あの子の声は子守唄、記憶の奥の奥の奥底の、郷愁を揺さぶり安息で包む。
どれだけ尖った夜もこの声を聞いて眠りに付けば、絶対の快眠が約束される。
『――――聞いてます?シェリルさん』
携帯を持ったまま顎が枕に落ちかけているのに気付いて、慌てて取り繕った。
「もちろん聞いてるわよ、来週発売されるランカちゃんの声を基にした擬似音声ソフトの話よね」
『はいっ!そうなんですよーすごく収録が大変だったから発売は嬉しいけど恥ずかしいって話です!』
不自然に説明がちだけれど、そういう話をしていた。
電話越しにも伝わる弾んだ声が、私の眠気を取り払う。
『それで、その、シェリルさんに1本プレゼントしようかな、と思うんですけど』
「いらないわよ」
予想はしていた。もしかしたら私のために取り置いてくれるのではないかと。
しかしこのシェリル・ノーム、作曲はもっぱらアナログ派だし、本人の声が素材とはいえ所詮は人工物。
一般人が戯れに使用するソフトウェアなんて興味ないわよ。
ええ、本当、全然!興味ない。
他の有象無象が弄くり回せるようなの、シェリルが興味あってたまるもんか。
だって、私は。
「私は実物のランカちゃんをたーっぷり歌わせてるし?」
『シェ、シェリルさん……!』
――――決まったわ。
誰にとも無くフフンとせせら笑い。
『シェリルさんの言う通りですね!今度会えたらたくさんデュエットしましょうね!』
……あら?
『じゃ、シェリルさん眠たそうだから切りますね』
「え、ええ」
就寝の挨拶を置き土産に、通信端末は回線切断を告げる。
お子様なあの子にはイマイチ伝わらなかったらしい。
非常にプライベートな、主にベッドとかベッドとかベッドでの意味だったんだけど。
「早く大人になりなさいよね、全く」
愚痴を吐きつつ不貞寝を決め込むのだった。
一週間後。
「絶ッ対興味なんかないんだから!」
帰宅して早々変装用サングラスとスカ-フをソファに剥ぎ捨てる。
「だいたいよ?そこらの馬の骨にランカちゃんの声を乗りこなせる訳ないじゃない」
端末をオン。
「あの声の価値は誰よりも、いいえ、私だけ!が!知ってるのよ」
開封前に記念写真を一枚。
「この!ナチュラルボーンクイーン!シェリル・ノームだけがね!」
ソフトが起動し、可愛らしくデフォルメされたランカちゃんが微笑みかける。
『Welcome to ランカっぽいど!!』
――――……結局買っちゃった。
冷静になると、暗闇に光るモニタの前でやけに挙動不審な自分がいて。
いかがわしい本をこっそり買った男子中学生みたいで恥ずかしい。
草葉の陰からグレイスが苦笑している気がする。
「こんなの遊びよ遊び」
グレイスの霊魂に言い訳しつつ、記念すべき最初の言葉を入力した。
何を言わせるかって?決まっているでしょう。
『ダイスキシェリルサン』
――――華麗な曲線を描いてキーボードに額を打ち付けた。余りの破壊力故。
素晴らしいわ、ランカっぽいど。
硬い機械発音だけど、声自体はランカちゃんそのもの。
滑らかに発音させるにはどうしたら良いか、説明書を流し見。
アクセントを付けて『ダイスキ!シェリルサン!』元気で大変よろしい。
小さい「つ」を語尾に加えて『ダイスキッ!シェリルサンッ!』私もよッ!
溜めを入れて情感豊かに『……ダイスキ……シェリルサン』ヤックデカルチャアァ!!
加工の度に無言で机を叩きつつ、額に新たなキーボード痕を生みつつ、私は夢中でランカっぽいどに耽った。
予想より操作は簡単で、コツを掴めば音程を付けるのも容易だった。
まずは練習として既存の曲を簡易的に打ち込む。
『キラッ☆』
「完璧よランカちゃん!よくやったわ!可愛い!最高!!」
数時間後ついに納得の行くキラッ☆が完成した。
私は椅子をくるくる回転させて喜びに咽ぶ。万歳もする。
ふと窓の外を仰いだら、朝焼けが爽やかだった。
…………え、朝?
