『仁義なき戦い』の根拠なき断定編。

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248 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/08(火) 01:21:08.16 iY2wWCs0 
映画塾!「仁義なき戦い」 <予習編>
https://www.youtube.com/watch?v=33bqIdtb_ps (5:10-)
映画化の流れの説明パート。
美能さんが手記を書く、それを元に飯干さんが原作を書く、東映は元々映画化を考えていた題材であり、
原作があるとモデルとなっている人たちからの批判への言い訳に出来るから、原作が出来たことによって映画化出来た。

→ 仁義なき戦いのwikiを見ても、現在は諸説あることがわかる。なぜこの説で断定しているのでしょうか?
それと、<復習編>で名前を出してはいるが、
この段階での脚本家の笠原さんのした偉大な仕事への言及が全くないのはおかしいのでは

255 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/08(火) 02:54:01.19 r7BjxdJT 
「仁義なき戦い」シリーズは
笠原和夫が綿密な調査をやってつくったんだよ

美能幸三にも何回も会って
最終的には映画化の了解もらってる

257 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/08(火) 03:56:29.48 r7BjxdJT 
笠原和夫
『仁義なき戦い』の三〇〇日

それにサンケイと飯干氏の映画化の承諾は得ているようであったが、
原手記者の美能幸三とは接触すらしておらず、実在する登場人物や
組関係者がどのように反応するか憶測もつかない段階で、正直
云ってこのシナリオはオクラになると半分覚悟を決めていた。

256 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/08(火) 02:55:18.65 r7BjxdJT 
町山説の
山守=東映の社長は
短絡過ぎると思うぞ

258 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/08(火) 07:16:48.56 taj1ybds 
今回、笠原さんの日記が発見されたんだよ
初出の資料
メモ魔だった笠原さんが細かい事情を書き記してたんだよ
番組では一部分しか公開されなかったけど
いずれ出版されるんじゃないかな
太田出版の資料集より詳しかったし

260 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/08(火) 08:52:57.03 r7BjxdJT 
笠原和夫が重要な役割を果たした事実は
新資料が出たところでかわらないんじゃね?

347 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/09(水) 14:31:11.59 d16yQdyZ 
「仁義なき戦い」の山守義雄について

町山智浩の映画塾!「仁義なき戦い」 <復習編>
http://www.youtube.com/watch?v=jBiHwBag7L0
町山はしきりに「俺たちの敵は山守だ」などと煽っていますが

脚本を書いた笠原和夫は、
「昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫」において
「山守義雄」の実像について
脚本家の荒井晴彦に語っています

荒井
じゃあ、映画とは違って、実像はもっとシリアスな人というか……。

笠原
そうですね。やっぱり大阪にいた人で、どちらかというと打算で
やってきた人でしょ。それで、彼の周りに集まってきた若い衆というのは
狂暴ではあるけど、わりかし純粋なんですよね。それで、ダマした、
ダマされたという話になってきちゃうわけですよ。だから、この親分自身は、
そんなに悪辣なことをやってたわけじゃないんですよね。


348 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/09(水) 14:32:02.12 d16yQdyZ 
町山は「仁義なき戦い」を語る上での基本文献である
「昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫」
を読んでないと思われる



広島県呉市美能組の元組長・美能幸三が1970年(昭和45年)9月、網走刑務所から出所。
再会した美能の知人が獄中で書いた手記の存在を知り、手記を美能から預かりいくつかの出版社に持ち込む[8]。(中略)
「週刊サンケイ」は手記を入手した時点で、既に岡田茂東映社長(当時)に映画化の話を打診しており、
ゲラ刷りの内容を岡田は持っていた[32]。
岡田は著書で「『週刊サンケイ』の小野田政編集長がおもしろい獄中記があると美能の獄中記を持ち込んできた」と話している[34]。

(前略)1971年(昭和46年)暮、東映京都撮影所の日下部五郎が
飯干の長編2作目「やくざ対Gメン」(1973年夏映画化)の映画化権取得交渉のため飯干の自宅を訪問時に、
飯干から美能の手記を見せられて[38]、当時の日下部は俊藤浩滋プロデューサーの下にいたが、
映画化に意欲を燃やしたという説もある[39]。日下部は飯干にその場で映画化権を申し出たと話している[4]。

俊藤浩滋・藤純子・菅原文太・若山富三郎・鶴田浩二が1981年に対談したテレビ番組『すばらしき仲間』では、
菅原が「京都へ撮影で行くとき、自身が表紙になった『週刊サンケイ』(1972年5月26日号)を東京駅の売店で買ったら、
それに『仁義なき戦い』の連載第1回が載っていた。とても面白いので京都の岡田社長を尋ねて
『これをやらせてくれ』と直談判したが、岡田は麻雀中で『そこ置いとけ』と、まともに相手してもらえなかった」
と証言している。
これに対して俊藤は「それは遅い。オレは東京に行くおり「週刊サンケイ」を買って『仁義なき戦い』を読んだら
凄く面白くてもう抑えた」と異なる説明をしている[45]。

菅原は2013年『週刊朝日』のインタビューでは、「『週刊サンケイ』を東京駅の売店で買った」までは
『すばらしき仲間』での話と同じなのだが、その後、岡田社長ではなく、すぐに俊藤のところに行って、
俊藤が「おもしろいやないか。やろう」と、菅原自身が「これをやりたいと『週刊サンケイ』を持って、
俊藤に言って映画化が決まった」「いろんな説が飛びかっていて、『俺がやった』というのが3人も4人もいるんだけど、
本人が言うんだから間違いない」などと主張している[46]。


【映画評論家】町山智浩【ウェイン町山】Part56
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/movie/1404490801/l50
最終更新:2014年07月12日 01:39