「髪、撫でるの好きだね」
もたれかかってされるがまま、俺に髪を撫でさせているこなたがそう言った。
そのこなたに、俺は頷いて見せた。
こなたの長くてボリュームのある髪を撫でるのはなんとなく心地よく、暇さえあれば俺はこうしてこなたの髪を撫でていた。
ふと、俺はこなたがどうしてここまで髪を伸ばしてるのかが気になった。
「なあこなた、どうしてそこまで髪を伸ばしてるんだ?コレだけ長いと色々大変そうな気もするんだけど」
俺の質問を聞いて、こなたは目を瞑った。
「お母さんがね、凄く髪が長かったんだ。だから、わたしもできるだけ伸ばしてみようかなって…ちょっとお母さんを真似してみようかなって思ってね」
「ふーん…そういや、こなたのお母さんって見かけないな。働きに出てるのか?」
「ううん。死んじゃったんだよ。わたしが凄く小さい頃に」
「…悪い、へんなこと聞いた」
こなたは目を開けて、俺を真正面から見つめた。
「気にしなくていいよ。何をどうしても、お母さんがいないことは変えようがないから」
そう言ってこなたは、いつの間にか撫でるのを止めていた俺の手を取って、自分の髪にさわらせた。俺は再びこなたの髪を撫で始める。
「髪、撫でられるの好きか?」
俺はこなたにそう聞いていた。
「うん、好き。なんとなく安心できるんだ。人に触れるのも、触れられるのも好きだよ」
こういうのは悪くない。本気でそう思う。こなたと恋人になったことを良かったと、最近は思うようになっていた。
二人の間に流れる優しい時間。
「人が一生懸命料理してる傍でイチャつくなぁっ!!」
その中で、かがみさんがぶちキレていた。
- 命の輪の支えとなって -
「まったく…後ろでイチャイチャイチャイチャ、気が散ってしょうがないわよ」
ブツブツと文句を言いながらかがみさんは、皿の上に今日の課題である卵焼きを盛り付けていた。
「大体アンタね、なんでわたしが料理習いに来てるときに、狙ったようにこなたんち来るのよ」
菜箸で俺を指しながら、かがみさんがそう聞いて来た。
「そりゃあ…狙ってきてるからなあ。こなたに習いに来る予定日聞いて」
「…それは何?わたしに喧嘩売ってるわけ?」
かがみさんが思い切りジト目で睨んでくる。視線だけで殺されそうなので、俺は目を逸らしておいた。
「別に喧嘩売ってるわけじゃなくて、試食で食費が浮くからだよ」
俺の言い訳に、かがみさんがため息をついた。そして、こなたが泣き崩れていた。
「ダーリンはわたしに会いに来てくれてるんじゃないのね~!かがみの料理が目当てなのね~!」
泣き方とかすごくわざとらしい。
「もういいから、さっさと食べてみてよ」
「へーい」
「ほーい」
かがみさんに促されて、俺達は卵焼きを口に運んだ。
「………甘っ」
卵焼きの形をした砂糖菓子。そんな感じの味が、口の中に広がった。
「かがみ…砂糖入れすぎだよ…今日のは大失敗だね」
こなたもうんざりした顔で舌を出している。いつもは小失敗で済むのだが、たまに今日みたいな大失敗が混ざるので、試食はなかなかにスリリングだ。
「あ、あれ?おかしいなあ…」
かがみさんは不思議そうに首を傾げて、自分の作った卵焼きを口に入れた。
「…う」
そして、口を押さえて固まった。
「味見、してるの?」
こなたがそう聞くと、かがみさんは冷や汗を垂らしながら明後日の方向を向いた。
「…わたしの心の中では」
「あやまれ。卵を産んでくれたニワトリさんに今すぐあやまれ」
「…ご、ごめんなさい」
こなたの説教は、その後三十分ほど続いた。
「やほーっ!こなた、ひっさしぶりーっ!」
やたらテンションの高い声がドアの方から聞こえた。正直、そちらを向くのも億劫だ。
「…あー、ねーさんおひさー」
テーブルに突っ伏したまま、こなたがだるそうに挨拶をする。かがみさんも手を上げて何か言おうとしてたが、途中で力尽きて手を下ろした。
かがみさん特製の激甘卵焼きは、予想以上の破壊力で俺たちを叩き伏せてくれていた。よく完食できたもんだ。
「…で、誰だ?」
顔だけこなたの方に向けて、俺はそう聞いた。ねーさんとか言ってたから、身内ではあるんだろう。
「従姉妹の成美ゆい。ゆーちゃんのお姉さんなんだよ」
成美さんの方を見てみると、半分気絶してるかがみさんの頬をぷにぷにとつついていた。
反応の無いかがみさんに飽きたのか、今度は俺の顔を至近距離で覗き込んできた。
「な、なんですか?」
思わず顔を上げ、後ずさってしまう。
「もしかして、君がアレ?噂に聞くこなたの旦那?」
違います。
「きよたかさんほどじゃないけど、まあまあいい男だねー」
誰ですか。
「ねーさん、わたし達まだ結婚してないよ」
こなたが困ったように成美さんにそう言った。こなたも彼女のことは持て余し気味なのだろうか。
「あれ?そうなんだ?んー、ま、いっか…わたしのことは気軽にゆいねーさんと呼んでくれたまへ」
血縁でもないのに、ねーさんは無いと思う。
「よろしく、成美さん」
「こなた~、あんたの旦那さん反抗期だよ~」
俺の呼び方が相当不満だったのか、成美さんはこなたに泣きついていた。
こなたの家からの帰り道、俺はずっと一つのことを考えていた。
結婚。
こなたと付き合い続けていれば、いずれはそうなるのだろうか。
なんだか、全然実感が湧かない。
上手くいってるとは思う。
しかし、何かが足りないと俺は思っていた。
そして、それからしばらくして、こなたと付き合いはじめて丁度二年が過ぎた頃、それは突然やってきた。
「結婚しよう」
こなたは真剣な顔でそう言った。
あまりにも唐突過ぎて、俺は何か言うのすら忘れていた。
「…な、何か言ってよ…不安になっちゃうよ…」
「あ、ああ…悪い…」
しかし、何をどう言えば良いのだろうか?
