ワルプルギスの夜来襲から約一ヵ月後。
仁美はお稽古事の数を減らし、まどかと共に魔女退治に出掛ける関係で、さやかの家に立ち寄る事が増えていた。
今日も魔法少女三人組みは帰宅と共に労いの言葉を掛けられる。
「まどか、仁美、お疲れ~!」
「さやかちゃーんたっだいまー!」
「ただいまですわ、さやかさん。」
「おーし今日も二人は無事かかー。杏子もいつも二人をありがとね。」
「ん? おー…なんか照れるじゃねーか。」
まどかは契約当初から魔力が並外れて強いが戦いに関しては仁美共々素人同然だ。
最初は二人共フォローが欠かせず、意外なじゃじゃ馬っぷりに杏子は疲れ果てる日々だった。
それでも二人の成長を見るのは何故だか嬉しかった。
以前の巴マミは自分をこんな感じで見ていたのだろうな…と物思いに耽る事もあった。
「杏子、ご飯出来てるからまどか達と一緒に食べて行く?」
「んー…そんじゃ今日はお言葉に甘えるかね。」
契約して戦えないさやかは三人の為に自分が出来る事が無いか考えていた。
せめて帰宅した三人が疲れを取れる様に…と熱心になったのが手料理とお菓子作りである。
料理はお世辞にも上手いとは言えなかったが、繰り返すうちに自然とものになっていた。
お菓子もクッキー程度しか作れなかったが、ここ最近は洋菓子のレパートリーが随分と増えて来た。
「はい、さやかちゃんあーん♪」
「ちょっ…仁美と杏子が見てるよ…!」
「わたくしは一向に構いませんわ~♪」
「あはははは! 今更何言ってんださやか。
命捧げられた相手なんだから、そのくらいの我侭は聞いてもバチは当たらないだろ。
なーまどか?」
「ねー♪」
「あんたらぁ…。仁美ぃ~…まどかと杏子がいぢめるよ~。」
「さやかさん。淑女たるもの、いつまでも逃げの一手ではいけませんわよ。」
「」
みんなの支えになろうとしていたさやかはいつの間にやら遊ばれる側になっていた。
まぁこれもある意味精神的に支えになっていると言えなくもないが…。
主にまどかとの仲を冷やかされるのだが、さやかの方も満更ではなかったり。
夕飯を終えそろそろ解散な雰囲気になった辺りで、さやかがとある予定を持ち掛けた。
「…てな訳で今度まどかと花見に行こうって話になったんだけど、仁美と杏子も一緒にどう?」
「ごめんなさい、わたくしその日はちょっと都合が…。」
「んじゃアタシも遠慮しとくよ。バカップル二人きりの時間を邪魔するのもなー。」
「な…何言ってんのあんたはー!」
「そ、そそそそうだよ…わたし達そんなんじゃ…。」
バタつきながら慌てるさやかと人差し指をつんつんしながら俯くまどか。
タイミング良く揃って赤面する辺り、実に息がピッタリだ。
「ちっ、つまんねぇなー。その様子じゃ当分進展無さそうだね。
それじゃ、ちゃんと心と身体は休めておきなよ。いつ魔女に遭うかわかんないからな。」
若手ばかりが集ったメンバーの中で、杏子には自然と経験者としての自覚が現れ始めていた。
以前より周りを見ながらの冷静な言動が目立ち始めたのだ。
見滝原市内在住の仁美も帰路に就き、残ったまどかは今日このままさやかの家に泊まる事になった。
………………………………………♭♭♭………………………………………
本日さやかのご両親は留守。今夜は文字通り二人きりである。
小学校からの付き合いであるまどかはすっかり慣れた様子でごく普通にお風呂を借りていた。
まどかはパジャマに着替え湯気が僅かばかり残る身体でさやかの部屋へ向かう。
「さやかちゃん、お風呂空いたよ……。…さやかちゃん…?」
「―――あっ……」
呼ばれて振り返ったさやかは一瞬目に涙を残していた。
すぐに拭って誤魔化したものの、幼馴染同然のまどかにはとても隠せたものじゃない。
「さやかちゃん…泣いてた…?」
「………ごめん…。」
「やっぱり…上条君の事…。淋しくて当たり前だよね…。」
仁美共々振られてからというもの、恭介と話す機会も随分少なくなってしまった。
逆に魔法少女絡みで仁美達との付き合いは増えたが、やはりまどかとしてはさやかの恋の件が気掛かりだ。
しかしさやかの涙は違う場所に向いていた。
「そういうのじゃないよ、恭介の事はもういいの。
あたしの所為でまどかの人生犠牲にしちゃったのが、何てお詫びすりゃ良いか理解らなくてさ…。」
「わたし犠牲になんてなってないよ?
