シェリル→ランカ

ただ、「好きだ」と伝えたらあの子はどんな顔をするだろう。
想像してみるけれど、あの子の顔は曇るばかりで、すぐにやめる。

だって、あの子には笑顔でいてほしいから。

それは紛れもない本心なのに、私の心のずっとずっと深い場所は、
あの子に触れたくてたまらないと、涙を流す。





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「シェリルさん!」

スタジオの広い廊下を歩いていたら、後ろから愛おしい声に引き止められた。
名前を呼ばれた、それだけなのに鼓動が早まるのを自覚する。

静に息を吐き出して、心を落ち着けて、“いつも”のシェリル・ノームの顔で向き合う準備をしてから、私はゆっくりと振り返った。

視線が捕らえた柔らかな緑。
予想通りそこにあったのは、私の心を掻き乱す笑顔で。
一向に落ち着かない鼓動をできるかぎり気にしないようにしながら、私は“いつも”の笑みを顔に乗せた。
それに応えるように笑みを深めたランカちゃんが小走りでこちらへ。
嬉しそうに揺れる彼女の髪に思わず目を細めた。

「お仕事ですか?」

満面の笑みでそう訊ねてきたランカちゃん。
嬉しそうに弾む声も、その笑顔も、“彼女の憧れのシェリル”に向けられたもので。
そこにある感情はそれ以下でも以上でもない。
それを嫌になるほど理解しているから、私も“憧れのシェリル”として口を開く。

「ええ。今終わったところよ」

「ランカちゃんは?」と聞き返す。完璧な“シェリル”の笑顔で。
彼女は「私もそんなところです」とやっぱり嬉しそうに答えた。

仮面を被るのは慣れている。
それは、仕事をするうちに自然と身に付いたもので。
多くの人に歌を伝えられる立場になるにつれ、メディアに露出する頻度に比例するようにそれはより強固になっていた。
私の歌を聴いてくれる人を失望させないように「銀河の妖精」として相応しい振る舞いをしてきたから。

それがこんな所で役に立つとは、考えもしなかったけれど。

視界の中の緑がぴょこんと揺れた。
ランカちゃんの眉尻が僅かに下がる。

「本当は、お仕事もう少し早く終わる予定だったんです」

この世界ではよくあることだ。
それには色々な原因があるけれど、何が原因であれ、私たち歌い手は全力でそれに応えるだけ。

相槌を打って彼女を見つめる。
身長差のせいでランカちゃんが私を仰ぎ見るような姿勢になってて、まるでキスする時のようだ、なんて場違いな事が脳裏を過ぎった。

彼女は私から視線を外すように少しだけ俯いて。

「でも、お仕事長引いてちょっと良かったかな……なんて」

ぽそり、と、いつも明るく喋る彼女には珍しく小さく言葉を落とした。
彼女の言葉の意味することが分からなかったから、私は素直に「どうして?」と訊ねた。

そうしたら、一瞬、外れていた視線が混じって、またすぐに逸らされて。
そのまま彼女の視線は左右にゆっくり揺れて、黒めがちな瞳を彩る睫が小さく震えた。
言おうか言うまいか逡巡しているようなその仕草に、心の中で首を捻る。

そんなにも返答に困るようなことだったのかしら。

そんな事を考えていたら彼女の視線がやっと戻ってきて。
絡む視線。その彼女の頬がさっきよりも少しだけ赤みが増した気がする。




「だって、シェリルさんに会えたから」




心臓が一層高く鳴く。

そこからじわりと染み込む甘い痛み。
それはゆっくりと、だけど、確実に私を侵す。

えへへ、と照れ隠しのようにランカちゃんが笑う。
その前で私は息を呑むのを止められなかった。

彼女のその言葉が、“憧れのシェリルさん”を指してのものだと十分に理解しているのに。
その瞳が熱く濡れる時、彼女の前にいるのは私ではないと、嫌と言うほど知っているのに。

胸のもっともっと奥の一番柔らかい場所が、じん、と痺れて、心が叫ぶ。


言ってしまいたい、と。

すべてを打ち明けて、彼女を抱き締めたい、と叫ぶ。


ランカちゃんには笑顔でいてほしいのに。
それを一番に望んでいるのは私自身のはずなのに。

ぎゅ、と自分の手を握り締めた。

笑顔を望んでいるのは、私。
それを奪うことは絶対にあってはならない。

だから私は、崩れかけた“シェリル”の仮面を必死に整えた。


「そう」


笑顔で答える。それが正解だから。

上手く笑えているだろうか。
いつものシェリルの笑顔になっているだろうか。

確信が持てない。
乱れた心を落ち着かせるのは仕事で慣れているのに。
彼女の前ではそんなこと何の意味もなくなってて。

だから、私は、相変わらず照れたような笑みを浮かべるランカちゃんに、
次の仕事があるからと適当な事を言って踵を返した。

「がんばってくださいね」と、彼女の声を背中で受け止める。
振り返りはしなかった。――― できなかった。


いつもの“シェリル”の顔をしている自信がなかったから。


廊下の突き当りを曲がる。
そのまま早足で歩を進め、もう一つの角を曲がったところで立ち止まって、壁に背中を押し付けた。

(好き。大好き)

誰よりも、どんな人よりも、あなたのことが。
言ってしまえば楽になれると分かっているのに、その笑顔を曇らせたくないという理由だけで、自分を抑えてしまうくらいに。



――― ランカちゃんのことが好きなの。



溢れ出る感情を抑え切れなくて、私は、痛みを孕んだ心臓の上に手を置いて、ぎゅ、と握った。
だけど、彼女の感情が向いている先にいるのは私じゃないと分かっているから。
気持ちを伝えて自分だけ楽になるわけにはいかないのだ。

彼女を困らせたくない。

だから。



「……私を誰だと思ってるの」



何度も口にした言葉を自分に投げかける。瞳を閉じて、ゆっくりと。

“銀河の妖精”に戻れる言葉を。






――― 私は、シェリル。


シェリル・ノームよ。







瞼を押し上げて、私は、一歩踏み出した。







おわり

そろそろランカ視点でシェリル←ランカを書きたいなぁ

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最終更新:2009年04月18日 13:25
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