不幸騎士ルースの受難 ~ 外伝・帝国騎士団のなんでもない日常 ~
File.1 峠の亡霊
月が冴え冴えと光る夜。
空気の薄い山道はそれだけで空を近く見せるが、満天の星空はどこから見ても届かないほど遠くにしか存在しない。
そんな情緒的なことを考えつつ、僕――アランルース・イーガーは手綱を操りつつため息をついた。
多少詩的な表現を試みても、馬車で夜間行軍――しかも山道を!――しなければいけない事実に変わりは無い。
習い性のように漏れるため息。そして、ついでというように同乗者の存在を思い出す。
「すみませんね、先輩。つき合わせちゃって」
カタカタと揺れる御者台を押さえつつ、僕は荷台の先輩に声をかけた。
セクレト=グラウヴェルデ。通称をセトというこの先輩は、僕の知る限り常に女の子を口説いているか、お酒を飲んでいるか、さもなければサボっている。
今回も、そのサボり癖が祟って無茶な行軍に付き合うことになったわけだが、先輩にしてみれば原因は僕にあるというのだろう。
馬車の車輪が地面を削る音に混じって、不機嫌そうな唸り声か返ってくる。
「まったくだな! お前につき合うことがなけりゃ、今頃は隊舎でシャルちゃんと甘い夜を過ごしてたろうに!」
「まぁ、少なくともベッドの中でそういう夢を見るくらいは出来たでしょうねぇ……」
わりと本気で言っている先輩に、つい呆れた声を返してしまう。隊長付き副官たるヘイゼル嬢は、明らかに先輩のことを毛嫌いしているのだが、騎士団一の女誑したる先輩はめげるという事をしない。
今もひとまず、怒ることで溜まったものを発散させたらしい。この切り替えの早さは名うてのナンパ師に相応しいように思う。執着心の強さでは、女性はなびかないんだそうだ。
「で……ここどこだ?」
「先輩、ずっと寝てましたからね……というか、だから一蓮托生になったというか」
げんなりと呟くも、あいにく先輩の耳には届かなかったらしい。悪口は聞き逃さないくせに、都合のいい耳だ。
ため息とともに、現在地を告げる。
「……ってーと、山のど真ん中じゃないか? 明日中に街に入らなきゃいけないっつっても、確か川を渡るルートがあったはずだろう?」
「川が増水していて渡れなかったんですよ……ここのところ雨続きだから」
でなければ、わざわざ馬車一台通るのがやっと、という細い山道を進んでいない。
僕の説明に一応の納得を見せたのか、先輩は黙りこんだ。静かになっていいと言えなくもないが、せっかく同乗しているのだから何か話題を提供して欲しいものだ。
―――と、思ったのがそもそもの間違いだったのかも知れない。
「そういえば、この道じゃなかったか?」
先輩が思い出したように言った。
「へっ、何がですか?」
「わっかんないかなぁ、ほら、ずいぶん前に噂になっただろう?」
勿体をつけながら、意地の悪い笑みを浮かべる。
「―――峠の亡霊、さ」
「あー……」
それは、いつからか語られ始めた良くある話だった。
この峠には夜になると、白いドレスを纏った髪の長い女が現れる。
絶世の美女とも、長い髪に隠れて顔が見えないとも言われている。更に言うなら艶然と笑っているとも、悲しみを湛えた目をしているとも言われている。要するに証言が曖昧なのだ。
だが、一つだけ共通している点がある。
その女は必ず白いドレスを着ていて、目撃者が見ていると―――それは瞬く間に血に赤く染まっていくという。
この峠は道が細い上に街からも離れていて人気が無い。幸い、月と満天の星が夜道を照らしてはいるが、なれない者は直ぐに道を失いかねない。当然、こんな山道で道から逸れれば地面までまっ逆さまだ。
峠の亡霊は、そうして死んだ旅人が彷徨っている姿だ、と言われている。
「あー……って、もうちょっと反応はないのかよ」
「いや、そう言われましてもね。辺境派遣なんかを繰り返してると、その手の話は聞き飽きてて」
「そりゃそうか。あー、つまんね」
言うだけ言うと、先輩はいつものようにゴロンと横になってしまう。
昼間の移動中も寝ているため、直ぐに寝息が聞こえることはない。が、そんな眉唾な話をするほど退屈なら、御者を変わって欲しいものだ。
苦笑と共に横目に先輩を見ていると――血相を変えた先輩が音を立てて身体を起こした。
「ルー坊! 前ッ!」
はじかれたように前を見て凍りつく。
道の真ん中に、女の人が立っている!?
