045-047 都市伝説狂想曲 @余暇

「よお、ライ!何か暇そうにしているな!」
授業の合間の休憩時間、僕が教室内で座席に座り、何気なく窓の外を眺めていると、リヴァルが声をかけてきた。
「やあ、リヴァル。確かに少し時間を持て余してはいるが、僕に何か用か?」
僕がこう尋ねると、リヴァルは笑みを浮かべたまま、首を横に振る。
「いや、特に用事はないんだがな、お前が暇そうにしているんで、適当に雑談しようと思ったのさ」
「そうだったのか、気を使わせて悪いな。それで、何か話題でもあるのか?」
するとリヴァルが「待ってました」とばかりに、こちらへグッと身を乗り出してきた。そして、思わず身を引きかけた僕を見ながら、彼は話し始める。
「それがあるんだよ、とっておきの話が。トウキョウ租界で最近聞かれるようになった、ちょっとした都市伝説さ」
「都市伝説?」
「そう。租界に夜な夜な現れる、姿なき猫の話なんだが、聞いたことあるか?」
「姿なき猫?いや、初めて聞くな。どういう話だ」
僕はリヴァルにこう尋ねて、続きを促す。すると彼は、意味深な笑みを浮かべながら話し始めた。
「ああ。そいつは必ず夜に現れては、租界の路地裏で鳴くんだそうだ。その鳴き声は非常に甘えた感じで、姿が見えなくても、声を聞いた者に『人懐こそうだな』という印象を与えるらしいぜ」
「へえ。だが人懐こい感じの猫なら、普通にいるんじゃないか?」
「確かにその通りだ。だがそいつの本当に不思議な所は、そこから後なんだよ。何と一度鳴き声を聞いたが最後、その猫の姿を見つけるまで、租界中を追いかけたくてたまらなくなるそうだ」
「租界中を?それはまた、随分とオーバーな話だな」
半信半疑で僕がそう言うと、リヴァルは手をヒラヒラさせながら答える。
「まあ都市伝説なんて、そんなもんだよ。それでだな、これまでも何人かその猫を追いかけたそうだが、まだ誰一人として尻尾の先端すら視界に捉えていないらしいぜ」
「そんなにすばしっこい猫なのか?偶然その猫が、死角に入ってしまうケースが多いだけだと思うが」
「ライ、細かいことはいいんだよ。こういう話は理屈で考えたらダメだ、単純に『面白い』と感じる心が必要なんだぜ」
「考えるではなく、感じる…か。何だかわからないが、勉強になった気がする。世の中には、不思議な猫もいるんだな」
「そうそう、もっと何でも楽しまないとな!おっと、そろそろ次の授業が始まるな。また面白い話を仕入れたら、ライにも教えてやるよ」
リヴァルはそう言って笑うと、上機嫌な様子で自分の席に戻っていった。
(リヴァルのおかげで、有意義な時間を過ごせたかもしれないな。記憶がないせいかどうかは知らないが、なかなか新鮮で興味深い話だった)
僕は心の中でリヴァルに感謝しつつ、次の授業に備えるのであった。
その日の授業が終わると、僕は租界に出て、いつものように街中を歩いていた。目的はもちろん、記憶探しだ。
だが今日も特に収穫はなく、歩き始めた頃はあんなに明るかった租界も、既に夜を迎えようとしている。
「はぁ、今日もこれといった収穫はなしか。一体いつになれば、僕の記憶は戻るんだ」
僕がそう呟いてため息をついた、その時だった。
「にゃあ~」
「……ん?猫の鳴き声?」
どこかから猫の鳴き声がして、僕は足を止めた。そして周囲を見渡してみるが、猫の姿はどこにも見えなかった。
「あれ、おかしいな。通りにこれだけ人がいて、色々な音が飛び交っているのにハッキリ聞こえたから、おそらく近くにいるはずなんだけど。今のは一体どこから……」
「にゃあ」
「あっ、また聞こえた。間違いない、近くにいる。でも何故だろう、この声…何となく気になってしまう」