「…あの時…あたしがあんたに代わりに戦ってよなんて言わなきゃ…。
まどかは魔法少女になって、これからもずっと命の危険と向き合ってかなきゃいけない訳だし…。」
さやかはまどかに戦いを強いた自分を未だに責め続けていたのだ。
心優しいまどかが自分を許してくれている事はとっくに理解っている。
それでもさやかは自分が許せずにいた。まどかの優しさに甘え続けている自分を…。
「………。でもね、わたしはさやかちゃんが笑顔でいてくれるなら、それだけで幸せだよ。
わたし見滝原に来てから、さやかちゃんに出会わなかったら今でも一人ぼっちだったかもしれない。
今あるわたしも、楽しい学校生活もお友達も、みーんなさやかちゃんがくれたんだよ?」
「まどか…。」
寧ろまどかは笑顔でさやかにお礼の言葉ばかりを向けてくれる。
そんなまどかの無償の優しさこそが、さやかの胸の奥深くに突き刺るのだ。
二人は性格こそ違えぞ、一途に相手の為に尽くし続けるという同種の優しさである。
「さやかちゃんの悲しい顔はもう見たくないの。だから、笑顔でいて欲しいなっ。」
「…あはは…ごめんごめん。」
ぐしぐしと涙を拭ってさやかはありったけの笑顔でまどかに応えた。
例えさやかの造り笑顔であっても、今は前を向いてくれればそれだけでまどかは嬉しいのだ。
お互いの自己犠牲の上に成り立つ、止め処無い優しさと思いやり。
皮肉にもその優しさは、時として相手を傷付ける諸刃の剣となる事もあるのだが…。
………………………………………♭♭♭………………………………………
数日後、いつも通りの放課後。
まどか達はさやかを通じて知り合った仲の良い女友達と遊びに行く所だった。
しかし魔女の反応を探知したまどかと仁美は魔女退治に借り出されてしまう。
場所は当然見滝原市内に違いない。また暫くすれば杏子も様子を見て来てくれるだろう。
「鹿目さんって最近志筑さんと同じくらい忙しそうだよね。」
「まーね、二人共習い事同じ場所になっちゃってさ。あたしも何か習おうかなー。」
「ねぇさやか。そのうち鹿目さんを志筑さんに取られちゃうんじゃない?」
「なぁにぃぃぃ~!? まどかはあたしの嫁だー!浮気は許さんぞー!」
友達の一人、ユウカが冗談半分でさやかをからかってみると効果は覿面。
早速さやかの公衆セクハラ(?)がまどかに襲い掛かった。
「ちょっ…さやかちゃ…うぇひっ!うぇひひひっ! くすぐった…うぇひひひひっ…!」
「あらあら、さやかさんからまどかさんを奪うのは難しそうですわね。」
「ひーとーみー!あんたもか~!」
「きゃっ!さ、さやかさんこそ浮気は…あはははははっ…いけませんわぁぁぁ~っ…!」
まどかのみならず、悪乗りした仁美にまでくすぐり攻撃を繰り出すさやか。
すると今度はジト目のまどかが恨めしそうにさやかを見詰めているのだ。
「さやかちゃん…。」
「ああ…さやかがどんどん変態になってゆくよ…。」
「あはははは!おっかしー♪」
気付けば女友達数人も一緒になってさやかの暴走を生暖かく見守っていた。
こんな感じで友達との掛け替えの無い時間は過ぎてゆく。
だが魔法少女の使命を背負った以上、いつまでもこうしてじゃれ合っている訳にも行かない。
「それでは行って参りますわ。」
「さやかちゃん、みんな、またあしたね。」
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さやかは友達と遊んだ後、すっかり日が暮れてしまった公園でまどかと待ち合わせ。
魔女退治後に仁美は用事があるらしくそのまま帰宅するとの事だった。
