「今日は結婚記念日だから」
 そう言ってお父さんとお母さんは、少し遠くの温泉に日帰り旅行に出かけた。中学生になって初めての夏休み。いきなり一人でお留守番となった。
 別にお留守番が嫌な訳じゃない。嫌な訳じゃないけど、普通一人娘を置いてくか。
 仕方ないから私は暇を持て余すように千葉ポートタワーに向かう。千葉駅から近い埋立地に建てられたタワーは全面をハーフミラーで覆われていて空に溶け込むように青く輝いている。
 私が生まれる前から、がらんとした海岸沿いに「ひとり」聳え立つポートタワー。
 高さ百二十五メートルの四階へは何度上っても飽きない。たった二百円で千葉の街並と東京湾が私のものになるのなら安いものだと思う。
 夜になれば夜景を見る事だってできた。真っ黒な布の上に描かれる街の光は私をお姫様にしてくれる。いつか私を迎えに来てくれる人は、ポートタワーを貸しきって私にプレゼントしてくれるのだろう。
 私は口に手を当てて「くししっ」と笑う。今から上ったときのことを想像すると嬉しくなってしまうのだ。
 マンションの角を曲がり、ポートタワーまでまっすぐ伸びている大通りに出た。視界から一度外れたポートタワーを再び見たとき、ポートタワーのミラーが黄色く染まっていた。
 普段なら、青か灰色か、空の色にしか染まらないはずのポートタワー。
 しかもポートタワーの背後まで黄色だ。後ろは東京湾が見えるはず。
 おかしいと思い、少しポートタワーから目線を外してみれば、黄色い壁のような砂山。いや、かまくらがポートタワーの背後に出来ていた。
 いつの間にあんなのが出来たんだろうか。マンションの陰になっていたのなんて、わずかな間だけだ。
 高さはポートタワーよりも少し大きいぐらい。だけど、横幅は細身のポートタワーの何十倍もあった。
 黄色い砂山が少し震えた。砂山のように見えたから、何かパラパラと落ちてくるもんだと思っていたけど、どちらかと言えば表面が波打つように震えている。言うなれば蜜のないプリンにも見えた。
 次の瞬間、黄色い砂山の上部に一本の短い線が入り、上下に丸く開く。
 そこから出てきたのはキラリと光る大きな目だった。
 一度見開いた後、ゆっくりと目をぱちくりさせている。
「なんだろ?」
 不思議と恐怖は感じなかった。どちらかと言えば懐かしいような感じがした。ずんぐりむっくりな体型に可愛らしい大きな目。大きさは別として遠くから見れば、ぬいぐるみのようにも見えた。
 目から少し離れたあたりに、今度は長い線が出来る。
 ゆっくりと開いた線は大きな口だった。

