晴れて陵桜学園高等部を卒業してから暫く経った3月の中旬のこと、この季節には珍しい長雨が降りました。2、3日絶えることのなかったその雨はザーザーと、岩をも砕くほどの勢いを保ち、この埼玉の地に轟音を鳴らし続けました。
今朝、その凄まじい音は鳴りを潜めていましたが、天候は生憎曇り。自室の窓から覗く空は、昼時だというのに、とても暗い表情をしています。青色と鼠色を混ぜたようなこの色は、恐らく青鈍(あおにび)色と言うのでしょう。その元気のない色は、最近の私の心情を反映しているかのように見えました。
高校の3年間はあっという間でした。数人のお友達と、たくさんのクラスメートに囲まれて和気藹々に過ごした日々は、これから未知なる大学生活の日々へと変わろうとしています。
大きな環境の変化というものは、いつも私を不安な気持ちに陥れます。
まず、友人ができるかということへの不安。私が通うことになった大学には、私のお友達や知り合いは進学しません。交友関係は1から始めなくてはならないのです。また、高校までとはまるで違うと聞く、大学の授業のシステムへの不安。そして、本当にこのまま頑張っていけば、医者になれて安定した暮らしが得られるのか、という将来への不安。
これらの不安が私の頭を循環し続け、とても居たたまれない気持ちになっているのです。
卒業してからも、勉強は毎日続けていました。医者になろう者、医学書の一冊くらいは読むべきだと思い、書店で購入したテキストとノートを広げ、時間を決めて学習していました。
今日もその日課は果しましたが、何だかあまり身についたような気がしませんでした。教科書を読みノートをとりつつも、どこか気持ちは別の所を眺めているような感覚でした。
何故なのか?それは自分の中では既に答の出ている問いかけでした。
一人だから。
もちろん友人がいないという意味ではなく、かがみさん達からお誘いがあって一緒に遊ぶことはあります。しかしそれも毎日ではありません。こうして家で勉強等をしている間は、一人なのです。
一人だから不安を背負ってしまい、それを解消することもできない。
そう考える度、陵桜学園のあの校舎、あの教室での日々が思い出されます。お友達とお話をして笑うことが当たり前だった日々。毎日が楽しくて、不安など湧く暇も無かった日々。
高校に通っていた時のようなあの潤いが欲しくてたまらない。今の私は、とても渇いている。
そうだ、と思い立ち、私は部屋の片隅で眠っている鞄を開けに向かいました。
その鞄の中身は、卒業式の日以来何も変わっていませんでした。あの朝入れた筆記用具に、あの日頂いたお祝いの品に。卒業アルバムもありました。
うわあ、懐かしいなあ。そんなことを思いながら鞄の中のものをどんどん取り出していくと、鞄はすぐに空っぽになりました。ああ、これだけか。何となく物足りない気分になりながらも、とりあえずはと、床に座り込んで卒業アルバムを読むことにしました。
最初のページには、校歌。校長先生の写真も一緒に載せられていました。次のページには先生方の集合写真があり、それから個別写真。そしてその次からは、見開き13ページに渡る、クラス毎の生徒達の個人写真と集合写真。
B組のページを開くと、お会いしなくなって久しいクラスメートの、懐かしい顔をたくさん眺めることができました。もっとも泉さんやつかささんとは、三日ほど前にボーリング場でお会いしたばかりですが。
また、そのページの隅には、クラスの授業風景を写した写真もありました。そうそう。確か11月頃、そんなことがありましたね。世界史の授業中に、教室にカメラマンの方がいらして、2、3枚写真を撮っていかれたのでした。黒井先生はカメラに緊張されていたのか、この日は立て続けに珍事を起こされていました。板書をしながら何度もチラッチラッとカメラの方を向いたために字のラインがぐにゃぐにゃに曲がったり、教科書を読み上げるとき簡単な漢字を読み間違えたりと。先生が失態を起こす度、教室に爆笑が起こったことを思い出し、ほんの少しクスリと笑います。
