041-175 ■  アイサツ  ■ @BLUEDESTINY

「今日はここまでにしておこうか」
藤堂先生の声はたいして大きくもないのに道場の奥の奥までよく通る。
「ありがとうございましたッ!」
最後の力を振り絞ってっていうのは大げさすぎだろうか? 俺は少なくとも形だけはピシっとした直立不動の姿勢をとって先生に締めの一礼をしてみせた。
「んっ」
頷く先生。その厳しい顔はすぐに柔らかな笑顔に変わる。
「ぷっ…、はあぁぁぁぁぁぁっ!」
それがいつもの合図だ。俺は張り巡らせた力を体中から抜いて、道場の床に転がり込んだ。
「だらしないぞ、スザク君」
先生は笑っている。そうは言うけど今日の練習はいつもにもましてハードだったじゃないですか。
喉元まで出掛かった言葉を飲み込んで、俺は「面目ないです」とだけ返事した。
「今日の修練はいつもにもまして厳しかったんだからしょうがないとでも言いたげだな」
やれやれ、お見通しか。
「先生にはかなわないなぁ」
袴の裾を踏まないように立ち上がり、俺はもう一度先生に礼をした。
「藤堂先生、次はいつくらいに稽古をつけてもらえるんですか」
そうさなぁ……と先生は顎を手で撫でながら考え込む。
「来週はムリだな。早くて再来週…、月が明けた土日くらいになるか」
「また遠くまで出稽古ですか?」
俺の言葉に藤堂先生は苦笑する。
「あぁ、片瀬さんからのお声がかりでな。あっちこっちの部隊から指導だなんだと呼ばれて困る」
これじゃ軍を辞めた意味があんまりないなぁと、また先生は笑った。
「でも、タダで旅行が出来るわけなんだから結構楽しみなんでしょう?」
「………」
急に神妙な顔つきになる。
「先生?」
「実はな、スザク君」
先生がズズイっと寄ってくる。
「それがあるから断らんのだよ」
思わず噴き出した。藤堂先生はたまにこんなことを言って俺を笑わせる。冗談など欠片も言わなさそうなその顔で突然やられれば、そりゃあ盛大に噴くってもんだ。
「でも先生。出稽古だなんだで外にばっか出ていると、また千葉さんがヘソを曲げちゃいますよ」
うっと先生は言葉につまったようだ。どうやら多少は気にしているらしい。
「早いところ安心させてあげないとダメですって」
「子供には関係ないことだぞスザク君!」
おっと痛いところを突かれたせいか反撃モードのようだ。ヤバ目の雰囲気になる前に撤退した方がよさそうだな。
「じゃあ今日はこれで失礼しまっす」
俺は一目散に逃げ出した。
藤堂道場を出て、俺はすぐに街の方へ向かった。
時間は4時半。みんなとの待ち合わせには少し遅れてしまうか。
『まぁ、いいや』
「そういうわけにもいかない」
頭に浮かんだ言葉を口に出して打ち消す。そうだとも、そんなわけにはいかない。
時間は守る。最善を尽くす。それが俺のルールだ。
第一……、
「時間に遅れたりしたらうるさいんだよな、あいつ」
そう思うといっそう駆け足に力が入る。
よし、100m10秒台を誇り、壁すら走れると豪語できるこの健脚の威力を見せてやろうじゃないか。
俺は全力スプリントで待ち合わせ時間に間に合うべくがんばったのだが、

「遅かったな。5分40秒の遅刻だ」

それが俺の頑張りに対するルルーシュの労いの言葉だった。
「ルルーシュ、お前には人間的な優しさってもんが足りないんだよ!」
「うるさい。遅れてきておいて第一声がそれか? スザクの脳内辞書には謝罪や反省って項目はないと見えるな」
「なにを!!」
「なんだよ!!」
角を突き合わせる俺たちの間にユフィとシャーリーが割って入った。
「喧嘩腰はダメ! スザク!」
「ルルも顔を合わせたそばからケンカしないの!」
フンっと俺たちはお互いに顔を背ける。
「ほんっとに顔を合わせればすぐケンカなんだから。ルルもスザクくんも!」
ねーっとシャーリーはユフィと顔を合わせる。
「しょうがないだろ。スザクがバカなんだから」
「ルルーシュが陰険なのが悪いんだよ」
カチンときた。
「なんだと!?」
「なんだって?!」
俺たちはまた角を突き合わせる。
その時だ。
『───────────────────ッ!!!』
背筋にゾクっとするものが走った。
「スザクッ! ルルーシュッ!!」
あぁ、なるほど。
人間、本気で怒ると、本当に髪の毛が逆立つもんなんだなぁ。
あぁ、それにしても。
「いいかげんにしなさぁーいっ!!!」
ユフィは本気で怒ると、怖い。
うっかりしてるとこれはヤバイ。ぜったい忘れないようにしておこう。

