小さくはにかむ優しい緑。
目を閉じて真っ先に思い浮かぶのは、誰?
ねえ。
答えは、もう、分かっているんでしょう。
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くるりくるりと表示が変わる時刻表を確認して、静かに開いた扉から電車内に入る。
時間帯が通勤のそれとは重ならなかったせいか車内の人影が疎らで、二人がけシートの窓側の席に腰を落ち着けた。
小さく息を吐き出して、少しずれてきたサングラスを人差し指でひょいと上げる。
メディアへの露出が以前より減ったとはいえ必要最低限の嗜みとしてキャスケットとサングラスは着用するようにしているのだけれど、本当の世界の色を見ることができないからあまり好きじゃない。
まあ、素のままの姿で表へ出て、声をかけられたりして仕事に遅れるよりはよっぽどいいのだけれど。
以前は公共交通機関で仕事場へ向かうなんてことはしなかった。それが増えたのは今の事務所に入ってからだ。
それは、事務所側に車を用意する余裕(金銭的な面でも人員的な面でも)がないっていうのも大きな理由だったけれど、なにより私がそれを望んで。
スケジュール管理だったり、移動だったり、今まで人任せだったことを自分でやって、一からこの世界の事を学び直そうと思ったから。
窓の縁に頬杖を付いて、流れる景色を夜色のサングラス越しに眺める。
まだ日が沈むには少しだけ早い時間。街中も車内と同じで人影が疎らだった。
歌にはもちろん自信あるし、誰にも負けないと思っているけれど、大人として、
仕事を持つ一人の人間として、きちんと自分の力でこの世界に立ちたかった。
そう思ったきっかけは、あの子。
緑色の優しいあの子。
与えられた仕事と誠実に向きあって、一生懸命歌って、伝えようとしている、ランカちゃんの真っ直ぐな姿勢のせい。
以前もメディア越しによくその姿を見ていたのだけれど、同じ事務所に所属してからその姿勢をより間近で感じて。
今までの自分が全て間違っていたなんて思わない。
彼女に会う前の私も真っ直ぐに前を向いて歌っていた、それを否定するつもりは毛頭ないけれど、
ただ、振り返って、そして、少しづつ仕事と自分に対する見方が変わってきた。
瞼を閉じる。
その裏でランカちゃんが真っ直ぐに歌ってて。
その真っ直ぐな姿に、私はどうしようもなく、惹かれてしまうのだ。
アルトに恋をして、彼女とライバルだった時でさえ、私は、振り返らずにはいられなかった。
彼女に視線を投げずにはいられなかった。
それが、ランカちゃんが纏う雰囲気のせいなのか、それとも別の理由からなのか、今の私には分からない。
けれど、今はただ、彼女に出会えてよかったと強く思っている。
車内アナウンスが流れて、目的地が近いことを私に知らせた。
瞼を押し上げて、頬杖を解く。窓から遠目にホームが見えた。
出会えてよかった、と伝えたら、ランカちゃんはどんな表情を見せてくれるのだろう。
アルトの前でそうなるように、恥ずかしそうにはにかんでくれる?
