オフの日の昼下がり。
大きな窓から差し込む日差しと、コーヒーの香りが広がる部屋で、ソファにゆったり座って雑誌を読む。
ゆっくり流れるこんな時間が、私は何物にも変えられないほど幸せだった。
そして、その幸せは、隣に愛しい存在が寄り添ってくれているかどうかで、その度合いが大きく変わってくるのだ。
――― 愛しい緑のあの子がいるかどうかで。
「シェリルさん!」
耳に馴染んだ澄んだ声に名前を呼ばれて、読んでいた雑誌からそっと視線をそちらへ移す。
そこには満面の笑みのランカちゃん。
ソファの上に両手を突いて私を見上げるその姿が、子犬が「遊んで、遊んで」と飼い主にせがんでるそれと重なって、自然と笑みが零れた。
私はどうにも彼女のその姿に弱くて、その姿を見ると、ついついその柔らかな髪を撫でてしまう。
手を伸ばして緑の髪を一つ梳くと、私がいつもそうした時と同じように、ランカちゃんは擽ったそうに肩を竦めた。
「どうしたの?」
髪を弄りながら問いかけたら、ランカちゃんは、ずい、とこちらへ身を乗り出した。
その表情がさっきよりも、何だか得意げになってる気がするのは私の気のせいかしら。
「あの、シェリルさんって、その、……キスとかって、ええっと、経験、多い方ですか?」
その質問の指す意味に、一瞬、髪を撫でていた手が止まった。
――― “経験”というのは、回数の事を聞いているのだろうか。
その意図を考えたけれど、目の前の彼女は相変わらず嬉しそうに私を見ていて。
質問に何か裏があるとはどうしても思えなかった。
「……少ない方だと思うけど?」
物心着いた頃にはもうこの世界に入っていたし、駆け出しの歌手に恋愛に現を抜かしている暇なんてなかった。
メディアへの露出が増えてからは、それはそれで、違う意味で恋愛はリスクが高いもので。
まあ、それなりの経験もしれいるけれど、同年代の女の子のように自由な恋愛なんて許されなかったから、やっぱりそれに比べたら少ないはずだ。
質問の意味を図りかねて言葉尻を濁したけれど、ランカちゃんはそれで満足したようで。
笑みを更に深めた彼女は、また、ずい、と身を乗り出して、内緒話をするように私の耳に顔を近づけてきた。
彼女の吐息が耳朶をそろりと撫でる。
「シェリルさん、キスはですね」
私以外に聞こえないような小さな声でランカちゃんが話し始めた。
この部屋には私と彼女の二人きりだから別にここまでしなくても構わないのに、と思いながらも、
急な接近に嫌な気なんてこれっぽっちもしなくて、黙って耳を傾ける。
「たまに相手の舌を甘噛みしてあげたり、歯の裏を舌でなぞったりとかしてあげると、
凄く感じるんだって、友達が言ってました」
耳に届いた言葉に、私は、また一瞬反応が遅れた。
離れていったランカちゃんの顔を見やると、どこか得意げな笑顔とぶつかって。
彼女は「知ってました?」なんて、可愛く小首を傾げてみせる。
「……知らなかった、けど」
知ってるいるか、知らないか、で言えば、それは前者。
そんな風に具体的に言葉で教えてくれる人なんて今までいなかったし、
そもそも、そんな事を考えながらキスしたことがなかったから。
しかし、それを私に教えてランカちゃんは一体どうしたいのだろう。
彼女にそんな事を吹き込む友人については、一度よーく話し合わなければならないと思うけれど。
私の答えを聞いたランカちゃんは、得意げな笑みを深めて私を見つめる。
その笑顔からは、自分の知っている知識を披露する以外の目的は見つけられなくて、
本当に、その“キス”について私に教えたかっただけのようだった。
――― けれど。
私は、その知識に黄色い声を上げて彼女とお喋りをする“友人”という関係ではくて。
キスをする対象の、恋人、で。
―――― 大人、だから。
だけど。
ランカちゃんの発言に「そうなの」とにっこり笑って流してしまえるほど、できた人間ではないのだ。
髪の上に滑らせていた手を、するり、と項まで下ろす。
そして、そのまま引き寄せて、柔らかな唇に自分のそれを重ねた。
ランカちゃんは大きく目を見開いて、私の二の腕辺りに手を置いたようだったけれど、抵抗はしなかった。
潤んだ瞳を見つめながら、そろり、と唇に舌を這わせる。
途端に、ぴくり、と彼女の身体が震えて、耐え切れなくなったかのように、その瞼がきつく閉じられて。
私はその反応に内心ほくそ笑んで、それに続いた。
多くないランカちゃんとのキスから、彼女が私以上にこういう事に不慣れなのは知っていたから、
怖がらせないように、優しく唇を食んで、舐めて、その扉を開いてくれるようにお願いする。
そうして、薄く開いたそこから、舌を差し入れて、彼女の熱い熱いそれに絡ませて。
ランカちゃんがさっき言っていた事を実践。
もちろん、優しく優しく、丁寧に。
重なった隙間から漏れる鼻にかかったような声が彼女の声が、私の脳を溶かしていく。
熱に浮かされたように角度を変えながら、私は執拗にキスを繰り返す。
いつの間にか、二の腕に置かれてた彼女の手は私の首へ回されていて。
私の腕は彼女をかき抱くようにきつくその身体に巻きついていた。
どれくらい経ったのだろう。
最後に小さく唇の端に口付けて、私は、そろり、と唇を離した。
額を彼女のそれにくっつけ静に息を整えて、ゆっくりと瞼を押し上げる。
一番に飛び込んできたのは、上気した頬のランカちゃん。
彼女の熱く濡れた瞳と視線が交じる。
きっと自分も同じような目をしているのだろうな、なんて考えて、頬が緩むのを止められなかった。
「こういうことかしら?」
さっきの彼女を真似て内緒話をするように囁いたら、ランカちゃんは上気した頬を更に赤くして、
両の眉尻を困ったように下げた。
初々しい表情の中で、唾液で濡れた唇だけが妙に艶かしい。
暫く彼女は目を左右に泳がせていたけれど、観念したように上目遣いにこっちを見やり、
「……こういうことです」
ぽそり、と消え入りそうな声音でそう言った。
おわり
妄想が楽しすぎる。
最終更新:2009年04月18日 14:11