043-392 The rain @蒼イ鴉

その日は雨が降っていた。
雨から逃れようと人々が走り抜け、反射した光は宝石の如く輝きを放つ。

気がつかない内に雨が降っていた
空を覆う雨雲は一筋の光も通さない闇のようで、全ての色が灰色に支配されてしまっている。

今、雨が降っている。
水分を含んだ服は重さを増してじっとりと絡み付き、肌に侵入してくる。
雨が降る。

目に見えるもの、見えないものが潤されていく。
だけど喉が渇く。躰はこんなにも濡れているのに潤いを欲する。

雨が降る。

――全て洗い流してれ、そして、この渇きを潤してくれ


「聞いているの?」

「――へ?」

「もう・・・・・・」

「いでででっ」

この部屋の主であるカレンは容赦無く手にしたタオルで乱暴に銀髪の少年の濡れた頭を拭く。
その手を押さえるとペシっと叩かれ、タオルだけを残して手が離れた。
「カレン、もう少し優しさを込めて拭いてくれると有り難いのだが・・・」
「その分の優しさが勿体無いから駄目よ」
冗談とも本気とも付かない返事をカレンは返してくる。
「・・・それ酷くないか?」
不満そうに言うとジト目で睨まれた。
「豪雨の予報があったのに、傘も何も差さず、約束の集合時間三十分以上遅刻した人に、愛想を振りまいても仕方ないでしょう」
カレンは言葉を区切りながらクローゼットから引っ張り出したバスローブを手渡すと足元にタオルを敷いた。
「ここで着替えてからシャワールームに行ってね。その姿じゃ床が濡れちゃうわ」
途中で雨に降られ全速力で黒の騎士団アジトに逃げ込んだはいいものの、髪の毛からはポタポタと水滴が垂れ、服なんて絞れそうな勢いである。
入り口でバッタリと鉢合わせしたカレンは二、三秒固まっていたが、動かないでと言い入口に立たせタオルを持ってきてくれた。そして今に至る。
「濡れた服はそこへ置いておいて、乾かしておくから。お風呂から出たら部屋に戻ってきてね?」
「あぁ、すまない」

たっぷりと水を含んだ服はかなり脱ぎにくく、やっと脱いで着替えた時には体が寒さで痺れてきていた。
彼女に声を掛けて風呂場へと直行し、温めのシャワーを浴びた。
体の痺れも解け、温まった体で言われた通りに部屋に戻るとテーブルにティーカップが置いてある。
手にとって口に運ぶと嗅ぎ慣れた香りと味。紅茶の中には少量のブランデーが混ざっているようだ。
「これは・・・」
ドアを開けて入ってきたカレンに声を掛ける。
「アルコールは血流を良くするのよ。体を温めるのには丁度いいしね」
カレンはそう言うとソファーに座り何事も無かった様に雑誌に目を移す。

「おかわりは?ちなみにブランデーは無いけど、紅茶はたっぷりあるわ」

それに苦笑いをすると残っていた紅茶を飲み干し、ソファに座っている彼女の膝を枕にして体を横にする。
一瞬だけ驚かれたがその後は何事も無かったように雑誌のページをペラペラと捲っている。
窓から外を見ると雨はまだ降り続いていた。それを見ている内にトロンとしたまどろみが両目の瞼に重く乗ってきた。徐々に上瞼が下瞼に向かって降りている。
睡魔に体を委ねて両目の瞼が降りた時に意識は夢の中へ誘われていた。

気が付くとライは街の中に居て辺りを見回していた。

自分よりも目線の高い人々が傘を差し足早に通り過ぎていく。
自分の事など気づきもしない風に。
その手は紅く染まっていた。
それをライは滴り落ちるその紅い液体を舐めていた。
喉の渇きを癒す様に。
だけど、その行為を中断させるようにその左手を掴む女がいた。ライはその手を振り払おうとしたが女は決して離すことはなかった。
その人物の表情は伺えないが何か力強い迫力がライを捉えて離してくれなかった。
だが、判った。見えないその眼はとても悲しい感情を宿して彼を見ていた・・・そしてその女はライの手を引いて彼の体を抱きしめた。

