「いよいよだね? ナナリー」
謁見室を後にする二人の男女を多くのザワメキが見送った。
室内と比べれば見劣りはするが、先の見えない長い廊下は細部まで作りこまれた芸術品。
世界の頂点 ブリタニア皇帝の居城として恥じない風格を漂わせている。
「これもシュナイゼル兄様やお父様、そしてライさんのお陰です」
答えるのは栗色の長い髪の少女 ナナリー。瞳は伏せられ、光を捉えることは無い。
口から漏れるのは僅かな謙遜と多大な感謝の言葉。その矛先は自分の隣に座る人物 ライに強く向けられていた。
「そんなことは無いさ。全ては君の意思によるもの……君の成した結果だよ」
ナナリー・ヴィ・ブリタニア。
神聖ブリタニア帝国の中枢たる皇族・貴族たちの間で、彼女はある渾名をもって呼ばれていた。
『出戻り皇女』
母親を失い、エリア11に人質として送られ、死亡したと思われていたが生きており、のこのこと帰ってきた盲目で足が不自由な役立たず。
帰ってきてからも目が見えず、足も動けないハンディキャップと本国を長い期間に離れた事により、後ろ盾も持たない。
そして世界の覇者を輩出するべきブリタニア皇族において、弱者を見下せない優しさは弱点以外の存在足りえない。
故にその存在を知る僅かな者たちも彼女を重要視していなかった。
皇族の後援となり、その皇族が帝位継承権を挙げる事で自分達の権威を拡大する貴族達にとって、ナナリーはその対象として余りにも不適切。
しかしその評価は一気に押し上げる存在が彼女の傍らに居た。
名をライ。経歴は余りにも完結且つ単純。エリア11にて出戻り皇女と友愛を育んだが故に『騎士』を名乗る無礼者。
無礼者……そのはずだったのだが……
『彼の出自が不明、経歴も不明であり、信用など置けない。しかし真の騎士である』
ライがその才能を始めて公にし、皇帝より騎士足る資格があると認められた『騎士の条件』と呼ばれる模擬戦。
幸運にもその観戦を許され、のちにナナリーの後援へと名を連ねる事になった貴族は語る。
ライと言う存在は『彼が側に居る』と言うだけで、ナナリーの存在感を大きく増す。
誇張した表現ではない。普通の学生として極東のエリアで暮らしていたはずの青年。
そんな青年が『皇帝の椅子にもっと近い天才』と讃えられる帝国宰相 第二皇子シュナイゼルとチェスで接戦を演じた。
そんな青年が戦慣れしている軍の小隊を、初めて乗ったナイトメア・フレームで手玉に取る。
ブリタニアとは貴族を代表する古き権威が力を持っているが、同時に新しくも能力があれば認められる矛盾を抱えた国。
そんな場所では彼は好意的に受け止められずとも、確実に評価される存在となる。
同時にそれはナナリーに対する評価すら変えてしまった。
『主を知りたくば従を見よ。王を理解したくば騎士を調べよ』
そんな諺からも理解できる通り、貴族達にとってライとはナナリーの価値を映す鏡。
『文武共に優れた謎の青年騎士が絶対の忠誠を尽くす相手』
そういった観点からナナリーを見た場合、彼女の評価は一気に好転する。
二人の余りにも親しげな様子からして、ライと言う優秀すぎるブリタニアドリームを強く体現する騎士は、ナナリーの側でのみ力を発揮できるという推測は正しい。
否定的ではない基礎知識を持って接すれば、ナナリーの意向とは優しいだけの夢ではないと気がつく。
国是にすら歯向かう事を厭わない弱者への労わり。誰もが挙げる事が無かった善意による叫び。
それを皇帝が黙認し、宰相が僅かながらに助力し、優秀な騎士が強力に支えている。
もうこの時点でナナリー・ヴィ・ブリタニアは『役立たずの出戻り皇女』ではなくなった。
