ある日の昼下がり。僕は特区日本の行政本部が置かれた庁舎の屋上で、束の間の休息を取っていた。
今朝は本国からナイトオブラウンズの一人が特区の視察に訪れており、僕がその案内役をしていたのだ。
ちなみに、今回来たのはノネットさんではない。最近になって彼女の紹介で知り合い、その後懇意になった別の人物だ。
(しかし、最近よく来るようになったな。僕にすごく親しくしてくれるのはいいが、本国での仕事はいいのかな)
僕がそんなことを考えていると、屋内へとつながる扉が開き、その人が現れた。金色の長髪に緑色のマントを羽織った、僕に最近親しく接してくるラウンズが。
「あら、ここにいたのね。探したわよ」
「どうも、クルシェフスキー卿。本日はお疲れ様…」
僕が頭を下げようとすると、ナイトオブトゥエルブの称号を持つモニカ・クルシェフスキー卿は、腰に手を当ててため息をついた。
「はぁ、相変わらず堅いわね。モニカでいいって言ったでしょ。ノネットさんのことだって、そう呼んでいるくせに」
「あー、すまない。まだ慣れないんだ、知り合って日も浅いし、身分の差もあるし」
「まあ私も、ノネットさんに『名前で呼べ』って言われた時は戸惑ったものよ。年の差もあるし、軍人としてもラウンズとしても先輩だし。
でも私たちは身分に差はあっても年は近いんだから、もう少しすんなり受け入れて欲しいわ」
そう言ってクルシェフスキー卿…いや、モニカは苦笑いした。せっかく親しくなったし、公の場ならともかく、ここでは二人きりだ。あまり彼女との間に壁を作るのはやめておこう。
「わかったよ、モニカ。これから気をつける」
「そう、それでいいのよ。あっ、それと年の差云々の話は、ノネットさんには内緒ね。本人は気にしていない風に見えるけど、女性に年齢の話は危険だから」
「ああ、それは構わないが。年齢の話は女性にしない方がいいのか?危険と言えるくらいに」
僕のその言葉を聞いて、モニカは呆れたような顔になった。
「本当にあなたって天然ね。そんなことで、よくここまで軍で働けたものね。女性軍人を傷つけるどころか、フラグがあちこちで立っているって言うから、人間って不思議ね」
「き、傷つける?フラグ?たまに聞くけど、それはどういう意味だ」
「ああ、気にしないで。おそらく、説明してもライにはわかりそうにないから。話には聞いていたけど、ここまでとはねぇ」
「いちいち引っかかる物言いだなぁ……」
モニカの言葉の意味がつかめないまま、僕は屋上で風に吹かれていた。いつになったら、僕は「フラグ」の意味を知ってスッキリできるのだろうか。
「そう言えば、この間ラウンズの集合写真をノネットさんに見せてもらったよ。随分と色々な人が集まっているんだな」
「あら、そうなの。まあ無口な年端もいかない少女やら、『ブリタニアの吸血鬼』の異名を持つサディストやら、個性派ぞろいよね。その中に入っている自分が言うのもアレだけど」
モニカはそう言うと、愉快そうに笑った。
「アールストレイム卿やブラッドリー卿のことも、ノネットさんから聞いたな。彼らをまとめるヴァルトシュタイン卿も、気苦労が絶えないって」
「でしょうね、しょっちゅう眉間にしわを寄せているもの。あっ、一応言っておくけど、私はヴァルトシュタイン卿を困らせる側じゃないから。そこ重要ね」
「そうなのか。すると、色々サポートしているわけか。君がいてくれて、ヴァルトシュタイン卿も助かっているだろうな」
するとモニカは顔をそらし、ボソッと呟いた。
「助けることもあるけど、たまに傍観者になってドタバタ劇を楽しんでいたりするのは言えないわよね……」
「……聞こえているぞ」
「あっ、あははは!さあ、何のことかしらねー」
モニカがごまかすように笑い、僕は軽くため息をついた。皇帝直属の騎士というくらいだから、もっと真面目で敷居の高いイメージを持っていたが、どうやら違うらしい。
ノネットさんからして結構豪快であっけらかんとした人だし、モニカにしてもラウンズであることを除けば、案外近くにいる女学生と変わらない感じなのかもしれない。
