始まって1時間近くが経っていた。
進行は順調に進み、かって共に戦った仲間達が祝いの言葉を述べていく。
だが、みんなどことなく緊張というか、硬い感じがする。
あの私を散々からかっていた朝比奈でさえ、緊張した面持ちだったのには思わず苦笑してしまった。
まぁ、尊敬する藤堂さんの結婚式ということもあるのだろう。
そんな中、意外だったのは仙波大尉だ。
きっと教訓やら、なんやらいろいろ言ってくださるのだろうと思っていたら、話し始めた途端、泣き出してしまったのだ。
そういえば、仙波大尉のご子息は前の戦争で亡くなられていたんだっけ……。
多分、彼にとって、私は娘みたいなものだったのだろう。
そんな事を思い、私も少しじーんとなってしまった。
いけない、いけない。
ぐっと涙をこらえる。
よし、少し落ち着いた。
そんな私をじっと見る視線がある。
私の隣にいる人物。
そう、藤堂鏡志朗。
式が終わったら私の夫となる人物だ。
「本当にいいのか?」
彼が囁くような声で聞いてくる。
その声は、普段の彼からは想像が出来ないほど弱々しい声だった。
彼は、私が未だにある男性に未練を持っていることを知っている。
だからこそ、聞いてくるのだろう。
今なら、まだ戻れぞと。
それは彼の不器用なまでの優しさであり、私の事を愛してくれている事の証なのだ。
だから、本当なら私はすぐに答えるべきなのだ。
――ええ。大丈夫です。私は貴方を選んだのだから……。
そう答えることで、彼はきっとほっとするだろう。
だけど、私は答えられなかった。
無言のまま彼の視線を避けると、まだ続いている祝いの言葉を述べている友人達の方に向けた。
いつの間にか、友人の言葉は最後の人物になっていた。
いや、正確に言うと最後から2番目だ。
ただ、最後の人物がまだ来ていない。
だから彼が最後だ。
後悔が心の中を締め付けていく。
いいの?本当にいいの?
まるで拘束具でギリギリと締め付けるかのように、迷いが私に襲い掛かってくる。
段々と表情が固まってくるのがわかる。
そして、そんな私の肌を、藤堂さんの―――いや違う。鏡志朗さんの痛いまでの視線が突き刺さってくる。
だけど……。
ごめんなさい。
今の私は答えられない。
そう、私はまた吹っ切れていないのだ。
確かに私は鏡志朗さんが好き。
だが、それと同じように。
いや、もしかしたらそれ以上に彼の事が好きなのかもしれない。
そんな迷った気持ちのまま、答えを出したくなかった。
そして、そんな事を思っていたら、ついに最後から2番目の人物の祝いの言葉が終わった。
司会者が最後の人物の名前を呼ぶ。
そう、彼の名前を……。
だけど、彼はいない。
だから返事は返ってこない。
そして、式は進行していく。
そのはずだった。
だが、そうはならなかった。
会場のドアが大きく開かれ、声が響き渡ったからだ。
「すみませんっ、遅れましたっ……」
そこには、荒い息を吐きながらも彼が立っていた。
そして、司会者が慌てて彼を招く。
そう、最後の祝いの言葉を言うのは彼だった。
会場が静まり返る。
ここにいるほとんどの人間が、彼と私の関係を知っているのだから当然だ。
かって二人は恋人同士であったということを……。
そして、まだ互いに未練があるのではないかということも……。
彼の姿を無意識のうちに目で追ってしまう。
その目の端に、まるで耐えるかのような鏡志朗さんの顔が入る。
その姿に、私の心がますます混乱していく。
どうすればいいの。
今の私は、まさに風によってどっちにでも流れてしまいそうに不安定だった。
鏡志朗さんと結婚する。
そう決めたはずなのに……。
なぜ、迷う。
それはいけないことだ。
わかってはいる。だけど……。
もしかしたら、私は心の片隅で期待を持っていたのかもしれない。
まるでドラマのように、彼が私をさらっていってくれるのではないかと……。
あるいは……。
そう考えた時だった。
彼の言葉が会場に響く。
「おめでとう………。そして、ありがとう」
そこまで言って、彼は微笑む。
その笑いはとても吹っ切れたものだった。
その笑顔を私は、見つめ続けている。
しかし、彼は私のその視線にもぶれる事はなく、そのまま鏡志朗さんの方に視線を向けた。
その表情が一気に真剣な……、まるで命をかけた試合でもするかのように引き締まる。
その彼の視線を鏡志朗さんは堂々と正面で受け止める。
その表情も彼と同じように真剣だった。
ゆっくりと彼の口が動く。
「藤堂さん……。彼女のことを……お願いします」
彼はきっぱりとそう言い切ると深々と頭を下げた。
その言葉を受け、鏡志朗さんが聞き返す。
「いいんだな……、ライ」
「はい。藤堂さんなら、安心して彼女を託せられます」
しばらくの沈黙。
誰もが息を呑むのさえ恐れるかのような静寂が周りを包み込む。
だが、その静寂は破られた。
「わかった。彼女は、必ず幸せにしてみせる」
そう言い切った鏡志朗さんの決意と思いが込められた声によって……。
その言葉に頷き、彼の視線が今度は私に向けられる。
その表情は、とても優しい微笑み。
その瞬間、私の目から涙があふれ出す。
悲しいのか、うれしいのかわからない。
いや、その両方なのだろうか。
心の中がごちゃごちゃで、まるで混沌としていてどうしていいのかわからない。
ただ、涙で揺れる視界の中で、彼が言う。
「幸せになってください、凪沙さん」
その声は、深い愛情に満たされていた。
それは、愛するが故の決意。
好きだからこそ、相手の幸せを願う。
それが彼の私への愛。
それがわかったから、私はうなづき答えた。
「ええ。わかったわ……、ライ」
それは別れの言葉であり、彼に送る言葉でもある。
彼への愛を込めた言葉。
そして、私の決心を示す言葉なのだ。
「よかった。これで安心だ」
彼はそう言うと、式場を出て行ったのだった。
そして、私は彼を見送った後、隣に居る鏡志朗さんの方を向く。
彼ははっきりと決断したのだ。
私も決断しなければならない。
彼のように……。
「鏡志朗さん……」
そう声をかけると、鏡志朗さんが私の方を真剣な表情で見つめる。
それは、彼に対して向けたものと同じものだ。
だからこそ、私は心が引き締まる。
「私を貴方の伴侶として、側にいつも居させてください」
その言葉に鏡志朗さんは頷き、そして微笑んだ。
「俺の方こそ、よろしく頼む」
その言葉は、実に鏡志朗さんらしい不器用なものだったが、思いにあふれていた。
涙があふれて止まらなかった。
こうして、私は「藤堂 凪沙」となったのだった。
最終更新:2010年03月23日 22:18