「まどかお疲れ~。」
「ただいまさやかちゃん! ………さやかちゃん…。」
「ん?どしたの?」
今日の魔女退治からも無事帰還しまどかを出迎えるさやか。
しかしさやかの眼を見るなりまどかは顔を曇らせていた。
「さやかちゃん、何かやな事あったの…?」
「えっ…?」
「さやかちゃんの笑顔、やっぱり何処か悲しそうなんだもん。」
「そ、そっかな…。」
さやかは笑顔で出迎えたつもりが、やはり心の何処かで罪悪感を残したままだった。
まどかも付き合いの長さ故にさやかの繊細な変化を見過ごせなかった。
勿論それは悪意からではなく大切なさやかを心配しての事である。
まどかの願いはさやかを人間に戻す事だった。それはさやかに笑顔でいて欲しいからだ。
自分を支えてくれたさやかの笑顔を取り戻して欲しい、唯それだけを願ったまどか。
「ねぇさやかちゃん。さやかちゃんは人間に戻れて良かったって、ホントに思ってる?」
「…っ!? うん…そんなの…当たり前じゃん…。」
「それじゃ…どうして喜んでくれないの?」
「それは…! あたしの所為で…まどかが大変な思いしてるから…。」
苦しむさやかを見るうちに"自分の祈りが逆にさやかを苦しめているのではないか?"
そんな嫌な考えがまどかの頭を過ぎり始めていた。
「でもね、友達だってさやかちゃんがいないと出来なかったと思うし…
今までさやかちゃんはわたしにたくさん幸せを、大切なものをくれたんだよ?
だから…わたしはさやかちゃんに少しでもお返ししてあげたいって思ったの。」
「…まどか…あんた…優し過ぎるよ…。」
さやかの眼からポロポロと涙が零れ落ちる。
人前では滅多に見せない涙。まどかの前だけで見せてくれるそれは信頼の証。
まどかの願いとは真逆に、さやかが心の奥から見せるのは笑顔でなく涙ばかりだった…。
………………………………………♭♭♭………………………………………
日が経つにつれてまどかの心の曇りは段々と顕著になっていった。
自分がさやかを幸せに出来ない事への罪悪感…祈りの破綻によりソウルジェムの濁りは随分と早い。
そんな状況にも関わらず、まどかは敵との戦いにやたらと積極的だった。
得物の弓矢を構え、時には自ら囮となって魔女本体を引き付ける役割も担った。
自暴自棄で恰(あたかも)も死に急ぐかの様な無謀な身のこなしは、まるで以前のさやかを思わせる。
魔女退治が終わる度に杏子はすぐさまグリーフシードを持ってまどかの身を案じていた。
「おいまどか、あんまり無茶するなよ。大怪我して帰ったらさやかが心配するぞ?」
「いいんだよ杏子ちゃん…。わたしが幾ら頑張っても、さやかちゃんの幸せは戻らないから…。」
「まどかさん…一体どうされましたの…? もしかしてお身体が優れませんの…?」
事情と理由をだいたい把握している杏子はもどかしくて仕方が無かった。
まどかが一途で、いざとなれば自分の考えは絶対に曲げない所もさやかと同じ。
それでも先輩として、負の道へ進み始めている後輩を放っておく訳にはいかない。
「だからって、親友を困らせるなんてのは持っての他だ。
喧嘩したならちゃんと謝りなよ。今までずっとそうして仲直りして来たんだろ?」
「…仲直りしたって、どうせさやかちゃんの笑顔を守れないわたしなんていらない子だよ。」
「何だよそれ…。もしお前がいなくなったらアイツ絶対悲しむぞ。家族みたいなもんなんだろ?」
「………ッ!」
まどかは一度奥歯をギリッと噛み締めた後、杏子に向き直り言葉を放った。
心の拠り所を失い周囲に当り散らす様に。
「どうせわたしがいてもいなくても一緒だよ!!