「で、どうするんだ。すぐに行くのか?」
「いや、まだ時間はある。どこかで時間を潰してから行こうか」
そんなルルーシュに「だったら少しくらい遅れたってよかったんじゃないか」と思わずこぼす。
フンっと息を吐いてルルーシュも「余裕のあるなしの問題じゃない。要は約束はキチンと守るという人間としての基本的な…」
お互いに言葉を止める。
「ま、まぁそんなことはいいか」
「そ、そうだね。水に流そうじゃないかルルーシュ」
ぎこちなく聞こえるのは気のせいだ。なんせ俺たちは仲の良い親友同士だもんな。
だから背後でユフィとシャーリーが深くため息をついたのも気のせいのはずだ。
「とりあえずいつものとこに行くか」
こうやって四人で歩くのはなんだか初めてのような気がする。
そんなことを言ったらまたルルーシュが「お前は何を言ってい……」何かを言いかけて、シャーリーに腹パンチを喰らって呻いていた。
「大体はいつも一緒じゃない。生徒会室とか…クラブハウスとかで」
そうだっけとユフィに返事をして、俺はそういえばそうだったなと一人で納得する。
「どうして初めてだなんて思ったんだろう?」
「脳みその中まで筋肉が侵食し……」何かを言いかけたルルーシュがユフィにみぞおちを突かれて呻いていた。
うわぁ、容赦ないな。
「ルルーシュ、学習しろよ」
「こういう性格なんだよ、俺は」
あ、へこたれてない。意外と強いな、貧弱なのに。
そう思ったけれど、俺は口には出さなかった。矛先がこっちに来たらヤだもんな。すまんルルーシュ。
そうこうじゃれている間に目当ての場所に辿り着いた。
【TAMAKI's BAR】
バーと言っても昼間は喫茶店をやっている。だべるにはちょうどいい店だ。
「なんだ、またお前らかよ」
皿を拭きながら振り返ったマスターがこちらを一瞥して言う。言葉とは裏腹に嬉しそうなのは店があまりはやっていないからなんだろう。
「こんにちは玉城さん」
「お邪魔しますね」
「とりあえずピザだな、ピザを頼む」
座る前から注文するルルーシュに噴く。
「ルルーシュ、またピザ?」
「しょうがないだろ。この店はピザくらいしか美味いものがない」
「聞こえてんぞ~、ガキども!」
カウンターの向こうから玉城の声が飛ぶ。
「聞かせているんだよ」
どっかで聞いたことがあるような切り替えしだ。ルルーシュのやつ最近ネットばっかりやってるってシャーリーがこぼしてたもんな。
「うっせーぞ、ルルーシュ!」
「悔しかったら美味い紅茶の一杯でもいれてみるんだな。それまで俺はピザ以外を注文するつもりはない!」
「わたしアメリカン」
「わたくしはオレンジジュースをお願いしようかしら」
ルルーシュが俺を振り返る。
「スザクはどうするんだ?」
俺も答えはすでに決まっていた。
「ミックスピザをサラミ大盛りで。あと水」

