓋を開けると、白い煙が姿を見せる。その中に手を入れ、ノネットが取り出したのは二つのグラスであった。
縦長で、飲み物の量が多く入るタイプだ。だが、ライとコーネリアはそれの出現に良い顔をしなかった。正確には、グラスの中に注がれている液体にだった。
その液体は血の色を宿し、まるで本物の血が注がれているようであった。
「あ、あのノネットさん…」
「ん?どした」
隣にいるコーネリアの眉をしかめた顔を見たライは恐る恐るとノネットに尋ねる。尋ねられたノネットはグラスを二人に近づけながら答えた。
「コレってまさか本当の血じゃ……」
「あぁ、本物のマムシの生き血だが?」
あっさりと言うノネット。それに対して開いた口の塞がらないコーネリア、ライはというと別段驚く表情を見せなかった。
本国に居たとき、今以上の行動を何度も見せつけられていたので『驚く』というよりも『驚けない』のだ。
「どこから持ってきたんですか、こんなモノ…」
マムシと言うんだから、イレブンで手に入れたんであろうが。
「いやぁ、特派のセシルに相談してみたらこれが効果的と聞かされてな?枢木に頼んで生け捕りにしてきてもらったんだ。大丈夫だ!鮮度に問題はない」
「いえ、そういう問題じゃなくて」
マムシの生き血が精力剤として効果的、だという話はライも耳にしたことがある。だが、あくまで迷信のようなものと考えていたので試そうとは思わなかった。
まさか、時を経てこのような形で迷信を試すことになろうとは考えつかなかった。
「エニアグラム卿、お気遣い感謝致しますがこのようなあからさまな方法は少し……」
「お言葉ですが、殿下」
コーネリアの異議を唱える言葉を止めたノネットの言葉には、力強いものが宿っていた。
「恐れながら、このようなドーピングまがいの事をしなくては殿下とライの距離はいつまでも縮まらないと実感いたしました」
ノネットの言葉にコーネリアもさすがに思いつくところがあってか息を呑む。
「いつまで経ってもキスに対して戸惑いを持ち続けているのは、いかがなものかと」
「………」
更にノネットの言葉は続く。
「これでは、ブリタニア第二皇女、コーネリア・リ・ブリタニアの名が泣いてしまいますぞ?」
その言葉により、コーネリアが守った沈黙は破かれた。テーブルを手の平で叩きつけ、剃刀のような鋭さを持つ目がノネットを捉える。
「そ、それでは!エニアグラム卿!エニアグラム卿はしたことがあるというのですか!?その……キ、キス…を」
キスという単語を発する際に頬を紅潮させながらもコーネリアはノネットに問い掛けることができた。
「えぇ、ありますけど」
またしてもアッサリと言うとノネットは顎に指を添えて、ライの方にちらりと視線を送る。ライがその視線に気づくとノネットは視線を逸らした。頬を薄く紅潮させながら。
「!」
「?」
ノネットのその行動はある者に衝撃を与え、ある者には頭の中にクエスチョンマークを思い浮かばせた。その次の瞬間、ライは己の横から冷たいものを感じ取った。横を振り向けば、そこには今まで見たことのないような顔をしたコーネリアがいた。
ライには即座にそれが怒りによるものだと察知した。親衛隊に属していた頃に怒りの顔を何度も見たことがあるが今回のは一層特別なモノとなっていた。
「で、殿下…お、落ち着いてください」
「……黙れ」
宥めようとするが、氷のような刃でライの言葉は一蹴されてしまう。普通の男ならば、諦めるだろうがライは違った。命令口調にも似た彼女の言葉を受けても宥めの言葉を止めようとしなかった。
「この、浮気者がぁ……!」
「落ち着いてください殿下!どう考えたって、ウソに決まってるでしょう!!」
迫り来るコーネリアはついにライの軍服の襟元を掴みだした。その力は強かった。必死に言葉を続けるが力を弱める素振りを見せようとしない。
「ウソ……だと?」
「そう!ウソなんですってば」
ライが発した言葉の中にあった単語を反芻したとき、彼女の手の力がほんの少しゆるくなった。更に身の潔白を証明しようと言葉を紡ぎ、力を緩めようとするが。
残念ながら、ライの考えは脆くも崩れ去ることとなった。
「ウソではないぞ?ラ・イ♪私の屋敷に居た時、お前が優しくしてくれたキスを私は忘れていないぞ?」
「ノネットさん!?」
ノネットの甘い声が耳に届いた頃、襟首を掴む手に力が再び篭り始めた。ライは咄嗟に声を出して言葉を中断させようとするがノネットは止まらなかった。それどころか、声高々に語り始め、自分を抱き締め、身を捩じらせながら聞く者を煽らせた。
「……あの時、お前は私を壁に押し付けて、体をピッタリとくっつけて…そして啄ばむように私の唇を……あぁ!」
「……ライ、貴様…」
「ノネットさん!本気で勘弁してください!言っていい冗談と悪い冗談が――」
その時、ライは最後まで言葉を紡げなかった。瑠璃色の瞳に拳を固めて今にもそれを振り下ろしかねないコーネリアの姿を捉えたからだ。
「ま…待ってくださっ」
だが、いつまでたっても痛みはやって来ない。不審に思い、目を開ける。それと同時に耳の中に鈍い音が入り込む。
音の発生源を探ろうと、顔を横に向けると机の上に異変が起こっていた。二つグラスの中にあったマムシの生き血の一つが空となっていたのだ。
「……ライ」