耳まで赤くして笑む彼女ははすごく可愛いから ―――。
――― 見て、みたい。私にそんな表情を向ける、彼女を、
そこまで考えてはっとする。一体何を考えているんだ。
(これじゃあ、まるで、)
アナウンスが車内に響いて、車体が静かにホームに滑り込んだ。
扉が開いたのを見とめて、私はホームに降りるべく席を立った。
思考は、そこで中断したまま。
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「あ、シェリルさん!」
スタジオの控え室に入って、真っ先に向けられた言葉。
とたとた駆け寄ってきたランカちゃんは、満面の笑みで「お疲れ様です」と言って。
彼女の動きに合わせて、ぴょんと揺れる緑の髪の毛が可愛らしかった。
「お疲れ様。ランカちゃん、早いのね」
サングラスを取りながら笑いかける。
この時間では収録までかなりの時間あるはずだ。
私も相当早くに着いてしまったと思ったのに、それ以上前からここにいたらしい彼女は一体何時に着いたんだろう。
最近増えたランカちゃんと一緒の仕事を思い出してみたけれど、こんなにも早く仕事場に顔を出す子じゃなかったと思う。
そんな事を考えながら作り付けの机の上にサングラスを置いて、キャスケットを取る。
壁に取り付けられた大きな鏡を見ながら髪の毛を整えていると、後ろから控えめな笑い声。
「違うんです。あの、ついさっきまで、ここのスタジオで別のお仕事してて」
だから早いのだと、彼女は教えてくれた。
よく通るその声に耳を傾けながら、だけど、私は鏡の中に写りこむランカちゃんから目が離せなくなってた。
もともと血色の良い頬が更に鮮やかに色づいて、嬉しそうに笑む彼女から。
――― まるで、アルトといる時のような顔。
そう思ったら、ひゅうと冷たい風が心臓を一撫でして、小さく身体が震えた。
なんだろう、この感じは。
まるで、切ないようなこの気持ちは。
私の中にはまだ、あの馬鹿への気持ちが残っているとでも ―――。
アルトのことは好きだった。
間違いなくあの頃は恋愛感情を抱いていたけれど、あの事件の夜すべてを一度手放して、
ランカちゃんと共に歌ってから、少しずつ緩やかに、だけど、それは確実に変化していった。
今でもあいつのことは好きだ。
それは好意に他ならないけど、それは深くて大きい感情で、恋愛の対象に向けるそれとは全くの別のもの。
もう、キスしたいとも、抱き締められたいとも思わないのに。どうして。
頭を振って、考えをはらった。
今は、そんなことを考えている時じゃない。
バッグを机の上に置いて振り返ると、ランカちゃんと目があった。
彼女は一瞬驚いたようにびくりとして。
それから花が咲くように笑顔を浮かべた。鮮やかな頬の色が更に強くなる。
柔らかそうなその頬は、触れたら一体どんな感触がするのだろう。
「……嬉しそうね?」
彼女に手を伸ばしたくなる衝動を抑えてそう言うと、
ランカちゃんは少しだけ俯いた後、上目遣いでそっとこちらへ視線を投げた。
さわさわと、落ち着かない感情が背中を駆け抜ける。
「だって、シェリルさんと一緒のお仕事だもん」
少しだけ言い難そうな声音。
「だから嬉しいんです」と付け足して、ちょこんと顔を傾ける彼女。
真っ赤な顔ではにかみながら私を捕らえる、視線。
胸が熱くなる。
それは、まるで燃えてるようで、
―――― 痛い。
心臓の上に右手を添えて、小さく握り締めた。
鼓動が聞こえる。それがいつもよりも早く打ってるように感じるのは私の気のせい?
熱い息を吐き出しても、それは止まらなくて。
私はそれを必死に隠しながら小さな笑顔を彼女へ向けた。
「そう」
一言呟くのが精一杯だった。
声は震えなかっただろうか、ランカちゃんに変に思われなかっただろうか、そんな事が頭を占めて。
まともに彼女を見ることができない。
作り付の机に腰を預けて、小さく俯く。
「シェリルさん?」
不思議そうな彼女の声が聞こえた。だけどそれに応える余裕なんてとおになくて。
胸の中の炎が一層激しく燃え上がる。
小さく息を吐いて、落ち着こうと瞼を閉じた。
その裏側で、緑が揺れる。
小さくはにかむ優しい緑。
どくりどくりと聞こえる鼓動。
全身が、熱くなる。
目を閉じて真っ先に思い浮かぶのは、誰?
ねえ。
答えは、もう、分かっているんでしょう。
おわり
そんな自分はシェリランリバ派。
最終更新:2009年04月18日 12:10