「ねぇ、ランカちゃん。」
「なんですか?シェリル・・・」
“さん”て、言いたかったのに。
これじゃあまるで、呼び捨てにしたみたいだ。
それは、あとで思ったことで。
その時は、ただ額に触れた柔らかな感触に言葉を失ってしまっていた。
「お邪魔したわね。」
私の表情を確認したシェリルさんは、悪戯が成功した時の子どもみたいに、
素敵な笑みを浮かべて、キッチンを去っていく。
何が起きたのか、理解できなくて。
柔らかな温もりが触れた額を押さえた。
しばらく経って。
何が起きたのか、理解して。
カァッっと熱くなる顔を両手で覆った。
「ふぇ・・・」
思わず漏れた変な声。
何が起きたか理解はできても。
どうして、シェリルさんがそんなことしてきたのかわからなくて。
でも、されたことには不満はなくて。
むしろ、嬉しすぎて頬が緩むのが止められなかったりする。
「シェリル・・・」
“さん”てつけるつもりだったのに。
また呼び捨てみたいになっちゃったけど、それは仕方ない。
だって、自分が何をしていたのか、やっとそのこげた臭いで思い出したから。
「あーーー!!!!!」
思わず大声で叫んでしまう。
少し遅い朝食に、パンケーキを焼いている途中だった。
シェリルさんには一番綺麗な形の、焼きたてを食べてもらおうと思っていたのに。
慌てて火を消して、裏返してみるものの、時はすでに遅かった。
「う~~~・・・」
思わず涙目になって唸ってしまう。
せっかく上手く焼けてたのに・・・
振り返ってシェリルさんを恨みがましく睨んでみても。
こちらに気づいてないのか、それとも気づいているけど相手にされてないのか。
シェリルさんは、少し小さなテーブルとセットで買ったイスに座って、
長い足を軽くブラブラ揺らしながら、肘をついて楽しそうに鼻歌を歌っていた。
その姿がなんだか、かわいらしくて。
怒っていたはずなんだけど、思わず笑みが零れてしまう。
けれど。
キッチンに視線を戻して目に入ってきた現実に、肩を落とすとともに大きな溜息が零れた。
「シェリルさんが、急にあんなことするから・・・」
ランカちゃんぶつぶつと文句を言っている。
少し小さなテーブルに向き合って座る、少し遅めの朝食の時間。
焦げた部分をバターナイフでそぎ落としているランカちゃんの姿がなんだか面白くて笑みが零れた。
そんな私を見咎めたランカちゃんの頬が膨れる。
その様子がおかしくて、また笑みが零れた。
「もー!!!シェリルさんっ!!!」
怒っているのだろうけど、それが可愛すぎて、とても怒られてるとは思えなくて。
「なに?ランカちゃん。」
別段、悪びれもせずに返事をした。
「どうして急にあんなコトしたんですか?」
「あんなコトって?」
返された言葉に、ランカちゃんの顔が見る見る間に真っ赤になっていく。
緩みきってしまいそうになる頬を、プロ根性で引き締めて、小首を傾げて見せた。
そしたら、“ぼんっ”と音が鳴りそうなくらいに、ランカちゃんがさらに真っ赤になる。
「あんなコトってなあに?ランカちゃん。」
少し甘えた声で言ってみる。
予想通り、犬耳のような緑の髪をピコピコと動かして。
ランカちゃんは口を金魚みたいにパクパクさせた。
それが、おもしろくて、かわいらしくて、愛しくて。
思わず吹きだして、肩を揺らして声をあげて笑ってしまう。
「あっははは・・・かわいいわね、ランカちゃん。」
目尻に浮かんだ涙を指で拭って、赤くなって頬を膨らますランカちゃんに手を伸ばす。
「したくなったから。」
「ふぇ?」
「キス。」
「あ・・・」
「ランカちゃんのここにキスしたいなぁって思ったから。」
とんとんと、伸ばした手の人さし指で、ランカちゃんの額を軽くノックする。
そしたらキスされた時みたいに、両手で額を押さえてみせるランカちゃん。
そんなランカちゃんに微笑んで、肩を竦ませて言ってみせる。
「それだけよ。」
額を押さえてこちらを見たまま、動かなくなってしまったランカちゃんは置いといて。
目の前のパンケーキを食べる。
形は少し歪だけど、少し冷めてもしまっているけど、おいしいことに変わりはない。
「ランカちゃん、“はんぶんこ”にしましょう。」
言って、まだ手をつけていないこげたパンケーキを取ろうとしたら、その姿が一瞬にして消えた。
一度瞬きをして、視線をランカちゃんに向けると、その頬がリスみたいに膨らんでいる。
(かわいいけど、大丈夫なのかしら?)