反射的に手綱を引くが、馬とて馬車を引いている以上そう簡単には止まれない。
いななきと共に減速するが、制動しきれない馬車は無情にも馬を追い立てる。
「(ダメだ! 間に合わないッ!)」
絶望に顔を青くさせ、人を撥ね飛ばす衝撃に身をすくめ―――そして、何事もなく素通りした。
馬蹄と車輪が地面をえぐり、馬車全体が緩やかに振動しながら動きを止める。
「(い――ま、どうなった?)」
手ごたえの無さに恐る恐る横をみると、同様に不思議そうな表情の先輩と目があった。
振り返るのは怖かったが、確かめないわけにもいかない。意を決すると、先輩と二人でランタンを片手に馬車を降りた。
「……下、にも居ないな。轢き潰したかとも思ったが、車輪にも血は着いてない」
「後ろも見てきましたけど、血溜まり一つありませんでしたよ」
通った道を引き返して確認するが、やはり何の痕跡もなかった。
「気のせいだった、とか」
「ルー坊一人ならともかく、俺様も確認してる。ありゃあ間違いなく妙齢の女性だった」
「じゃあ、実は夢だ、とか」
「……お前、寝ながら御者をしてることになるぞ」
「先輩が交代してくれないからでしょうが……それにしても、どこに行ったんでしょうね」
「見落とした……ってことはないな、夜道で映える白いドレスだったし」
そこまで言いあって気付いた。
―――白い、ドレスの女。
そう。さっき立っていた女性は、確かに白いドレスを着ていた。
そして、今は姿が見えない。
「…………」
「…………」
口を開くことはしなかった。音を立てることを恐れたのかもしれない。
たぶんに意思の疎通に失敗しやすい目と目の会話。
しかし、今回ばかりは間違えようも無かった。
「(出来るだけ、すみやかに)」
「(ええ、逃げましょう)」
少しでも速度を上げるため、夜道を照らすべくランタンを馬の首に括り付ける。
「―――ッ! おい、ルー坊!」
先輩が息を呑む。驚きの余り言葉が続かない、そんな様子だ。
ほどなく、その原因を自分の目で確認し―――やはり言葉を失うことになる。
そこは、切り立った崖だった。
何度も通った道だ。曲がり角がどの位置にあるかも、おぼろげであるが指摘できる。
それでも、目の前には厳然たる事実として崖が広がっていた。
「これは、崖崩れ……か?」
「長雨の影響で、地盤が緩んでいた……のかも」
馬は崖の手前で足を止めていた。後ほんの少しでも制動が遅れていたら、馬車ごと落下していたことだろう。当然、落ちれば命はない。
自分の庭のように思っていた道が突然牙を剥き、背筋に氷を入れられたような気分になる。
と―――そこで思い当たる。
「もしかして、あの亡霊……」
先輩を見れば、珍しく神妙な顔をしている。
「あのまま進めば、間違いなく俺たちは崖の下だったろうな」
「普通に止められても、間に合わなかったでしょうね」
どうやら、考えていることは同じようだ。
「……ありがとうよ」
「ご冥福を、お祈りします」
暗闇に手を合わせ、親切な亡霊に感謝の気持ちを伝える。いつも軽薄な先輩も、同じように手を合わせていた。
夜道で起こった奇妙な邂逅。僕は不思議な気持ちを抑えられぬまま、出発すべく御者台に戻った。
その時、女の声が聞こえた。
この場にいるのは先輩と僕のみ。それでも間違いなく響いたかすれた声。
それは、風に消えそうな程に小さく、それでいてハッキリとこう言った。
「 死 ね ば よ か っ た の に … … 」
僕たちは一目散にその場を後にした。心なしか馬もいつもより速く走った。
その後、どんなに急いでいても、その峠だけは通らないようにしている。
(原型:都市伝説「峠の幽霊」)