「実演」(2-806氏)

遠距離恋愛になら、覚えがある。
けれど、恋した人に甘えた経験なんてない。
だって、私の遠距離恋愛は、距離のありすぎる片思いだから。

「実演」

「はぁぁー」

廊下にあるベンチに深く腰掛けて、ランカは大きな溜息をついた。
軽く前屈をすると、強張っていた筋肉が、少しの刺激と共に解れる感覚がある。
相当緊張していたらしい事を自覚させられて、更に大きな溜息が漏れた。

「はぁぁぁぁぁー」
「そんなに大きな溜息つかないの、ランカちゃん。アイドルは笑顔が一番なんだから」
「シェリルさん!」

予想外の声にランカが跳ね起きると、いつの間にかシェリルが近づいてきていた。
撮影衣装らしい華美な服を纏ってはいるが、1人であるところを見ると、休憩中らしい。
ここは多くの有名人が集まるスタジオだから、シェリルがいても不思議ではない。
けれど、広いスタジオの中で、約束もなしに、こうして出会えた。
奇跡のような再会に、ランカの沈んでいた気持ちが急上昇していく。

「貴女も何かの撮影なの?」
「はい! 携帯デバイスのCM撮影、なんですけど」
「……その撮影が、溜息の原因かしら?」
「そう、です」

CMの事を思い出して、ランカの肩が下がる。
悩みの種は、そのCM撮影だった。
『携帯デバイスのCMソングだから、遠距離恋愛をテーマに』
そう言われて、切ない恋の歌を歌う……そこまでは良かった。
歌に自分の気持ちを入れ込みすぎたせいか、メーカー側から大絶賛された程だ。
問題が浮上したのは、CMフィルムの撮影である。

「ダメ出しでもされたの、ランカちゃん?」
「……実は、遠距離恋愛をテーマにした撮影なんですけど。
 ドラマみたいなCMになっていて、2つのパートがあるんです。
 私が1人で『誰か』を思っているパートと、『誰か』と一緒にいるパートと。
 1人だけのシーンはすぐにOKが出たんですけれど。
 男の人と一緒に居る部分の撮影が、上手く行かなくて」

愛しい人を思い浮かべる感じで、と言われたシーンは、難なく撮影が終了した。
それも当然だ。ランカには、「愛しい人は?」と言われた時、思い浮かぶ相手がいる。
その人の事を思うと、嬉しくもなり、悲しくもなり、切なくもなる。そんな相手が。
想い人の名は、銀河の妖精シェリル・ノーム。
最近認知度が上昇してきているとは言え、ランカは駆け出しのアイドルだ。
業界での位置からしても、一個人としての関係性からしても、距離のありすぎる片思い。
シェリルの事を思うだけで、撮影は終わった……ランカ1人のシーンだけは。

「恋人に甘えるように、って言われる通りに腕を組んだりするんですけど。
 なかなか監督さんのイメージに近づけないんです。
 私、恋人に甘えた経験なんてないですし。よく分からなくて」
「ランカちゃんってば、奥手なのね。
 何なら、あのアルトでも練習台にすれば良かったのに」
「あ、アルト君と!? でも、私は別にアルト君とは何も!」
「ふふ。むきになっちゃって。可愛いわね、ランカちゃんは」
「……からかわないでください、シェリルさん」

シェリルさんの意地悪、とランカは心の中で呟いた。
ランカはシェリルが好きだけれど、シェリルが好きなのは、きっとアルトだ。
ショッピングモールでシェリルがアルトにキスした場面は、今も鮮明に覚えている。
言わばアルトはランカにとって恋敵だというのに。恋人役になど出来る筈が無い。

「じゃあ、私が練習台になってあげましょうか?」
「え! シェリルさんが?」
「ちょっと暇を持て余してるところだしね。
 同性相手なら、ランカちゃんもちょっとは緊張せずにすむんじゃない?」
「それはそうかもしれません、けど」

ランカは別の意味で緊張しちゃいます、と叫びたいのを必死で堪えた。
ずっと憧れ、恋焦がれてきた相手と恋人のように振舞うなんて、
緊張するなという方が無理である。
だが考え方を変えてみると、これは滅多に無い機会でもあった。
好意を口にしてしまえば、破れるかもしれない片思い。
だが今なら、失恋のリスクを冒す事無く、シェリルに接近できるのだ。
このチャンスを逃すわけには行かないと、ランカは唾を飲み込み、決意を固める。

「……じゃあ、よろしくお願いします! シェリルさん!」
「お任せしなさい。えぇと、腕を組むんだったわよね?」

す、とシェリルが作った左腕と脇腹の隙間に、ランカはそっと自分の右腕を差し入れた。
次の瞬間、シェリルが余白を埋めるように、その左腕を自らに寄せる。
肩に触れた柔らかな感触に、たちまちランカの顔は赤く染まった。
豊満と言って差し支えないシェリルの胸が、当たっているのだ。
思わず右腕を引き抜こうとしたけれど、その動きを、シェリルの言葉が牽制した。