みーんな死んじゃって、一人ぼっちの杏子ちゃんには理解らないよね!!理解る訳ないよね!!」
「…うぐっ…!」
「ま、まどかさん…! そんな言い方…!」
普段のまどかからは到底考えられない乱暴な物言い。
これはさやかの時と同じだ。まどかの祈りが呪いに変わり始めているのだ。
歯止めの利きそうにない状況を打破する為、杏子は強硬手段に出る事にした。
(―――ドスッ!)
「―――きょ…こ…ちゃ…!?」
「わりぃな、こうでもしないと…今のアンタは話聞きそうにないから…。」
杏子の右腕がまどかの鳩尾(みぞおち)を痛打していた。
まどかは一瞬苦痛に顔を歪めて意識を失い、それを杏子は自ら抱き止めた。
「杏子先輩…!?」
「心配すんな、気絶させただけだよ。それより…二回も目の前でお友達を殴っちまってゴメンな…。」
杏子は申し訳なさそうに仁美に謝罪した。
二人が向かうのはまどかの一番の理解者であるさやかの自宅。
とにかく今はまどかにとっての精神安定剤はさやかだと判断したからだ。
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マンションのエントランスは飛び越え直接自宅の前へ。
一応覚悟していたが、気絶したまどかを見た瞬間さやかの悲鳴に近い質問が飛んで来た。
「まどかどうしたの!? 魔女にやられたの!?」
「いいかさやか、とりあえず落ち着いて聞いてくれ。」
杏子はまずまどかのソウルジェムが無事である事をさやかに確認させた。
とりあえずまどかはさやかのベッドに寝かせ、彼女の精神状態を説明しておく。
「この子が杏子にそんな事を…。」
「今のまどかさんを支えられるのは…きっとさやかさんを置いて他にありませんわ…。」
「さやか、まどかが目を醒ましたら絶対に離すなよ。あとグリーフソードを何個か渡しとくよ。」
グリーフシードの予備を元魔法少女のさやかに託しておく。使い方は心得ているだろうから。
すぐにまどかが前を醒ますようなら改めて四人で話そうとも考えたが、
日が暮れてしまいそうな時間になり、杏子と仁美は一度帰宅する事にした。
「…はい、今日はまどかをうちに泊まらせて行きます。
いいえそんな!こちらこそ知久さんに迷惑ばっか掛けて…。それじゃ…失礼します。」
さやかは受話器を置き、まどかの父との通話を終える。
まどかを一人きりにする訳にもいかず、消去法で今晩は自然とさやかが面倒を見る事になった。
「ははは…逆にパパさんにお礼言われちゃったよ…。」
「それだけまどかさんのお宅に信頼されている証ですわ。」
「アタシも今日はこっち(風見野)の見回りやんなきゃいけないし、そろそろ御暇(おいとま)するよ。
それじゃ…まどかの事は頼んだぞ…。」
「さやかさん、どうかまどかさんを元気にしてあげてくださいね…。」
………………………………………♭♭♭………………………………………
夕焼けの下で帰路に就いた仁美と杏子。
分かれる前に杏子が重要な話があるとの事で、二人は街境の物陰で佇んでいた。
「あんたは割と頭が落ち着いてそうだし、ちょっと話しておこうかと思うんだ。
さやかには構わないんだけど、今のまどかに聞かせるのはヤバ過ぎる事だからな…。」
まどかが契約した直後、暁美ほむらはこの街から完全に姿を消した。
ほむらは杏子に協力を申し掛け、ワルプルギスの夜を倒せば自分はこの街を去ると告げたのだ。
しかしその前に彼女は失踪。結局超弩級の魔女は杏子・まどか・仁美の三人で何とか撃破した。
「魔法少女は…魔女の卵…???」