結婚ってのは人生の大事な決断じゃなかったのか?
付き合い始めて、まだ半年しか経ってないのに、なんでまた急に?
色んな疑問が頭を渦巻く中で、俺は告白を受けたときに感じた疑問を思い出していた。
「…何で、俺なんだ?」
気が付くと、俺はそれを口に出していた。
こなたはしばらく目を瞑って考えていた。
「一目惚れ…かな?」
こなたは目を開けて、そう答えた。
「見かけてから、ちょっと気になってた。そういう勘には自信があるんだ。そんで、一か八かで告白してから本気になった…ホントはね、違う台詞を用意してたんだ」
「台詞?」
「うん、告白の時の台詞」
あのとんでもない台詞か。
「ダーリンの顔見たら、頭ん中全部飛んじゃって、何か言わなきゃって思って、出たのがあの台詞。わたしが今まで聞いた中で、インパクトのあった台詞…あれ、わたしのお父さんが、お母さんに使った告白台詞なんだよ」
どうにも、とんでもない親子だ。
「わたし、絶対にダメだって思った。お互い何にも知らないのに、あんな台詞絶対無いって思った」
確かに、普通は思い切り引くだろうな。
「…でも、ダーリンは付き合うって言ってくれた。だから、わたしは思ったんだ…この人なら、わたしを受け容れてくれるんじゃないかって…わたしが普通の女の子とはズレてるって事くらいは、分かってるからさ…」
胸の中がモヤモヤする。あの時、俺はそんな深く考えて答えたわけじゃない。
「わたしからも一つ聞いていい?」
こなたの言葉に、俺は頷いた。
「ダーリンはさ、どうしてわたしと付き合ってくれたの?…それだけじゃない。わたしの言う事は、大抵きいてくれる。冗談で言ってるようなこと以外は、なんだって受け容れてくれてる…どうして?」
俺は答えに困った。そんな事は考えたこと無かった。それでも、無理矢理答えを出すとすれば、多分こうじゃないだろうか。
「こなたの事が好きだから…かな」
「…それだけ?」
こなたがキョトンとしている。長さか内容か、どっちかが予想外だったのだろう。
「うん、それだけ」
言葉にしてしまえば、それが正しいと思えた。
「多分、俺も一目惚れだったんじゃないかな。入学した時から気にはなってたからな」
「そっか…そうだったんだ………あっ」
こなたが何かに気が付いたような声を上げ、急にモジモジとしだした。
「どうしたんだ?」
「え、えっと…初めてじゃないかなって…ダーリンがわたしのこと好きって言ってくれたの…」
そう言われれば、そうかもしれない。
「でも、それを言うならこなただって、俺の事好きだって言ったこと無いぞ」
「あ、あれ?そうだっけ?…え、えっと…それじゃ、その…わたしも、ダーリンのこと…す、好きだよ」
言った直後にこなたの顔が真っ赤になる。許容量を超え、今にも転がりだしそうになったこなたを、俺は抱きしめていた。
「…それで、結婚の話だったな」
「…うん」
俺に抱きしめられることで、こなたは落ち着きを取り戻していた。正直、俺も床を転げまわりたいと思っていたが、こなたを抱きしめることで耐えることが出来ていた。
俺の中で、足りないものが埋まっていく感じがした。
「どうして急に、結婚なんて考えたんだ?」
「えっとね…夢が出来たんだ。どうしても叶えたい夢。それで、そのためにあなたが必要なんだよ」
必要だという言葉は、素直に嬉しかった。
「我儘…かな?」
「いや、問題ないよ。それくらい」
「…わたしの夢がなんなのか、聞かないんだね」
「こなたの夢がなんであれ、俺の答えは変わらないと思うよ…こなたの事が好きだから」
「う、うん…そっか…そうなんだ…」
こなたが俺の身体を強く抱きしめ返してきた。その存在感が、とても心地よい。
「…結婚、しよう」
「…うん」
しばらく、そのまま抱き合い…こなたは急にプッと噴出した。
「なんだよ…」
「ご、ごめん…なんだかわたし達って滅茶苦茶だなって…」
