043-156 代理湯たんぽ @蒼い鴉

現在、午前一時を回ったところだ。
布団の中に入って既に三時間ほど、僕は未だに眠れずにいた。
うっすらと細目を開けただけで、ごく間近で寝息を立てている子供のような寝顔が見えてしまう。
時折何が可笑しいのか、小さく吐息だけで笑うこともある。
そんなことをされて、眠れるわけがない。自分の耳たぶに、その笑う息が触れるほど近くに、恋焦がれる人が寝ているのに、どうして心安らかに眠れようか。
今思えば、今日受けた言葉に何故疑問を覚えなかったのか。
寝る支度を全て済ませてから寝巻きに着替え、いざ眠ろうとした時、ロイドさんからそのままの姿でいいからある人の部屋に来るように、と伝言を受けた。
首をかしげながらその人物が居る部屋の戸の前まで足を運び、戸の向こうに居る人物に向けて来訪を告げた。
「入っていいぞ」
陽気な声が僕の声に答え、僕は戸を開けてゆっくりと部屋の中に入った。
部屋の電気は消え、枕元に組み込まれている電灯が部屋をほんのりと照らす。
薄暗い部屋の中で枕元に布団にくるまったままで部屋の主――ノネットさんはにっこりと微笑んで僕を出迎えた。
ノネットさんはここ最近、特区日本の様子が気になる為か、このように何度もエリア11を視察にやってくる。
何故こんな時間に薄暗い部屋に呼び出したのか、そこからして僕は怪しむべきだったのかもしれない。
「すまんな、こんな遅くに。今夜は・・・お前に頼みがあって来てもらったんだ」
そう言って、ノネットさん様は僕に手招きをして近くに来るように言った。
多少の疑問符を思い浮かべる僕は近くに寄ると、ノネットさんは愛しさを覚える華奢な手でぐい、と袖を引いた。
布団の隙間から覗けたその肌は、まるで白い雪のように見えた。その顔をふと見るとどこか赤らめているように思えた。
「ライ・・・今夜、私と一緒に寝るぞ」
「え?」
そう言って、枕元の電気を消した。目の前が暗くなる。
窓から差す月明かりでごくわずかに人の輪郭のみわかる。ばさりと、布団がはだける音がした。
「さぁ、入れ」
「え、あの・・・?」
突然の彼女の言葉と仕草で僕の頭の中は消しゴムをかけられたように白くなる。
「ほら、早くしろ」
混乱する僕を尻目にノネットさんは淡々と言った。思い過ごしかもしれないが、微かに怒気を含んでいるようにも思う。
「し!失礼・・・します」
「んっ」
僕は慌てて布団の中に潜り込んだ。黒い影になっていて、その中は見えなかった。ただ、どこか湿ったような暖かい闇に包まれる心地がして、触れているものの正体を考えると落ち着かなかった。甘い声が耳元で囁かれる。
「そのまま動くなよ、ライ。このままだ・・・今日は寒いんだ。暖房が壊れてしまってな、このままでは正直キツくてな」
ぎゅっと抱き締められて、体が密着させられているのに何もしないで、ただ傍で寝る。
それがどれほど難しいことか、僕の気持ちなど分かっていない口ぶりでノネットさんは告げた。
僕は反論の言葉を紡ごうとするがそれをすることができなかった。頭が過熱してまったく動かないのだ。
寝床から脱出するための言い訳一つ考えるのにも数十分はかかっていた。
ようやく辿り着いた反論、寒いなら懐炉でも湯たんぽでも使えばいいんだ、と僕が言おうとした時にはすでに、ノネットさんは微かな寝息を立てて寝入っていた。
唾液一つ飲み込めないほど、僕の体は緊張に包まれていた。こうしてすやすやと寝入っている様を見る限り、寒いという理由で彼女の寝入りが浅いとは到底思えない。
だが、そんなことを考えても指一つ動かすことは出来なかった。この状態では無意識に寝返りを打つことを恐れて、眠れない。そっと横目で寝顔を盗み見るしかやることが無かった。
時々、疲れた目を休ませるために、天井を見つめた。窓の外から見える満月の照り返しもあって、薄ぼんやりと光っている。
さながら水槽の底で泳ぐ魚の気分だった。安心と緊張と期待と不安、彼女に触れたい気持ち、全ての気持ちが混ざり合って、僕の胸の中は群狼が辺りを徘徊するようにざわめいていた。
「・・・・・・ん、むぅ」
寝言が聞こえた。何とも分からなかった。けれど、それが自分の名前なら良い、そんな夢想を抱いて、それから、僕の顔はほんの少し熱を帯びた。
自分の考えが浮ついたものでありこの場には相応しくない物のように思えた。けれど、それならこの場に相応しい考えは一体何なのだろうか。考えつかないと分かっている。
それでも、僕が窓の外が少しずつ白んでくるまで、考えてみた。
―翌朝―

「いや~!すまなかったなライ。急な頼みごとでちゃんと眠れたか」
「・・・・・・大丈夫です、ちゃんと眠れましたよ?」
嘘をついた。目の下にクマを作ってどこが眠れたのだろうか?だが、一睡もできなかったと、それをはっきりと口にできるほど僕の神経は図太くはない。
「そうか。じゃあ、今夜もお前に頼むか」
あっけらかんと言い放つノネットさん。内心では嬉しいのだが、さすがにこれ以上寝不足にはなりたくない。そう考える僕はお断りをした。
「い、いえ・・・今日は僕用事がありますのでもしよろしければ、湯たんぽか何かを持ってきますので・・・・・・」
自然と声が小さくなる。寝不足になるのが嫌と思いつつも僕は先程の言葉にほんの少し後悔の念を覚える。あのようなことを無機物に任せるのは、嫌だからだ。
それでも、ただ寒いからという理由で僕を呼んだのなら、自分にそれを止める資格などない。それが正しいのか、正しくないのかは分からない。
そう思うがそれでも、嫌なのは変わらなかった。
「じゃあ、ダメだな」
ノネットさんは一言で切って捨てた。その言い切り方は清々しかった。
「お前と一緒ではないと良く眠れないことに気がついた。だから、お前でないとダメだ」
そう言われて、僕のふらふらな身体がふわふわと舞い上がる心地がした。


最終更新:2009年10月02日 00:54
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