「んー、まぁアタシの推測なんだけど…ソウルジェムが濁りきると魔女になるかもしれないって事だ。」
「えええええっ!?」
「かと言って今すぐ魔女になるって訳じゃない。頭冷やして聞いてくれ…。」
「はい…。」
ほむらはまどかが魔法少女になる事を徹底的に拒絶していた。
まどかが契約を完了する事は、ほむらにとってワルプルギスの夜と戦うに値しない状況だと推測出来る。
以上の手掛かりとワルプルギスの夜戦で起こった異常事態を踏まえて杏子は入念に話し始めた。
「確かめる方法が無いからには正直、確証は持てませんが…。
「そもそもだ。魔女の呪いってのは誰の物なんだ? 人間のマイナスの感情とかだろ?
人間の呪いから魔女が生まれるのなら、契約して魔女にでもなったってのか。」
「呪う為に自ら魔女になるというのなら…魔法少女になって幸せになろうとする方が自然ですわね…。」
「そうだよ!それなんだよ! やっぱ仁美の嬢ちゃんは理解ってくれるかー。」
杏子にとって共に冷静に考え、共に考察してくれる仲間はとても頼もしかった。
彼女自身頭の回転に自信がある方ではないが、今は自分達に降りかかる運命を見極める為に集中力を研ぎ澄ませている。
「仁美。アタシらがワルプルギスの夜を倒した時の事、まだ覚えてるよな…?」
「はい。魔女が崩れ始めた直後…何かがまどかさんを覆い始めて…」
予めワルプルギスの存在を耳にしていた杏子は、仲間と共に十分な作戦を考えて挑んだ。
ベテランの杏子がまず先導し、仁美と共に魔女本体への活路を切り開く。
段違いの火力を誇るまどかが魔女を射止める。
また移動能力に長ける仁美は常に魔力に余裕を残しておき、"いざという時"に備えておく。
この戦いは杏子にとっても未知なる領域であるし、危機管理は重ねて欠かさなかった。
そして魔女を倒した後に"いざという時"は現れたのだ。
………♭♭♭………
「―――うぐぅぅぅっ…あぁぁぁっ……!?」
「おい!まどかどうした!? ソウルジェムが…!」
途端に苦しみ始めるまどか。
戦闘中は何も無かった筈なのに、黒い得体の知れない何かがまどかを包み込む。
その"黒"はまどかの胸元に輝くソウルジェムを瞬く間に黒く染め上げてゆく。
杏子がグリーフシードを当ててもまどかを襲う"黒"の影響か全く効果は無い。
只ならぬ緊急事態に杏子は迷い無く奥の手を用いる事を決めた。
「仁美ッ!!亜空間!!」
「―――はい!!」
それだけ言葉を聞くと仁美は斧槍を虚空へ向かって振り翳した。
瞬時に空間を斬り裂き、同時に八本足の馬を召喚して準備は整った。
杏子はまどかを抱えて仁美の後ろに飛び乗る。
まどかを襲う"黒"を振り払う程のスピードで馬は次元の果てへと駆け抜けた。
―音も色も温度も無い、別世界の一室―
三人は仁美が咄嗟に切り開いたとある場所へと避難していた。
ここは恐らく見滝原でも日本でも、恐らく地球ですらないだろう。
敢えて杏子が"亜空間"と叫んだのは得体の知れない脅威から逃れる為だ。
改めてグリーフシードを触れさせると、漸くまどかのソウルジェムは輝きを取り戻した。
「よし…やっとソウルジェムが戻った!」
「ありがとう杏子ちゃん、もう苦しくないよ。」
ここは地球上の何処でもない、魔法少女志筑仁美が独自に繋げた空間である。
入り込む際には彼女が召喚する馬のスピードが無ければ入れない。
まさに魔法少女にとっての避難場所と言っても過言ではないだろう。
実際、まどかを襲った"黒"は一片足りともこの世界に侵入を許していない。
収容する三人分程しか空間を切り開いていない為に広さは約二畳程しか無い。
