「伊里野、ごめん。ホントごめん」
「いい」
浅羽直之は、バカだと思う。
今日この時こうなった経緯を思うと、自分はバカだと心から思う。
考えてみれば簡単なことだ。
あの時とっとと逃げてればよかったのだ。
「なぁなぁ、浅羽、カミやん、夜のフォークダンスもう相手いんの?」
言葉は軽く。でも目が笑っていない青髪ピアスの言葉に、まともに答えずつい決まり悪げに
目をそらしたのがまずかった。隣では「あー、悪かったな。どうせ、いませんよ、いるわけ…」
などとまるで逆効果の答えをする上条がいるのも悪かった。
それから後はよく憶えていない。
裏切り者ー、と叫ぶ青髪ピアスと他多数の手をかわし、文化祭最終日の午後いっぱいをひたすら
逃げ回った。尻馬に乗った連中のせいでどんどん人数が増え、ファイヤーストームに火がつき、
フォークダンスがはじまる頃には、無事円に入った幸せ者とその外で蠢く亡者の群れ、なんて
構図ができていた。
おかげでフォークダンスの間に、浅羽は伊里野と会えなかった。
ちなみに結局捕まった上条は、隔離と称するミサカ・シスターズ1万人対1人、踊っても踊っても
同じ顔っていう羨ましいのか、罰ゲームなのかよく判らない輪の中に放り込まれていた。
なぜか途中、一回だけやけに大きな電撃が落ちてたけど。
「いい」
「……けど」
弁解する浅羽に向けて伊里野は言う。
「おんなじ」
何のことかわからない浅羽に伊里野が続ける。
「前の約束」
約束。この前の文化祭にも約束した。
「私も浅羽と踊るって約束したけど」
『……-ムでお前とフォークダンスを踊るのは決定事項に……』そう榎本が言っていた。
けどその日、伊里野は学校に来なかった。
「守れなかった――おんなじ」
踊れなかった。
「……だから、いい」
「そんなのはっ!」
駄目だ。何が駄目なのか判らないまま、そう言おうとしてとにかく話そうと思って、伊里野の
手をとろうとした。けどなぜか伊里野は慌てたように手を後ろに隠す。そんなことをされると
思ってなかった浅羽は、目測が狂って少しだけ体が泳いだ。
気がつくと。
思ったよりずっと近くに、伊里野の顔があった。
伊里野と浅羽の顔。話そうなんて考えていたよりずっと近い距離。
「……」
「あ、えと、その」
ヒィ――ホォ――――
ささやき声がした。
小さいけどはっきりと。
はじかれたように伊里野と浅羽が離れる。声は伊里野の手の中からした。
手に持っていた銀色の小さなコインから。
「――っと、少し遅れたかしら。待たせていたらごめんなさい」
それは海賊放送、レコリスの声。
「どうでした、今日の文化祭。楽しかった? みんなと盛り上がった?」
聞くと午後のスタンプラリー、晶穂と一緒に回って手に入れたコインだという。
「でも、今からは少しだけ特別な時間」
なんで?と思う浅羽をよそに、コイン型、極薄のラジオからレコリスは続ける。
「一人だけ傍にいて欲しい人と。そんな時間とそのための曲」
レコリスの言葉が途切れ、静かなワルツが流れだす。
だから。
「伊里野、あのさ」
言わなきゃいけない。
こんなこともう二度と言えないから。
「もう遅くなってるから帰る?」
勇気を振り絞れ。
「それとも、ぼくと踊ってくれる?」
ゆっくりと流れるワルツの中で、浅羽は、伊里野にそう尋ねた。
やっぱり伊里野はフォークダンスを勘違いしてると思う。
「大丈夫、できる」
「でも伊里野……」
「大丈夫! 練習したから!! 椎名と、いっぱい。いっぱい練習したから。だから……大丈夫」
でも、伊里野が踊るのはマイム・マイム、四拍子。ラジオが流すのはワルツの三拍子。
フォークダンスのおまけで習ったうろ覚えステップの浅羽と、それこそ一杯一杯、顔も上げず
合わないリズムで足を動かす伊里野は、あっちへフラフラ。こっちでコツン。
「……あ」
鼻血も出た。俯いたままの伊里野の顎を伝って赤い滴がポタポタ落ちる。けど伊里野は顔を
上げない。あげられない。手も離さない。ワルツをリードするのは男性なのに、伊里野の様子に
浅羽はあたふたするだけでそのうち血だけじゃなくて透明な滴二筋が混じっているのに気が
ついて、でもどうすればいいのか判らない。
だからやっぱり、こっちへフラフラ。あっちでコツン。
それでも。
間違って。ぶつかって。すれ違っていた二人のステップが。
最後の最後。ホントに最後に。うそのように。
――ピタリと合って、そして離れた。
一瞬伊里野の手が強張り、それから離れる。離れたと思ったら顔を抑えた。
ホントならここで軽く頭を下げて横に移動。次のパートナーの手をとるはずだけど次なんていない。
いや、よく見れば校庭にはちらほら人影は見えるけど、浅羽も、伊里野も、その人たちも見えるのは
お互いの相手だけ。だから結局、一歩ズレてもそこにいるのはさっき踊っていた相手で。
互いに顔を上げると、浅羽の照れくさそうな顔。伊里野の――。
I Look on Laughing ダンス・パートナー
「楽しんでくれてますか? 残念だけど私の方の"取り締まり"はまだ来てないみたい」
そしてレコリスの声。
「だからみんな、もう少し付き合ってもらえるかな?」
そして曲が流れる。伊里野はぼうっと顔をさえたまま。浅羽が慌ててくしゃくしゃのハンカチで
止まりかけた鼻血を拭いている間も、どうしてまだ続くんだろうって顔で立っていた。
だから。
「――あのさ、伊里野。よかったら」
2回目はすんなり言えた。
「教えてあげるよ、踊り方」
ダンスの間、握り放しで暖かくなっているコインを仕舞いながら、呟く。
「……ドリー」
「え?」
伊里野は答えない。浅羽の手を握って言葉を待つ。浅羽もおっかなびっくりに足を踏み出す。
胸のポケットから流れる曲を伴奏に、少しずつ、少しずつ二人の動きが重なっていく。
浅羽はもうちょっと聞いてみればよかったのに。なんで伊里野が海賊放送のコイン型ラジオを
持っていたのか?須藤晶穂がどうしてそれがもらえるラリーに参加したのか、させたのか?
この文化祭が始まってから、女の子たちの間にある噂が流れていたのを聞いたのか?
たずねてみればよかったのに。
聞けば、なんだと思うけど。
それは、非公式な噂だけど。
「アイ・ロウ、ごめんなさい。とうとうあたしの方にもダンス相手が来たみたい」
文化祭の最後の日。最後の夜。不思議な怪人が出ると言う噂。
「じゃあ、これが今夜最後の曲。最後の挨拶」
・ ・
いわく、その怪人は、銀色コインの恋人たちを見守りに来るのだ、と。
「J・O・L海賊放送は、いつでもあなたのそばに」
「――傍にいてくれる人と」
CAST
上条当麻
青髪ピアス
浅羽直之
伊里野加奈
レコリス
最終更新:2006年11月24日 13:16