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はじめに
霊長類の研究・調査のため、1986年に初めて訪れた南米のジャングルは、私のものの考え方を一変させてしまうぐらい強いインパクトをもたらしました。そこに展開されていたのは、膨大な質と量の生物が、それぞれが個性的な生活哲学をもって織りなす、めくるめく多様な世界でした。それ以来というもの、自分の専門の話(新世界ザルの系統形態学)だけではなく、この多様な世界の住人について、見たところ感じたところを何とか私なりに表現する機会をいつか持ちたいと思っていたのですが、今回、このような機会を与えていただいたので、ジャングルのなかでもっとも身近な生物であるアリの幾種かについて紹介しようかと思います。私自身アリの専門家ではないので、つっこみの浅い部分が多いと思いますがご容赦ください。
私が南米のジャングルの話をすると、よく、「そんなところに行って、危なくないんですか」という質問を受けます。南米のジャングルは、猛獣や毒蛇がうようよしていて、毒虫や疫病の巣窟となっている、よほど危険な場所と思われているようです。しかし、南米のジャングルヘ行った人なら誰でも経験することですが、森の中は安全この上ありません。大型の肉食獣はジャガーだけで、人を襲ったという確かな記録はありませんし、今まで生きている蛇を見たことはたった5回あるだけです。しかも毒蛇だったのはその内のたった一回だけです。マラリアや黄熱病はありますが、これは近年アフリカから持ち込まれたものだといわれていますし、シャガス病だって、ごく限られた地域にしかありません。果物はうまいし、魚は大物釣り放題、リオやサンパウロといった都市部の治安の悪さと比べれば、まさに、この世の極楽です。
ただし、毒虫だけは別で、ダニやカ、ブヨなど吸血性の昆虫類には事欠きません。ことに、雨期に湿地帯などへ行こうものなら、あっという間にカの大群に取り囲まれること請け合いで、最盛期には、隣の人間の輪郭がぼやけて見えるほどです。しかし、ダニやカ、ブヨ、アブなどなら日本でも多いところはいくらでもあるでしょう。意表を突いた毒虫をひとつ取り上げれば、それはなんといってもアリでしょう。温帯に住むアリは、イソップの童話にもなるほどで、概しておとなしく、勤勉で、ポジテイブなイメージがあります。しかし、熱帯では事情が全く異なります。数が多く、種類も豊富で、大きさも様々ですが、目に付きやすい種類はおしなべて運動性が良く、肉食性で、攻撃性の高いものが多いのです。おまけに咬みつくだけならまだしも、かなりの種類が強力な毒針で武装しています。アリたちが餌を探している様は、まさに、街の愚連隊が寄ると触ると因縁をふっかけて歩いているようなものです。
ジャングルの中には、この愚連隊の組事務所(巣)が生木や倒木の中などふつうの場所にあります。ところが、本物のヤクザのように入り口に代紋でもかかげてあるか、こわもてのする連中がしょっちゅう出入りするかしていればいいのですが、ほとんど目立たないのでたちの悪いことはこのうえもありません。何かの拍子にうっかり刺激しようものなら、「なんじゃい!!」とばかりに恐いオニイサン達(ほんとうはメスなのでアネゴというべきだが)が山ほど飛び出してきます。そして、ひどく噛みつきながらお尻に付いたヤッパ(針)でグッサリやるのです。まさに問答無用の暴力団です。ひどい目に遭いたくなければ、ちょっと体を支えようと思っても、その辺の木をやたらにつかんだりしないことです。たまたまそこがアリの住みかだったりすると、もうたいへん。どこからわいてきたのか数百匹のアリがワラワラと出てきてグサリグサリとやり始めます。針には、御ていねいに毒まであるので、その痛いことといったらありません。しかも、払い落とすのに夢中になって、その場にとどまっていると、上の方からもバラバラと降ってきて、取り付くやいなや、あたりかまわずグサグサやるので、全身刺されまくることになり、ほうほうの体で逃げ出す羽目に陥るのです。