それでもこうしてまどかが何とか助かったのだから、奥の手は用意しておいて正解だった。
外界と完全に遮断された球状の空間。暫くの間危険から逃れるには十分適した場所だ。
「しっかし…何だったんだ今のは…。確かにワルプルギスっていう奴は倒した筈なんだが…。」
「仁美ちゃん、こっちから見滝原の様子は見えるの?」
「えーっと…ほんの少しであれば感じる事くらいは出来ますが…。どうやら魔女は消えて嵐も収まった様ですわ。」
「手持ちのグリーフシードはあと一個か…。仁美、今魔力補充無しだとあとどのくらい隠れてられるんだ?」
「あと2~3分程なら全然問題はありませんわ。」
この空間にも永遠に隠れていられる訳ではない。維持するだけでも少しずつ仁美の魔力は消耗してゆく。
また帰還する為には再度空間を斬り開く分の魔力も必要不可欠である。
「よし。あと2分経ったら戻ってみるか。それでまたまどかがヤバかったら…悪いけど仁美、もっかい退避だ。
グリーフシードは最後のをお前ら二人で分けて何とかする。それが最後の手段だ…。」
………♭♭♭………
結局三人が戻ってからはこれと言った異常も無く戦いを終えたのだ。
仁美の空間切断魔法による亜空間への退避手段があってこその生還だった。
「…あの時まどかさんを襲ったのは一体何だったのでしょうか…?」
「たぶんなんだが…あれこそがほむらの恐れてた"一番の敵"なんじゃないか…アタシはそう思うんだ。
アタシらに無くてまどかにだけあるもの。それって何だと思う?」
「えっと、優しさ…とかではなくて…。一番凄いのは"魔力"だと思いますわ。」
「ああ、それだよ。魔法少女の世界ってのはさ、希望と絶望でバランスが取れてるものなんだ。
あの強大な魔女を倒した結果、奴を構成してた"絶望"とか"呪い"は何処へ行った…?」
ワルプルギスの夜との戦いを介して、杏子は着実に真実を解き始めていた。
まどかを襲った"黒"が意味するものを。
「…ワルプスギスの夜の代わりに、何か別の強力な魔女が生まれた…と…?」
「そうさ。ほむらって奴がまどかを魔法少女にしたくなかった理由…。
それって、魔法少女になったまどかが魔女に変わるって事じゃないのか…?」
「―――!! 魔法少女が何らかの形で魔女に変わるというのなら、杏子先輩の推理が当てはまりますわ!!」
パズルの出口が垣間見えた仁美は思わず声を上げた。
戦いの中で自分が行使した魔法が如何に重要だったか改めて自覚する事が出来た。
その魔法は奇跡的にも"友達を守りたい"という願いに直結する結果となる。
「それにソウルジェムは魔力を使うだけじゃなく、主が絶望すると途端に穢れ易くなっちまう。
魔法少女は希望を生み出し、魔女は呪いを産む。魔法少女の希望が絶望に変わった時…」
「魔法少女は魔女になる…!!」
魔法少女と魔女は対極を成す存在。皮肉にもそれを結論付けたのは仲間であるまどかだった。
「…って訳で、魔女は魔法少女の成れの果てって事でほぼ正解だろうな。
しかも厄介な事に、強い魔法少女程強い魔女にされるんだろ。この前のまどかみたいに。」
「あっ、でも…まどかさんが魔女になるのは無事防ぎましたわよね…?」
「…後味悪いんだが、この世界から消えたまどかの変わりに、その分だけ何処かの魔法少女が犠牲になったかもな…。」
「そうですのね…。」
仁美は遠くを見る目で現実の悲壮感を切に受け止めている。
しかしそれを先輩らしく引き上げてやれるのが杏子の純粋な心の強さだ。
「けどさ…。アタシはこうしてアンタと腹を割って話せて元気一杯さ!
