放課後、ライが黒の騎士団格納庫に到着すると、なぜか植物が自生していた。
「……竹?」
竹であった。
さてこの謎をいかに解明すべきかと、腕組みをして考える。
もちろん、良く見ると床から生えているわけもなく、壁に立てかけられた葉竹には色とりどりの紙片が飾られているのだった。
「ライ! 遅かったわね」
弾むような声に肩を叩かれ、謎を一旦横に置く。
軽く手を振るライのもとへと、紅月カレンが軽やかな身のこなしで小走りに近寄ってきた。
学園では猫をフル装備している彼女だが、この場では鬱憤を晴らすように活発で、今は飼い主に呼ばれて走ってくる子犬のような印象だった。
的確すぎて口には出せない感想である。
「君とルルーシュが揃って欠席してるから、仕事が3倍に膨れ上がったんだよ……まあそれはいいんだが。これはなんだ?」
「なにって、七夕よ、七夕。7月7日。知らないの?」
横に並んだカレンが、意外そうに目をぱちくりとさせた。
「知らないな……そういえば、ミレイさんが何か騒いでたような気はする」
このエリアに伝わる風習がどうとか演説していたミレイの姿を思い出す。
時間がなかったので、あまり詳しい話も聞けずに飛び出してきてしまったのだ。
「七夕。七夕か……」
相変わらず判然としない記憶を掘り起こしてみる。僅かに引っかかるものがあって、ライはポンと手を叩いた。
「思い出した。供物と葉竹を用意して、星に祈りを捧げる呪術的な祭儀だろう」
「いや、間違ってはないんだけど……もうちょっとロマンが感じられる言い方、ない?」
不満げな様子のカレンに、ライは小首を傾げる。
「僕の認識に何か間違いが?」
「一年に一度しか会えない織姫と彦星が~とか、色々あるじゃない」
「季節の景色に情緒を感じるのは、日本人らしいな。ん、なるほど。もっと風流に表現しろということか」
「そうじゃなくて……ああもうっ、似合わないこと言って悪かったわね!」
カレンが急に怒り出す。
これだから年頃の女の子は難しい。
とりあえず肩を叩いて宥めつつ、ライは笹を見上げた。
「となると、この紙はあれか、短冊か。……にしては、書いてあることに統一性がなさそうだな。歌を書いて飾り付けるものだったような」
「昔はそうだったかもしれないけど、願い事を書くのが今では一般的。玉城の発案でね、皆で書いて吊るしてるのよ。夜になったら外に出すんだって」
拗ねた顔でそっぽを向きつつも、カレンは律儀に答えてくれた。
玉城は宴会をする理由が欲しいだけのような気もするが、悪くない思いつきだ。
ほうほうと頷いて、ライは主だった願い事に目を通してみる。
『誰も欠けることなく一年を過ごせますように』
『日本が幸せな国になりますように』
『独立達成!』
『武運長久』
『無頼の撃墜率が減りますように』『ゼロ自重』
『安全第一』
『健康第一』
『俺らにも月下が欲しいです』
『←無理だろ、あれ高いんだぞ』
『←会話するな 彼女ができますように』
『騎士団に女っ気が増えますように』
『騎士団に良い男が増えますように』
『我ら黒の騎士団がより一層の活『家主がもっと甲斐性を見せてピザを奢ってくれますように』
『生きの良いデータ希望』
『給料上げてください』
『体脂肪率が減りますように』
『皇帝が禿げますように』
「願い……ごと……?」
首を捻る。
見るからに趣旨を勘違いしているもの、不純なものや不穏当なものばかりである。
とはいえ、おおむね微笑ましい内容ばかりではあった。願い事と願望とを混同している、という些事を除けばだが。
「随分と自由な儀式なんだな」
「ここまで統一性がないのは、日本でもここだけだと思うけどね。愚痴書く行事じゃないっての」
カレンは既に諦め顔だ。
「一応、最初は真っ当な内容ばかりだったのよ? でも、途中から暴走しちゃって。はい、これライの分」
側に置かれたテーブルから、短冊を渡してくれる。筆ペンも用意されていた。
「僕も書いていいのか?」
「もちろん。今日出てきてる人は全員書いてるはずよ」
「君はまだ書いてないみたいだけど?」
「わ、わたしは最後に付けるからいいの」
「? そうか」
