アットウィキロゴ
.



 ……少年の眼前で、損壊した黄金の杯が鳴動していた。



 眩く光るこれこそは大聖杯。しかしそれは最早戦利品として争奪される万能の釜ではなく、ある人物の願いを受託した結果変質した人類救済機だった。
 奇跡の産物と化した聖杯はこれより全人類に慈雨を降らせ、その不完全な肉体から魂を解放する。
 真なる不滅の存在へとヒトを至らせ、恒久的な平和と幸福を世界に齎す福音。
 それはとても幸福なことだ。もう誰も傷ついたり、志半ばに果てることのない、理想郷の実現だ。

「――今は無き五つの令呪において、我は代償を支払おう」

 しかし少年は、それを阻むことを選んだ。
 それは、もしかしたら誤った選択かもしれない。
 これから無数に流される、無辜の血を容認する行い。それはともすれば、人類への敵対行為とすら断じられるものかもしれない。

 しかし邪悪の謗りを受けるとしても、少年にはそれを選ぶだけの理由があった。

「……うん。これは、俺の望みだ」

 いつかその邪悪が、何の意味もなくなる日が必ず訪れると信じて。
 少年は、宙に向かって翔け出して――――――そして本来の運命より、ほんの刹那だけ早く、その世界から消失した。



      ☓☓☓



「――起きて、あなた(シグルド)。起きてください」

 呼び声に優しく意識を掴まれて、少年は微睡みの淵から浮上した。
 開いたばかりの滲んだ視界の先には、こちらを慈しむように覗き込む、女の微笑みが浮かんでいた。

「ああ、やっと起きてくださいました」

 そんな少年の覚醒を見て、女は窓から差し込む朝日も恥じらうような、眩い破顔を零した。
 美しい笑みだった。人並みの感受性には疎いと思う少年にも、疑う余地なくそうと認識できるほどに。
 ……あの日、あの時。目にした貴きものがなければきっと、“これ”に心を奪われてしまっていただろうと思えるほどに。

「おはようございます、マスター。この都にも朝が訪れていますよ」
「……すまない、寝過ごしていたらしい」

 答えてから、身を起こす。これまた通常の人間であれば、そのまま囚われていただろう感触から頓着なく逃れた勢いのままに立ち上がり、振り返る。
 視線の先には、ベッドに腰掛けたままの、美しい女がいた。
 実るべき部位は豊かに、締まるべき箇所からは余分を排した、黄金比と呼ぶ他にない、天の惜しみない造形美を完璧に配されたその肉体。視線を上げれば染み一つない白磁の首筋を通り、微かに乳白色を帯びたたおやかな美貌が待ち受ける。滑らかに流れる銀糸の群れの先端は丸みを帯びて床を撫で、前髪が隠してしまっている右目にもまた、左目同様、ルーラーより色素の薄い紫水晶の瞳が鎮座しているのだと理解できた。
 現代に似つかわしくない、華奢な銀の鎧という装いさえも、その女のかたちを映えさせるアクセントとなって、いかめしさをまるで感じ取らせない。
 現実感を喪失させるほどの、幻想そのものを体現する美がそこに形を成していた。

 その神秘的な存在感に微かに気圧されながらも、思考の回り始めた少年は何とか言葉を絞り出した。

「……すまない、少し待ってくれ。状況を飲み込めていないんだが」
「あなたはこの聖杯戦争の参加者に選ばれました」

 少年の疑問に、見知らぬ美女は淀みなく答えを用意した。


 想像の埒外にあった状況に、少年がほんの少しだけ目を丸くする間にも、女は穏やかに言葉を連ねる。

「覚えはないでしょう。この聖杯戦争は何やら歪みを抱えていますから……あなたの世界にも数多の聖杯戦争があったそうですが、何も知らされないまま、並行世界からマスターが召喚されるなど前代未聞でしょうね」

 そのような歪みがあるから私も召喚されたのでしょう、と続けた女に対し。他の思考を隅に置いて、復元された竜告令呪(デッドカウント・シェイプシフター)を一瞥した少年は、ようやく一つ理解できたことを尋ねた。

「ということは……貴女が、俺の、今度の」
「ええ、そうです。我がマスター。人の手で鋳造(つく)られながら、人の手を越え行く小さき英雄(シグルド)。
 私は、ささやかなる一時をあなたと寄り添うモノです」