「…そうだな」
でも、俺達らしいとは思う。
「さてダーリン、この難関を無事に突破しないと駄目なわけですが…」
「まあ、なるようになるだろう…」
俺とこなたは、泉家の居間でその難関…こなたの親父さんを待っていた。
交際を認めてもらうときはあっさりしたものだったが、今回はものが違う。
「…最悪『俺の屍を越えていけ!』とか言われるかも」
こなたが物騒なことを言ってきた。
「…それじゃ、遺体を埋める場所を考えないとな」
俺は物騒なことを言い返していた。
「おまたせ。で、話って何だい?」
ガチガチに緊張している俺たちの前に、問題の難関が現れた。
「え、えっとね、お父さん…あの…」
こなたが勇気とか色々なものを振り絞って、親父さんに向かい話を切り出した。
「そうか。まあ、良いんじゃないかな」
あっさりとした返事。今度ばかりは、俺もこなたと一緒に椅子から転げ落ちていた。
「…お、お父さん…ホントにいいの?結婚だよ?」
こなたがヨロヨロと立ち上がりながら、親父さんにそう聞いた。
「ああ、結婚だろ?二人で決めたことなんだったら、俺がそれに口挟むことは無いよ」
なんだかあっさりしすぎてて、逆に不安になる。
「…と、言いたいが、一つだけ条件がある」
やっぱり何かあったか。親父さんは俺の方を見た。思わず身構えてしまう。
「この泉家に婿入りして、この家に住むこと。それが条件だ」
身構えるほどの条件じゃなかった。
「えっと…それだけ?」
「ああ…こなたが家出て行くのは耐えられんわ」
唖然としながら聞くこなたに、親父さんは恥ずかしそうに頭をかきながら答えた。
「…難関、クリアしちゃったね」
「…みたいだな」
あっさりしすぎて、全然実感が湧かない。
「まあ、いいや…めでたい日だし、今日の晩御飯思いっきり張り切るよ」
こなたがウキウキとキッチンの方に向かう。そして、ドアに手をかけたところで俺の方を向いた。
「ダーリンも食べてくでしょ?」
「ん…そうだな。そうさせてもらうよ」
俺はそう答え、何か手伝おうと床から立ち上がった。
「あ、ちょっといいかな?」
ドアに向かおうとしたところで、親父さんに呼び止められた。
「なんでしょう?」
俺は足を止め、親父さんの方を向いた。
「…こなたを支えてやってくれるか?」
真剣な顔。真剣な声。俺は、思わず姿勢を正していた。
「親の俺がいうのもなんだけど、色々大変な娘だよ。でも、見捨てずに最後まで見ててやって欲しい…親の我儘だとは思うが、こなたをよろしく頼む」
そう言って、親父さんは深く頭を下げた。
「…はい」
俺は、それに負けないくらい深く頭を下げて答えた。
「お父さんと何話してたの?」
晩御飯の準備を手伝う俺に、こなたがそう聞いて来た。
「娘を頼むってさ」
「お父さんが…ふーん」
こなたはなにか感心したように頷いていた。
「どうかしたか?」
「ん、いやね…お父さん飄々としてたけど、ホントは凄く思い切った決断だったんじゃないかなって」
「…そうなのか?」
「うん…わたしのお母さんが死んでから、お父さんは男手一つでわたしをここまで育ててくれたんだ。大変なことも色々あったんだろうけど、わたしのこと大事にしてくれた」
その大事なこなたと、俺は夫婦になろうとしているんだ。
「だから、その大事なものを譲られるって事、役目を託されるってことは凄いことなんじゃないかな?…って、わたしが言うと、自画自賛になっちゃうかな…」
俺は、その重さを初めて意識した。
俺に出来るだろうか?今更ながら、少しばかりの不安がよぎる。
「…どったの?」
こなたが俺の顔を覗き込んでいた。
「いや、なんでもないよ…こなた」
「ん、なに?」
「幸せになろうな」
「そりゃ勿論」
こなたがニコッと笑う。
その笑顔だけで、全ての不安を越えられる気がした。
それからしばらくして、俺の名字は『泉』となった。
- つづく -