調教初日から数日を置かずして、私の技術は持ち前の向上心から急速な上達を見せていた。
既存曲では既に満足できず、本業とは別にランカっぽいど専用曲を2、3作りあげた。
一般受けしないだろう曲、
つまり私のランカちゃんへの想いがストレートに押し出され過ぎてスピーカーを突き破る曲。
そういった代物を一人創り楽しむには打って付けのツールだったのだ。
でも創造者は表現欲求の業を持ち合わせてもいて、段々と誰かに成果を披露したくなるのも当然。
「というわけで、どう?」
「どうってお前……俺にこの濃すぎる歌を聴かせて何を求めてるんだ?」
名誉ある試聴役に選ばれたというのに、ヘッドフォンを外したアルトは若干肩が引けていた。
表現者が求めるのは忌憚ない感想に決まっているじゃないの。
「音楽は門外漢だが……なかなか良く出来てるぞ。メロディーが耳に付いて」
「ほんのり懐かしさを感じる曲調にしてみたのよ。歌詞はどうかしら?」
アルトは少しばかり考えて。
「エロイ」
「失礼ね!アルトのくせに!」
「エロイ以外どう言えばいいんだ!きわどい表現オンパレードじゃねぇか!!」
「仕方ないわね……いいわ、次こそこのシェリルの本気を見せてあげる」
「まだ聴かされるのかよ……」
全力で仕事を片付け徹夜で新曲を仕上げた。朝焼けが眩しい。
「さあ賞賛しなさい!」
「婉曲になった分いかがわしさがパワーアップしてる」
「何ですって!あなたの脳がいかがわしいんじゃないの?!」
「歌詞が女性週刊誌の体験談みたいなんだよ!!」
「あら、読んでるの?女性週刊誌の体験談」
「読んでねぇよ!!昔女形の参考に目を通しただけだ!」
「読んでるじゃない。やぁねムッツリは」
「……!!畜生!もう絶対聴かねーからな!」
うっすら涙を浮かべてアルトは走り去った。全くメンタルの弱い姫だこと。
とはいえ弱みを見せられる貴重な相手である。
そんな唯一の観客に逃げられ、私はネット上に場を求める事にした。
ぽつぽつ反響が返り、私もそれに応え曲を進化させる。
慣れ親しんだのとは違う形の交歓に私は没頭し、いつしかカリスマと祭り上げられるまでになっていた。
勿論、シェリルとしてファンに愛されるのが私にとって最高の人生よ。
スタ-でいる孤独を寂しく感じる時もあるけれど、私には歌しかない。
それに今は空白を柔らかく暖かく満たしてくる人がいるんだもの。
そう、この声の持ち主。
柔らかく暖かく……熱く……湯気……を立てる肌……匂い立つ……汗……
……違うわね。もっとこう叙情的かつ官能的に情熱を込めて。
さあ今夜も寝かせないわよ!ランカっぽいど!
この所シェリルさんにちっとも会えない。
私とシェリルさんのメイクを担当してくれているボビーさんに様子を尋ねると、
シェリルさんはかなり忙しいようで、睡眠不足による隈を隠すためコンシーラーが大活躍なんだって。
なのに、電話でお話する声はちっとも変わりなくて、心配するのが失礼かもと思ってしまう。
それとなく調子を聞いても「作曲が忙しくて」で終わってしまうし。
学校にも登校しないから、今日も皆でお喋りする階段広場に華を添える姿はない。
寂しいな。心配だなぁ。
「ランカさん、悩み事?」
横から突然覗き込まれて、慌てて首を振る。
シェリルさんを心配してるつもりでナナちゃんに心配されてる。しっかりしなきゃだよ私。
「そうだ!ランカさん、ランカっぽいど投稿サイトって知ってます?」
ルカ君が空気の流れを変えてくれる。
『ランカっぽいど』とは、先々週発売された、私の声を素材に作曲できるソフトのこと。
それを使った作品を誰でも自由に発表できるサイトがあるのだそう。
「一番の実力派と目されるのが、この人です」
ルカ君のノ-ト型端末からイントロが流れる。
と同時に、アルト君が手を滑らせて紙飛行機を破った。
「ルカお前この曲!?」
「アルト先輩知ってるんですか?SRさんって人の曲なんですが」
「……S、R……S×R?なんつー安直な」
イントロから、しっとりした歌い出し。
いざ自分の声が流れると照れちゃうけど、とても綺麗なメロディ-ラインに聴き入ってしまう。
すぐに口ずさみたくなる親しみと、大人っぽい情感を漂わせ……?
「す、すごい曲だね」
濃厚というかアダルティっていうか……私の声じゃアンバランスじゃないかな?
