ある日の午後。
次の仕事まで時間はあるしと楽屋でのんびり寛いでいたシェリルさんと私。
しかしそんな静寂を打ち破るような音が外から聞こえた。
「ん? 何か外で声がしない?」
シェリルさんのその声に呼応して、私も意識を楽屋のドアにやると
確かに楽屋の外がにわかに騒がしい気がする。
「まさかトラブルじゃないでしょうね……?」
「どうなんでしょう?」
恐る恐る私達がドアを開けると、そこには心配していたようなトラブルではなかったけれども
私達二人にとってはある意味トラブルな出来事が待っていた。
「うぅ、ママぁ……どこー…」
3歳ぐらいかな?
うさぎのぬいぐるみを脇に抱えた小さな女の子が、ここにはいない母親の名前を呼びつつ泣いていた。
誰かスタッフは!?
周囲を見渡してみるものの、皆遠くで慌ただしく駆け回っているようで、泣いている子供に気付く余裕もないみたい。
どうしよう……
まさか泣いている子供を放っておくわけにもいかない。
「ママとはぐれちゃったの? お姉ちゃん達がママを見つけてあげるから大丈夫だよ。とりあえず中に入ってお話聞かせてくれる?」
「っく。うん…」
私が女の子の目線と同じ高さになるようにしゃがんでゆっくり尋ねると、女の子はまだ泣いているもののコクリと小さく頷いてくれた。
呆然としていたシェリルさんも、楽屋に入ってようやく我に返ったのか落ち着いてくれて一安心。私一人ではやはり不安だし。
しかし楽屋で椅子に座らせて女の子を落ち着かせようとしてみるもなかなか泣き止んでくれず、何を尋ねても要領を得られない女の子に私は途方に暮れていた。
困り果てて私まで泣きたくなってくる。
そんな中で今まで黙っていたシェリルさんが発した言葉は絶大な効果を現した。
「いい、よーく聞きなさい。女の子の涙はね。ここぞという時までとっておくのよ。だから今は泣いちゃ駄目」
「ちょっ! 子供に何を吹き込んでいるんですか、シェリルさん!」
「あら? 本当のことでしょう? 普段泣く姿を見せないからこそ、大事な時に絶大な効
果を発揮するのよ」
確かにシェリルさんの言う通りかもしれないけれど……
こんな小さな女の子にそんなことを言っても理解出来ないと思う。
しかしシェリルさんの悪戯めいてはいるものの真剣な表情に何かを感じ取ったのか?
女の子がピタリと泣き止んでくれて私は驚きつつ、将来周りの男の子が振り回されそうだなぁと遠い未来の心配を少ししてしまった。
でもまぁとにかくシェリルさんのお陰で?泣き止んでくれたからようやく話が出来る。
「で、あなたのお名前は?」
「リ、リィン……」
「リィンちゃんかー。ママのお名前分かる? どんなお仕事してるとか。」
「わかんない……いつもはお家でお留守番なの。でも今日はママに連れてきてもらって」
「そっかー。じゃあスタッフさんか出演者の人なのかなぁ。何か目印みたいなのあるかな…」
先ほどから私達の会話を横から口を挟まずに聞いていたシェリルさんがどこかに電話をかけ始めた。恐らくスタッフさんに迷子を探している母親がいないか尋ねてもらっているのだと思う。
あまり動くとまた分からなくなってしまうし、ここにいたほうがいい。
また少し不安になったのかぎゅっとリィンちゃんがうさぎのぬいぐるみを抱きしめた。
そういえばずっと脇に抱えていたんだった。
「可愛いうさぎさんだねー。仲良しなの?」
私が尋ねると少し元気になったのか
「うん! いつも一緒にいるお友達のカレンちゃん! お姉ちゃん達もお友達?」
さすが小さい子。ころころ表情が変わって面白いなぁ。
そんなことを思いながら私が答えようとするのを遮るように、背中に何かが押しつけられた。柔らかい物を感じる。
「うーん? お友達というよりも恋び、むーっ」
いつの間に電話を終えていたのか、シェリルさんが私の背後から抱きついてきて爆弾発言をしそうになっている。
私は慌ててシェリルさんの口を手で押さえつつ
「あ、あははっ……何でもないよ。気にしないで!」
私達のやりとりに不思議そうな表情をしているリィンちゃんに対して軽くごまかす。
「ちょっとシェリルさん。子供相手とはいえ何言い出すんですか」
「何って本当のことに決まってるじゃない。私がランカちゃんを愛してるのは事実なんだ
し。友達じゃないもの」
「なっ、そ、それは私もそうですけど……」
小声でシェリルさんに注意するも、ストレートにこう返されては何も言えなくなってしまう。