 女の返答と共に浮かんだ柔らかな笑みに、先程までならばこの非常時でも安らぎを覚えただろうそれを目にしたのに、少年は微かに表情を渋くした。

「……俺は、ジークだ。これは俺に命(すべて)をくれた人の名だ」

 見ず知らずの己のために、先無き命である己のために、二度目の生を捧げてくれた大恩人の伝説は、当然のように自ら学んでいる。
 彼から授かった命に恥じぬように、彼に肖った名に背かぬように、その気高き生き様こそを指針とするために。
 だから、目の前の美女が口にした名前が、彼と縁ある男の物であることも、少年――ジークは当然、知っていた。

「同じ起源の英雄だとしても、彼は、俺を救ってくれたのはシグルドではなく、ジークフリートだ。それだけは違えないで欲しい」

 知らず、視線は鋭くなっていた。睨めつけられたその先で、神鉄の鎧に身を包んだ女は、困惑と焦燥の色をその美貌に加えた。

「ああ、そんな……いいえ、そうですね。あのひとと、ジークフリートさまはまた別の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)。いずれも天下に轟く大英雄であっても、ええ。一緒くたに見られてしまったと思えば、侮辱にも等しく感じてしまうものですよね」

 手持ち無沙汰なように、内心の焦りを表すように。細く白い指先同士を絡め合わせて、女は豊かな胸の前で手を組んだ。

「ごめんない。心から陳謝致します、我がマスター。ジーク。そんなつもりではなかったのです」

 微かに潤んだ瞳でこちらを射抜いた女は、次いで許しを乞うように頭を垂れた。 

「ですからどうか、そんなに怒らないでください……私、困ってしまいます」

 微かに肩を震わせる女の姿に、毒気を抜かれてしまったジークも一瞬、所在なく視線を彷徨わせる。

「……いや、こちらこそこそすまない。貴女を困らせたいわけではなかった」

 それからようやく吐いた謝罪の言葉に、女から震えの気配が消えた。
 ゆっくりと――その一動作で流れる長髪の動きさえ神秘の領域に至らせながら面を上げる女に、ジークはタイミングを掴みきれないながらも中断された問答を再開する。

「それで……竜殺しの英雄(シグルド)を知る貴女は」

 自らの素性を問われた女は、少年の目覚めを見届けた時と同じくたおやかな――そしてそれより微かに、情熱の色を燃え上がらせた微笑みを返した。

「ええ。私はかつて彼とともに生きた戦乙女(ワルキューレ)。大神オーディンが娘。真名を、ブリュンヒルデと申します。この度は、ランサーのクラスで現界致しました」

 戦乙女ブリュンヒルデ。世界でも最も有名なヴァルキリーの代名詞は、仮にジークが聖杯戦争と何の関わりを持たない人間だったとしても、確実に知悉しているだろうものだった。
 即ち眼前で無防備を晒しているのは、本物の女神。神の血を引き、神の域にも届く施しの英雄(カルナ)とも根本から違う、正真正銘の神霊だ。


 神霊ほどの高位存在は、最早聖杯の奇跡すら遥かに超越している。本来、彼ら彼女らがサーヴァントとして召喚されるなどあり得ない。
 しかしジークは既に、彼女と同じ事例を識っていた。

 それこそはギリシャの大賢者ケイローン。射手座として夜空を彩る、世界で最も有名な弓兵(アーチャー)。
 元来完全な神霊である彼もまた、その身を襲った悲劇で神性を零落したが故にサーヴァントの規格に当てはまるようになり、“黒”のアーチャーとして召喚されるに至った。
 同じように、裏切りの代価として父たるオーディンに神性を剥奪されたという彼女もまた、サーヴァントとして召喚できる抜け道ができていたのだろう。

「そうか……なら、安心した」
「安心、ですか?」

 小首を傾げたランサー、ブリュンヒルデに、ジークは冗談めかして告げてみせた。

「失礼かもしれないが……貴女は既に、戦乙女の任を解かれている。それなら『戦死者の館(ヴァルハラ)』に招かれるわけではないのだとわかってな」

 俺などが名立たる戦士と轡を並べられるとは思っていないが、と付け足しながら、もっと彼方に行こうとしていた身でありながら、一度は険悪となりかけた相手を和ませられないかと、なけなしの人間味を使って言葉を発した。

「もう一度、必ず会うと約束したひとがいる。あまり遠くに行く羽目となっては困る」
「……マスター。そんな、恥ずかしげもなく言われると……私、困ってしまいます」

 何故だかランサーは、首を傾けたまま、微かに上気した頬に掌を当ててそんなことを言っていた。
 ジークにはまだ、彼女が何に困っているのか、わからなかった。



      ☓☓☓



「……マスター。勝手ではありますが、あなたのことを視させて貰いました」

 朝食を挟み、サーヴァントに与えられたこの聖杯戦争の知識を一通りジークに説明した後、ランサーはそのように切り出した。
 微かに覗く胸元に指先を添えながらの言葉に、ジークは一瞬の後に理解を追いつかせる。
 おそらくはマスターとサーヴァントの、パスを通した共鳴夢のことを指しているのだろうと。