夏の日差しは夕方が近付いていても強い。色のついた窓ガラスごしでも目に痛い。
冷房のよく効いた店内には相変わらずいつもの懐メロが流れていた。
『もっと流行りの音楽を流せばいいのに』
せめて有線にするとかさ。そんなことを言うと「俺は俺が聞きたい音楽を聴くんだよ。文句あっか?」と逆ギレする玉城だ。
いつかのこと、だから客が入らないんだよなんてと言い返したら、当たり前の様に濡れた台拭きが飛んできた覚えがある。
「なんか失恋ソングばっかりなのもマイナスですよね」との感想はユフィから。
夏の強い日差しのせいだ。冷房が効いていても窓際の席はやっぱり暑い。
「だからね、それはないんじゃないってルルに言ったの」
「もう、ルルーシュったら。本当ににしょうがないんだから」
困った顔で「あぁ、うん」と曖昧に頷くルルーシュに、俺はそろそろ助けを入れてやらないとなと思った。
「ルルーシュ、そのピザ美味かった?」
どっかから「美味いにきまってんだろ」と聞こえた気がしたけど、それはおそらく幻覚だろう。いや、この場合は幻聴と言うべきか。
「まぁまぁだな。いつものマルゲリータの方がずっといい」
そう言ってルルーシュはそのスパイスたっぷりのピザを一切れ俺の皿に乗せた。
「新メニュー“カレーうどんピザ”と言うから期待したのだが……そうだな、69点止まりといったところだろう」
「なにその中途半端な点数」
シャーリーが呆れたように言う。
「カレーうどんという至高の料理をピザにするというチャレンジャースピリットは買うが、そこまでのメニューということだ。一層の努力を要求する」
だけど、その憎まれ口はルルーシュなりの賞賛の言葉なのだ。ルルーシュは素直じゃないのだから。
「うっせーな、絶対美味いと言わせてやるからな」
「望むところだ。早いところ俺の人物評価点を上げさせてくれ」
憎まれ口の応酬をユフィとシャーリーは呆れながらも笑いながら見ていた。
『俺たちの時もそんな風に見守ってくれるだけならいいのに』そう思わずにはいられない。
カランカラーン。
ベルを鳴らして店の扉が開く。
「あっれー? 先輩たちじゃん。なぁなぁカレン、先輩たち来てるよ」
「カレンじゃない! 紅月先輩。せ・ん・ぱ・い、でしょ!」
やれやれ、うるさいのが来たなと俺はカレンにド突かれるジノを一瞥した。
そんな照れることないのにとか言うジノをカレンがやかましいとゲシゲシとド突いてる。
「相変わらずジノには厳しいな、カレンは」
「これが愛情表現なんすよ、カレンは。……あ、垂直踵落としはやめて。洒落にならないから」
隣のテーブルに座ってカレンは顔をしかめる。
「うえ…。あんたたちまたピザなの?」
「それしか食うもんないからな」ルルーシュに「ま、それもそうよね」とあっさり意見を翻し、カレンも結局はピザを頼むのだ。
それもLサイズ。
「………太るよ?」
ドスッ。
さすがカレン。隣に座る相手に座った姿勢からボディブローを繰り出し、尚且つ言葉も発せない程の悶絶に至らしめるだなんて。
「吐くなよジノ。ここは出す所じゃなくて入れる所だからな」
ルルーシュの温かい一言にジノはうめき声で答えた。