 ――グギャーん。

 なんて表現したら良いか分からないような音が振ってくる。うるさいわけじゃない。大きな欠伸をしているように見えた。
 たった二つの所作を見ただけで私は怪獣の虜になる。
 もっと近くで見たい!
 私はポートタワーに向かって走り出していた。
 ポートタワーの近くに来ると怪獣はもっと大きく見えた。さっきまで比べるものがなかったけど、近くに寄れば寄るほど、周りの建物と比較できて大きさが分かる。怪獣は本当に壁のように見えた。「この世の果て」があるのなら、きっとこんな感じの壁なんだろう。
 ポートタワーの入り口は開いていた。普段どおりに中に入る。
 いつもなら疎らながらも観光客がいるはずだ。しかもあんなに愛らしい怪獣が現れたというのに誰もいなかった。私はゆっくりとエレベータホールに歩く。エレベータは動いていた。躊躇せずにいつものようにエレベータに乗る。
 エレベータもポートタワーの壁も透けていて、中から外が見えるようになっている。邪魔するものは鉄骨しかない。エレベータからは怪獣が良く見えた。怪獣は海の中に座っているようだ。近くでみるとふわふわのタオル地のようで、怪獣の上に落ちてもふわりと受け止めてくれそうな雰囲気だった。
 遠くからだと手も足も体と一体になって見えていなかったけど、ポートタワーで下から上にかけてエレベータから眺めると意外と太い手足がついているんだと分かった。
 エレベータはポートタワーの最上階になる四階についた。
 四階からはあの大きな丸い目が間近で見える。
 鮮やかな光彩に、吸い込まれそうな真っ黒な瞳孔。
「怪獣にしては意外と綺麗な目!」
 私は嬉しくなってパチンと両手を合わせた。
 その音に反応したのか怪獣はゆっくりと瞬きをした。
「うわ。面白い!」
 私はもう一度手を叩いてみた。
 怪獣はやっぱりゆっくりと瞬きをした。
「意外に敏感なんだねー」
 それから私はポートタワーの中から怪獣のことを観察した。怪獣は時々瞬きしたり、大きな口を開けて欠伸をする程度で何をするつもりもないようだった。
 でも、この怪獣はどこから来たのだろう?
 ふとした瞬間に現れて、怪獣が現れる共に人も居なくなってしまった。
 そうだ。
 怪獣が現れたことも不思議だけど、誰一人として姿を見ないと言うのもおかしい。もしかしたら、私はあのとき気絶して、その間に怪獣が現れてみんな避難してしまったのかもしれない。
「どこに行ったんだろう」
 不意に不安を感じた私はポートタワーのエレベータに向かった。
 エレベータに乗るとき、怪獣と目が合う。怪獣は寂しそうに大きな目を閉じた。
「バイバイ」
 なんとなく、そんな風につぶやいた。
 ポートタワーから出ると辺りが薄暗いことに気がついた。怪獣の影が思った以上に西日を遮っていて、夜になってしまったのかと疑ったぐらいだ。
 私は少し足早に近くのコンビニに向かう。いくらなんでもコンビニはやっているだろうと思っていた。
 遠くにコンビニが見える。コンビニは明るくても蛍光灯の明かりを惜しげもなく漏らしており、誰かが居そうな雰囲気に見えた。
 私は小走りにコンビニに近寄る。
 自動ドアが開くなりすぐにレジに向かうが、誰も立っていなかった。
「すいませーん」
 できる限り大きな声で呼ぶが誰も出てこない。やはり、みんな避難してしまったのだろうか。それにしても警察か自衛隊ぐらい見回りに来ていてもいいのにと思う。
 私はコンビニの冷蔵庫からカルピスウォーターを取り出すと、レジに代金分の小銭を置いて外に出た。辺りを見回しても、やっぱり誰もいなかった。
 ポートタワーから少し離れたマンションまで歩いていく。
 この辺は建物が少ないので見晴らしがとてもいいのだが、人というか動くものは野良猫すら見なかった。いつもは猫が集会をしている場所に立ち寄ってみたのだが、一匹もいない。
 私は次第に怖くなってきていた。何が怖いというわけではない。何か怖いことがあったという想像をし始めた私が一番怖いと思ったのだ。
 家に帰って、お父さんとお母さんを待っていれば、落ち着けるはずだと思った。
 とりあえず、家に着くまでは甘いものでリラックスしようと思って、持っていたカルピスウォーターを開けて一口飲む。
 渇いた咽にしみこむような感じがする。
 もっと飲もうと顎を上げた瞬間だった。