「!!」

飛び起きて周りを見る。そこは街中ではなくカレンの部屋だった。
握り締めた手を開くと何も付着していない。
溜息と共に額の汗を拭う。心臓は早鳴りのまま納まらない。
「大丈夫?」
カレンはベッドに座るとライの顔を覗き込んだ。
「嫌な夢でも見たの?」
不安気味な顔をする彼女に大丈夫だと言うと不意に喉が乾き、ベッドから起き上がってテーブルの上にあった水差しから直接水を飲んだ。
「?」
水を飲んだのに渇きが満たされない。
試しにもう一口飲んでみる・・・駄目だ、喉は渇いたままだ。
「どうしたの?・・・」
テーブルの前から動かない事を心配してかカレンが隣に来た。渇きが増して胸が苦しくなり、その場にしゃがみ込んだ。
「ちょっと!?」
カレンが肩に触れたその瞬間胸の痛みと渇きが消えた。
「?」
しかしすぐに渇きがやってくる。それに耐える様に彼女の腕に手を添えると苦しさが消えた。
「!?」
どういう事だろう。何故、カレンに触れると渇きが癒されるのか。試しに腕を放してみると渇きが急激に襲って来た。
「うっ」
もう一度触れると渇きが治まる。どうやらカレンに触れていないと駄目なようだ。
ならば触れていれば何ら問題は無い筈だったのだが、時間が経つにつれて渇いてくる。片手で触れていたのを両手にするが効果は無い。
このままではまた胸が苦しくなってしまう。焦りの中、ある考えが浮かんだ。
「ごめん、カレン」
「え?」
不安そうに様子を伺っていたカレンを抱きしめた。途端に渇きが潤される。

さて、どうしたものか。
カレンを抱きしめている事も忘れ、一人眉間に皺を寄せた。
「・・・こら、いつまで抱きしめているつもり?」
段々と恥ずかしさがこみ上げてきたのか離れようとカレンが手に力を込めようとする。
普通なら放すかもしれないが今は事情が事情なだけに放す事は出来ない。
「駄目か?」
「う゛・・・」
上目遣いで言うとカレンの手の力が緩み、悪いと思いつつもその隙をついて抱しめなおす。
「カレン・・・結構、柔らかいんだな」
「!・・・な、何を言ってるのよ!」
素直な感想を述べると彼女の顔は見る見るうちに赤くなるそれと同時に緩んでいた腕の力も強くなる。
しかしこっちも引き下がれないのだ、何とかこっちのペースに持っていくしかない。
どうしようか様々な思考を巡らせているライ。そこでライが何か思い付いた時にカレンの体は突然無重力の感覚に襲われた。
「ひあっ!?」
奇妙な悲鳴を上げて、カレンはライに持ち上げられていると気づくには数秒ほどの間隔が必要だった。
カレンを抱き上げたライはベッドに向かって歩き出す。
「ちょちょっっと!」
何かを察知したのかカレンの抵抗が激しくなる。それを何とか無視してベッドに降ろした。
「ここなら抱きしめられてもカレンは文句が言えないだろ?」
片膝をベッドに乗せて彼女の背中を押すとベッドの軋む音がした。
上半身を離している為、息が少しずつ苦しくなってくるが物事には順序というものがある。
きちんと順番通りにしなければどんな事も成功しない。
「駄目か?」
頭を撫でていた手を下にずらす。頬に触れてから唇にも触れ、そのまま首筋まで降ろしていく。
「・・・・・・」
「カレン?」
カレンとの距離を縮めるとライの頬に手が添えられた。
「・・・何かあったの?」
その一言にライの体が硬直したように一瞬動きが止まる。真っ直ぐに見据えられた瞳と目が合った時、何故だか悲しい気持ちになった。
「何も・・・無い」
ライはカレンの額にキスをした。するといつもの甘い香りが鼻孔に入りライの脳を刺激した。
だが、妙な気分が神経を逆撫でた。
息苦しさは消えたが胸の苦しみは取れないままである。
「・・・さっきからの行動が私には理解できなかった。突然苦しみだしたかと思うと今度は私を抱きしめたまま放そうとしない・・・・・・何かを焦っているの?何があなたをそうさせるの?」