「勝手と言っても、貴女がやったことではないのだろう。よくあることだ、気にする必要は……」
「いいえ。いいえ、違います、マスター。私の勝手で、あなたの過去を覗かせて貰ったのです」

 首を振ったランサーが、掌を外したその胸元。
 そこから微かに漏れる輝きを見咎めて、備えられた魔術知識と照らし合わせたジークは、彼女の言わんとすることを察した。

「ルーンか」
「ええ。私のこれは人の子が使うそれではなく、大神の直伝であるのですけどね」

 即ち、原初のルーン。
 全知なる大神オーディンが修めた、北欧魔術の奥義。

 それを直伝され、今でも保持しているというのであれば。彼女はランサーのクラスで召喚されながら、下手なキャスターより余程優れた神代の魔術の使い手でもあるというのだ。
 その腕前を持ってすれば、ジークの抱えた事情を全て詳らかにしてしまうなど、造作も無いことであったのだろう。

「そうか……俺の過去など、すぐに見終えるものだっただろう」

 型落ちしたとはいえ仮にも神霊の端くれ。その凄まじさの一旦を垣間見て、ジークは受け答えしながらも微かな畏怖に打たれていた。

「はい。すべてを見させて頂きました。死の予定された殻を破るところから始まった、あなたの軌跡。短くも濃密な命の煌めきを」

 対しランサーは詩を詠むようにして、ジークの過去を語り続ける。

「気高さ故、正しさ故の傲慢なる理想に憑かれた聖人との戦いを。
 数多の英雄に導かれ、数多の英雄と対決したその日々を。
 そして、愛しき聖女との離別と、未来に交わした約束を」

「……愛しき?」

 戦乙女が大仰に語る、こそばゆいような自身の生涯の中。何故かその一言にだけ一際猛烈な羞恥心を覚えたジークは、ついその一単語を取り出していた。

「それは……何というか、その、恐れ多い表現だな」

 そして気がつけば、そんな言い訳のようなことを口走っていた。

 彼女に――ルーラーに懸ける敬愛の情が自らの裡にあることを、疑う余地はジークにもない。
 しかし彼女こそはジャンヌ・ダルク。世界に名高き救国の聖女。
 おそらくは有史以来、誰より多くの人々から熱狂され、信奉され、愛された少女。

 その本人と実際に面識があるのだとしても。彼女の尊き美しさに憧れたのが事実だとしても。そのように表現されると、どうしても気後れが生じてしまっていた。

 しかし。

「あら。でもあの時彼女に一目惚れしたのは、紛れもないあなた自身の心でしょう? マスター」

 その、記憶を覗いた女神からの、単純明快極まる指摘は。
 ジークの中に残っていた、疑問にも思わなかった引っ掛かりを軽々と外してみせた。

「……そうか」

 すとんと腑に落ちたそれは。とても簡単なことであったその真理は。

 くすぐったいような気恥ずかしさと、締め付けられるような切なさと、
 そして不思議な高揚感を、ジークの胸に齎した。

「俺は……彼女に、ルーラーに――――恋を、していたんだな」

 まだ少し、戸惑うように。畏れるように、少しだけ舌先を絡ませながら、ジークは分析した自己を吐き出した。
 あの、心が滲むような嬉しさ、世界が色を変えたような衝撃が……

「ええ。遍く地に満ちる人々は、あなたの胸に宿るものを愛と呼ぶのですよ。マスター」

 そんな少年の気づきを、祝福するように。慈愛の笑みを浮かべたランサーの言葉に、ジークは乱れることのなかった竜殺しの心臓が、微かに跳ねたのを感じ取った。
 彼女に感じていた甘美な狂おしさ、彼女の傍に居られた心安らかな誇らしさ、彼女が遠くへ行ってしまった時の耐えられぬ切なさ、その未練を想った張り裂ける怒りを思い返して。