僕はまるで吸い寄せられるように、鳴き声の主を探して歩き始めた。しっかり目を凝らし、その影すら見落とさないように。
「にゃぁ」
「あっ、こっちか!いや、向こうかな。とりあえず大通りではなさそうだ、こっちへ行ってみよう」
僕は辺りをキョロキョロ見回しつつ、大通りを外れて小さな路地へと入っていく。やや薄暗く、人も少ない細い道を、僕は猫を追って進んだ。
「……ていうか、何で僕はこんなことをやっているんだ。ただ猫を見つけるために、見つけた後のことなんか何も考えちゃいないのに、どうし……」
「にゃんっ」
「はっ、そこか!」
僕はハッとして振り返ってみたが、やはり猫の姿は見当たらず、なかなか見つけられない悔しさから、一瞬湧き上がった虚しさのような感情も吹き飛んでいた。
そして耳をそばだて、目を凝らして猫を探してみるが、とうとう鳴き声すら聞かれなくなってしまった。
「うーん、これは…逃げられたか。あ~、何だか無性に悔しい気がする」
星の見え始めた夜空を見上げ、僕は小さくため息をついた。まさか猫一匹に、こんな感情にさせられるとは。
「もう遅いし、今日は帰ろう。でも次こそは……」
僕はそう心に誓うと、クラブハウスに戻るべく大通りへと歩を進めるのであった…が、その途中でズボンのポケットに違和感を覚え、立ち止まる。
「え?おかしいぞ、財布が……」
ズボンの後ろ側にあるポケットの中に手を入れ、そこにあるはずの財布を探るが、何の手応えもない。さらに念のため、他のポケットも探ってみるも、やはり財布はなかった。
その事実をハッキリ確信すると同時に、僕の頭からみるみる血の気が引いていく。
「まずい、財布をなくした。きっと猫を探すのに夢中になって、どこかで落としたんだ。とっ、とにかく早く見つけないと」
僕は焦る気持ちを何とか平静に保ちつつ、たどってきた道沿いを中心に、財布を探し始めるのであった。
「よ、良かった。何とか見つかった……」
それからしばらく後、道に落ちていた財布をようやく見つけ出し、僕は安堵のため息をついていた。一応調べてみたが、幸運なことに中身も無事だった。
「やれやれ。猫の鳴き声が聞こえてきて、何となく猫を追いかけていたら、まさかこんな目に遭うとは。おまけに最後まで猫は見つからずじまいだし、余計な時間をつぶしてしまったな。
とりあえず、二度と財布は落とさないよう気をつけないとな。しかし不思議だな、何故鳴き声を聞いただけで無性に追いかけたく……ん?」
帰り道に戻ろうとしたその時、ふと頭の中に教室での出来事がフラッシュバックして、僕は足を止めた。
「あれ?確かリヴァルが言っていた都市伝説って、夜中に現れる、声は聞こえるけど姿の見えない猫だったよな。しかも声を聞いたが最後、見つけるまで追いかけたくなる…って、話に聞いたそのままじゃないか!」
僕は確信した。今まで追っていた猫こそが、まさに都市伝説で語られている猫そのものだったのだ。まさか、こんな所で自分が出くわそうとは。
「明日リヴァルに、ありのまま起こったことを話してみるか。もともと猫の話をしてくれたのは彼だし、こんなことを彼以外に話しても、何を言っているのかわからない可能性もある。
よし、そうと決まれば今夜は帰るか。だが次こそは必ず見つけ出して……」
「にゃああ」
「!?」
再び猫の鳴き声が聞こえてきて、僕は思わず身を強張らせる。そして当然の如く周囲を見渡すが、猫の姿はなかった。
「今の声は間違いなく、さっきまで追いかけていた猫の声だ。十分くらい前まで散々聞かされたんだ、鳴き声を聞き違えるはずがない。もしかして、戻ってきたのか?」
「にゃんっ」
「……っ!そっちか!」
僕は猫の声を追って、再び歩き出していた。それこそ、鳴き声に魅せられるかのように。