「それにしても客、入ってないっすね」
「うるせぇ、黙れ」
凄んでみせても玉城は玉城。ヘイヘイと舌を出してジノは気にもしない。
「向かいの通りにロイドさんの店が出来てからお客さんをとられちゃった感じなのかしら」
「ま、元々少なかったけどね」
ユフィの分析にカレンがダメ押しをする。
「シャーリーちゃんとユフィちゃんがうちのバイトに入ってくれりゃあ、あんなプリン野郎の店になんか負けねーんだけどなぁ」
カレンとジノにお冷を出して玉城がぼやく。
「……ちょっと玉城、あたしの名前が出ないのはなんでよ」
「おめーはねーわ。客とケンカおっぱじめかねないからな」
「第一シャーリーはそのロイドさんのお店のバイトじゃない」
「そーなんだよなぁ。なぁシャーリーちゃん、うちでバイトしない? ロイドんとこのメイド喫茶なんて辞めちゃってさぁ」
「玉城ッ、無視すんなぁ!」
相変わらずだなぁ。
どこに言っても騒がしくて、ちょっとだけイライラしたり、でもそれがこんなにも楽しい。
シャーリーやルルーシュたちと一緒に大笑いする。
チョイチョイと袖を引っ張られたのはちょうどその爆笑に一段落がついた時だ。
「ユフィ?」
「スザク、もうそろそろ……」
ハっとして時計を確かめる。けっこう時間がたっている。
「ルルーシュ、時間時間。まだいいのか?」
ルルーシュもハッとして時計を見る。ゲッと言うその様子に俺もユフィもやれやれと肩をすくめる。
「なんです? もう行っちゃうんすか?」
「あぁ、これから用事があるんだ」
もしジノが犬だったら耳と尻尾をピンと立てていることだろう。
「じゃあ俺たちも連れてい…うぐう」
カレンのボディブローがまたも炸裂した模様だ。ジノ、ピザが来る前で良かったね。
「いってらっしゃい。またね」
ふむ。
二人きりになるのにカレンも意外とまんざらでもない?
「なんにせよジノは苦労するだろうけどな」
小声でルルーシュがささやく。そうだよなぁと俺も笑う。
「なんすか、なんすか! 二人だけでナイショ話はやめようぜ~!」
知らねーよっと俺たちは店を出ることにした。
再び街中を歩き出す。
駅前の商店街は週末とあって、夕方にしてすでにそこそこの人出のようだ。
「ねぇねぇ、あれ!」
シャーリーが指差すのは電器店の街頭テレビ。
───次のニュースです。扇内閣の支持率低下が止まりません。NNNの世論調査によると……───
「会長! 相変わらずキレイよね~。社会の一線で働く女って感じだし、憧れちゃうなぁ」
テレビに映るミレイさんは静かにニュースを伝えている。まさに出来る女って感じだ。
「中身はアレなんだけどな」
またルルーシュはそういうことを言う。
「もう、ルルったらすぐそういうこと言って」
「俺は事実を言ったまで、だ」
やれやれと言わざるをえない。ホントにルルーシュは素直じゃないんだからと。
一言くらい言ってやってもいいかなと声をかけようとした時。
「なんだ君たち。こんなところでどうしたのかね」
振り返るまでもない。ジェレミア先生の声はもう脳細胞レベルで覚えている。
「よっ」
だけど、そのジェレミア先生に襟首をつかまれたまま、片手をあげて挨拶するアーニャの姿にはさすがにびっくりした。
「どうしたのアーニャ……」
「みんな、おはよう」
もうお昼も過ぎて、夕方と言っていい時間なんだけど。
「……こんにちは」
あ、訂正した。
「なんのことはない。学生の分際でまたパチンコ屋になど出入りしていたのだ。なので教育的指導のために急行したわけなのだよ」
それはそれは。
アーニャは不本意そうに身じろぎをしている。
「確変、きてた、のに」
それは、それは!
「学生が遊技場に出入りするなど言語道断! 反省したまえアールストレイム君!!」
あーあ、ジェレミア先生って話長いからなぁ。アーニャに同情しかける。その時だ。
突然アーニャが来た道の方へ顔を向けた。
「マリアンヌ先生が、ビスマルク教頭と腕組んで歩いてる…」
「ナニィッッ!!?」
驚くと同時に襟首をつかむ手の力が弛んだんだろう。スルっと逃れてアーニャが反対の方へと走り出す。
「脱出…」
こっちにVサインを出してアーニャはその小柄な体からは想像もつかない速さで脱兎の如くに逃げ出すのだ!
「お、おのれーっ! 姑息、孤立、小癪ッ!!」
すぐに追いかけるジェレミア先生。
「君たちはけっして遊技場などに足を踏み入れるのではないぞおぉぉぉぉぉ………」
行ってしまった。
「相変わらず暑苦しい男だ。しかし…」
ルルーシュがボソっと言う。
「うちのお袋が同僚の教頭と一緒に歩いているからといってなんだっていうんだ? 彼は」
さぁ、とスルーする以外何も言えなかった。多分鈍チンのルルーシュには一生わからないんじゃないかな。
再び歩き出す。
永田陶芸教室の角を曲がって駅の方へと向かう。道路を挟んだ向かいのコンビニにはリヴァルの姿が見えた。
「お、あいつちゃんと真面目にバイトしてるな」
「ルルもバイトくらいしたらいいのに」
シャーリーが言う。
「まぁ、そのうちな」
俺は笑いを表に出さないようにするのに全力を尽くした。
教えてあげたい。実はルルーシュは夏にシャーリーと旅行に行くためにと隠れて必死にバイトをしているんだと。
リヴァルに紹介してもらってあちこち掛け持ちでバイトをしているんだと。
「絶対に言うなよ。絶対! 絶対だからな!!」
ニヤニヤする俺をルルーシュが後ろから小突く。わかってるよと返事する俺にシャーリーもユフィも不審気な表情を見せる。
「ほらほら、早く行こう。行こう!」
二人で駆け出す。駅はもうすぐそこだ。
「もう、二人とも誤魔化すんだからっ!」
シャーリーが続き、ユフィも続く。
「スザクっ! ルルーシュ! 待ちなさぁーい!」
俺はちょっと意地悪な気分になっていた。
「ユフィ、早く来ないと置いていっちゃうぞ!」
笑いながら駅舎に取り付く。階段を一気に駆け上がる。いつの間にかルルーシュは二人に追い抜かれて最後尾だ。
「ちょ、ちょっと…っと、待て…待ってくれ……」
見なかったことにしよう。俺は手早く四人分の切符を買って二人に渡す。
「ルルーシュ、置いてくぞー」
まだ階段を登ってるようだ。
「く、くそっ! この筋肉バカがっ!」