自分を呼ぶ声にライは反応した。そこには頬を上気させ、手には生き血の入ったグラスを持つコーネリアの姿があった。
コーネリアはグラスの縁を口にゆっくりと近づけ、そしてそれを一気に煽った。ライの制止の声も空しく響き、それに呼応するかのように一気に減るグラスの中身。
「……ふぅ!」
勢いよく飲み干したコーネリアはグラスを叩きつけるようにテーブルの上に置いた。そして、ライの方に向き直った瞬間、コーネリアはライの両腕を掴み、彼の背中をソファに押し付けた。
「うわぁ!!」
思わず、悲鳴を上げるライ。
「キ、キスの一つくらい……わた、私…でも…!」
先程以上に顔を真っ赤に染め上げるコーネリアが紡ぐ言葉は舌足らずであったが、今から行う行動の推測には十分すぎるものであった。
ゆっくりと近づく唇。逃れることができない。少し近づくだけでも高まる心臓の鼓動。血が激動する感覚。そして、今落ちた――彼女の鼻血が。
「で、殿下…?」
顔に落ちてきた数滴の液体。見上げれば、顔を真っ赤に染め上げ、気絶する彼女の鼻から血が流れ出していた。
「殿下ーーー!?」
その夜、コーネリアの執務室内でライの声が良く響き渡った。
「………ふぅ、やれやれ」
濡らして絞ったハンカチをコーネリアの額の上に乗せるとライは一段落した声を出す。
あの後、大量の鼻血を出したコーネリア。ライとノネットの適切な処置によって、今は落ち着いてライに膝枕をしてもらい、キスに関して何かと魘されている。
「ノネットさん…気を遣っていただけるのは有り難いんですけど……」
「いや、すまんな。まさか、こうなるとは……」
「違いますよ。そういうことじゃなくて…」
テーブルの上に出ていたグラスとコーネリアの鼻血を処理しながらノネットは謝る。だが、ライは彼女の言葉を否定した。
「ユーフェミア様の事で悩んでおられる殿下の気を紛らせてくれたんですよね?」
コーネリアの妹、ユーフェミア・リ・ブリタニアが唱えた行政特区『日本』の構想。その新しい体制には、多くの賛同者が集まった。
かつて、エリア11で猛威を振るっていた反ブリタニア組織、黒の騎士団を闘わずにして無力化させるほどであった。だが、必ずもエリア11の全てが特区日本に賛成しているわけではない。
特区日本設立後も散発的に発生する反ブリタニア勢力によるテロ事件は後を絶たず、黒の騎士団の協力によって大きな惨事には至っていないが、平和を願うユーフェミアにとっては頭の痛い悩みの種だった。
ブリタニアとナンバーズを区別するコーネリアは特区に関してはユーフェミアに任せ、自分はエリア11の統治に力を注いでいる。
だが、その本心では愛しの妹の悩みを一刻も早く取り除いてあげたい、そんな思いなのである。
それは、ノネットも同じ気持ちであった。学友であるコーネリアの手助けを行いたい、しかし、ノネットは皇帝直属騎士団ナイトオブラウンズに属している。
軍とは別の独立した指揮系統を有する為、勅命以外ではおいそれと動くことはできないし簡単に行動を起こすこともできない。
唯一できることは張り詰めさせた気をほんの少しでも抜き、今だけでも女の幸せを、結婚式に向けて足を踏み出してもらうこと。
「大丈夫ですよ」
ノネットの沈黙を肯定と取ったライは安心感を与える微笑をノネットに向けた。
「スザクを自分の専任騎士とした後に、スザクのことを話すユーフェミア様を見て少し、安心しました」
彼女はある意味で一人だった。まともに会話を交わせる人数は限られ、自分と同世代の人間など皆無であった。
「ユーフェミア様はしっかりと手にしましたよ。しっかりとね……」
優しく泣く子を宥める母親のような柔らかい声でライは言葉を紡ぎ、コーネリアの額に乗せていたハンカチを取ると彼女の頭と髪に指を這わせ、梳くように撫でる。
「もう『お飾り』ではありませんよ、今ある場所で多くのことを悩み、多くのことを語ってそこから答えを導き出せばいい……」
コーネリアの頭を撫でる動きが更に優しくなる。目を瞑っているが、撫でられている本人も満更ではない表情を醸し出している。
「……ライ、お前は人を観察することは得意みたいだな」
「そうですか?」
微笑んでノネットの言葉を返すライ。
「できれば、その観察眼をもう少し女心に活かしてほしいものだ」
軽く溜め息を吐くノネットにライはその言葉の意味が判らないのか、頭に疑問符を浮かべる。
「……そこまで、朴念仁でいるつもりはないんですが。それより、殿下を隣の部屋にあるベッドに移しましょう」
そう言ってライが立ち上がろうとしたとき、ノネットは見た。今まで気持ち良さそうな顔をしていたコーネリアが先程のライの言葉を聞いた途端に見る見る内に額に青筋を立てるのを。そして、立ち上がろうとするライの太腿を思いっきり抓るのを。
「アガッ!イデデデッ!で、殿下!?お、起きて…!アッ――!」
どうやら、もっと強くしかも抉るように抓られたようでライの声にならない悲鳴が執務室内を木霊した。
「で、殿下…いた、痛いですっ!ご、ごめんなさ」

その様子を見ていたノネットはまたも溜め息を吐いたがその顔はどこか微笑んでいた。


最終更新:2009年09月25日 19:54
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