「あ、ところで」
僕は写真を見た時に浮かんだ疑問を思い出し、モニカにぶつける。
「集合写真を見て思ったんだが、スカートをはいているラウンズは君だけなんだな。他の人たちと違って」
その瞬間、モニカがジトッとした視線を僕に向けてくる。
「うわ、やぁらしぃー。そんなやましい気持ちで、私を見ていたわけ?」
「あ…いや、純粋な疑問を持っただけで、君が言うような気持ちではないんだ。
男性陣はともかく、ノネットさんもエルンスト卿もパンツスタイルだし、アールストレイム卿に至っては何だかすごい格好をしているし、『スカートは珍しいな』って。
ほら、ラウンズって騎士の中の騎士ってイメージがあって、勇猛果敢な男性や女傑の集まりだと思っていたから、スカートはイメージと合わなかったんだ」
僕があわてて弁明すると、モニカは軽くため息をついた。
「なるほど、言いたいことは大体わかったわ。要するに、『まさか女の子らしい格好をしているラウンズがいるとは予想外でした』ってことね」
「ああ、そういうことだ。モニカに初めて会った時も、もっとノネットさんに近いイメージを持っていたから、少し意表を突かれたというか……」
「あのねぇ、どこまでラウンズに対して偏見を持っていたのよ。私は彼女みたいに豪快じゃないし、笑顔のままベンチプレスで100キロなんて持ち上がらないから」
「うっ、すまない。しかし100キロの方が驚きだな」
ノネットさんならできる気はしていたが、本当だったか。彼女と一対一で勝負しても勝てない自信が、確信に変わった気分だ。
「それで、何だっけ。私がスカートをはいている理由よね」
マントをはためかせながらモニカが歩み寄り、僕の隣に立つ。
「理由は簡単、女の子らしさを忘れたくないから。昔から騎士を志して鍛錬や勉強を続け、年頃の女の子らしいことなんか、ずっと縁がなかった。
ラウンズになってからも、日常の仕事に追われ、ロイヤルガードを指揮して、それこそ女傑に近づくための毎日だったわ」
「大変なんだな。でも、自分で選んだ道なんだろう?多少は仕方ないんじゃないか?」
するとモニカは、苦笑いして言った。
「まあね。ある程度のことは犠牲にしないと達成できない目標なのは知っていたし、後悔もしていないわ。
でもやっぱり、心のどこかで引っかかっているのよ。街を楽しそうに歩く、年頃の女の子たちへの憧れがね」
モニカの寂しげな表情が、僕には印象的に映った。みんなから尊敬や畏怖、憧れの眼差しを集める立場のラウンズが、逆に街を歩く普通の女性に憧れるなんて意外だったのだ。
「だから私はラウンズになった時、騎士服はスカートを使ってデザインしてもらうように頼んだの。少しでも、年頃の女性らしい気持ちを保つためにね。
それともう一つ。私はね、まだ女の子らしいことをするのは諦めていないの。周りが女傑だらけで仕事が忙しくても、チャンスはあるのよ。
スカートは、その決意の表れでもあるの。笑っちゃうでしょ、こんなことに一生懸命なラウンズなんて」
自嘲気味に笑いながら、モニカが僕を見る。だが彼女の想像と違う印象を持った僕は、彼女に微笑みかけた。
「いや、全然おかしくない。確かに意外ではあったが、そういう憧れを持つのはいいと思う。ラウンズだって人間だし、人それぞれだ。
それより僕は嬉しいんだ、ノネットさんが僕たちに近い目線なのは知っていたが、モニカもそうだって知ったから」
「え…どういうこと?」
モニカが首を傾げながら僕を見つめる。
「ラウンズは階級としては雲の上の存在だが、一人の人間同士として膝を突き合わせた場合、すごく自分の目線に近くて親しみやすい存在だってわかったからさ。
それに、そういう純粋な憧れや夢を持つのって、すごく素敵なことだと思う。それだけでも、前を向いて明るい気持ちで明日に向かっていけるからな。
僕はそんな君がうらやましいし、好感が持てる。いつまでも憧れを抱いていて欲しいし、いつか叶うように応援してあげたい」
