―――まだ幼いこなたは、自分がみんなとは少し違う事に気付いた。
幼稚園にはみんなの親が迎えに来る。
その様子をうかがいながらこなたは思っていた。
迎えに来た父そうじろうに、こなたは尋ねる事にした。
「ねぇねぇ、お父さん。私のお母さんはどこにいるの?」―――
―――「泉さん寒くありませんか?ココアをいれてきましたよ。」
「いやあ、ありがとう、みゆきさん。さすがにTシャツじゃあ寒いね」
こなたは自分の体を抱いて、この寒さをアピールする。
温かいココアを受け取り、一口すすると、お腹のそこで熱さを感じた。
想像していたよりも自分の体が冷えていたようで驚いた。
5月もなかばを迎えるというのに、夜の冷え込みは厳しいままだ。
逆に、昼間は夏並みの気温なのだ。そのギャップにこなたは付いて行けていないようだった。
「どうですか?見えますか?」
みゆきはこなたの肩に薄い毛布をかけた。
そして西の空を向いた望遠鏡をのぞき込んだ。
こなたは喜んで毛布を受け取ると、全身にかぶりながら答えた。
「スゴいね!土星の輪っかを生で初めて見たよ!」
「本当に綺麗ですよね。くっきりとリングが見えますよ。
こなたさんも随分と望遠鏡の扱いに慣れてきた様ですね。」
二人でバルコニーから見る土星は、また各段に美しかった。
みゆきは学校で雑談をしていた。
その中の話題の一つで、夜はたまに望遠鏡を使って天体観測をしているのだと、話した事があった。
そうしたところ、食い付いてきたのがこなただった。
普段はゲームやマンガの事ばかりに興味があるこなたが、だ。
それが、まさかの天体に興味があると言うのだ。
みゆきはそれに驚いたが、趣味の共有が出来ると言うのは、喜ばしい事でもある。
早速みゆきは、土曜日にこなたを家に誘い、こうして反射望遠鏡を使わせているのだった。
「この望遠鏡って、どれくらい遠くまで見えるの?」
「どうでしょうね……、それでアンドロメダ銀河を見た事はあります。
私たちが住んでいる銀河系の、外にある天体です。
もっと星空のきれいな場所なら、更に遠くの天体も見えるかもしれませんね。
でも、ここでは街明かりが空を照らしてしまって、暗い天体は見る事ができません」
「そっかあ、そんなに遠くまで見えるんだ……」
こなたは空を見上げた。
確かに都内から見る星は、とてもまばらで数が少ない。―――
―――そうじろうはこなたの純粋な問いに戸惑った。
しかしすぐに笑顔を作り、しゃがんでこなたの目を見つめる。
「いいか、こなた。お前のお母さんはな、お星様になってるんだぞ」
「お星様に?」
「そうだ。とっても高い所から、こなたが元気に育っているのを見てるんだぞ」
「元気に……」―――
―――「泉さんはいつから星が好きになったんですか?」
「うーん……、覚えてない。でも昔っから星をよく見てたんだよ。
小学生くらいの時にさ、大きな彗星が見えなかった?」
「もしかして、ヘール=ボップ彗星の事ですか?
肉眼でも見えた20世紀最大の大彗星ですね」
「うん、それ。あれが原因だったような気がする……
その年の夕方にね、お父さんが私を山に連れて行ったんだ。
それで夜になって、あれがヘール=ボップ彗星だよって、教えてくれたんだよ」
「そうだったんですか。
それはとてもロマンチックだったでしょうね」
こなたはその時の事を思い出そうとしていた。
しかしどうにもハッキリと思い出せない。
何か重要な事を忘れていると、こなたの心の深部がさっきから訴えている。
しかしもう十年近く昔の事だ。
こなたにはそれを思い出せる自信はなかった。
その代わりに、孤独だった小学校時代を思い出してしまった。
みんなと話題が食い違い、どのグループにも馴染めなかった。
クラスメートが友達と二人で帰って行く様子を見るだけで、うらやましいと思ってしまう。
自分の性格もあの頃と変わったのだと、こなたは感じていた。―――
―――1997年4月1日、ヘール=ボップ彗星は近日点を通過した。
太陽に近づいた彗星は最も尾を長く伸ばし、そして最も強く輝いた。
その年の5月、こなたとそうじろうはとある山に来ていた。
そうじろうはニュースで知ったヘール=ボップ彗星の見つけ方を頼りに、夜空を見回していた。
しかしその必要はない。
北西の空には、一等星よりも明るく光る星があった。
こなたは彗星を見つめた。
彗星のダストテイルがぼんやりと見える。
「こなた。あの彗星は今から宇宙に帰って行くんだぞ。
それで二千後に、また地球に近づくんだ」―――
―――みゆきは望遠鏡を覗いている。
こなたは何気なくみゆきの部屋を見た。
机の上にはカーネーションが生けられていた。
その時、明日は母の日であることを、こなたは初めて気が付いた。
こなたには母がいない。
そうだ、あの時もそうだった―――
―――彗星は星の海に帰って行く。
星になった母がいる、あの天の世界に。
こなたは思った。
あの彗星が、私のメッセージを運んでくれるのだろうかと。―――
―――何だっただろう。ふと、こなたは考えた。
彗星に託したメッセージの内容が思い出せない。
ここまで昔の記憶をおこしたのに、それだけがどうしても思い出せない。
今までと違って、思い出せるような気すらしない。
みゆきはこなたを見て、不安になった。
こなたは星を見ている様で、実は更に遠くを見つめている。
星への思いは、こなたにとって特別なものなのだろう。それはわかる。
しかし少し違う。
星を見ていると優しい心になれる。
それはみゆきの兄から聞いた言葉だった。
しかしこなたの顔は少し悲しげなのだ。
「泉さん、来週のいつかの夜は、空いていらっしゃいますか?」
こなたはみゆきの顔を見た。
それは無表情な顔だったが、優しさを蓄えた顔だった。
こなたは、無理をして思い出さなくてもいいのだろうと思った。
「バイトがない日なら空いてるよ」
それはもう過ぎた過去の事なのだ。
「良かった。実は泉さんの誕生パーティーを開こうと考えているんです」
メッセージは思い出せない。
しかしきってあの時とは違うメッセージを、今の自分なら送るだろうと思う。
こなたは無邪気に、みゆきの胸に抱きついた。―――
―――ヘール=ボップ彗星は今、天王星の軌道付近に近づいている。
そして彗星の故郷、オールトの雲にまで到達する。
そこは太陽系の最果て。
太陽系で最も星の海に近い場所。
これから千年もの時間をかけながら、こなたの乗せたメッセージは、今も母に近づこうとしている。―――
―――「私、友達がほしい」―――
最終更新:2008年05月18日 01:47