 これが。

 これが……恋。

 これが、愛。



「……それで、ジーク」

 やがて。衝撃となった認識を噛み締めていたジークの様子を見計らって、優しく呼びかけたランサーは語らいを再開する。

「あなたは、愛するひとのために。人の世をあるべき姿のままで営ませるために、あの大聖杯を止めるのですね? マスター」

 その問いかけの答えは、自明のことであった。
 故に自覚した感情を一度抑えたジークは力強く、己のサーヴァントに頷きを返す。

「ああ――天草四郎時貞の遺産は、何としても止めてみせる。
 そのために彼女は命を懸けた。なら、俺も命を懸けるのにそれ以上の理由はいらない」

 英雄の心臓を授けられ、伸びた背丈でもまだほんの微かに見上げる高さにある紫銀の双眸と視線を結び、ジークは断言する。
 己の芯を理解したなればこそ、なおのこと。一層強固となった決意を再認しながら。

 ……聖杯を使えば、彼女に会えるかもしれない。
 だがそれでは、人を信じられなかった天草四郎時貞と同じだ。
 いつか必ず会いに来る――願望器に縋るのは、そう約束した彼女への不信に他ならない。

 ならば自分が果たすべきことは、何一つ変わらない。

 それは彼女のやり残してしまったこと。聖女の祈りを実現する、邪竜となることしかあり得ない。

「……困ってしまいます」

 ふと。静かに意気込むジークに対して、ランサーがそんな言葉を漏らした。

「どうした?」
「いいえ……いいえ。何でもありません。そんなことよりも、マスター」

 ジークの追及に首を振ったランサーは、泳がせていた視線を正面に向け直し、尋ね返してきた。

「ではあなたは、この聖杯戦争を勝ち抜く覚悟を決められたのだと。それで、よろしいのですね?」

 誓いを果たすためには、この東京から脱し、あの場所、あの時間軸に帰還する必要がある。
 その願いを叶えるための最も手っ取り早く、かつ現実的な手段は、ここにジークを招いた張本人に負債を払わせること――即ち聖杯の使用に他ならない。

「……正直に白状すると、その答えはまだわからない」

 しかしジークの口から漏れたのは、そんな明白な筋道の肯定ではなかった。

「貴女の、伝説の戦乙女の力を疑っているわけではない。ただ、俺がそこまでこの聖杯戦争というシステムと向き合えるのか、自信がないだけなんだ」

 訝しむような目をしたランサーに首を振って、ジークは述懐を続ける。

「かつて、地獄を見たことがある。奇跡と呼ばれた聖人が、全てを懸けて変えようとしたものを」

“黒”のアサシン(ジャック・ザ・リッパー)であったものが、ジークに見せた彼女達の原点。
 それは、少数の幸福のために、多数から搾取するという人間世界の統括機構(システム)。
 何の正義もなく、しかして邪悪もなく。ただそういう仕組みであるからと、誰にも何もできず、ただただ無力な命から消費されていく構造。
 取り除ける原因のないそれは、聖杯戦争のために消費されるはずだった自分達(ホムンクルス)の背負った運命よりなお、救いがなかった。
 天草四郎時貞が二度の生涯を擲ってまで変えようとしたことも、無理はないと思えるほどに。

「……他ならぬ彼から、守ろうとしたものでもあるのだが。逃れられぬ宿業であるとも理解していても、俺は、その一部になることが怖い」

 自らのように、強制されて巻き込まれたマスターもいるかもしれない。
 ここまで歪んだ聖杯戦争が、真っ当に管理運営されているとも思えない。仮にサーヴァントだけを斃したとしても、その後のマスターの安全が保証されるとは限らない。
 なのに、状況も理解できていない彼らを、何も考えずただ願いのために屠るとすれば、それはジャック・ザ・リッパーを生んだ者達と、何ら変わりがないのではないか?
 そんな悍ましい予感が、ジークにどうしようもなく躊躇を覚えさせていた。

「そうしようとしたことはあった。実際に、命を奪ったこともある。だが今更でも、それを忌避する自分がいることは否定できない」
「では――」
「それでも……答えは見つかっていなくとも。目指すべき果てを、俺は知っている」

 どうすれば良いのか、はわからない。途方も無い。
 だが、何をしなければならないのかだけは、既にジークは知っていたから。
 言葉はすらすらと、内面を外へ発信していた。

「それがどんな形となるのかはわからない。大義のために命を奪うことを是とするのか、それに抗うのか。覚悟を決めるべき行為すら見定められてはいないのだとしても。
 俺は必ず、彼女達との約束を果たす。英雄に託された、この命(誇り)に懸けて――諦めない覚悟だけは、できている」

 聖杯戦争のルールに従うのか、それに抗うのか。
 どんな方法を選ぶのか、何が正解なのかはわからない。
 ただ、負けたくはないと思った。
 短い生涯の中で出会ってきた彼らのように……戦いから逃げ出すことだけはしまいと、そう心に決めていたから。

