無題(3-339氏)

「今日のところは、これで終わりなのよね?」
「はい!」
「思ったより早く終わったわね……帰ったら、思う存分楽しみましょう、ランカちゃん?」
「あ、あの……はい……」

消え入りそうな声で、それでもしっかりと頷くランカを見て、シェリルは自然と笑う。
本日最後の仕事である、対談形式の取材を終え、後は帰宅するばかりだ。
一秒でも早く帰りたい、2人ともその気持ちはあるけれど。
何らかの用事で出て行ったエルモの帰りを待っているところだった。

「遅いわね……社長ったら。私を待たせるなんて、いい度胸だわ」
「シェリルさん、もうすぐですよ! ほら、足音が」
「いやー! 今日も大忙しでしたネ! シェリルさん! ランカさん!」

ランカの指摘とほぼ同時に、事務所の扉が開いて、エルモが駆け込んでくる。
大忙し、とは言え今日は歌番組収録と、取材を1つずつこなしただけ。
色んな媒体に出ずっぱりであった頃を考えれば、余裕があるくらいだ。
けれど、ランカやシェリルを迎えるまでは閑古鳥状態だったエルモからすれば。
2人の歌姫を抱える現在は、毎日が「大忙し」状態なのだろう。
それが分かっているシェリルは、ランカと顔を見合わせて、苦笑する。



「あら、私達はまだまだ元気よ? 何ならもう一仕事しましょうか?」
「イエイエ、お2人とも、今日はすぐに帰られて、英気を養って下サイ。
 ワタシも、少し片付けをしたら、今夜はゆっくりしたいと思ってますカラ」
「社長さんも、お疲れのようだものね?」
「ええ、お2人がいらっしゃってから、もうずっと満員御礼状態ですからネ!
 ランカさんがフロンティアを離れ、
 シェリルさんの病が発覚した時は、どうなるかと思いましたガ。
 こうして揃ってウチに迎える事ができて、本当に嬉しいデス」

当時の事を思い出したのか、エルモが感慨深げに首を何度も縦に振る。
一方で、シェリルは暗い気持ちに囚われ、それまでの軽い言葉が何一つ出てこなかった。
そっと隣のランカの方を窺うと、そちらもまた、やや俯いて、何も言おうとしない。
表情の読めないランカが発する重い空気から逃げるように、シェリルは立ち上がった。

「ごめんなさい、ランカちゃん。先に帰っててもらえるかしら。
 軽くトレーニングしてから帰るから」
「シェリルさん、でも」
「安心して。夕食の準備が出来るまでには帰るわ。
 私がリクエストしてた麻婆豆腐、楽しみにしてるからね!」



縋ろうとするようなランカに、どうにか微笑みを返して。
部屋を出たシェリルは、足早に階段を上った。
階上には、ボイストレーニング用の小さなスタジオや、ジムが用意されている。
しかしそれらには目も向けず、シェリルが向かったのは更衣室だった。
かと言ってトレーニング用の服に着替えるでもなく、シェリルはしゃがんで膝を抱える。

「社長さんの馬鹿……まぁ、知らないんだから、仕方ないでしょうけど」

エルモが口にした、過去の出来事。
アイ君を群れに返す為、ランカがフロンティア船団を出て行った事。
それは、ようやく想いを通じ合い、恋人同士となったシェリルとランカとの間にある、
数少ない溝の1つだった。
過去の話も現在の話も未来の話も。シェリルとランカは色々な事を話すけれど。
2人が離れ離れになったあの時のことは、不自然な位に、話題に上がらない。

「後悔したって、過去はどうしようもないって、分かっているのにね。
 第一、あの出来事があったからこそ、今があるんだ、とも言えるんだもの。
 それなのに、どうしても悔やんでしまうのよね……。
 私って、こんなに後を引くタイプの人間だったかしら?」



