第五次世界大戦

発生日時

皇紀3600(聖歴2940)年3月11日

場所

世界各地

内容

開戦

神聖ゲルマン帝国が、正当なドイツ国家を主張しドイツ帝国に侵攻その後、東欧北部域とスカンディナヴィア半島の付け根にも相次いで侵攻。中東では、イラン、イラク両国が、周辺諸国に放射能兵器を多用して侵攻
アジアでも赤道直下の新中華帝国、新朝鮮連合軍が、アジア沿岸各国を攻撃。
オセアニアではこりもせず極反瑞国家である中央オセアニア共和国が今度は親瑞国家のオーストラリアに追加してニュージーランドへも侵攻した。

経過

黒海沿岸部を完全に掌握した神聖ゲルマン帝国は、アジアと、南欧に手を伸ばす。真っ先にトルコが飲まれその後、イタリア南部のロマーニャ王国が、王室を人質とされ飲まれた。
新朝鮮関連は、もう、呆れて関わりたくないという感じのアジア沿岸各国にてひどい返り討ちに遭い、国力の関係から終戦までどうにもならなくなって一応北太平洋の平和は確保された。
その後瑞穂は友邦豪州支援に戦艦桃園を旗艦とする南洋艦隊と、伊勢を旗艦とする太平洋連合艦隊第一航空機動戦隊を派遣。世界最強の空母打撃艦隊四隊を含む強力な機動艦隊である。
豪州海軍の主力戦艦ウルルが、轟沈した事に加え、海軍力が開戦前の7割程度に落ち、海岸線防衛が限界となっていた豪州戦線に瑞穂の援豪艦隊が到着。見慣れた南洋艦隊の艦船に援軍が来たと豪州国民は喜んだが、何より驚いたのは、猛禽のごとく的に襲いかかり、海面すれすれで上昇に転じる加賀、赤城、蒼龍、飛龍の四隻の空母に属する艦載機の動きと、正確かつ強力な伊勢の艦砲射撃だった。
大西洋においては枢軸側を領海内に押し込めるべく王国五ヶ国同盟と英瑞同盟、英仏同盟が強力にタッグを組んだ。特に世界最強と名高く自発的領土拡張の意志が全くないことが明白であることで名高い瑞穂の海軍が力を貸すと言うことで、関係諸国は、軍事力を大戦中は陸上に大半を振り向けることが可能となった。
大規模な戦闘こそ収束し勢力図は決したものの、欧州や南半球太平洋では小競り合いが続く。終戦講和への動きはあったが、英国、独国、神聖ゲルマン帝国の講和担当者が不審死を遂げたことから話は流れ未だ終戦の光は見えない。
中央オセアニアは近隣各国が瑞穂との関係を強化し発展していく様子を見てこれ以上、反瑞体制を取り、地域発展から取り残されることで国民が被る不利益を抑えたいと考え、オーストラリア、ニュージーランドが進めていた、合併協議に、自国は無条件降伏をした上で参加したいと発表。連合国は同国とさしたる戦火を交えていないこと、つきあいの深い華朝に引きずられて参戦とみて、開戦前の体制を維持の上で軍縮に応じるなら、講和すると宣言。同国はこれを受け入れ、開戦から150年経ち、単独講和成立。同年英国女王エリザベス五世を国家元首とする汎南オセアニア連邦が誕生した。
膠着状態に陥った現在、小規模な戦闘はあるが、西欧と呼ばれる、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スイス、イタリア以西とアジア、環太平洋、南北アメリカは、平和な状態が確保され神聖ゲルマン帝国は、強制的な鎖国状態とされた。その後開戦から300年経って、長引く戦いに呆れた例の異世界国家の王族の一人が「争うんじゃ無くて、共同統治にすりゃあ良いじゃん。簡単なもんじゃ無いかもしれないけど、両者差し引きとんとんになるっしょ。」と言ったことに対し、ドイツも神聖ゲルマン帝国も目から鱗状態で翌年あっさりとドイツ=ゲルマン連合帝国が生まれた。
戦時下に即位した新華帝国の皇帝、進は未来を見据えた政治をしたいと、温故知新のために太韓を訪れた際に、太韓皇帝鳳蘭と面会。互いに恋に落ち、結婚。即座に新華帝国の太韓への吸収という形で新課程国籍の太韓国籍への書き換えと旧新華帝国領の新朝鮮への無条件譲渡が行われた。

陣営

瑞穂、ロシア、インド、オーストラリア、ドイツなどのEU国家は連合国。新朝鮮、新華帝国、イラク、中央オセアニア、神聖ゲルマン帝国などが枢軸国とされる。

その後の情勢

単独じゃ何もできない新朝鮮と、イラク、スーダンなど残った枢軸国側も完全に連合国に封鎖され、包囲網を突破しようとする枢軸側とこの反応を楽しむ連合側で若干の小競り合いが続いている。

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最終更新:2015年11月15日 22:58