真顔で言うのは反則だと思う……
私がシェリルさんのこの表情には弱いのを知っててやるんだから。まぁいつでも弱いんだけど。
「お姉ちゃんお顔赤いよー。どうしたの?」
そんなことを考えていたせいか脳内は別の世界に旅立とうとしていたらしくリィンちゃんの私を呼ぶ声にふと我に返った。
「え、うそ!? 気のせい気のせい。 ああえっと、そうだ!なんかここの部屋が暑くてねー」
「そうそう、あついからねー。いろいろと」
慌てる私を見てにやにやしながら合わせてくれるシェリルさん。絶対わざとだ……
そんなこんなでぬいぐるみのカレンちゃんも交えて4人?で賑やかに過ごしていたら
ドアをノックする音が聞こえた。
「あ、ママが来てくれたのかな? はーい、どうぞー」
私の言葉に即座に反応してドアに駆け寄るリィンちゃん。
開いた扉から若い女性が入ってくる。恐らく20代半ばぐらいだろう。
「ママ!!」
「リィン!無事で良かった!ママが目を離しちゃってごめんね」
そうリィンちゃんを抱きしめるリィンちゃんのお母さん。
後から聞いた話によると他の出演者の方のスタイリストさんだったようで、いつもリィンちゃんを預かってくれている人が今日に限って都合が悪く、仕方なく仕事場に連れてきたものの仕事が忙しく少し目を離した隙に、リィンちゃんはどこかにいなくなってしまったとのこと。
「すみません!うちの子がご迷惑をおかけしたようで。ランカさんとシェリルさんのお手
を煩わしてしまい、本当に申し訳ございません!ありがとうございます!」
私達が芸能人というのもあるのだろう。
平身低頭のお母さんになんだかこちらまで恐縮してしまう。
なんだか照れますね。
そうシェリルさんに言おうとして隣にいたシェリルさんの横顔をふと見るとリィンちゃんに対して頭を撫でながら慈しむような表情で
「ママに会えてよかったわね」
と話しかけているのだけれども、その姿がどこか寂しげに見えたのは私の気のせいだろうか。
私も親はもういないけれども、優しいお兄ちゃん達がいる。
でもシェリルさんには保護者代わりだったグレイスさんも今はいないし身よりがないんだ。
そのことを忘れていたわけではないけれど、普段はあまり考えていなかったことを改めて意識して複雑な気持ちになる。
「お姉ちゃん達ありがとうー!」
「さーて、そろそろ仕事の時間ね。今日も残りを頑張りますか~」
リィンちゃん母娘と別れの挨拶を済ませてひらひらと手を振っていたけれど、一転して無理に明るく振る舞っているかのようなシェリルさんの態度がどこか気になって。
なんだかリィンちゃんよりもシェリルさんが迷子のように見えてしまう。
シェリルさんの背中が遠ざかっていく。
どこかへ行ってしまう。
やだ! 行っちゃいやだ!
そんな錯覚を起こした私は無意識にシェリルさんの手を掴んでいた。
「ランカちゃん……?」
「私じゃシェリルさんの家族にはなれませんか?」
どこか泣き出しそうになっていた気持ちが表に出ていたのか、歩きだそうとしていたシェリルさんも私のほうに向き直ってくれた。
「急にどうしたの?」
「えっと、うまく言えないんですけど。今この手を離したらシェリルさんが遠くに行ってしまう。何言ってるんだろうって思われるかもしれませんが、そんな気がしたんです」
支離滅裂でなかなか上手く言葉を伝えられない私の頭を優しく撫でながら、シェリルさんはゆっくり私が言い終わるのを待っていてくれた。
「……そんなことないわよ。でもそれってプロポーズ?」
「な、そ、そんなつもりじゃっ!」
「えー、違うのー? ショックー」
「う、いや。違うというかなんというか……ぅぅ、違わないです」
わざと大げさに肩を落として落ち込むシェリルさんに釣られて、何か重要なことを言ってしまったような気がする。
「あはは、もう冗談よ! 本当にランカちゃんは可愛いわねー」
「もうシェリルさん!! 真面目に聞いてくださいよ!」
「あはは、ごめんごめん。……でもありがとう」
それでも最後にポツリと小さく言ってくれたシェリルさんの言葉に私はようやく安心出来た。
普段私をからかってばかりでどこか捉えどころのないシェリルさんだからこそ、たまに言ってくれる真剣な言葉が本音なんだということが今の私には分かる。
大丈夫。気持ちは伝わっている。
これからも一生隣にいたいし、たとえシェリルさんが嫌って言っても絶対離れないですよ!
終わり。
最終更新:2009年08月23日 15:53