僕には、年相応の憧れを持つモニカが輝いて見えた。本当は街を歩いて友人たちと楽しく話したり、恋もしたかったのだろう。その気持ちを抑え、騎士を目指して努力し、ラウンズまで上り詰めた。
だがその後も、ラウンズとして実年齢以上の大人びた自分や冷静な仕事ぶりを発揮しながら、密かな憧れだけは忘れずにいた。その「もう一人の彼女」が、今僕の前に立っている。
僕は彼女が違う一面を見せてくれたのが嬉しかったし、応援してあげたいと思った。だから、その想いを彼女に伝えたのだ。
「ライ……。ありがとう、そう言ってもらえて嬉しいし、あなたに話して良かったわ。今まで誰にもこんなこと話したことなかったけど、あなたなら理解してくれると思ったの。
よーし、何だか自信が出てきた。いつか絶対に憧れを現実にしてやるんだから!」
モニカが明るい笑顔でガッツポーズをして、僕はそんな彼女を優しく見つめていた。「憧れや夢は、人を明るく輝かせる、不思議な魔法みたいだ」と思いながら。
「あっ、そうだ。ライ、今日のこの後は暇かしら?」
不意に、モニカが僕に尋ねてきた。
「え?まあ通常業務が終われば時間はあるが、どうかしたか?」
「せっかくだし、夕食でも一緒にどうかなって。もっとライとお話したいから、それに……」
モニカはそう言うと、ウインクをして続けた。
「『つかみかけたチャンスをむざむざ逃すのは、私の中の乙女心が許さない』ってところかな」
僕は首を傾げた後、ポンと手を打った。なるほど、そういうことか。
「そうか、確かにチャンスだな。僕と一緒に食事をするということは、年頃の女性みたいに街に出て、楽しく話をするためのきっかけにもなるからな。
だが、相手が男の僕なんかでいいのか?誰か同年代の女性職員辺りを探して、声をかけた方が……」
僕がそこまで言うと、何故かモニカにジトッとした視線を向けられた。また何かまずいことを言ったか。
「鈍感」
「何故だ、違ったのか?」
「違わないわよ、『街に出て楽しくお話をしたい』って部分はね。でも、私はここに何度も足を運んでライと何度も顔を合わせて、誰にも言わなかった秘密をあなたにだけ打ち明けたのよ。
そこまでされて、『彼女が僕に接触するのには別の目的があるかも、特別な気持ちがあるのかも』って思わないの?」
正直な所、僕にはモニカの言う「別の目的」がわからなかった。いや、思いついたことはあったが、自信がなかった。
「あー、もしかして…『ラウンズを目指さないか』ってことか?欠員もいるし、秘密を共有した方が誘いやすいからか?
ノネットさんにもラウンズを目指すよう言われたが、僕はこの特区日本が軌道に乗るまで、そんな気持ちはない。ユーフェミア殿下やスザクに負担をかけたくないからな」
「あ、いや…ラウンズのこともあるけど、そしてライの気持ちもわかるけど、そっちじゃなくってね……」
モニカがこめかみに指を当て、軽くため息をついた。外れではなかったらしいが、微妙に違うようだ。
「なあ、モニカ。だったら、一体何を君は……」
「よし、わかった。今は無理に理解しなくてもいいわ!」
不意にモニカの表情が明るさを取り戻し、僕は呆気に取られた。よくわからないが、自己解決したらしい。
「わからないんだったら、少しずつわからせてやるまでよ。やっと見つけた夢の意味と、私の目的をね」
(大変な男に一目惚れしちゃったものね、先が思いやられるわ。でもせっかく憧れていた青春をつかみかけたんだから、頑張らなくちゃ)
そして呆気に取られる僕を指差し、モニカが言い放つ。
「というわけで、これからも時々お邪魔すると思うけど、よろしくね。あと、夢に向かって走る女は強いから、覚悟なさいね」
「え?あ、ああ。よくわからないが、よろしく」
「ラウンズの仕事は大丈夫なのか?」という疑問は抱きつつ、僕はモニカの勢いに圧倒されて、頷くしかなかった。
よくわからないが、彼女には極力協力してあげよう。イキイキと輝いている彼女は、何だか素敵だから。
最終更新:2009年07月11日 07:44