 そんなジークの様子に、ランサーはまた微かに視線を逸らして呟く。

「もう……本当に、私、困ってしまいます」
「……すまない。マスターとして優柔不断が過ぎるな」
「いいえ……いいえ、そうではないのです」

 ジークの謝罪に対して首を左右に振った後。ランサーはその身に纏った雰囲気を変質させた。

「どのような道を選ぶのだとしても。何処を目指すのか、何を成すのかをもう、その心(誇り)に決めているのであれば」

 透徹した眼差しで、ランサーはジークを見抜く。見透かす。
 本能的な畏れを抑えて、ジークはその神たる視座に対峙する。
 相手がこちらを見極めようとしているのであれば、それに応えるべきであると思考して。

「あなたは勝利を得るでしょう。私が寄り添うのだから」

 そんなジークに向けて。託宣を行う女神の尊厳を以って、ランサーはその言葉を紡いでいた。

「たとえ、大神(てん)の加護がなくとも。
 たとえ、世界(ほし)の加護がなくとも」

 ――滔々と続けられるランサーの言葉に、そんなものは最初からなかった、とジークは思う。
 だが。もし、こんな自分にも与えられたものがあったとすれば、それは。

「そして、英雄(ヒト)の加護までなくしても」

 そう。こんなにもちっぽけな自分を見捨てずにいてくれた、英雄達の温情に他ならない。
 しかしここにライダー(アストルフォ)はいない。アーチャー(ケイローン)も……そして、ルーラーも。
 ジークを護り、導いてくれた英雄達は、その加護は、この東京には存在しない。
 遺されたのは“何かに感応したように猛っている”、既に喪われたはずだった、未だこの身に余る竜殺し(ジークフリート)の力(誇り)だけ。

 ……だが。受け継いだものも、託されたものもないままに、剥き出しの感情にしか頼れなかったあの最後の戦いに比べれば、それだけでも充分以上に恵まれている。

 そして。さらに。

「――あなたには、この一時かぎり、ワルキューレの長姉たる私の加護があるのですから」

 新たに授けられた槍は、それを担う力である女は、それでも歩みを止めない少年を、慈しむように微笑んだ。

「ですからどうかご安心を、マスター。あなたはその時ごとに、己の信じる最善を為せば良い……道が定まっていないからと、迷う必要などありはしないのです。
 もちろん、かの大賢者の言葉通り。そのためにも、常に考え続ける必要はありますけれど。そのお時間ぐらいは、私が用意してみせましょう」

「……そうか」
「ええ」

 短い意思確認の言葉の後。英雄の心臓を託されて伸びた背丈でも、少しだけ見上げなければならない位置にある紫銀の双眸と視線を結んで、ジークはもう一度頷いた。

「なら、その言葉に甘えさせて貰うとしよう。よろしく頼む、ランサー」

 ジークの迷いなき言葉に、ランサーはにこりと微笑んだ。



      ☓☓☓



 ……疼く。
 仮初の肉を得たこの身体の芯が、じんわりとした熱を帯びて、疼き出す。

 滾る炎に、これはいけない、と自覚しながらも。昂ぶりを抑えながらも、ランサーは自らのマスターとなった少年を盗み見る。

 あどけなさを残した端正な容貌を、銀を溶かしたような髪で儚く彩りながら。しかしその紅玉の如き瞳には、死を目前にしてもなお、自らの為すべきことを為さんとする勇ましさがある――

 小さく稚い、けれど尊き愛の為に戦うその直向きさは……かつての神造の乙女と同じく、愛するひととの再会の約束を心から信じる人造の少年の姿は……まるで、子弟を見守るような暖かさをこの胸にくれるけれど。

 この少年は、こことは違う時代、違う地平の東京で見たあの少年と同じ、幼くも清廉な魂――戦乙女を惹きつける魅惑の輝きをも、備えていたのだ。

 ましてやその命に、戦乙女の一人としてではなくブリュンヒルデという名の一人の女が唯一愛した、あのひとと……限りなく近い、英雄の残滓まで散りばめられてしまっていては。



 ……人の世の正しき存続を願う、この愛らしいマスターの力になりたい。
 そして、彼が呪わしき悪竜現象(ファヴニール)に変わり果ててしまう前に、英雄(ヒト)として死なせてあげたい。
 それが、聖杯に託す最愛の夫(シグルド)との再会とは別にブリュンヒルデが抱いた、此度の聖杯戦争での願いであった。