「何やってるの、ランカちゃん。まだまだこれからなのよ?」
「で、ですけど、その」
「それにしても、ランカちゃんの腕って柔らかいわね。えい」
「ひゃっ!」

空いていた右手で、シェリルがランカの二の腕を突付き始める。
腕の外側を突いていた指が、いつしか滑らかに皮膚の表面を撫で始め、
ランカは自分の中に生まれたもどかしさを宥めるのに一生懸命だった。
その指で、腕以外の場所にも触れて欲しい。そして私も、貴女に触れたい。
暴走を求める感情を、理性でどうにか押し留める。

「それで。腕を組む以外には何をするの?」
「えぇと、2人で見詰め合って」
「こうかしら?」

問いかけながら、シェリルがランカを覗き込んでくる。
最初はからかうような笑みを浮かべていたシェリルだったが、
次第に笑みが消え、まるで何かを欲しがっているような、言葉に表せない表情になった。
こんな顔は、雑誌でもプロモーション映像でも見たことが無い。
ひょっとして、これが、恋人だけに見せる、シェリルの一面なのかもれない。
……アルトにだけ見せる、強請るような、挑発するような表情。
そう思い至って、ランカは胸が苦しくなった。
動揺を隠すべく、慌てて次の動きを伝える。

「そして、次は髪を撫でてもらって」
「髪を撫でればいいのね?」

組んでいた腕を解いて、シェリルがランカに向き直ってくる。
やがて伸びてきた右手がランカの緑色の髪に触れた。
上から下へ。何度も髪を梳く動きに、ランカの胸が熱くなる。
兄であるオズマが同じように撫でてくれた時とは、明らかに違う感触。
細く長い指と、低めの体温を感じていると、先程の苦しみが嘘のように溶けていく。
けれどシェリルの次の言葉が、ランカの身体を再び強張らせた。

「それから?」
「……キスを、するフリを」

咄嗟にランカは嘘をついた。
CMの最後はキスをする直前のカットだと聞かされているが、
雰囲気作りもあるだろうからと、キスをするかしないかはランカの自由意志に任されている。
素直に言えば、シェリルは冗談のように軽く、キスをしてくるかもしれない。
それだけは、避けたかった。
まるで本当の恋人のようである今の流れでキスをしてしまえば、
今度こそ、ランカは耐える事など忘れ、秘めていた思いをシェリルにぶつけるかもしれない。

叶わない恋だと分かっているから。せめて、嫌われたくはない。
その為にも、ここで片思いを悟られるわけにはいかないのだ。

「キス、ね」
「ふぁっ!」

艶やかな唇を舌で舐めて、シェリルがランカの顎に手をかける。
されるがままにランカが少し上を向けば、至近距離にシェリルの顔が合った。
その殆どが赤くなっていて、微かにかかる吐息は、その頻度が早い。
だがシェリルも緊張しているのだろうか、と考える余裕さえ、ランカにはなかった。
すぐ近くにあるシェリルの深い瞳と、弾力のありそうな唇に意識が引き寄せられる。
雰囲気に飲まれるように、シェリルの片腕がランカの腰を引き寄せ、
そしてランカの両手もまた、自然とシェリルを捕まえようと泳ぎ出して……


ぷぎゅぅぅぅぅぅぅぅ


唐突に割り込んできたランカの生体携帯の音が、ランカとシェリル、双方の動きを止めた。
2人してしばし無言で見つめあい、ややあって、飛び退くように距離を取る。
その時になってようやく、ランカは自分の鼓動が異様に早くなっていた事に気付いた。
もし、生体携帯が鳴らなかったら、どうなっていただろう?
ランカの理性が気付かないうちに、唇を重ねて、告白でもしていたかもしれない。
そう考えてみると、ランカは生体携帯とそれを鳴らしてくれた相手に感謝したくなった。
誰かは知らないけれど、失恋という悲しいゴールを先延ばしにしてくれてありがとう、と。
安堵しながらふとシェリルの方を窺うと、
何故かシェリルがひどく動揺しているように見える。
だが、ランカの視線に気付くと、取り繕うように背筋を伸ばして言った。

「携帯、出なくていいの?」
「そ、そうですよね! ……社長からメールです。撮影再開するって」
「そう。それで、今度は上手くいきそう?」
「はい! シェリルさんのおかげです! ありがとうございます!」

まだ早い鼓動を何とか抑えようとしながら、ランカはシェリルに頭を下げる。
撮影再開と知っても、先程溜息をついていた時のような、不安感はまるでない。
何せ、本当に好きな人と、恋人のように触れ合う事が出来たのだ。
撮影ではよく知らない若手俳優が相手役だが、シェリルの姿を思い浮かべれば、
きっと監督のイメージ通り、いやそれ以上の動きが出来る自信がランカにはあった。
その自信が表情から読み取れたのだろう。シェリルが満足気に笑う。

「その様子なら、大丈夫ね。いってらっしゃい、ランカちゃん」
「はい! 行ってきます!」

シェリルの笑顔に見送られながら、ランカはスタジオに向けて走り出す。
何度となく振り返ると、シェリルの姿がその度に小さくなっていく。
やがてランカが角を曲がって、ついに互いの姿が見えなくなってしまう。
その為ランカの耳が、不意に漏れたシェリルの呟きを聞き取る事はなかった。

「……いつか、本番ができる事、願ってるわ」



おわり。

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最終更新:2009年12月20日 15:15
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