それから十分後。
「えーと、財布財布……」
結局猫を見つけられなかった僕は、またしても財布を落としてしまったことに帰り道で気づき、それを探し回って路地を歩き回っていた。
一応落とさないよう注意していたはずだが、猫探しに夢中になるうち、注意力が散漫になってしまったようだ。
「うぅ、しかし恥ずかしい話だよな。猫との追いかけっこに夢中になって、二回も猫に負けた挙句、これまた二回も財布を落とすなんて。それもこの短時間の間に。
一応リヴァルに話そうとは思うが、何だか気が引けるなあ」
悔しさと恥ずかしさを紛らせつつ、周囲にくまなく視線を送っていると、道の隅に見慣れた財布を見つけた。そう、自分の財布だ。
「おっ、あった。それで中身は…っと、よし今度も無事だ。はぁ、大変な目に遭ったな」
今夜だけで何度目になるかわからないため息をついて、僕は夜空を見上げた。日はすっかり暮れて、星と月が見えるのみである。
記憶探しでも収穫はなく、猫には一方的に振り回され、二度も大事な財布を落としたり、まったくもって散々な放課後であった。
「はぁ。もうさっさと帰って夕食を食べて、風呂に入ったらすぐに寝よう。こういう時は寝て忘れるに……」
「にゃぁ~」
「えぇっ、またか!?」
再び例の猫の鳴き声が聞こえ、僕は半ば呆れたような声を出した。何て人をからかうのが好きな都市伝説だ。
「くっ、完全に遊ばれている!向こうとすれば遊んでいるのかもしれないが、何だか少し…悔しいというか屈辱的というか、何なんだこの気持ちは!
今度こそ見つけ出して相手の正体を拝みたい所だが、ここは日を改めて冷静な状態で挑戦した方がいいような…でも……」
僕は迷っていた。三度目の正直で、今度こそ猫の姿を見つけられるかもしれない。だが一方で、またさっきまでみたいに弄ばれ、財布を落とすかもしれない。
いや、財布に関しては自己責任の部分もあるだろうが、この冷静さを半ば欠いた心理状態の中での「再挑戦」は、無謀な気もするのであった。
「にゃああ」
「くぅっ、もう行かないぞ、絶対に行くものか!また今度だ、今日は帰って気持ちをリセットして、いずれまた新たな気持ちでその時こそは……」
「にゃん」
「うぅ~、帰ろう、帰らないと。こんな頭に血の上った状態で、どうにかなるとでも思うな。冷静になれ、冷静になって今日はもう……」
「にゃああ~」
「うぅっ…ぬっ、くっ、こ…今度こそー!」
僕を誘うように幾度となく聞こえてくる猫の鳴き声に根負けして、結局僕は、三度目の追いかけっこに挑むのであった。
(うぅ、昨夜は完敗だった)
翌朝、授業が始まる前の教室で、僕は机の上にガックリと突っ伏していた。原因はもちろん、昨夜の猫との追いかけっこである。
(まさか三度も挑戦して、三度とも見つからなくて、これまた三度も財布を同じように落とすなんて、本当にどうかしている……)
そう、三度目の挑戦も結局猫は見つけられず、諦めて帰ろうとしたら、またも財布を落としてしまっていたのだ。
その後財布を見つけ出し、中身の無事も確認できたから良かったものの、僕のプライドは軽く傷つき、一夜明けても、猫に負けたショックを忘れられずにいたのである。
「おーっす、ライ!どうした、朝からへこんじゃってさ」
「ん?ああ、おはようリヴァル。まあ大したことではないんだがな」
リヴァルに声をかけられ、僕は力なく言葉を返す。すると前の空いている席に彼が腰掛け、さらに話しかけてきた。
「しょうがねえなあ。よしっ、ならば景気づけに、この俺がとっておきの話をしてやる」
「とっておきの話?」
「ああ、しかも仕入れたばかりの新鮮なネタだ。昨日話した都市伝説は覚えているか?実はアレには、続きがあったんだ」