 ……なのに、なのに。
 嗚呼。

 最早戦乙女の任は解かれていても。既に人間の女に変生を遂げていたのだとしても。
 生まれ持ったその本能(機能)は、未だこの魂に在り続けていて。

 幼くも真っ直ぐな主があまりに愛らし過ぎて、それまでに、つい手を出してしまわないのか……果たして最後まで耐えられるのか。
 こんな御馳走を前にしてしまっては、とても我慢しきれる自信がなくて。

(私……困ってしまいます)

 ランサーが心に秘めた声は、彼女の次なる宿り木と見初められた小さき英雄には――少なくとも、今この時は、まだ。

 届くことは、なかった。






【マスター】ジーク@Fate/Apocrypha
【マスターとしての願い】
 ルーラーの信じた人類のため、天草四郎時貞の残した大聖杯を止める。
 そしていつかまた、ルーラーと会いたい。

【weapon】
 なし

【能力・技能】

 ホムンクルス故、生まれた時点で一流と呼ばれる魔術師ですら及ばない一級品の魔術回路を有する。
 魔術としては手で触れた物体の組成を瞬時に解析し、魔力を変質・同調させ、最適な破壊を行う『理導/開通(シュトラセ/ゲーエン)』と呼ばれるアインツベルンの錬金術を元にした強力な攻撃魔術を行使する。なおこの組成解析は一度触れた物なら次からはその工程を飛ばして銃弾に傷をつけられる前に発動できるほどになるが、逆に解析から魔力の変質までの間に組成を変化させることで防がれたこともある。

  • 『竜告令呪(デッドカウント・シェイプシフター)』
“黒”のバーサーカーの宝具の余波により再度蘇生した際、“黒”のセイバーの心臓が触媒となり、悪竜の呪いからジークの左手に発現した、全く前例の無い令呪。
 その能力は名の通り、余命を削ることを代償に“黒”のセイバーに変身できるというもの。一画につき三分間限定で自らの体に英霊ジークフリートそのものを憑依させ、その身体能力、戦闘経験値、宝具を含む保存能力を完全具現化し、ジークの意志で行使することができる。また変身だけでなく、自己強化に用いることもできる。
 更に通常の令呪と同じく聖杯戦争のマスター資格として認められ、サーヴァントとの契約や消費分の補填が可能であり、此度の聖杯戦争でも聖杯より授けられた令呪として復活。
 通常の令呪は使用する度に消えていくが、この「竜告令呪」は使用後も聖痕のような黒い痣が残り、使用者を肉体的、精神的に蝕んでいく。
 黒い痣の正体は竜鱗であり、最終的には竜の血に肉体が耐え切れなくなって死亡してしまう。

 なお現在のジークは一度令呪を使いきったために竜化が進行しており、その影響から、次から転身した姿には本来のジークフリートにはない竜の角と翼、そして尻尾が生えてしまっている。
 これは「ジークフリートが今以上の竜の呪いの影響を受けた“もしも”の姿」として確立されており、もしも既にセイバー・ジークフリートが存在していても、もう一つの側面として現界が可能となっている。



以下、「竜告令呪(デッドカウント・シェイプシフター)」発動時の“黒”のセイバー(ジークフリート)としての能力。

【パラメーター】

筋力B+ 耐久A 敏捷B 魔力C 幸運E 宝具A

【保有スキル】

対魔力:-

騎乗:B

黄金律:C-

ガルバニズム:B
 生体電流と魔力の自在な転換、および蓄積が可能。魔風、魔光など実体のない攻撃を瞬時に電気へ変換し、周囲に放電することで無効化する。
 また蓄電の量に応じて肉体が強化され、ダメージ修復も迅速に行われるようになる。
 このスキルのみ、他のスキルと異なり「竜告令呪」での変身を介さずともジーク自身の肉体に宿っており、常時機能している。
 そのため事実上、契約したサーヴァントに無尽蔵の魔力供給を可能としている。


【宝具】

『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具  レンジ:1~50  最大捕捉:500人

 竜殺しを為した、黄金の聖剣。その逸話から竜種の血を引く者に対しては追加ダメージを与える効果を持つ。
 柄に青い宝玉が埋め込まれており、ここに神代の魔力(真エーテル)が貯蔵・保管されていて、真名を解放することで大剣を中心として半円状に拡散する黄昏の剣気を放つ。
 他の対軍宝具を遥かに上回る連射速度を持ち、特にジークの場合、サーヴァントのジークフリートにはないガルバニズムのスキルにより、彼さえ上回る連射を可能にする。


『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)』
ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:- 防御対象:1人