 ――パン。

 乾いた音とともに手に持っていたカルピスウォーターのペットボトルが乾いた音を立てて弾けた。
 顔中にカルピスウォーターを浴びてしまった。ペットボトルが飛んでいった方向を一瞥する。粉々になったペットボトルを確認すると反対側を見た。
 そこには銃を構えた男がいた。ゴーグルみたいなものを着けていて、暑い夏の最中だというのに全身を黒い服で覆っている。
 高校生ぐらいの男の人。怪獣と出会ってから初めて会った人だ。
 だけど、まだ熱い地面が、カルピスを蒸発させる甘い臭いで我に返る。
「外したか」
 あれは私を狙う銃だ。
 でも、銃声なんかしなかった。あの銃はおもちゃなのか。それにしてはペットボトルが弾けて粉々になっている。
 もう訳がわからなかった。
 黒い男は銃の構えを解くと口元だけ引き上げて笑う。
「いい顔だ。狩りしてるって感じがする」
 再度、銃を構えた。
 訳が分からないなりに一つだけ理解した。
 撃たれる!
 次はきっと私に当たる。
 足が自然とお兄さんから逃げ出す。
「うはっ! 漲って来たぜ」
 逃げた私を見て興奮したのか追いかけてきた。私は全速力で走るがお兄さんは普通に歩いてくるようだった。
 走っていく先々で何かが弾け飛ぶ。空き缶。ゴミ箱。植木。窓ガラス。
 私の髪。
 毛先が弾け飛ぶ。
 痛くはなかったけど、初めて弾が私に命中したことにびっくりして、足がもつれる。前に倒れこむようにして転ぶと目の前にあった自動販売機の窓に穴が開いた。
 ドラマで見るような銃痕ではないけど、確かに自動販売機に穴が開いている。
 この銃弾が私に当たったら、間違いなく大怪我をすると思った。
 どうして私を! と思ったけど、それを言っても助かるわけではない。私は自動販売機の奥にあるコンビニに逃げ込んだ。
 入ると同時に逃げ道を確認する。
 誰も入ってこれない場所と言えばトイレしか思いつかなかった。店員用の休憩室とか、もっといい場所があるのかもしれないけど、中がどうなっているかなんて知らない。仕方ないからコンビニのトイレに逃げ込んで鍵を閉めた。
 トイレは丈夫なスライド式のドアで、鍵もしっかりとかかるタイプだった。私は急いで鍵を閉めるとトイレの隅に座り込む。
 荒れた息を整えると音を立てないように顔を膝の中に埋めた。
 怪獣が現れてから誰もいなくなった世界はとても静かで、聞こえなくてもいいのに自動ドアが開く音までトイレの中に聞こえてきた。
「さて、どこにいるのかな?」
 突然始まった理不尽な狩猟ゲームに男は浮かれた気分を隠せないようだった。私は声を聞きたくなくて両手で耳をふさいだ。
「ハッハー! そんなところに隠れたって無駄だぜ」
 お兄さんはわざと足音を立ててトイレに近づいてくる。いくらぎゅっと耳を塞いでいても大きな足音は聞こえてきた。私は恐怖を感じた。
 トイレのドアがいくら丈夫だと言っても、鍵がしっかりかかったといっても、あの銃の前では意味を為さない。日本のコンビニのトイレが防弾仕様になっている可能性なんて有りはしない。
 足音はトイレの前で止まる。
 トイレのドアがガチャガチャと音を立てる。ドアを開けようとしているのだ。必要以上に大きな音がして私の心は萎縮する。
「無駄無駄無駄。こんなドアなんて一撃だ」
 男の言葉とともにドアにつけられたガラスを叩き割る。
 細長い窓から無理やり手を突っ込んできた。
 腕が伸びてドアの鍵を開けようとまさぐる。
 私は思わず目を瞑った。男の手はもう少しで鍵に届いてしまいそうだったから、見たくなかった。
「お、これか?」
 男が鍵を探り当てた時だった。

 ――ドーン。

 どこかで大きな音がした。ほぼ同時に地面が揺れる。
 地震?
 私は身を固くした。訳の分からない男に襲われた上に地震まで来るなんて、滅茶苦茶だと思った。
 続いてもう一度音がする。それは心なしか近づいている気がした。
「クソ!」
 男が悪態をつき、トイレのドアの前から遠ざかっていく。足跡がどんどん遠くなるのが分かった。
 私は何が起こっているのかわからなかったけど、トイレから出る気にはなれなかった。大きな音は続いていたけれど、近くなるよりはどんどん遠ざかっているように感じられる。
 それは長い間続いていた。



 コンビニのトイレに入り込んで三十分は過ぎ去っただろうか。
 気がつけばトイレの窓から差し込んでくる光もなくなり、室内は真っ暗になっていた。割られたドアの隙間からコンビニ内の照明がわずかに入り込んでくる。
 私は恐る恐るトイレから出た。
 相変わらずコンビニの明かりは点いており、店内は明るかった。コンビニの外は街灯が照っており、真っ暗ではないように見える。男がどこに潜んでいるか分からなかったが、私は急いでコンビニを出た。
 一刻も早く自分の家に帰りたいと思って、全速力で走っていった。
 マンションに向かう途中も、マンションに着いた後も誰も見なかった。先ほど襲ってきた男はもちろん、近所のおばあちゃんや同じマンションの人にも会わない。
 私はまっすぐに自宅へ行き、中に入り鍵を閉めた。
 急いでリビングにあるテレビの電源をつける。