言葉にはせず、首を傾げてそう問いかけると、ランカちゃんの口がもごもごと動き出す。
いくら小型とはいえ、パンケーキ一個は大き過ぎだろう。
案の定、涙目になったランカちゃんは、コップに入った野菜ジュースを一気に飲み干した。
「ぷはぁーっ!!!はー、はー・・・」
コップを“どん”と鳴らして、テーブルに置くと、
まるで長距離を全力疾走でもしたようなぐらいの勢いで、肩で息をするランカちゃん。
その姿はなんとも男前・・・なような気がしないでもない。
そんな姿を見ていたら。
ほんとは心配するとこなんだろうけど。
なんだかもの凄くおかしくなって、お腹を抱えて笑ってしまった。
「素敵、ランカちゃん。惚れ直しちゃうわ。」
その飲みっぷりと食べっぷりに、笑いながらそう言ったら、ランカちゃんは目に涙を浮かべながら、
「苦いです・・・シェリルさん・・・」
と訴えてきた。
思わず抱きしめたくなるほど、その姿はとてもかわいらしい。
「当たり前よ、ランカちゃん。こげた所をとってもいないのにくわえて・・・」
とりあえず、手を伸ばして頭を撫でる。
「何もつけずに食べるんだもの。」
ランカちゃんが涙目でこちらを見てくる。
「だって・・・シェリルさんが取ろうとするから・・・」
「だから、はんぶんこしようって・・・」
「ダメですっ!!!シェリルさんにはこんな失敗作食べさせられませんっ!!!」
意気込んでそう言うランカちゃんに、思わず頭を撫でていた手も止まり、目をパチクリさせてしまう。
当の本人は、キラキラとした力強い瞳で真っ直ぐに私を見ていた・・・のだが。
「・・・にが・・・」
よっぽどだったのか、また小さくそう言って、瞳をウルウルとさせた。
そんなランカちゃんに、小さく吹き出して笑ってしまう。
さすがにかわいそうだから、水をついであげようと思ったんだけど・・・
ふと、目についたランカちゃんの唇が、私に悪戯を持ちかけてきた。
「ねぇ、ランカちゃん。」
呼ばれて顔を少し上げると、唇に柔らかな感触がした。
触れて数秒。
離れていく温もり。
目の前には悪戯が成功した時の笑顔を見せるシェリルさん。
それで、何をされたのか理解する。
理解してしまったら、心臓が跳ねるのも、体中が熱くなるのも止められない。
「シェ、シェ、シェリルさんっ!!!」
思わず驚いて席を立ってしまった。
少し小さめのテーブルに、少し身を乗り出した体勢のシェリルさん。
浮いた腰を下ろすと、悪戯な瞳で私を見上げてくる。
『手を伸ばせばすぐに。少し身を乗り出せばすぐに。好きな人に触れられる距離って素敵じゃない?』
このテーブルセットで初めて食事をした時に、シェリルさんが私に向かって、
今と同じような笑みを浮かべて言ってくれた言葉が脳裏をよぎった。
「確かにちょっと苦いかも。でも・・・」
シェリルさんが自分の唇を人さし指で軽くノックして見せる。
「あまい」
上目遣い、艶っぽいのにかわいらしさが漂う悪戯な微笑み、甘えた声に、甘い言葉!!!!!
限界なんてとうに越えちゃうくらいの反則技だと思うよねっ!?
アルトくんっ!!??
確信犯だって、わかってるのに。
おもしろがられてるって、わかってるのに。
それでも、ときめかずにはいられないのは、シェリルさんが素敵すぎるから。
“ぷしゅ~”
自分でも音が聞こえるくらいにショートした私は、力無くイスに座り込む。
そんな私に満足したような笑みを浮かべて、シェリルさんがコップに水を注いでくれた。
手渡されたコップを受け取って、一口飲んで大きく息を吐く。
「大丈夫?」
わかっていてそんなことを聞くシェリルさん。
「シェリルさんの意地悪・・・」
小さく睨んで、小さく返す。
「心外ね。ところで、ランカちゃん。」
シェリルさんの視線の先を追えば、さっきまでこげた所を落としていたパンケーキの姿。
「もう一枚あるみたいだけど?」
シェリルさんの言葉に、1も2もなくそれを半分に切ると、迷うことなく口にいれてみせた。
こげたパンケーキは何度口にしても少し苦かったけど。
それ以上に。
シェリルさんが、甘いものにかえてくれたから。
「だからね、ちゃんと全部食べられたんだよ、アルトくん。」
「そうか・・・なぁ、ランカ。」
「ん?どうしたの?アルトくん?」
「頼むから、そういう惚気はよそでやってくれっ!!!!!」
おわり
最終更新:2010年07月04日 17:24