ランカが何を想い、その時の事を口にしないのかは分からない。
では、シェリルがどんな感情を抱いているのかと言えば、それは後悔だった。
ようやくバジュラから離れ、平和が戻ったと思えたのも束の間。
フロンティアが再びバジュラの攻撃を受け、なのにランカの歌が効かず。
混乱の中、大切な仲間であるナナセが重傷を負い、ミシェルがいなくなり。
ランカがどうにか歌をコントロールし、バジュラに一矢報いる事は出来たけれど。
バジュラの痛みを感じるランカは、当時相当精神的に追い詰められていただろう。
ランカに懐いていたアイ君の為に、船団を離れたランカを、シェリルは詰ろうとは思わない。
詰るとすれば、ランカが苦しんでいたその時に、側にいなかった自分自身だ。

「何が『絶望の中で歌ってみせる』よ。ランカちゃんだって、苦しんでいたのに」

その頃の自分だって、確かにひどい状態ではあったと、シェリルは回顧する。
信じていたグレイスに裏切られ、死に至る病が発覚し、未来に絶望していた。
シェリルとアルトの寄り添う姿に動揺したランカを叱咤したのはシェリル自身だけれど。
あの時、「しっかりしろ」と言われるべきは、自分だったのではないかとシェリルは思う。
自分ばかりを哀れんで、大切に思う女の子が苦しんでいる事に気づけなかった。
それどころか、無理に奮い立たせるような事をして。
傷ついたナナセを理由に、ランカから離れた。



「嫉妬していたのよね。ランカちゃんは希望の歌姫。なのに自分はまるでゴミ扱い。
 ランカちゃんが望んでそうなった訳じゃないって。
 アイモO.C.を聴けば、すぐ分かるような事だったのに」

未熟者だったのよね、とシェリルは呟き、顔を上げる。
わざと照明を点けていない為、暗い室内はほんの少し、宇宙の闇を思い出させた。
こんな暗い中に旅立っていったランカの姿を思い浮かべ、シェリルは歌う。
ランカの歌を。

……ずっとそばにいたかった どんなに声にたくしても あなたまで届かない
……蒼い 蒼い 蒼い旅路……

一節を歌っただけで、シェリルは口を閉じる。
沈黙が訪れるかと思われた室内に、外から歌声が入り込んできたのは、その時だ。

……あなたの元へ 遥か地上へ ムチのようにうつ雨よ
……この想い 報われず 泡になり消えても平気



誰の歌かなんて、すぐに分かった。
もう、愛しい人の声を聞き漏らしたりなんてしない。
そう心に決めているから。
扉の開閉する音がすると同時に、シェリルは静かに名前を呼ぶ。

「ランカちゃん」
「お待たせしました、シェリルさん」

ドアに背を向けていたシェリルは、振り返り、入ってきた背後のランカを仰ぎ見る。
いつもの笑顔に、ほんの少し影が滲んでいるように見えるのは、気のせいではないだろう。
すぐに追ってこず、間を置いたのは、ランカにも考える時間が必要だった証左だ。
ランカは扉を閉めると、すぐには近づいてこず、そのまま話しかけてくる。

「やっぱり、シェリルさんもあの時の事、気にしてるんですよね」
「ランカちゃんだって、同じなんでしょう?」
「……はい」

短く肯定するだけで、ランカは自分が何をどう気にしているのか、言おうとはしない。
しかしシェリルも、今すぐに追求しようとは思わなかった。
あの時の事が2人の間に、影をもたらす存在であるのは事実で、消えようが無い。
いつかは、胸に溜まる思いをそれぞれ打ち明けて、越えなければいけない溝だろう。
その「いつか」は、ひょっとすると、今夜になるのかもしれない。
けれど、「今すぐ」ではないのだ。
今、この瞬間に、シェリルが優先したいのは、別の事。



「ねぇ、ランカちゃん」
「何ですか、シェリルさん?」
「抱きしめてもいいかしら?」
「そんな事、今更訊かないで下さい」


ランカから目を逸らし、側にいられなかった過去を、後悔したのなら。
過去の分まで、精一杯、ランカを見つめ、側にいなければ。
その一心で、シェリルは床から離れ、ランカに駆け寄り、その華奢な身体を抱きしめる。
ランカも似たような心境なのか、一生懸命、シェリルの背に伸ばした腕に力を込めていた。


「大好きよ、ランカちゃん」
「私もです、シェリルさん」
「帰りましょうか、私達の家へ」
「はい……2人の家に」


2人でいよう。
離れていた、あの頃の分まで。




おわり

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最終更新:2011年06月26日 21:36
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