決して心地よい誠意の対象とはなりえないが、決して無視するだけで済む存在でもない。
つまるところブリタニアの中枢に一人の新たな名前が刻まれたということ。
そして今しがた皇帝から直接告げられた案件が、その名前の位置をさらに高みへと押し上げる事に成る。
「ナナリー、お前にエリア11の総督を任せる」
簡単な言葉で表すと神聖ブリタニア帝国98代皇帝 シャルル・ジ・ブリタニアがナナリーに告げた内容。
それは同時にナナリーとライが数ヶ月前から切望していた内容とも一致する。
「謹んでお受けいたします、おと……皇帝陛下」
嬉しさと責任の重さに公的な場面であるにもかかわらず、皇帝を『お父様』と呼びそうになりながら、ナナリーは車椅子の上で僅かに頭を垂れた。
健常な人間ならば決して許されない座上で皇帝との謁見。その背後には正しい形で王の視線を受け止める彼女の騎士ライ。
もっとも姿勢こそ正しい者だったが、彼のとる行動は常に突拍子も無く勇敢で新鮮。
「では皇帝陛下、先にお渡しした事案についても了承を頂けた……そう受け取って宜しいでしょうか?」
一般的に常に前を見ることすら躊躇われる世界の覇者を眼前にし、ライは伏せていた目を上げる。
しっかりとした視線は壇上の王者を捉え、言葉を発する事さえ憚られる相手に質問をぶつけるという暴挙。
当然の如く周りの貴族達からはざわめきが溢れ出す。
「ライさんっ!」
思わずナナリーすらも叱責の声を上げる。だがそれは決して出過ぎたマネをした騎士を叱責したのではない。
本来ならば自分が行わなければ成らない厄介な役割を代行してくれた事、矢面に立ってくれた事。
その出過ぎた優しさと愛情が嬉しくて、恥ずかしい。照れ隠しにも似た自己主張。
そんな二人の内心を見透かしたかのように、玉座の上で皇帝は含んだ笑みで口元を歪めて、短く返す。
「任せる……そう言ったはずだ。お前たちのやり方で全力を尽くせ」
簡略的な肯定の言葉にライは再び頭を垂れ、ナナリーも慌てて不自由な体を動かして居住まいを正した。
「細かな事はシュナイゼルと調整せよ……以上だ」
話は終わりとばかりに皇帝はさっさと退室してしまった。
残されたのはライとナナリー、そして周囲に名のある貴族達。
彼らの多くは退室するなり、親しい者と雑談を交えている。しかし一部はナナリーたちへと近づいてきた。
そう、彼らこそが二人のファン……後援に名を連ねる数人の貴族。
「おめでとうございます、ナナリー様」
「そのお若さで総督とは……この老体も思いつきませんでしたわい」
「いえいえ! ナナリー殿下とライ卿ならばただの夢では無いと思っていましたわ」
「ご将来が恐ろしい……いや、頼もしい」
中年の男性、禿げ上がった頭の老人、三十を僅かに跨いだ女性、軍人上がりだろうガッシリとした体の青年。
それぞれが性別や年齢に違いがあれど、貴族らしく着飾って貼り付けたような笑みを浮かべている点が共通。
「これもすべて皆さんの助力のお陰です」
ナナリーは目が見えない分、人の心を理解する事に長けている。
故に自分を支援してくれているこの貴族達が、笑顔と歓待の言葉の裏でイロイロと黒い事を考えているのは、容易く理解できた。
そして彼女はこう言った感情が苦手だったが……今はそうも言っていられない。
何せ少しでも苦しそうな姿を見せれば、ライが自分を守ろうと頑張りすぎてしまう。
「これからもご支援をよろしくお願いしますね?」
故に本当の笑顔には届かないがそれらしい笑顔を浮かべながら、軟らかい手で貴族達の手を一人一人握っていく。
例え若輩とは言えど皇族に直接手を握ってもらえるなど、貴族だろうと簡単に賜れる栄誉ではない。
誰もが深く頭を垂れ強く、優しく小さな手を握り返す。その光景を見てライは関心してしまった。