しかも女の人同士のラブソング、色々すご過ぎだ。
「ランカさんの清純な声が奏でる艶やかな熱情……あぁ~背徳感がたまらないです!!」
「はは……ありがとうナナちゃん」
それからというもの。お仕事を終えて、おうちに帰ったら一直線。
端末の電源をオン。
オズマお兄ちゃんはきっとキャシーさんと一緒だから遅くなるよね。
ブレラお兄ちゃんは夜勤だから安心。
この人の作った曲、凄みがあって聴いてるとドキドキする……。
それに、女の子同士の恋をテーマにしてるからか他人事とは思えない。
シェリルさんを思い出しちゃうよ。
最近顔合わせられないけど元気かな。私の事忘れちゃってないかな。
――――この歌みたいに、抱きしめて欲しいよ。
ため息はびっくりするほど熱くて、いけない事をしているみたいでドキドキした。
新曲更新をチェックするのが、すっかり寝る前の習慣になって。
念願叶ってシェリルさんとデートできた今日も、特に何も考えず通い慣れたサイトを開いた。
デートと言っても、たった2時間程度しか一緒に過ごせなかったんだけど。
お昼、電話越しにしょんぼりしてるのが伝わってしまって、
「今日の歌番組ってリハ夕方からよね、これから出かけない?」なんて無理してくれたんだ。
ぎゅっとしたら少し痩せていたのが、心配で悲しくなったけど、
やっぱりシェリルさんは素敵で優しくてパワフルで色っぽくてもうもう何ていうか
「そうこんな感じ!」
ヘッドフォンから流れる歌が、私の気持ちを的確に代弁する。
散らかった悩みが吐息に融けて、シェリルさんの肌に絡まり解けない。
そんな魅惑の時の余韻をもっと感じるため、作品ページからメニュ-に戻ったら、
更新を告げるランプが点滅していた。
リアルタイムの遭遇に小さな歓声をあげ、即行クリック。
耳を澄ませば、私の声とは信じられない艶やかな歌。
相も変わらず情熱的で素敵…………
「――――ん?」
歌詞のどこかが引っかかった。
シークを戻し、プレイ。
久方振りの逢瀬 うたた寝したあなた 腕の裏 証を刻んだ
シンクロ率が異常に高い。
でもでも、まさかね。
馬鹿らしいとは思いつつ、体を捻って二の腕の裏側を確認してみた。
「…………うっそ」
新曲のタイムスタンプは10分前。
きっとまだ起きている、スリープモ-ドに突入してる携帯を握り起こし短縮コール。
睡眠不足は美容の大敵だって、いつも自分で言ってるくせに。
ランカちゃんに、ばれた。
それはもう言い訳の余地が無いくらい決定的に。
密会したその日に、勢いアップしたのが大失敗。
ランカちゃんと過ごした数時間を思い出しつつ、余韻を形にした歌。
歌詞中にシチュエーションを匂わせる語句があったのと、
出来心で仕掛けた悪戯が確定材料となったみたい。
ランカちゃんはとても怒っていたけど……
それは私が睡眠時間を削ってまで作曲に没頭していた事に対してで。
内容に付いてはお咎め無しで、純粋に私の体を気遣ってくれた。
ランカっぽいどにかける作業時間を減らす条件付きの、実質無罪放免。
知ってはいたけど、ランカちゃんはなんて良い子なのかしら。
全世界に私の彼女は天使だって叫びたいわ。
「シェリルさ~ん、また弄ってるんですか~」
「んー……もうちょっと」
「お泊り久し振りなんですから、遊んで下さいよぉ」
「待って、あとここを……」
「シェリルさーーん」
本当は、ランカちゃんと一緒にいて他に気をやる訳ないのだけれど。
背を向けていても、窓に写って逐一見えてるのよね。
ベッドにころころ転がって、かまって欲しくて仕方がないって感じ。
チラチラこっちを見ないでよ、ますます苛めたくなっちゃうじゃない。
私はわざと調整を終えた音声ファイルを実行する。
『ランカ』が迸る情熱を滑らかに歌い上げる。
本物は恥ずかしがって真っ赤。
ぎくしゃく無意味に空をかいて、サビでクッションに沈没した。
今度の新曲も出来は上々だ。達成感に唸って余計な一言を、無論わざと、口にする。
「この子ほんとに可愛いわ」
クッションに伏せていた顔が、がばっと跳ね起きる。
だけれど口にした当人はモニタに向かったまま。
写った表情は、絶妙な怒り泣きで、髪はしおしおに萎れてしまっている。
さすがに可哀想かもしれない。
にやけた頬をなんとかクールなシェリルに戻して、意地悪を止めようとしたら、
ランカちゃんは予想外の行動に出た。
「…………よいしょっと」
どういうつもりかしら?
椅子に座った私の前、キーボードを退かせモニタと私の間にちょこんと腰掛けて。
「ランカちゃん、何してるの?」
「……ランカっぽいどです」
ええと、もしかして物凄く嫉妬しちゃった?
私は咄嗟に対応できなくて、睫を瞬かせるばかり。
「入力、してください」
ノリの悪い私に焦れて行儀悪く両足で、キャスター付き椅子ごと私を引き寄せる
拗ねた態度への答えは考えるまでもない。
あなたの声で最も聴きたい音は。
「『―――――――』」
膨れっ面が嬉しそうに朱に染まって、お菓子を与えられた子供みたいにみるみる輝く。
私専用のランカっぽいどはにっこり笑って、蕩けそうな音声を出力した。
「大好き、シェリルさん」
「私も大好きよ、ランカちゃん」
私もおんなじ顔で、あったかいランカちゃんを力一杯抱き締めた。
「見てランカちゃん!今月発売された『ランカマスター』通称『ランマス』で擬似ランカちゃんをプロデュース!!」
「……シェリルさん、懲りてないでしょ」
「等身大ホログラムで着せ替えは迫力満点だわ」
「……シェリルさーん、本物ここにいますよー」
「有料衣装のクオリティが半端じゃないのよ!特に10万で購入したこのヒモパn」
「バカァァァァッッッ!!!!!」
終わり
最終更新:2009年06月21日 20:47