一番最後の方が願いが叶いやすいとか、そういう風習でもあるのだろう。
納得して、さて自分はどうしたものかと悩む。
一向に筆を取らないライに、カレンがちょっとつまらなそうな顔で、
「ライのお願いは、記憶が戻りますように、じゃないの?」
「それはカレンに協力してもらってるから十分だ。天の助けなんか要らない」
「──そ、そう? そんな、大して力になれてないと思うけど……そうかな」
今度は急に上機嫌になって、小さく笑い出したカレンの心の動きはちょっと謎だ。
普段から感謝しているつもりだったが、伝わっていなかったのかもしれない。今度、食事にでも誘って改めてお礼をしよう。
我ながら、最近は異性の心を読むのにも長けてきたものだとライは感心した。
──お礼、お礼か。
つらつらと考えるうちに願い事が決まって、ライは筆を取った。
思いのほか達筆な筆跡に自分で驚きながら、願いを書きつける。
手元を覗き込んでいるカレンが、呆れた声で言った。
「はあ……ライらしい。こんなときぐらい、もっと我侭になればいいのに」
「そうかな? 利己的かつ合理的な願いのつもりだけど」
「そこで理屈が出てくるのもライらしい」
甘えるように軽く身体を押し付けながら、カレンが小さく笑った。
短冊を笹に吊るして、しばらく眺める。どうということもない行事だが、妙に楽しくなってくるものだ。玉城は良い仕事をした。
雰囲気に浸る間もなく、二人並んで通路へ入る。こんな日でも、やるべき仕事は尽きない二人だった。
カレンが名残を惜しむように、ちらりと背後を振り返った。
顔を仄かに赤らめながら、じゃれあうようにライの瞳を見上げてくる。
「わたしに関する願いじゃないのね。優先度、大して高くなかったりする?」
「カレンのことをお願いしても意味がないだろ」
「──なにそれ。どういう意味?」
すっと切れ長の目が細められる。他の部分が笑顔を保っているので、落差でなにこれ怖い。今日のカレンはどうにも情緒不安定だ。
困惑はしたが、悩むようなことは何もないので、ライは素直に答えた。
「お願いする先は、一年に一度だけの奇跡なんだろう? 僕らは毎日会ってるんだ。カレンに願いごとがあるなら、僕が直接、力になるよ」
「…………」
言葉は返ってこなかったが、腕をぎゅっと掴まれた。
カレンとは思えない控えめな力加減が、どうにもくすぐったい。
彼女の口から、くすくすと笑みが漏れる。
「あー……なんだかもう、自分でも単純すぎて馬鹿馬鹿しくなってくるわ。わたし、熱狂的な活動家のはずだったのにね」
頬を緩ませながらぼやく、という器用なことをしてみせると、カレンは一転して不敵な笑顔を浮かべた。
躍動的な足運びでライの前に回り込み、挑戦的に言い放つ。
「じゃ、さしあたって今すぐ、ひとつだけお願いを叶えてもらおうかしら」
もちろん、ライは恭しく一礼する。
「喜んで」
唇が柔らかい感触に包まれた。
■
しばらくして。
礼儀正しく距離を取って待機していた仮面の男が、何事もなかったかのように格納庫に入ってきた。
通りがかりに笹を見上げた彼は、何かに気が付いて憤懣の声を漏らし、腕を突っ込んで短冊と笹の位置を勝手に修正。
ぶつぶつと不満らしきことを呟きながら立ち去りかけ、一枚の短冊に引き止められる。
「…………」
カシャと小さな動作音。仮面の隙間からじっと見つめ続ける瞳。再び動作音。
彼はおもむろに無記入の短冊へと手を伸ばし、さらさらと筆を滑らす。
やや危なっかしい動きで爪先立ちになり、一枚の短冊をむしり取ると、代わりに記入したばかりの短冊を取り付けた。
満足げに頷くと、無意味にマントを翻す。
そしてまた、彼は何事もなかったかのような足取りで立ち去った。
■
星明りの下、笹が緩やかに揺れている。
立ち並ぶ廃墟のひとつに、そっと立てかけられた笹の葉。
その上で、五色の短冊が宙を踏む。
星に願いを届けようと、天へ向かって腕を振る。
並んで吊り下げられた、三枚の短冊も窮屈そうに揺れている。
──『ライが笑顔でいられますように』
──『我が友に幸福があらんことを』
──『みんなの願いが叶いますように』
最終更新:2009年07月11日 07:56