ふと目を開けたなら、そこは茜色のプールだった。
「――――ん?」
状況を把握できず頭を振る。
上半身を起こしてようやく自分が眠っていたことに気付く。
「……2時間くらいかしら?」
眠る前には無色透明だった日光が、すっかり赤色へとベクトルをずらしてしまっている。
枕元の時計を確認したら、夕食に少し早いくらいの時刻。
「ランカちゃーん、起きましょー」
私の傍らで丸くなって寝息を立てている小柄な少女を揺する。
ベッドに転がってお喋りするうち、2人して寝入ってしまったようだ。
せっかくのオフで、しかもお泊りだというのに、なんとも贅沢な午後を過ごしてしまった。
なにせ過保護な兄を2人も持つ恋人。外泊許可を取るのは簡単ではなく、月に数回機会を設けられれば御の字だ。
だから貴重な時間は有効に使いたい。
自分も寝ておいて自分勝手だけれど、早く起きてほしい。
「ラーンカちゃん」
「……すー……」
全然起きない。
呼吸の深さが熟睡度を示している。
「疲れてるの……?」
ランカちゃんが横向きに転がっているから、顔をよく眺めるためには私も再び横たわらなければいけなかった。
部屋と同じく茜色に染まる肌。
フリルで飾られたタンクトップから伸びる細い腕。
どういう構造なのか、寝息に合わせてボリュームがアップダウンする緑色の髪。
そして、無防備そのものといった寝顔。
かわいい。いっそ食べてしまいたい。
しかし甘いデザートは食後のお楽しみだ。
昼寝したぶん、夜更かしできるしね。
脱線した思考を区切って、あどけない彼女を観察したけれど、特に過労の兆候は見当たらない。
小さな唇はぷるぷる生気に漲っているし、頬は夕日の力を借りずともバラ色だ。
かわいい。いっそ食べてしまいたい。
「……ループじゃないの」
本気で起こさないと悶々とした気分から抜け出せない。
私は不思議な髪に手を潜らせ、優しく起こすことにした。
肘を立てて頭を支えるのとは反対の手を伸ばす。
さくり、緑色のメレンゲに指が包まれる。
あたたかな体温がこもった気持ちいい触り心地、ほっこりした彼女自身の人柄そのものな感触だ。
「ラ~ンカちゃん」
他の誰にも聞かせない極上の声音で呼びかける。
ファンクラブ特典用に収録するスペシャルサンクス・ボイスメッセージでだって、こんなに甘く囁くことはない。
ランカちゃん限定なんだからね?
わかったら早く起きてよ。
「…………んー……ん」
……起きないし。
「ランカちゃーん、お腹空かない?」
「…………」
「ねーぇ、ランカちゃんランカちゃーん、ランカー」
「…………」
「……起きないと、イタズラしちゃうわよ」
「…………」
……うん、了解とみたわ。
髪に潜らせた手を耳元へ滑らせる。
普段は露出しない小作りな耳を摘まんで遊ぶ。
もちろん乱暴に扱うなんて言語道断。
マショマロすら潰せない力加減で、耳の裏を丹念に撫で回した。
こころなしか、ランカちゃんの頬が色付く。
それでも瞼は閉ざされたままだから、私のイタズラはさらなる発展を求め、耳から首筋へ場を移す。
人差し指と中指で即席の指を作り、彼女の肌を歩かせる。
トコトコ、首にかかる髪を蹴散らしながらムーンウォーク。
時折膝立ちスライディングを織りまぜて、陽気に奔放に、でも繊細に。
「…………は」
半開きの唇から、これまでとは違う毛色の吐息が漏れた。
連動していた髪の毛は小刻みに震えている。
一部始終を目の当たりにした私としては、笑いをかみ殺すしかない。
あなたがそのつもりなら、イタズラは続行。
指人形を空中分解させて、投げ出された両腕の間を下からかいくぐる。
さっきよりずっと浅く上下している薄い胸。
そこに手の甲を当てた。
あくまで優しくゆっくり、控えめな膨らみを崩さないくらいに。
さわさわ円を描いて、ちょっと中心からずらして動いてみたりなんかして。
「……ぅ」
髪の毛先、ひくひくしてる。
我慢できない?