電車に揺られること30分。降りてすぐに乗ったバスで大体5,6分といったところか。
「うわ~、でっかい劇場ねぇ。ホントにここなの?」
シャーリーの疑問ももっともだ。これは…かなりでかい。
「こんなでかい劇場なのか…」
「当然だな」
ルルーシュが胸を張る。なんでお前が偉そうなんだ。
でもそれは黙っていた。ユフィもシャーリーも笑っていたし、俺も笑っていたからだ。
中に入って案内所を探す。別に歩き回る必要はなかった。すぐに見つかった。
「いらっしゃいませ。どうかしたかな?」
長い黒髪の女性が案内所の受付をしてるようだった。何の気なしに見た名札には【井上】。
「今日の公演なんですけど……」
ユフィが口を開く。
「ごめんなさいね~。開演は7時で、開場は6時半なのよね」
あ、いや。そうではなくて…俺が言うまでもなく「主演の身内なんだ。楽屋までの道を案内して欲しいんだが」ルルーシュが少し苛立ち気に要件を告げていた。
「あら、そうなの? やっだ、それ早く言ってよ」
随分フレンドリーな人だ。
「エレベーターを通り過ぎて最初の角を曲がって真っ直ぐ行けばスタッフオンリーの看板あって、ガードマンいるからそっち行ってくれるかな~」
私の方から連絡つけておくからね、井上さんはそう言うと近付いてきた別の客に振り向いた。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」
「HiTV芸能部のディートハルト・リートです。残りの機材の搬入はこちらからでよろしいんでしょうかね」

どうやらもうこちらの相手をしている訳にはいかないようだ。
「とりあえず行ってみましょうよ」
ユフィに頷いて俺たちは劇場の中を歩き出した。
「なんかドキドキするねぇ」
「お、俺は全然緊張なか…なんかしてないからな」
手と足を一緒に出しながら歩いても説得力はないよ、ルルーシュ。
でも確かにドキドキするな。自分が何かをするわけでもないのに。
なんか一種独特な空気とでも言うのだろうか。段々と僕もふわふわとした緊張感に包まれてくる!
「君たち、この先は関係者以外立ち入り禁止だぞ…。ふむ、受付から連絡があった子って君たちか?」
角を曲がると同時に声がかかる。
声の主はオレンジ色の派手々々しい頭。その見た目はとても堅気とは思えないけど、格好は確かにガードマンだった。
「あぁ、主演の身内で上演前に楽屋を訪問する約束をしている。そこの先が楽屋なんだな?」
ほう、とオレンジ頭は少し考えるような仕草をした。
「その話なら事前に聞いている。つまり君たちはルルーシュ君とその友人たちと言うわけだ」
聞いているなら尚のこと話は早い。オレンジ頭のガードマンは脇にどいて、僕たちを通してくれる。
「大事なものとは何だ? そう、それは、身内だ! 大事な人を大切にしたまえよ!」
見た目に反して意外といい人だったみたいだ。軽く礼をして僕たちは楽屋へと向かった。
そして辿り着いた楽屋の名札を確認してノック……「ま、待てスザク。ここは俺が」ルルーシュがまったをかけた。
「そんなの誰がノックしたって一緒じゃないか。今、俺が…」
「違うな、間違っているぞスザクッ!! ここはこの俺こそがノックをするのにふさわしい…!」
コンコン
「ナナリー、わたくしよ。入るわね」
「ナナちゃん、お邪魔するね」
…………。
こういう時、ユフィは強い。俺とルルーシュは一瞬、目を瞑って天を仰ぎ、そして二人に続いて部屋に入っていった。

