大阪府、太子町にあるイーブイ専門ペットショップ、「イーブイズの部屋」。
小さいながらも店主の目が隅々まで行き届いた店内は清潔そのもので、
一匹一匹愛情を込めて育てられたイーブイズはその筋のトップブリーダーをして唸らせるものがあるという。
Welcome、の札がかかったドアを軽く押すと、涼やかな鈴の音が私の来店を知らせる。
レジスターと開きっぱなしの帳簿が置いてあるだけのカウンターに人影はなく、その奥のドアは開く気配を見せない。
私は首を捻りつつ時間を確かめると、なるほど約束の時間まではまだ時があった。
店主はどこかへ出ているのだろうとあたりをつけ、左右に並んだケージに目をやった。
イーブイを入れるにはやや大きめなそれらは店の左右に上下二段、八つずつ置かれている。そのうち空いているものが五つあった。
ここの店主は配置にもこだわっているようで、ブースターのケージは左手奥の上段に、
シャワーズはカウンターを挟んで向かい側といった具合に並んでいる。
入ってすぐ右手のケージには綺麗なエーフィが丸くなって眠っていた。
隙間から指を入れて軽く毛並みにそって撫ぜてみる。柔らかい絹のような体毛は、入念かつ丁寧なブラッシングの賜物だろうと思われた。
そうしていると、エーフィの目がすっと開かれ、耳をぴんと立てて立ち上がった。
やりすぎたか、と私が手を引いたのと、背後のドアが開いたのはほぼ同時だったろう。
ドアについた鈴を楽しげに揺らしながら現れたのは、「イーブイズの部屋」店主にしてタイシジムリーダー、テツオ。
鞄を背負ったブラッキーを連れた彼は私に気付くと、すたっ、と右手を掲げ、
「まいど!」
と言い放った。それに遅れて、店内のイーブイズも挨拶とばかりにぴいぴい、きゅうきゅうと声をあげる。
「ええっと、ああ、挑戦者の方ですか。すみません、もう少しゆっくりかと思っていたもので」
そういって、彼はブラッキーから鞄を取り上げ、カウンターに置いた。ブラッキーを一撫でして抱き上げ、空いているケージに入れた。
「さて、お待たせしちゃって。試合の手続きはもう済んでますので、すぐにでも始めますか?」
にこにこと人当たりのよさそうな顔でこちらを見るテツオ氏は、どこからどう見てもまともな人間である。
私は不意に過去の事を思い出し、目頭が熱くなる思いがした。
リアルポケモンリーグ、という組織は全国にその支部を置き、少なくない数のジムリーダーがそれぞれの支部を運営している。
ジムリーダーとは町のちょっとした有名人であり、子どもたちにとっては英雄ともいえる存在である。
しかしその一方で、創始者をはじめとする関係者の多くはPTAに全面戦争を吹っかけるような問題児、
有体に言ってしまえば変態揃いであるとの指摘が数多くある。
そんな中にあって、ここタイシジムのリーダー、テツオ氏は近隣の小中学校に講師として引っ張りだこ、
PTAのお母様方や気難しい先生方にも太鼓判をいただくほどの好人物であるという。
過去、いくつかのジムに挑み、そのはっちゃけぶりに閉口した私としては、
初めてまともといえるジムリーダーに会えたことが涙を流すほどに嬉しかったのだ。
軽く濡れた瞼を指でこすり、さあやりましょうと答えた。テツオ氏は一度頷き、店の奥へ続くドアを開けた。
ドアをくぐった先の廊下は、小さな対戦場へ繋がっていた。テツオ氏は私の向かい側へ立ち、ベルトからモンスターボールを一つ外す。
「さあ、はじめよう!」
素晴らしい、何とも健全な試合開始ではないか。また視界が滲みかけたが、頭を軽く振って誤魔化した。
「いけ! ルパート!」
テツオ氏がグレイシアを繰り出す。私も負けじと、選びに選んだ先発を繰り出した。……
こちらの攻撃がうまく決まり、相手のサンダースが倒れ伏した。
こちらも最後の一匹になってしまっているが、何とかほぼ互角の状況にまで押し込めたようだ。
力尽きたサンダースをボールに戻し、テツオ氏が嬉しそうに笑う。
「うん、うん。君は強いな! こいつを出すのは本当に久しぶりだよ!」
おや、と思う。何だかテツオ氏の纏っている空気が変わったように思えたからだ。
テツオ氏は肩を震わせ笑っている。何がそんなに愉快なのだろうか。
そこで私は、先刻からずっと心に引っかかっていた疑問が再び噴出したのを感じた。
うん。おかしいよね。なんか、股間が妙にもさもさしてるんだよね。あの人。
気付いてた。実は最初から気付いてた。
ぶ厚いデニム生地をしっかりがっつり押し上げる何がしかが彼の股間には入っている。
正直、うん、試合中もなんか股間もぞもぞしてるな、ってのはわかってた。
見ないふりをして誤魔化してたけど、うん、無理だよね。
ああ、まともな人だと、信じていたのに。
テツオ氏はベルトを外し、眩しすぎる笑顔でジーンズを勢い良く引きおろして、
「ラァァァァンディィィィィィ!!!」
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目が覚めた。痛む頭を押さえながら、ゆっくりと上体を起こす。
私は「イーブイズの部屋」のソファで寝かされていたらしい。時計を見ると、試合から二時間ほど経っているようだ。
そうだ、試合はどうなったのだろう。
痛む頭を振りながら、霞がかったようなたった二時間前の記憶を辿る。
だめだ、何とかサンダースを落としたところまでは覚えているのだが、その後が曖昧だ。
私がうんうん唸っていると、ドアが開いてテツオ氏が入ってきた。
「ああ、目が覚めました? 全く、君は少し熱くなりすぎですよ。試合が終わった瞬間に倒れるなんて」
そういって彼は湯気の立つ湯飲みを差し出してきた。受け取って口をつけると、不思議な香りが鼻に届いた。
「リーフィアの葉を使ったお茶です。リラックス効果は抜群ですよ。後でお礼を言ってあげてください」
「あの、試合は」
一息ついた私が問うと、テツオ氏はかるく微笑んでいった。
「残念ながら、君の負けです。けれど、君も君のポケモンも十分な素質はある。リベンジならいつでも受けますから、これで諦めずにまた挑んでくださいね」
そうか。私は負けたのか。悔しくはあるが、今さら何を言っても始まるまい。
テツオ氏は私が倒れた後、私のポケモンを回復させておいてくれたようだ。
三つのボールを受け取ったとき、ボール越しに見えた三匹がすまなさそうな顔をしているのが心を痛めた。
私はテツオ氏によく礼をいい、差し出された右手を握り返して「イーブイズの部屋」を後にした。
そういえばテツオ氏のパートナーであるイーブイをついぞ見ることがなかったな、とふと思う。
私を見送るテツオ氏の、あらぬ場所からイーブイの鳴き声が聞こえたような気がしたが、それはきっと気のせいなのだろう。
そうに違いない。