円の軌道を変えてあげた。
指の股にかすかな凹凸が入り込んだ。
衝突したそこで停止し、すこぉし押し付けて指を閉じる。でっぱりを甘く擦るように。
「…………っ」
髪の反応を見るまでもない。
ランカちゃんの寝顔は照明の色なんて関係無しに色付いて、あどけない表情は消え失せ、
代わりに私しか知らない艶めいた雰囲気が居座っている。
眉根がわずかに歪んでいる。
睫毛の先が震えている。
「……ね、ランカちゃん」
肘で支えた上半身を起こし、小さな体に覆いかぶさるように身を乗り出した。
ふわふわの髪とその下の耳に、唇を付けた。
「――――起きてるでしょ」
ぴくっと跳ねた髪が私の頬をくすぐった。
なのに、他は無反応。
……ふぅん、あくまでそういう態度を取るわけね。
それならこちらにも考えがある。悪いけれど本当にお腹が空いてきたし。
ランカちゃんに作ってもらうにしろ、外食へ出るにしろ、あなたが起きてくれないと食事にあり付けないのよ。
「あーあ。仕方ないわね、ねぼすけランカちゃんは」
猫なで声をシーツと一緒にかけてやって、私はベッドから立ち上がった。
わざとらしく、さて何か食べようかしら、と独り言を付けておく。
ランカちゃんが何の反応も示さないのを横目で確認した後、ドアへ歩み寄った。
リビングへつながるドアを開けて、閉める。
開閉しただけで、私は寝室に残ったままだ。
音を立てないよう注意を払いつつ完全に閉まったドアに背中を付け、無意味にポーズなんかを取ってみる。
腕組をして、小悪魔な笑みをオプションに。
さて、CM明けのポーズが完成するのを見計らったタイミング。
ランカちゃんが跳ね起きた。
ベッドのスプリングを派手に鳴らして、ドアの方を向いて座り込む。
その視線の先には、去ったと思われた人物がにこやかに立っていた。
「ハァイ、起きた?」
余裕の素振りで手を振ってやると、元から赤かった顔がさらに染まった。
「……シェ、シェリルさん! あれ、あれ? な、なんで?」
「ランカちゃん、首までまっかっかー」
私が自分の首を指して意味ありげになぞってみせると、ランカちゃんは口をぱくぱく開閉させて茹で上がる。
ピンク色の肌から立ち上る湯気が、髪をこんもり膨らませているみたい。
やっぱり。首の時点で起きてたわね。
「狸寝入りなんて悪い子ね、おかげでお腹が鳴るかと思ったわよ」
「ごっ、ごめんなさい!」
スターはお腹なんか鳴らしちゃいけないんだから。
銀河が誇るシェリル・ノームをここまで追い込んだ罪は重いわよ。
「それで? 何か申し開きはある?」
怒ってるのよ、という表情を作ってベッドのそばに大股で近付いた。
みえみえの演技なのに、素直なランカちゃんはしゅんとうなだれて縮こまる。
まったく、なんてかわいいのかしらね。
「――――だって、シェリルさんに……イタズラしてほしかったんだもん……」
――――――何? このかわいい生き物。
真っ赤な顔に、力無く切ない表情を浮かべて。
大きな瞳をこぼれそうに潤ませて、ちらりと見上げてきたりして。
これ、ペットとして売ってたら絶対買うわ! ええ、全資産を賭けてでも!
まあ、とっくに私の物なんだけれどね!
全銀河に向けて高笑いしたい衝動を全力で抑え、叱る姿勢をキープした。
我ながら、さすが銀河の妖精シェリル・ノームだと思う。
「ふぅん……でもね、悪い子にはイタズラしてあげないわよ」
「……うぅ……ごめんなさい」
そういえば、私がイタズラ発言した時すでに起きていたわけ?
気付いたら私の頬も隠しきれない紅に染まる。
ランカちゃんからは逆光だから、見咎められないとは思うけど。
ああもう、なんて悪い子。
「悪い子には、オシオキ」
両手をつないでベッドに押し付けた。
小柄な全身が、いかほどの抵抗もなく倒れて私の影に覆われる。
その口元には、これからおしおきされる状況には不似合いな、嬉しそうな笑み。
「なーに笑ってるの? ランカちゃん」
「えへへ……シェリルさんだって」
咎める表情を作ったはずだったのに、確かに彼女の言う通り。
口の周囲に変な力がかかっている。
我慢したらおかしな顔になりそうだから、諦めて綻ぶに任せた。
「夕食はピザと中華どっちがいい?」
「うーん、中華かなあ。今日は出前にするんですか?」
だって、ねえ?
腰が砕けるまでオシオキする予定だもの。
キスの直前でそう囁いたら、睫毛を伏せながら開いた唇を差し出されて。
私の理性が頑張れたのは、そこまでだった。
――――……ランカちゃん、私のお腹が鳴ったら聞こえないフリをしてくれるかしらね。
おしまい。
最終更新:2009年11月13日 23:04