それから先を見ると、修学旅行時の写真の数々。日常風景の写真の数々。部活動に所属する生徒および顧問の先生方の集合写真の数々。
こんなことあったなあ。これもあったなあ。紙面に収まった小さな写真を見ていると、その時の映像と音声が等身大で頭の中に出来上がります。目を閉じると、あたかも今自分がその中にいるみたいに。その度、私の身体を通り抜けるように優しい滝が流れ、潤っていくのを感じます。
懐かしい、懐かしい。感傷に浸りながらパラパラとページを捲っていきます。気がついたら最後の、何もない空白のページに辿りついてしまいました。
終わりか。
そう思った途端、目の前に現実の名の大きな像が現われました。私の部屋という空間、その中の机に、ベッドに、私の隣にある鞄。アルバムという名の本。そしてそのアルバムを持つ私の手と身体。
今まで頭の中を駆け巡っていた思い出が、一度に蒸発し、全て消え去ってしまいました。
パタン。アルバムを閉じるも、私の心はまだ水を求めていました。
まだ満たされない。もっと思い出に浸っていたい。
そうだ、もしかしたら鞄の中にまだ何かあるのではないか?飢えて餌を求める獣のように、私は空っぽのはずの鞄の中を覗き込みました。心底、何もあるはずはないのに、と自分自身を嘲笑しつつ。
ところが、私は意表を突かれました。鞄の奥に、先ほどは見つけられなかった、何か小さな冊子があるのに気がついたのです。奥といっても、それなりの注意力をもってすれば容易に見つかるような場所に。うっかりしていた自分を少々恥じながら、その冊子を手にしてみました。
表紙には、『卒業歌集』。
思い出しました。陵桜学園では毎年、卒業文集の代わりに卒業歌集なる物が発行されます。受験も迫る12月頃、三年生が全員短歌を一首ずつ詠み、この歌集に投稿するのです。3年間の高校生活の締めくくりとして行われるこのイベントには、多くの卒業生が、思い出のためにと真剣になります。私自身も、これのために一週間もの時間をかけました。もっとも、文集でなく歌集なのは、ページ数の節約のためという味気のない理由ですが。
まだ思い出のアイテムがあったことに心が躍ります。私はA組の1番の人の句から順に、全て読んでいくことにしました。
そこに並んでいた物は、いい意味でも悪い意味でも、高校生らしい歌たちでした。
素直な気持ちをストレートに詠んだもの、技巧に凝ろうとしすぎて意味を消失しているもの、笑いを取ることを目的に詠まれたもの。
大まかにこの3種類が、偏ることなく、バランスよく並んでいます。そのせいか、中々飽きが来ませんでした。ほお、と感心したり、クスッと笑ったりしているうちに、あっという間に1クラス40人分を読み終えてしまいました。
さて、次はいよいよB組。待ちに待った、B組のページを開きます。
B組も、先ほどと同じように、高校生らしい歌が続きます。最初の20句は男子。その初めの十数首を読み終えるのに、ほとんど時間は要りませんでした。
あと少し読んだら、泉さんや私の歌かな。そんなことを考えながら次の歌に移った、その時。
ドキッとしたような、ギクッとしたような気分に襲われました。その歌は、このように詠まれていました。
放課後の 囲った机 いつも同じ 席つく君の 隣に座る
これだけでわかったのは、他ならぬ私だからでしょう。恋心を間接的に表現、いや告白した歌。詠み手は・・・副委員長をしていた彼。
私は思い出しました。放課後一階の教室で、定期的に行われていた委員会のことを。囲われた26台の机のうち、いつも私は同じ席に着いていたことを。そして、その私の隣にいつも彼が座っていたことを・・・
頭の中が一瞬真っ白になります。そしてすぐ、彼に関する記憶が大量にフラッシュバックされます。委員会での彼との会話、教室での彼の挙動。その一つ一つを確かめると、確かに思い当たる節がいくつもあったのです。
私は混乱しました。本当にそうなのか?それとも私が勘違いしているだけなのか?急に押しつけられた事情を、すぐに信じられるわけはない。
真相を確かめようと、もう一度その歌に目をやり、他の解釈がないか必死で探します。一句ずつ、いや一文字ずつをじっと睨み、その答えを問いただします。