私がこのタイプのアリに初めて出会ったのは、1988年に訪れたパンタナール大湿原地帯のよく発達した回廊林で、クロホエザルの観察中でした。ホエザルは、霊長類のナマケモノと異名をとるほど活動性が低く、中でもクロホエザルは折り紙付きで、1日のうち90パーセント以上を寝て暮らしています。見ている方も張り合いがないので、長期戦を決め込み、ダラダラ、ゴロゴロしながらの観察となります。ある日、林床で座り込んでいると、メスがごそごそと動き始めたので、後を追うため立ち上がろうとして近くにあった直径10センチぐらいの木をつかみました。弾みをつけたので、木のしなった感触があったのですが、目線はサルの方を追っているので、つかんだ木の方は全く見ていませんでした。次の瞬間、右手の薬指に激痛が走りました。あまりの痛さに、思わず手首を押さえながら見てみると、体長7ミリほどで、頭と胸が蛍光オレンジ、腹部がるり色の金属光沢を持ったツートンカラーのアリが、痛みの走ったまさにその場所に取り付いており、顎でがっちり食いつきながら、腹を曲げてその端を私の指に突き立てている最中です。急いで払い落としつつ、つかんだ木を見やると、木肌はすでに百匹ほどのアリで覆われ、後から後から数が増えているようでした。一瞬、嫌な予感がしたので、すばやくその場を離れたところ、ほんの数秒後に、バラバラと軽い物体が枯れ葉にぶつかる不気味な音がし始めました。空中からの攻撃。まさに危機一髪でした。
数時間の後、同じ場所に舞い戻ってみました。アリはすでに引き上げたあとで1匹もいなくなっており、ただただ普通の小さな木があるだけでした。ためしに蛮刀の先でそっとたたいてみると、ひこばえが枯れ落ちてできた縦3ミリ横1ミリほどの穴から、たちまち3匹のアリが飛び出し、穴の回りを2~3回まわったあと、あっという間に穴の中に戻ってしまいました。もう一度、今度は少々強めにたたいたところ今度は別の所からもアリがでてきました。よく見るとごくごく小さい穴があいています。大きさは、ちょうどアリが通り抜けられるだけしかありません。直経1ミリ程度でしょうか。この小さな穴がポツポツと幹にあいているので、あっという間に大群を繰り出せるようなのです。もういっペんアリが引き上げてしまうまで待ってから、巣の中身を見ようと思って、思いきり蛮刀を打ち込んでみました。内部はさぞかし大きな空洞になっているのかと思ったが、さにあらず。木の材部が露出しただけである。もう二度と刺されるのはいやなので、空中攻撃をされる前に引き上げましたが、この疑問は数日後に解くことができました。直経4センチ高さ3メートルほどの同じアリが巣くっている木を見つけたのです。この木は、蛮刀をほんの2回ほど打ち込んだだけで真っ二つに切断することができました。切り口を見ると、中心部に直径3ミリ弱の小穴があいているだけで、通路としてならもってこいですが、アリが幼虫の世話をしたりするスペースは全くないのです。こんなはずはないと思い、根本から先の方まで縦に二つ割りにしてみたのですが、根本の方は地表15センチぐらいで行き止まり、枝先の方もかなり上までトンネルは続いていたのですが、育児室のような空間らしい空間は全くありませんでした。いったいどのような生活をしているのか、今でも大きな疑問のままです。
歩くスズメパチ
南米には巨大な昆虫が多くいます。それもみな超がつくほどの大きさです。私自身が見た例では、体重44グラムのギアスゾウカブト Megasomoma gyas(ちなみに、日本のカブトムシは7~8グラムです)、開長が30センチもあるナンペイオオヤガ Tysania agrippinaa、本当に小さいカメほどもあるナンペイオオタガメ Belostoma grandis、羽を広げると20センチにもなるハビロイトトンボ Megaloprepus coerulatusなど枚挙にいとまがありません。その中でも極めつけはオバケウスバカミキリTytanus giganteusですが、これがどんなにえげつない代物なのかは、後で詳しく述べましょう。
肝心のアリの方ですが、これまたとんでもない大きさの種類がいます。このアリは現地ではテゥッカンデイラ(tucandeira)と呼ばれる
パラポネラ Paraponeraという仲間で、大型の種は体長が3センチを越えます。全身漆塗りのように黒光りしていて、これまた強力な毒針で武装しています。サイズと戦闘力の高さからいうと、スズメバチの羽をむしって黒く塗ったようなものでしょうか。ときおり林床を徘徊しているのを見るのですが、基本的には夜行性だそうです。