彼女に余計な心配を掛けさせるわけにはいかない。
だからこの事は黙っているほうがいいのだ。胸の苦しみは彼女を騙している罪悪感だろう。
「何でもないよ」
「・・・そう」
腕をベッドから離すとカレンは降りた。
「今日は、もう帰るわ」
「な!ちょっと・・・」
腕を掴んで自分の方へと向かせると、振り向いたカレンの表情は冷静だった。
「あなたは私に隠し事をしている、どうしても言えない事なら仕方ない。だけど私はそれで納得できるほど人間できてないの・・・」
「カレン・・・」
「明日にはいつもの様に笑顔でライと話せるようにするわ・・・だから、その手を放し
て」
無理に微笑む顔が見たくなくて無意識に手を放すと、ごめんねと一言残してカレンは部屋を出て行った。
呼吸が苦しくなる。だが彼女の元へは行けない。手を放してしまったのは自分だ。
心配を掛けさせたくないからと黙った事実は結果的に彼女を傷つけた。
カレンは嘘を付かれたり、隠し事をされるのが嫌いだから。
今なら未だ間に合うと言う自分とこのまま楽になってしまいたいという自分が存在している。
次の日に冷たくなってる自分を見たらカレンはどうなるのだろう。泣き崩れるだろうか、それとも一人で涙を堪えるのだろうか。
「うっ・・・」
目の前の物が全て二つに見える。息を荒く吐きながらなんとか立ち上がり壁に手を着きながらベッドから降りる。ちょうど部屋のドアの前に居るカレンの姿が見えた。
「カレ・・・ンッ・・・!」
大声で叫んだつもりだったが口から出るのは空気だけで、音として出されたのかもわからない。耳から聞こえるのは自分の呼吸だけだ。
その声が聞こえたのか、振り向いた様に見えた。視界が大分悪くなってきている。
脂汗が額を伝うのが分かりながら一歩ずつカレンの元へと足を前に出す。よく訪れているはずなのにこの部屋がこんなにも広く感じたのは初めてだった。
少しずつ目の前に霞が掛かってくる、完全に落ちる前にたどり着かねば。不意に足の力が抜けて片膝が床に着いた。立ち上がろうと体に力を込めた時、何かが体に触れた。すると呼吸が楽になり、それが彼女だと気づいた時は意識が落ちる直前の事だった。

***************

「――う・・・」

「気がついた?」
凛とした声が心地よく耳に入ってくる。
うっすらと目を開けると自分を覗き込むカレンの顔が見えた。目元が少し赤くなっている――泣いていたのだろうか。
腕を伸ばして頬に手を当てると溜息をつかれた。
「きちんと説明してくれるわよね?」
「――うん」
病気の症状を掻い摘んで話した。心因性のものだろうと言うとやっぱりかという風に目を細められた。
「ごめん・・・余計な心配をかけさせたくなかったんだ」
申し訳なく小さく言うと頭をペシっと叩かれた。
「そんなこと言うなら、最初から素直に言いなさい」
「――ごめん」
そう言うとまた叩かれた。顔を上げるとカレンの顔が急にニコリとした。
「そういえばあなたが気絶する前に言った言葉覚えてる?」
「・・・何か言った?」
「うん」
その言葉を思い出したのかクスクスと笑い出した。
「何て言ってた?」
どうも嫌な予感がする。
「覚えていないなら別に良いわ。気にしないで」
「え、ちょっとカレン!」
焦ったように言うとカレンは頑として話さなかった。多分よっぽど恥ずかしい事を言ったのだろう。まるで子供のように拗ねて横を向いていると顔を上に向かされた。
「ラクシャータさん、キョウトからの呼び出しで今日は居ないんだって」
「そうか・・・・・・」
ぷいっとまたもや、ライは顔を横に向ける。すると、またもや顔を上に向かされた。
「拗ねないの、アレぐらいで・・・だから」
カレンの顔が綻んだ。その刹那、カレンは仰向けたとなったライの体に覆いかぶさる形で乗っかる。そして
「今夜はずっといてあげる」
少々の恥ずかしさを身に染みるのを覚悟でカレンは最高級の笑顔を向けた。そして、ライも愛しい彼女に対して抱きしめるという形で応えた。


最終更新:2009年12月01日 02:02
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