しかし、何度考えても、結論は『彼は私が好きだった』にしかなりません。
もはやこの解釈に疑う余地はありませんでした。
そう確信した瞬間、嬉しくなると同時に、虚しいような、悲しいような、複雑な気分になりました。そしてそれはすぐ、後悔の念へと変化しました。
どうして私はわからなかったのか。どうしてあれほど十分な数のサインがありながら、私は見逃してしまっていたのか。
もし私が彼の気持ちに気づき、彼に直接尋ねたならば、その気持ちは私にはっきりと伝えられたでしょう。私もすぐに承諾の返事を出したとは思いませんが、気持ちが伝わっただけ、彼の得るところはあったはずです。
しかし現実は、私が鈍感すぎた。悔しい。わからなかったのが悔しい。
そうだ、彼の気持ちを確かめる手段はないか。できるだけ冷静を取り戻し、必死で考えてみます。すると一つの可能性が浮かびました。連絡網です。学年初めの一学期、ホームルームで先生から配られた連絡網。そこに、彼の電話番号が載っているはずです。
私は必死で連絡網の印刷された紙を見つけようと、部屋中を捜しました。鞄の中を確認し、棚の荷物を全て調べ、机の引き出しもくまなく。自分の部屋に無いことを知ると、居間に飛び出し、そこの引き出しも全て。果ては風呂場や、トイレの中までも。
しかし努力虚しく、その紙は見つかりませんでした。
その時、私はしまったと思いました。卒業して間もない日、部屋の中の荷物を整理していた時、あの連絡網を要らないと判断し、畳んでごみ箱に捨ててしまったことを思い出したのです。その時のごみ箱の中身は既に、先週の火曜日に持ち出されてしまったはずです。
軽率だった。いや、軽率だろうか?こんな形で連絡網が必要になることを、あの時想定できたはずもない。
無意味な想念の連鎖が繰り広げられた後、ふと現実に戻った私には、ただ失望だけが重くのしかかりました。
私は何をしていたのだろう・・・自室の机に向かい、閉じたノートに両肘をついて、暫く両手に顔をうずめていました。
視界が真っ暗な状態で、まだ思索を巡らせてみます。何か可能性はないだろうか。
もしかしたら、学校に行けば、彼が私を待っているかもしれない。もしかしたら、待っていれば、突然彼から私に電話が来るかもしれない。もしかしたら、外を歩けば、そこらの通りで彼に会うかもしれない。
・・・どの可能性も、あまりに非現実的です。
ならば、私の方から彼の家を訪ねるか?それも不可能。彼の家の在り処など、一度たりとも聞いたことはないからです。
ならば他は。他に何かないか。顔が紅潮するほど、躍起になって頭を働かせ、可能性の模索をします。
暫くして、私の頭脳は思考を停止しました。
私は肘を崩し、ついに机に伏せてしまいました。やってしまった、取り返しのつかない失敗。悔しさ、悲しさ、虚しさといった感情の波が、一斉に私の胸へと流れ込んでくるのを感じました。それを受け止める一心で、肘を伝ってノートの表紙を濡らす涙に、構うこともできませんでした。
ポツン。
伏せた私の耳元に一つ、ステンレス製の窓枠を打つ無機質な音が入りました。
ポツンポツン。ポツンポツンポツンポツン。
その音は次第に大きく、速くなっていきます。そして突然、
ザー、ザー
という轟音に変わり、乾きかけていた街を再び濡らし始めました。
空も泣いている。
何を馬鹿馬鹿しい考えを。そう自らを冷笑しようとしたその時、ハッとしました。一つの歌が、ふと生まれたのです。
私は伏せていた顔をガバッと上げ、丁度机の上に置いてあった筆箱からいつものシャープペンシルを取り出し、手元のノートの適当なページを開くとササッと筆を走らせました。
青鈍空 彼の嘆きを 聞きにしか 降らせし雨の 長く強きは
この雨が今度は私の涙として彼に伝わらないかな。下らない考えにフッと一人薄笑いを浮かべた後、私は再び肘をつき、その雨を降らせる暗い空をいつまでも眺めていました。
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