「何だって?」
昨日の都市伝説の続きと聞いて、僕は体を起こした。どんな続きなのか気になるし、その話から昨日の僕の行動における問題点が、見つかるかもしれないと思ったのだ。
「おっ、食いついてきたな。実はな、姿なき猫には相方がいたんだ」
「相方?一匹じゃなかったのか」
「いや、相方は猫じゃない。何とそいつは、猫と終わりなき追いかけっこゲームに興じる、謎の美形男らしいぜ」
「……は?」
僕は思わず呆気に取られて、リヴァルを見た。自分ではゲームのつもりはなかったが、彼の話すその男が、昨夜の僕そのものだったからだ。
「美形」という言葉には疑問符がつくものの、それ以外には心当たりがある。これは続きを聞かねば。
「そ、それでどんな話なんだ」
「その男と猫は、夕暮れ時になると租界の細い路地に現れ、追いかけっこを始めるらしいぜ。姿を見せない猫が男を誘うように鳴き、そして男が猫を追って歩き回るというお決まりのパターンだそうだ。
そして追いかけっこに決着がつく日はいつになるか不明で、その一人と一匹は、出口の見えないゲームをいつまでも楽しんでいるそうだ」
「な、なるほど。リヴァルが知っているのは、それだけか?」
「ん?ああ、俺が知っているのはそれだけだな。どうだ、なかなか面白いだろ?」
リヴァルがニコニコしながら、僕に尋ねてくる。うーむ、この話の内容は間違いなく、昨夜の僕だ。何だかんだで、少し楽しんでいた部分もあったし。
だが彼の話は、肝心な部分が抜けている。情報の仕入れ先も気になるが、とりあえず話しておかねば。ていうか、個人的に話したい。
「ああ、実に興味深いし面白いと思う。だが少しだけ、補足が必要なようだ」
「おっ、補足だって?この話題でライからそんな言葉が出るとは、意外だなあ。一体どんな補足なんだ、聞かせてくれよ」
興味深々な様子で身を乗り出すリヴァルに対し、僕は昨夜の体験から得たことを語ることにした。自分の失敗談をそのまま話すのはさすがに恥ずかしいので、あくまで都市伝説の補足という形でということにする。
「まず一つ。その男は今の所、猫の姿を一度も目で捉えていない。だがそれはあくまで『今の所』であって、いつか必ず猫を探し出し、決着をつけたがっているらしい」
「おお~、結構熱い男みたいだな。他にはないのか?」
「他にはだな、えーと…その男は追いかけっこに敗れるたび、財布を道に落としてしまったことに気づくんだ。そしてやっとの思いで財布を見つけると同時に、次のラウンドが始まるそうだ」
「お…おぉー、それは意外にドジな男ってことなのか?」
「ま、まあそういうことかも」
リヴァルの問いかけに対し、僕は少し視線をそらしつつ答える。「実は僕のことなんだ」とは、恥ずかしくて言えやしない。
「サンキューな、ライ。お前の補足、すごく面白かったぜ!また新しい情報仕入れたら、俺に教えてくれよ。俺も何かわかったら、すぐ教えるからさ!」
「あ、ああ」
上機嫌なリヴァルに肩をポンポンと叩かれ、僕は思わず頷いていた。こうやって都市伝説に乗せられているのを考えると、僕も彼も、すっかりあの猫に踊らされているのかもしれない。
だがそんな時間があっても、少しくらいはいいのかもしれないとも思えた。息抜きと、役立つかは微妙だが記憶探しのためにも。
(とりあえず今度から、財布はズボンのベルト通しに引っかける、チェーン付きにしようかな)
そんなことを考えながら、僕は一時間目の準備を始めるのであった。


最終更新:2010年09月20日 00:23
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