『流石はあの皇帝陛下と閃光のマリアンヌの娘だよ、ナナリー』
古き王の記憶では人間というのは解り易い金銭や地位の報酬に加え、一見価値が無さそうなプレゼントを愛するものだ。
例えば花が解り易い例だろう。お礼のキスとかもそうだ。今回は『皇女自ら感謝の握手』という形。
そんな価値の無い報酬が徐々に地位や金銭では手に入れられない忠誠を買っていくのである。
『ライさんばっかり頑張りすぎです!』
何時だかそう怒られた事があった。あの時だけは随分と派手にケンカもした。
世界一甘やかして上げたいと考えている愛しい恋人だが、ナナリーはそれだけで終わるつもりは無いらしい。
発展欲や向上心は正しく自分の時代から続く闘争の血族の末席に相応しいもの。
「それではこれからナナリー様の総督任命を祝して晩餐会でも?」
「良いですな。それは是非とも我が邸宅にて……」
「あら? 荒々しい殿方に可憐なナナリー様のエスコートが出来るものですか」
既に貴族たちの話題は大事な点数稼ぎへと移行している。
しかしそれはナナリーが欲するところではない。今日は既にもっと大事な用事が入っているのだから。
「申し訳ありません」
決して大声を出しているわけではない。しかし良く響く声だった。
点数稼ぎで必至にナナリーを囲んでいた貴族たちの視線が彼女の騎士 ライへと向かう。
「今日はシュナイゼル殿下を初め、好意にして頂いている皇族様たちに就任の報告をしなければ成りませんので」
「ごめんなさい、皆さん。また違う日にお呼ばれしますから」
渋々の了承とお誘いの約束を背後に聞きつつ、ライはナナリーの車椅子を押しながら混沌の坩堝を後にした。
「大変です!!」
数日後にエリア11入りを控え、ベリアル宮のナナリーの執務室で彼女が手掛けてきた福祉事業の書類を纏めていた時だった。
メイドにしてボディーガード、不自由なナナリーの介護すらこなすブリタニア版サヨコさんのような女性が室内に駆け込んでくる。
「どうしたんですか? マリナさん」
エリア11行きにも同行が決まっている優秀な人材の取り乱しように、ライは作業の手を止めて聞き返す。
聴覚で周囲の状況、特に人の感情を読み取るナナリーは既に彼女の声だけで不安げな顔。
「落ち着いて下さい、ナナリーが怖がっている」
そのライの言葉に僅かながらに息を吐き、心を落ち着かせようとしたマリナと呼ばれたメイドだったが、容易くその行動は失敗に終わる。
「放送を! テレビをつけて下さい!!」
必至に吐き出したその言葉にライは本当に重要な意味を見出し、書類を置いてテレビのリモコンを叩いた。
「聞け! ブリタニアよ!! 克目せよ! 力を持つ者よ!!」
画面に映ったのは顔をスッポリと覆う黒い仮面の男。
細身の体をピッシリとしたスーツで覆い、その上から黒いマントを羽織っている。
「まさか!!」
「この声は……」
ライはその余りにも特異な風貌で、ナナリーは機械を通した声色で、その人物が誰なのかをすぐさま把握した。
そして優秀なメイドがあれだけ焦っていた理由も。
「私は悲しい……戦争と差別……振りかざされる強者の悪意」
劇的な語り口、演劇染みた身振り手振り。全てが計算された自称正義の味方。
クロヴィス第三皇子の暗殺からブラックリベリオンまで、エリア11を最悪の坩堝に叩き込んだカオスの権化。
一年前のブラックリベリオンの失敗で処刑され、既に過去の存在となったはずの希代のテロリスト。
『ゼロ』
その瞳が仮面の向こうから見えもしない自分達を見据え、辿り着こうとしている事など、ライとナナリーが知るのはまだ先のこと。
最終更新:2009年06月27日 19:28