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**8話
《偽典・八戸のぶなが物語8》
――※選手の痛ましい事故の後も、八戸のぶながは野球を続けたが、
彼がプレーをする意味合いは以前とは少し変った。
八戸が野球を始めたのは、単純に※選手に憬れたからだった。
彼のようになりたい、いつか彼と再会した時に
「僕もいま、野球をやっています!」
そんな報告を※選手に報告するためだった。
そして漠然とではあるが、いつの日か※選手と同じユニフォームを来て
プレーしたい、そんな夢を抱いていた。
…だが、※選手は、八戸の父であろうあった人物は失われてしまった。
ある意味で野球によって命を奪われたのだ。
八戸がプレーをする理由は漠然とした夢から、明確な目標へと変わった。
プロ入りを果たし、※選手の血の偉大さを証明するのだ。
そして全日本チーム入りを果たし、父が倒れたWBCの舞台でチームを優勝させるのだ。
それはある意味で復讐の決意だった。
父を奪ったアメリカチームへの。その怒りはもしかしたら野球という
競技そのものにも向けられていたかも知れない。
そして八戸自身は気付いてはいなかったが、生前ついに父であることを告白しなかった※選手自身へも。
その怒りを原動力に、八戸のぶながはひたすら野球へ打ち込んだ。
子供レベルでは誰もジャイロボールという魔球を打つことなどできなかった。
八戸は小学校でも中学校でもチームのエースとなり、そして勝ち続けた。
自身の中学を三年連続全国大会優勝に導いた八戸のぶながは、
野球関係者の間では知らぬ者がいないほどの存在となり、
そして彼は薦められるままに県下一の野球強豪校へと進学した。
その頃、すでに15歳にして八戸のぶながは140キロ以上の速球を投げられるようになっていた。
むろんただの直球ではない。ジャイロボールをだ。
高校に入っても、八戸のぶながのエースの座は約束されているようなものだった。
その進学した高校で、八戸のぶながは運命的な出会いを果たすことになる。
その男の名は成田氏長。
チームメイトから「ととのえ老臣」という奇妙なあだ名で呼ばれる
一学年上のその男との出会いは衝撃的だった。
「この馬鹿者め。心底呆れた」
出会ったまさにその初日、八戸のぶながはととのえ老臣からそう罵声を浴びせられ、
思いきり殴り付けられてしまったのである――