 ――本日、午後四時頃に突如現れた『大怪獣ポメラ』は……

 ニュース特番が流れていた。映像はヘリコプターから撮影された黄色い怪獣を流している。ニュースキャスターは各知事から避難指示が出ていること、ポメラが東京湾に居座ったことで、東京湾を使ったすべての輸出入がストップしたことを告げていた。
 避難指示を受けた人は東京湾から少なくても三十キロメートル以上離れた地域に移動しなければならない。
 日帰り旅行に出かけていたお父さんとお母さんはどこに身を寄せたのだろう。私は携帯電話を開き、電話をかけようとした。
 しかし、電話は不通の案内を繰り返すばかりで何も聞こえてこない。
 しばらく待ってからかけてもつながらなかった。
 この辺の電話網になんらかの異常が発生しているのかもしれない。
 ベランダに出て辺りを見回す。マンションや店の明かりは一軒もついていなかった。明かりがあるのは、元々昼間もあかりをつけているコンビニや夜になると自動的に点灯するだけだ。
 私は後ろを見た。
 リビングには明かりがついている。このマンションで明かりがついている部屋はここだけだ。
 男が来る!
 恐怖に駆られた私は家中の電気を消した。もちろんテレビもだ。
 鍵を確認すると、寝室に閉じこもった。布団を頭からかぶると、携帯電話を手に持って何度も何度もお父さんとお母さんに電話をかける。でも、何度かけても不通案内だけが流れていた。
 どうすればいいのだろうか。
 長い時間、リビングの明かりがついていた。だから男がマンションに気がついた可能性は高い。
 もしかしたら、もうマンションの傍に来ていて、どうやって進入しようか考えているのかもしれない。
 見つかったらどうなるんだろうか。
 腕や足を打ちぬかれて身動きできないようにした上で、私の反応を楽しんでなぶり殺すのかもしれない。考えただけでも身が凍る思いだった。
 布団の中で男がマンションに来ないように祈りながら、じっとしていた。



 気がついたら朝になっていた。
 普段なら聞こえてくる小鳥の声も聞こえず、自然と目が覚めたという感じだった。結局のところ、男はマンションを見つけられなかったのか、私を諦めたのか現れることはなかった。
 良かった。私は心底、そう思った。
 安心して起き上がると布団から携帯電話が零れ落ちた。私は携帯電話を拾い上げると、着信履歴を確認する。だけど、お父さんとお母さんから電話がかかってきた様子はなかった。
 無駄だと思いつつも電話をかけてみるけど、不通案内が流れるのみだった。
 電話をかけ終わると私のお腹が「ぐー」と鳴る。男は怖かったけど、私は近くのコンビニまでお弁当を買いに行くことにした。昨日のコンビニとは違う方向にあるから大丈夫だと思った。

 外に出るとポートタワーの方向を見る。
 そこにはポメラが昨日と同じ姿で座っていた。
「おはよう、ポメラ」
 なんとなく呟くとポメラの口が大きく開けられる。

 ――ゲビョーん。

 なんとも表現しようがない。私への挨拶なんだろうか。目は閉じているから寝言なのかもしれない。
 大きさの割にはすごくかわいい仕草が私の心を打つ。
 お弁当はポメラを見ながらポートタワーで食べようと思った。

 コンビニで無事お弁当をもらって、代金をレジの上に置いてくると、ポートタワーに向かう。
 昨日と同じようにポートタワーはポメラ色に染まっていた。
 ポメラは心なしか足元が緑がかっているような気もした。タオルのような皮膚が千葉の海水を吸い上げているのかもしれない。
 いつものようにポートタワーの四階に着くと、私はポメラが良く見える場所でお弁当を広げた。
「いただきます!」
 私の声に反応したのかポメラの目が開く。きょろりとした目は私のお弁当に注がれていた。
 思わずお弁当とポメラを交互に見る。
「お腹空いたの?」
 私の問いにポメラは目を閉じた。別にお腹が空いているわけではないらしい。私は気にせずポメラを観賞しながらお弁当を食べた。少し日が経っているからパサパサしていたけど、近くにあった自動販売機でお茶を買って流し込んだ。
 しかし、これからいつまでこんな生活が続くのだろうか。
 ポメラと私だけの静かな世界にジェット機のエンジン音が流れ込む。それは私の気がつかないところで発生した終わりへの始まりの合図だった。