「ユフィ姉さまにシャーリーさんっ! ………とスザクさんに……お兄様?」
ナナリーはいい子だ。たまにこういう茶目っ気を見せてルルーシュをいじめてくれる。
おかげで俺たちはルルーシュの百面相を楽しむことができるのだから。
実に情けない顔で無言の抗議をするルルーシュに俺たちは盛大に笑わせてもらった。
「ごめんなさいお兄様。みなさんの緊張をほぐそうと思って!」
「それって普通は私たちが気を使うほうなんじゃないの」
笑いながらシャーリーが突っ込む。「それもそうですね」とまたナナリーが笑った。
「みなさん、よく来てくださいましたね。お茶でもどうぞ」
そっと咲世子さんがお盆にお茶を乗せて持ってきてくれる。
「なんか全然心配するような感じじゃなくて安心したよ」
そう言いながらも、俺はナナリーの微かな震えを見て取っていた。そうだろう、いくらなんでも彼女はまだ十五歳の少女なんだ。
「親父とお袋はもう来たのか?」
ルルーシュは気がついていないのだろうか?
「えぇ、もう30分も前に! お父様ったらとても待ちきれないみたいで何度もお母様に窘められていました」
「伯父様ったらナナリーには甘々ですものね」
「ルルーシュには怖いお父さんなのにね」
「それはもちろんですわ」
ぎこちなさなど欠片も見せずにナナリーはユフィとシャーリーに答える。
「わたし、お兄様と違って愛されてる自信がありますもの!」
一瞬の沈黙の後、いっせいにその場にいる全員が噴き出す。もちろんルルーシュを除いて、だけど。
「それは酷いよナナリー」
言葉に力が入らない。笑いすぎておなかが痛い。
「ナナリーたら、今日はいつにもましてルルーシュをいじめるのね」
ナナリーも笑うばかりだ。
コンコン。
笑い声が落ち着いた頃を見計らったように扉がノックされた。
「ナナリーさん、準備をお願いします」
扉が開き、メガネをかけたちょっと固そうな感じの女性が顔を出した。
「そろそろお時間ですわ」
「はい、ローマイヤさん」
立ち上がり、ナナリーはその大きな瞳を輝かせて俺たちにぴょこんと一礼をしてみせた。
「では、行ってきます!」
「うん。がんばってねナナリー」
「客席から応援してるからね、ナナちゃん」
「ナナリー、見てるからね」
「えぇ!!」
ナナリーは元気に即答した。
そしてルルーシュは静かにナナリーを抱きしめる。
「…これからしばらくの間の時間、俺はナナリーに何にもしてあげられない。でも、くじけるんじゃないぞ、みんながついてる」
その時、俺は微かに続いていたナナリーの手の震えが止まったのを見た。
「やっぱり兄妹なのね」
ちゃんとわかってる。ユフィがそう、こっそりとささやいた。
ルルーシュ、ちゃんとお見通しだったんだな。ナナリーの緊張のこと。
ルルーシュが腕を解いてナナリーを解放する。彼女は元気に扉まで駆けていった。
「今日は、きっとみなさんに最高の舞台をご披露しますね、絶対に!!」

ナナリーが主演する舞台は【孤独な王】という有名な演目を新解釈で再構成したものならしい。
もちろん俺がその話を知ってるわけもない。ルルーシュにどんなお話なんだと聞いてみたが「黙って見ていろ」としか教えてくれなかった。
結局のところ、ルルーシュが教えてくれなくて良かったというのが俺の結論だった。
ナナリーの舞台はとても………素晴らしい、最高なものだったからだ。
舞台の後、俺たちはルルーシュの両親に晩御飯をご馳走になった。
とどのところ学校の校長と先生なんだけど、いざとなれば気にならないもんだ。そうして楽しい時間はあっという間に過ぎて、俺たちは帰宅の途にある。