 悪竜の血を浴びることで得た常時発動型の宝具。
 Bランク以下の攻撃を完全に無効化し、Aランク以上の攻撃でもその威力をBランクの数値分減殺する。正当な英雄による宝具の使用がされた場合はB+分の防御数値を得るが、反英雄や竜殺しの逸話を持つ攻撃にはBランク分の宝具防御値しか適用されない。
 伝承の通り、背中にある葉の様な形の跡が残っている部分のみその効力は発揮されず、その箇所を隠すこともできないという弱点がある。


『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』
ランク:D~C 種別:対軍宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:30人

 “黒”のバーサーカー(フランケンシュタイン)から受け継いだ第二種永久機関を用いた宝具。相手に組み付き、己の身体諸共に敵を撃ち貫く捨て身の雷撃。
 本来は使用者の命と引き換えに放つ自爆宝具だが、ジークのものは不完全であるため、オリジナルほどの威力を発揮できない分、反動も死に至るほどのものではなかった。
 ジークの肉体そのものに宿る力であり、上記二種の宝具とは異なり発動に「竜告令呪」での変身を必要としていない。


【weapon】
『幻想大剣・天魔失墜』


【人物背景】

 ユグドミレニア一族がアインツベルンの技術を流用して生み出したホムンクルスの一人。

 本来サーヴァントへの魔力供給をマスターから肩代わりする消耗品として設計された量産品の一つだったが、奇跡的な偶然で自我に目覚め、“黒”のライダー(アストルフォ)の助力を得て脱走を果たす。
 その後、追ってきた魔術師ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアの手にかかり重傷を負うも、“黒”のセイバー(ジークフリート)が自らの心臓を彼へ分け与えたことにより蘇生する。
 この時から恩人であるジークフリートにあやかり、ジークと名乗るようになる。

 サーヴァントの心臓を持つホムンクルスという歴史上類を見ない存在となった彼は、ただの人としてならば充分に長生きできるだろう生命力を得た。しかし『自由』を得ても自らの願いが分からず思い悩んでいた中、ルーラー(ジャンヌ・ダルク)との邂逅を経て、“黒”のサーヴァント達が自分を助けてくれたように、自分の捜索を命じられながら見逃してくれた同胞達を救う事を決心する。
 そのために飛び込んだ戦いの中、“黒”のライダーに助勢しようとした結果“赤”のセイバーの剣に斃れるものの、“黒”のバーサーカーの宝具の余波で二度目の蘇生を遂げる。同時に『竜告令呪(デッドカウント・シェイプシフター)』を発現し、“赤”のセイバーと再戦。能力は万全でも、ジークの精神が追い付いていなかったことに加え令呪の補助を受けた“赤”のセイバーには敗れるが、『悪竜の血鎧』の力で生き残り、同胞の解放を成し遂げる。


 その後は聖杯戦争を司る監督役たるルーラー、及び命の恩人にして無二の友でもあり、自らのサーヴァントとなった“黒”のライダーの助けとなるべく、自らの意志で聖杯大戦に参加。またホムンクルス達と和解したゴルドを始めとするユグドミレニアの残党とも同盟を結び、共同生活を開始する。

 最終決戦では“黒”のライダーと共に空中庭園に接近し、“黒”のセイバーと因縁深き“赤”のランサーと対峙。そこで赤陣営のマスター5人の救助を彼から依頼され、その交換条件として「3分以内にジークを倒せなければ見逃す」という約束をフィオレとカウレスが取り付けたことで、“赤”のランサーと3分限りの対決を行うことになる。
 神殺しの槍によって齎される確実な死を前にして、少年は「もう一度ルーラーに会いたい」という自らの願いに気づく。そのために残された竜告令呪を全て注ぎ込み、“赤”のライダーの宝具を譲り受けた“黒”のライダーのアシストもあって辛うじてこれを下し、先へと進む。

 その後、庭園中枢部では敵の首魁たるシロウ・コトミネ(天草四郎時貞)と対面、ルーラーの死を受けて最後の戦いを開始する。弱体化しているとはいえサーヴァントであるシロウに劣勢を強いられるも、“黒”のバーサーカーから得ていた第二種永久機関を活用して追随、最後は捨て身の「磔刑の雷樹」によって勝利を掴んだ。その後、既に起動してしまった大聖杯を止めるため、竜告令呪の代償により竜となりかけている自身の体と聖杯の残存機能を用いようとした彼は死の直前、何の因果かこの東京に召喚されてしまうに至った。


【方針】

 願いのために戦うが、この聖杯戦争を勝ち進むべきなのかはまだわからない。
 ただ、意味なく命が消費されるようなことだけは、許したくない。



【クラス】ランサー
【真名】ブリュンヒルデ@Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ&Fate/Grand Order
【人物背景】