 ポメラと食事することに慣れた頃、ポメラが苦しそうにしているのに気がついた。
 相変わらず動かないのだけど、体のほとんどが緑色に染まっていて、最初の頃のようなやわらかそうなタオル地の皮膚ではなく、怪獣そのものの緑色の硬い皮膚に見える。
 ポメラが瞬きをすると、瞼の上からパラパラと砂のようなものが落ちてきた。
「苦しいの?」
 私がそう聞くとポメラは目を閉じた。苦しくないと言っているのだろうか。私には強がりにしか見えなかった。
 ポメラは明らかに何か悪いものを海水から吸い取っている。それを浄化するために現れたのかもしれない。なんてどこかの絵本のようなことを思っていた。
 もし絵本のようなストーリーなら、私とポメラは心を通じ合わせ、ポメラと一緒に楽園のような南の島で暮らすに違いない。
 想像に浸っていると、またジェット機の音が聞こえた。最近はジェット機が良く飛んでいる。ニュースでは東京湾の港が機能しなくなったと言っていたから、空輸が頻繁になっているのかもしれない。
 避難指示の対象には羽田空港も入っているから、どこか別の飛行場に荷物を届けているのだと思う。
 私は携帯電話をポケットから取り出したが、すぐにしまった。あれから一度も通じたことのない携帯電話。もう掛ける気も起きなくなっていた。食べ物もカップラーメンがたくさんあったし、お金も貯金がたくさんあったのでしばらく困ることもない。
 それよりもポメラと一緒に過ごす事の方が何倍も楽しく感じられていた。
 だから、ポメラが苦しそうにしていると私は心配になってくるのだ。
「もし苦しかったら東京湾から別のところに行こうよ。安房なら海もきれいだよ」
 話しかけてもポメラは返事をしない。だけど私は寂しいと思うことはなかった。ポメラの傍にいるだけで、すごく安心できるのだ。それはお父さんやお母さんに抱く愛情とは違うものだった。
 もしかしたらポメラに恋をしたのかもしれない。
 おかしなことだけど、そうでもない限りポメラの傍にいるなんて信じられないことだと思う。見た目を愛らしいとは思うけど、とてつもなく大きなポメラ。普通に考えたら私を襲った男よりも恐怖を感じてよい存在だ。
 ポメラと私が結婚したらどんな子供が生まれるのだろうか。
 きっと世界中で大変な騒ぎになるに違いない。
「くふふっ」
 私は思わず笑ってしまった。ポメラも少し口を開けて笑ったような気がした。



 次の日の朝。
 私はなんとなくテレビをつけた。そろそろポメラの無害さに気がついて避難指示が解けるかなと思ったからだ。

 ――本日、午前十時にポメラへの一斉攻撃を行う命令が下されました。

 ニュースは飛んでもないことを伝えていた。何もしなかったポメラを攻撃するというのだ。私はテレビの前に釘付けになる。
 攻撃に至る理由はほんの少しだ。
 東京湾に面している港が機能不全に陥っていること、湾岸地域がマヒ状態になり日本の生産量に大きな影響が発生していること、一度だけ上陸し、街の破壊活動を行ったことの三つがあげられていた。
 時計を確認すると午前九時を回っていた。
 私は急いで支度をするとベッドに掛けられていた白いシーツとマジックを手に取り家を出た。
 ポートタワーまでは歩いても二十分。走れば十分ぐらいの距離だった。遠くもないけど、準備の時間を考えたら近くもない。早くポートタワーに上ってポメラの無実を訴えなければならない。
 それに近くに人間がいると分かれば安易に攻撃なんてできないと思った。
 ポートタワーに向かう途中でポメラを見上げると、いつものように海の中に座っていた。
「逃げて!」
 私はポメラに向かいながら叫ぶ。
 だけど、目を一度開いただけでポメラは動かなかった。
「やられちゃうの! そこにいたらミサイルが飛んでくるんだよ」
 必死の叫びも通じない。
 私は意を決する。
 こうなればポートタワーに上って攻撃を邪魔するしかないと思った。