「とっっってもステキな舞台だったわね、スザクッ!」
もうだいぶ時間が経っているというのに、ユフィはまだ興奮冷めやらぬようだ。
「うん。そうだね、ユフィ」
ふと聞いてみたくなった。
「ユフィはあの舞台の元になったお話を知ってるのかい?」
彼女の返事はYES。
「それはとても悲しいお話。とてもとても辛くて、切ないお話……」
俺はちょっと驚いていた。
「あの舞台を見た後じゃ信じられないな。切ないお話ではあったけど、とても悲しいお話だなんて思えなかったよ」
フフ……と小さく微笑んでユフィはそうねとだけ返事した。
夜の公園。
寄り道をする俺たちの頭上に月の輝きが降りそそぐ。
「えい、やあっ!」
スカートの裾を押さえてユフィがくるくるとまわる。舞台で演じられたダンスを真似してるんだ。
俺は腰掛けていたベンチから立ち上がってユフィの手をとった。
月がキレイだな。蒼い月、その光。なんてキレイなんだ。それに照らし出されるユフィがたまらなく愛しい。
あぁ、なんて幸せなんだろう。
いつもと何も変わらない、それでいてとてもとても大切に思えるそんなあたりまえの時間。

夜の暗闇が嫌いだった。
吸い込まれそうで怖かった。
堪らなく憎かった。
夜の暗闇は犯した罪と同じ色をしていて、僕はそれに耐えきれなくて、いつしか僕は思い至った。
許されようと思ってはいけない。
だから決めた。
僕は正しくなければいけないんだと。
でも、それはきっと許されたいと願う僕の願望が生み出したアンビバレント。
正しければ許される。
父を殺したことも、
ブリタニア軍に身を投じたことも、
それに、それに……
正しくなければならなかったのだ。
正しければ、きっと正しければ────!
ルルーシュ、君は強かった
僕はずっと過去を見てきた
君はずっと未来を見ていた
だから、僕は君のギアスを受け取ったんだ

「スザク、今でも、貴方は、怖いのかしら」

あぁ……あぁ! 怖くなんてないさ! 怖くなんてあるものか!
僕は身体を預けていた。これはなんだろう? この温もりはなんだろう?
どこからともなく聞こえてくる波の音に僕は安らかな気持ちで目を瞑る。
不思議だな。目を瞑ったのに広がるのは暗闇じゃあなくて、光……これは、ヒ、カ、リ、だ、と、て、も、あ、た、た、か、い────

「スザク、貴方は、幸せを、感じられたかしら」

───なんでそんなことを聞くんだ!
僕は怒りにも似た感情でその問いに答える。
───決まってる、決まってる! 幸せだ。とても、とても幸せだったよ!
きっとこれこそが僕が一番に欲しかったもの。
きっとこれこそがルルーシュが一番に欲しかったもの。
きっとこれこそが────が一番に欲しかったはずのものなんだ。
それはありきたりで、
それはきっとどこにもある、
それはいつもそばにあって、なのに通り過ぎてしまう、

「ありきたりで、どこにでもあって、すぐそばにあるはずの───」

人並みの、幸せ。




キキキキキキ………カナカナカナカナカナ………
ひぐらしの甲高い鳴き声がいっそう強まった。
日が落ちてあたりは薄闇に暮れようとしている。
その広い畳敷きの一室には床につき、まどろむ老人。
その布団の脇に青年が静かに座っていた。

──いまはお休み

声にならない声で青年は、いまや深く皺の刻まれた友人の顔に声をかける。
その表情はどこまでも安らかで、とてもとても幸せそうな───

──生まれ変わっても、また会えるかな

声にならない声に、青年は微かに頷いて微笑んだ。

──会えるさ。きっとまた会える

老人は幸せだった。
美しい夢を見れたことだけではない。
こうしてまたかけがえのない友達に会えたことが嬉しかったのだ。

──ありがとう



握っていた老人の手を静かに布団の中へと直し、青年は静かに立ち上がった。
黒地に金の縁取りの学生服。
障子を開け、縁側に出る。薄闇の空には月。
あと幾らもしないうちに空には夜の帳がひかれることだろう。そうすればきっと蒼い月が輝くにちがいない。

──おやすみ

そして

──いつか、また

カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ………………
知っているのはひぐらしだけ。それは、きっと、絶対に。