 北欧の大神オーディンの娘、戦乙女ワルキューレの一人、ブリュンヒルデ。北欧神話に於ける悲劇の女。
『ヴォルスンガ・サガ』において大英雄シグルドの運命の相手であるシグルドリーヴァと同一視される戦乙女であり、古エッダ『シグルドリーヴァの歌』『ブリュンヒルドの冥府への旅』でも同様にシグルドと恋に落ちるワルキューレとして語られている。

 ワルキューレの長姉として神霊の身であった頃には自我の薄い人形のように振る舞っていたものの、父たる大神の怒りに触れて地へ落とされてから後、シグルドとの出会いで愛を知り、人間の性質と人格を有するようになった。
 英雄シグルドのことを誰よりも愛して止まなかったものの、呪われた悲劇の運命の果てに殺意の炎を抱き、やがて彼を殺し、我が身をも灼き尽くすことになってしまった。


【ステータス】
 筋力B+ 耐久A 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具A

【属性】
 中立・善

【クラススキル】

対魔力:B
 魔術詠唱が三節以下のものを無効化する。大魔術・儀礼呪法などを以ってしても、傷つけるのは難しい。

【保有スキル】

騎乗:A
 乗り物を乗りこなす能力。「乗り物」という概念に対して発揮されるスキルであるため、生物・非生物を問わない。

魔力放出(炎):B
 武器・自身の肉体に魔力を炎として帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させるスキル。

ルーン:B
 北欧の魔術刻印・ルーンを所持することを表す。
 その中でも彼女は、大神オーディン直伝の「原初のルーン」を所持しており、その出力は現代のルーン魔術の数百万倍とも評されるほど。
 但し原初のルーンを持って現界した場合、ランサーは『死がふたりを分断つまで』以外の宝具を使用できない。

神性:E
 神霊適性を持つかどうか。ランクが高いほど、より物質的な神霊との混血とされる。


【宝具】

『死がふたりを分断つまで(ブリュンヒルデ・ロマンシア) 』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人

 運命の相手への深い愛憎の情を、生前に使用した魔銀(ミスリル)の大槍として形成させた宝具。
 ランサーの裡に燃える「愛」が高まるほどに槍の性能が強化され、重量とサイズが増大する。 どれほど巨大化しても、ランサーの槍捌きを鈍らせることはない。
 ランサーが強い愛情を抱く直接の相手を攻撃対象とした場合、さらに威力が跳ね上がる。重量は数百倍になり、原子分解攻撃にも等しい破壊力を発揮、窮極にまで愛が深まれば神すらも殺し得る一撃必殺の力と化す。
 最愛の相手であるシグルドにこそ最大の威力を発揮するが、彼と起源を等しくし、同一視されることもある英雄ジークフリートに対しても、それに迫る効果を得ることができるだろう。

 但し、「愛情」ではなく「嫌悪」した相手には宝具が全く通用しないという極端な性質もあり、場合によってはまるで無力になってしまう脆弱性を抱えている。


【weapon】
『死がふたりを分断つまで』


【サーヴァントとしての願い】
 愛らしいマスターの助けとなり、人の世を終わらせないために戦う。
 その上で彼が呪いで悪しき竜(ドラッヘン)と化す前に、英雄(ヒト)として殺してあげたい。

 ――そして叶うならば、願望器の力で最愛の英雄(シグルド)と再会したい。


【基本戦術、方針、運用法】

 高く纏まったパラメータを誇る、オールラウンダーな槍兵。
 強力な対人宝具と、対軍宝具に匹敵する破壊力と自在な飛行を始めとした万能性を付与できる原初のルーンによって優れた戦闘力を有し、しかもマスターであるジークがガルバニズムのスキルを持つため、彼との距離が離れ過ぎなければ常に全開の魔力行使が可能と、知名度に相応しい高性能を誇る。
 そのため戦闘においては、正面からの正攻法だけでも充分な戦果を期待できるだろう。

 但し、メインウェポンである『死がふたりを分断つまで』は、通常サーヴァントとして召喚される大半の英雄には充分な威力を発揮するものの、ランサーが愛を感じないイレギュラーな相手には無力化されてしまうため注意が必要。
 そんな時は、より純然かつ安定した戦闘力を持つセイバー・ジークフリートへとマスターであるジークが変身し、代打を務める必要があるだろう。

 なおそのようにしてランサーを救うたび、やがては戦乙女としての機能が――あるいは、シグルドと同起源の竜殺しへと転身した途端、彼女の愛憎が自動的にジークの背に槍を向けさせる恐れがあるものの、無垢なるマスターは未だその危険を認識できていない。
最終更新:2024年09月28日 09:56