 ポートタワーの四階に着くと持ってきたシーツにマジックで「ポメラを殺さないで」と大きく書いた。近くにあったノボリの棒を取り外すとシーツに取り付ける。
 持ってみると少し重いけれど、なんとか移動できるようになった。
 時刻を確認するとポメラへの攻撃開始時刻になっていた。心なしか空に響くジェット機の音が多くなっているような気がする。今まで旅客機だと思っていたのは、すべて戦闘機だったのかもしれない。
 私は急いで窓に近づくと手に持った旗を振り回した。
 空を見上げれば確かに戦闘機が旋回しているのが分かる。遠くに見える戦闘機の翼にはミサイルらしき影が見えた。
 全部で五機。
 Vの字になってポメラへ向けて飛んでくる。
 すぐにミサイルはポメラに向けて発射された。私の手に持った旗は見えなかったらしい。
 ミサイルは数秒も経たないうちにポメラにぶつかる。
 その瞬間大きな衝撃波が発生し、ポートタワーのミラーを振るわせた。私は悲鳴を上げると床に倒れこむ。ミサイルが爆発した衝撃と音は思った以上に大きく、耳は音を拾わなくなってしまった。
「ポメラ!」
 ポメラは目を開けて私を一度だけ見た。口を少し開けて笑う。
 まるで「大丈夫だ」と言っているように見えた。
 ミサイルが命中したのは反対側だ。私はすぐにエレベータに向かうと下に下りる。エレベータを降りている間はポメラへの攻撃は行われなかった。ポメラがどういう反応をするのかチェックしているのかもしれない。
 私が地上に着くと、もう一度大きな爆発音が聞こえてきた。私はなんとかバランスを保つとポートタワーから外に出る。ジェット機が再度反転をしてこちらに向かってくる。
 ポメラの傷の具合を確かめようとポートタワーの裏側に回る。
 いつも緑色だった海は赤く染まっていた。
 ポメラの血が海に流れ出しているのだと思った。ところどころ緑色に染まったポメラの皮膚が浮いている。それはひどい光景だった。
「なんで! ポメラは何もしていないじゃない!」
 私は通り過ぎるジェット機に向かって叫ぶ。しかし、ジェットエンジンの轟音にかき消されてパイロットに届くわけがなかった。
 ポメラは私の叫びが聞こえたのか目を開けて私の方を見る。
 口を開けた。
 びっくりしたような表情。
 それと同時に戦闘機からミサイルが放たれる。狙いはポメラの口の中。私は青くなった。ポメラに「口を閉じて!」と叫んだけれど、自分の声すらも聞こえないような轟音の中、ポメラが粉々に砕け散るのを見ながら、衝撃波によって後ろへ吹き飛ぶ。
「ポメラ!」
 音にならない声で叫ぶ。
 ポメラは砕け散る。
 戦闘機が同時に上空を通り過ぎた。
 タオル地のような皮膚は、東京湾の海水で弾力性を失い、砂山のように脆くなっていたのかもしれない。
 ポメラが砕けた破片の中から、光るものが私の方へ飛んできた。私の真上まで飛んでくるとゆっくりと落ちてくる。次第に近づいてくる光を観察する。それは小さなポメラだった。
 ゆっくりと両手で受け止める。
 光る小さなポメラは私の手のひらに乗ると、溶けるように私の手のひらに吸い込まれていった。

 ――ドクン。

 暖かいものが私の手のひらから腕を通り、胸を通って、下腹部にとどまる。手で下腹部をやさしく抑えて見ると、「ドクン」という鼓動が聞こえたような気がした。



 ポメラがいなくなった後、私の生活は元通りになった。
 いや、一つを除いて。
 あれから私はどうやって帰ったのかわからないけどマンションに居た。ソファの上で裸で倒れていたところを帰ってきたお父さんとお母さんに見つけられた。
 念のために精密検査をしたところ、私には異常がなかったけど、私のお腹の中に変化があった。どういう理由かわからないけど、妊娠をしていることが分かったのだ。私は初潮を迎える前に妊娠をした。しかもお医者さんが言うには処女膜なるものもあるので、本当の処女受胎の可能性があると言っていた。
 私は間違いなくポメラの子供だと思った。
 でも、それを誰にも言わなかった。
 言ってしまったら、子供を堕ろせと言われるかもしれないと思ったからだ。まだ中学生になったばかりだけど、自分のお腹の中に赤ちゃんができたのだと思うと、それはうれしいことだった。
 父親は人間ではないけれど、私の愛したポメラだ。うれしくないわけがない。
 どんな赤ちゃんが生まれてくるのか不安ではあるけど、お父さんもお母さんも子供を生むことを応援してくれる。例え、ポメラ似の赤ちゃんが生まれてきてもなんとかなると思う。



 結局、赤ちゃんは普通の人間だった。
 でも、少しだけポメラの血を引いていると思うところもある。
 いつでも「ぐびゃーん」と泣き、あまりしゃべらず目と口だけで会話するなんて、そっくりだった。
 この子にポメラのことを語る日が来るのを楽しみに待っている。

 私はいつだってポメラに恋をしている。だから、はやく大きくなってね。

 私の「テプラ」ちゃん。

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最終更新:2009年07月21日 12:21