                           <おわり>



結局、英雄ゼロの素顔に迫るところまで私は辿り着くことはできなかったのだ。
いわゆるCE2010年代(皇歴2010年代)後半より世界をリードし続けた人物の一人であるゼロ。彼の素顔に関わる話題は現代においても異説、珍説を問わず非常に多い。
ブリタニア皇族における最初のゼロによる犠牲者、クロヴィス・ラ・ブリタニアこそゼロだというもの。
魔王と称された皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの廃嫡された双子の弟、ロロ・ヴィ・ブリタニアだという説。
(訳者注:この説は中世期の小説「鉄仮面」のオマージュであると言われており、信憑性は皆無である。そしてロロという人物がブリタニア皇族に存在したという事実はない)
また、実はルルーシュ帝とゼロは共に98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアのクローンであり、どちらが勝ってもシャルルが世界を手に入れるというゲームであったという珍説も存在する。
(訳者注:これも現在では原典となるものが明らかである。1990年代に日本でヒットした冥王計画というSF小説のオマージュであると言われている)
むろんこれら異説・珍説が消えてはまた現れる下地というものは存在する。
かのダモクレス決戦の際、ルルーシュ帝自らが騎乗したナイトメアフレームがゼロの専用機である蜃気楼と同型機と思わせる機体であったこと。
また、純血派として知られるジェレミア・ゴットバルト(CE1989~?)が一時期黒の騎士団に所属しており、その後ルルーシュ帝の忠臣として武名をはせたことなどからである。
CE2059年のルルーシュ帝時代の機密文書保持期限失効による文書開示が火災による焼失で果たされなかったことも、そのミステリアスさを助長させているのは確かだ。
いずれにせよ稀代の英雄ゼロの素性や人となりに関しては同時代人の証言の他に確たるものを見出せない。
CE2090年、ゼロはその姿を我々の前から消した。
もし仮面の中の人物がよく噂にあがる世代交代を重ねていない──同一人物だというのならばかなりの高齢であったはずである。
(訳者注:仮面はそのままに中の人物は入れ替わっているという説は現在においても非常に強く主張されている説だが、同時代人の証言よりこれは否定されている)
CE2018年頃、ゼロはすでに30代であったという説が有力だということを鑑みれば、この時彼はすでに100歳をゆうに越えている計算になるのだから。
で、あればゼロはすでに故人となっている可能性が強い。
その素性と共に我々は彼の殆どを知らないままである。
多くの謎とともに世界を駆け抜けた英雄。
もちろんそれは彼の功績をなんら傷つけるものではない。
彼は常にくすぶり続ける災いの火中にあって、調停者としてあらゆる事件の解決に奔走していた。
文字通り、彼は世界の為にその身の総てをささげていたのだから。
くりかえすようだが、現在彼のゼロとなる以前の半生や素性についての事実、それらは歴史に残されておらず、もはや調べるべくもない。
数多の諸説はあるが、それらはとうてい記録に残すような代物でもない。
では記録するにたる事実とは一体なんであろうか?

CE2089年の末、職務から離れることを宣言し、身を隠す直前に彼と側近が交わした会話のデータが残っている。
「かの時代は破壊と謀略と裏切りに満ちた時代であった」
「その一方で確かに輝いていた時代でもあったのだ」
(当時を懐かしく感じておられるのですかという側近の言葉に対して)
「繰り返される憎しみと悲しみの連鎖。暗黒の時代。………それでも懐かしく思うことはあるのだよ。どんな時代であれ、やはり青春時代とはそういうものなのだ」
「この頃はそういう思い出ばかりが脳裏を駆け巡る」
「そうではない。私だっていつかは召される日が来るのだから」
(ここで彼は笑ったようである)
「寂しくはないよ、それは間違いない。確かに私は人並みな幸せというものとは無縁であったかもしれないが……」
(データの破損により聞き取り不能。前後の会話の流れにより、自分が不幸だとは思っていないといった類の言葉ではないだろうか)
「……私が召される時、その場には古い友人が……少なくとも一人は、挨拶に来てくれているだろうから」

その確信に満ちた強い言葉。
波乱万丈の人生を輝かしいものだと断言したその言葉。
彼の語る友人とは誰か、その人物は本当に彼の最期の瞬間に訪れたのか? それはわからない。
しかし、少なくともそれは記録するに足る事実であると、私は思う。

C,E,2124,Jun,合衆国日本(United People of Japan)東京市にて、Rupert Cardemonde. 翻訳:南有希


最終更新:2009年06月23日 02:55
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