私が初めてこいつに出会ったのは、1988年、アマゾン中流の街マナウスから40キロほど北にあるジャングルで、休憩のため、倒木に腰掛けようとしたときでした。ふと見ると、腰を下ろそうとしたその場所に、何とも禍々しい巨大な黒アリが、強力な顎を広げて戦闘準備を整えています。足を踏ん張り、こちらをにらみつけ(本当は日の構造が違うのでにらむことはできないのですがそのように見えてしまいます)、私が座るのを待ち受けているのでした。『ハハー、これが音に聞くアマゾンのオソレアリだな』と思い、そのままじっと見ていると、ゆっくり倒木の裏へと歩き去っていきました。ものすごい速さで動くアリを見慣れた目には、このスピードはたいへん奇異に映ります。だいたいジャングルの中でゆっくり動いているのは有毒のものが多いようです。中にはヤドクガエルの一種のように、うっかり触ればあの世行きというほど毒の強いものもいます。余談になりますが、ランとハチドリの研究で有名なアウグスト・ラスキ博士は、フィールドワークの最中、誤ってモウドクフキヤガエルの一種に触れて以来体調を崩し、十年近く様々な治療を行ったそうですがそのかいもなくとうとう亡くなられたと聞いています。この「ゆっくりと動くものは有毒である」という原則に照らしてみると、パラポネラの毒の強さがどの程度か容易に想像できるでしょう。
ある日系移民の方に刺されたときの様子をうかがったのですが、刺された指先からあっという間に激痛が駆け上がって頭の芯まで熱くなり、心臓が鼓動を刻む度にドクンドクンと血管が膨張して卒倒寸前だったとのこと。インディオのある部族では、成人式を迎えた男子が、このアリをたくさん入れた壷の中に手を入れ痛みに耐えるという儀式があるそうです。
毒の強さだけではなく戦闘力も相当なもののようで、なんとあの軍隊アリ Eciton sp.でさえパラポネラとはかかわり合いにならないようにしているようです。凶悪なことでは横綱クラスの軍隊アリの行列を、たった一匹で無為自然に平気で横切ったりしています。おもしろいのは横切られる方の反応で、ふつうはこの時とばかりに襲いかかるのに、一瞬グッと詰まったようになり、そのまま凝固したり、Uターンしたりします。そしてパラポネラが通り過ぎるやいなや、何事もおこらなかったように行列が復元するのです。生命力も大変強く、たたき殺したつもりでも、そのままビンに入れて10分ぐらいして見ると平気で歩き回ったりしています。これは、おもに外骨格の頑丈さに起因するものでしょう。ちなみに、セルジーペ州の田舎の人たちはこのアリのことを不死身アリと呼んでいます。
このアリを発見した倒木の反対側にまわってみると、すぐ脇に生えていた直径約15センチの木の根本に、妙な構造物を見つけました。泥でできた高さ20センチぐらいのついたてが、半円状に木の幹を取り囲んでいるのです。ついたてと幹との間は1センチぐらいでした。パラポネラの巣のようです。すぐに走って逃げられる準備を整えた上、蛮刀で木の幹を2度ほどコンコンとたたいてみました。何の反応もありません。もう3回繰り返してみたのですが、やはり反応がありません。そこで今度は木に思いきり蹴りをいれてみました。10秒ほど待って見たが、やはり何の反応もありません。と思った瞬間、奥の方からギイギイとなにかの音がしてきました。音はやがて大きくなり、とうとう20匹ほどのパラポネラが開口部から姿を現しました。思わず走って逃げかけたのですが、先ほど見た個体と同じく歩き方がゆっくりで、いきなり取り付かれる心配はなさそうです。ギイギイと発音しています。威嚇音のようです。この歩速ではすぐに攻撃される心配はないので、そのまま観察することにしました。しかし、暗い森の中でへっぴり腰で見ていることもあって、どうやって発音しているのかつきとめることはできませんでした。ほんの30秒ほどで、これらのアリは全て巣の中に引き上げてしまい、もう一度蹴飛ばしたときには5匹でてきただけで、これを採集してしまった後は、地面を踏みならそうが入口を壊そうが全くでてこなくなってしまいました。それにしても、こんなに広い入口では、外敵は進入しやすいし、雨でも降れば幹を伝ってどんどん水が入って来そうです。中に別の仕掛けでもあるのかと思い蛮刀で掘りかえしてみたのですが、10センチほど掘ったところで木の根にじゃまされ、それ以上確認できませんでした。おそらくは、この泥のついたては、水が地面を流れてきたときの防波堤であって、幹を伝ってくる雨は大した問題ではないのでしょう。「ありとあらゆるアリのはなし(久保田政雄著、昭和63年、講談社刊)」によれば、原始的なアリの巣は入口が大きいそうですが、パラポネラも原始的なアリの仲間なのかもしれません。
最終更新:2007年06月02日 02:33