私はヒトカラが好きだ。
ヒトカラというのは「人から感謝される事をする」という言葉を縮めたもので、私が発明した遊びである。
間違っても、「一人でカラオケをする事」ではない。
今日のヒトカラには、私の親友である永森やまとも参加していた。
「一人カラオケじゃないって言ったのに、結局はカラオケなのね」
「うん。今回は依頼者の希望がカラオケ関係だったからね」
ヒトカラは基本的には他人の意見を聞かずに、こちらのやりたいようにやる。
そのため、お節介だったり、タチの悪い悪戯だと思われがちだ。
しかし何度も巻き込まれた者の間では、これが善意の行いである事は理解されていた。
私の行動がたまには役に立つことも有り、成功した場合には再度やってくれと頼まれる場合すらある。
今日はその依頼が入った第2回目であり、私は嬉しくなって親友を誘ったのだった。
「別に手伝うのはいいんだけど、何をするのよ?」
「歌を聴くだけ。一人でカラオケに行くのが恥ずかしいらしくってさ、私たちは観客として聴くだけだよ」
「……帰っていい?」
「ちょっと、ここまで来てそれはないでしょ。乗りかかった船じゃん」
「泥舟に乗ってしまった事に、早く気づくべきだったわ」
文句を言いながらも、やまとは本気で帰ろうとはしなかった。
そういうところ、私は好きだよ。うん。
「それで依頼者っていうのはどこにいるの?」
「あれー、おっかしいな。店の前で待ち合わせのはずだったんだけど」
周囲を見回した後、やまとは私を睨みつけて言った。
私は携帯電話を取り出して時間を確認するが、既に待ち合わせの時間から十五分は経っている。
これは不味い。非常に不味い。
まさか、依頼が罠だったとは気づかなかった。
新聞や週刊誌の文字を切り抜いて作られた手紙は怪しかったが、こんな事態になるとは予想だにしなかった。
そもそも、やまとを誘った時に、不審な手紙についての相談をするべきだったのだ。
聡明な彼女ならば、手紙の依頼が嘘だと気がつけたものを……。
せめて、誘っていたのがひよりなら、気まずさが軽減されたことだろう。
ひよりには断られてしまったが、しつこく誘ってみるべきだったかもしれない。
私がその後悔を口にすると、やまとはそれまで以上に眉をひそめ、不機嫌さを露わにした。
「私じゃなくて良かったのなら、どうして別の人を連れて来なかったのよ?」
「えっ、違うよ。せっかくの休日に呼び出して、やまとに迷惑をかけちゃったと思っただけで」
「勝手に決め付けないでよ。私はあんたに誘われて、嬉――」
「……うれ?」
「なんでもないわよ。とりあえず、時間が間違ってるかもしれないから、手紙を見せなさいよ」
「う、うん。これがその手紙」
「どれどれ」
一人では恥ずかしくてカラオケ屋に行けず、歌の練習が出来なくて困っています。
緒の切れた下駄のように、みんなの前では勢いを失って歌えないんです。
にぎやかに歌っているところでも、私の番が来ると空気を壊してしまいます。
楽器の演奏などは問題ないのですが、声を出すといつも音程が外れてしまうのです。
しっかり歌おうとするほど、その傾向が強く出ます。
んーと、前置きが長くなりましたが、練習に付き合ってもらえないでしょうか?
できれば、もう一人くらい誰かを誘ってください。
きっと私ばかりが歌い続けると思うので、その間は二人で会話でも。
ていうか、店に出入りする時と、店員がドリンクを持って来る時以外は自由にしていてください。
くだらない頼みごとであるのはわかっていますが、あなたの人柄を見込んでのお願いです。
だから、どうかよろしくお願いします。駅前のカラオケ屋にて、土曜の14:00
さきの大戦では、あなたの援護射撃に命を救われました。
いきて再会できたのも何かの縁ということで。
「最後が意味不明ね。ん、これ縦読みじゃない! 一緒に楽しんできてくださいって、私たち二人に?」
「うーん。そうだろうね。折角だから、カラオケとかどう?」
「……そうね。ここまで来て何もせずに帰るのも、馬鹿みたいだしね」
気が付くと、私たちは笑っていた。
手紙に隠されたメッセージを発見した喜びではない。
喧嘩をして険悪なムードになっても、あっさりと和解をして、こうして笑顔で向き合える。
そんな関係の相手が目の前に居ることが、私にはとても嬉しかった。
もしも、依頼の手紙が無かったら、きっと今頃は私たちは別々に過ごしていただろう。
そう考えると、私は手紙を送ってきた相手に感謝の言葉を伝えたくなった。
「なにやってるのよ、こう。置いてくわよ?」
「今行くよ。っていうか一人で入ったら、寂しい『ヒトカラ』することになるよ?」
「うるさいな。だいたい、紛らわしいからヒトカラって略すのやめなさいよね」
「あはは。まあいいじゃん。それじゃ、今日は久しぶりだし、夜まで歌おうかー!」
…………。
「ふふふ。これが、こーちゃん先輩の言っていたヒトカラ……。病み付きになりそうッス」
電信柱に隠れて二人を見守る謎の影は、ぽつりと呟いて姿を消した。
終
最終更新:2008年06月02日 18:31