一人にならなきゃ当分絶望なんて出来そうにないしな!」
「杏子先輩…! あとは、まどかさんが元気になれば…。」
「ああ。また三人で魔女退治から無事帰って、さやかの飯を腹一杯食おうぜ!」
「はい!」
………………………………………♭♭♭………………………………………
仁美と杏子が話し込んでいる頃に、まどかは虚ろな眼を開き意識を取り戻した。
傍にはこの部屋の主、親友のさやかが手を取って心配そうに声を掛ける。
「まどか…大丈夫…?」
「………うん…。」
「紅茶でも入れよっか?」
「…いらないよ…。ねぇさやかちゃん…。どうしたら…さやかちゃんは笑ってくれるのかな…?」
「え…?」
本来のまどかであればさやか自身に縋り付く筈である。
悲しい事や辛い事があれば泣き付いてその身に縋っているだろう。
しかし絶望に囚われたまどかは、病的なまでにさやかの"幸せ"に固執していた。
「そんなの…理解る訳ないでしょ…。」
「…じゃぁ教えてあげるよ。さやかちゃんが不幸から逃れるにはね…"死ぬ"しか無いんじゃないかなぁ…?」
「はぁ!? あんた何言って…―――ぐっ!?」
ゆらりとベッドから起き上がったかと思えば、まどかは唐突にさやかの首を締め上げていた。
さやかが腕を引き剥がそうとしてもビクともしない。生身の人間と魔法少女では明らかな力の差がある。
殺せば楽になるのはまどか自身か?それともさやかなのか? 最早理念そのものが破綻している。
「……ま……どかっ……や…め………」
「苦しむさやかちゃんを、これ以上苦しまなくていいようにわたしが"助けて"あげるよ?
どうせさやかちゃんは…上条君と付き合えても幸せになんてなれなかったんだからね。」
「………ぁ…ぐ……」
さやかはガクリと力尽き慣性のまままどかにもたれ掛かった。
その温もりと大好きな匂いを身体に感じたまどかは正気を取り戻す。
「―――!!(わ、わたし…何してたの…!?)」
同時に襲い来るのは今まで自分が行ったとんでもない凶行に対する後悔ばかり。
何故こんな事をしたのだろうか、考えてだけで手がガタガタと震えている。
「さやかちゃん!さやかちゃん!? …あ…あああ…あぁぁぁぁっ…!!」
「…げほっ!げほっ! …ま…どか…。」
「ごっ…ごめんなさい!ごめんなさい! わたし…わたし…その…!」
それでもさやかは首を押さえ苦しそうながらもまどかを心配させまいと、膝立ちのまま笑顔で離しかけてくれる。
「…気は…済んだ…? …今度はもうちょっと…優しく…八つ当たり…してくんないかな…。」
殺されかけた事に対して怒ってなどいなかった。寧ろ八つ当たりとして受け止めさえしてくれる。
そんなさやかの優しさ、自分の罪悪感に耐え切れず…まどかは走り出していた。
「―――まどかぁ!! …っく…!」
すぐに追い掛けなければならないのに、絞殺されかけた所為かさやかはすぐに走り出せない。
まだ息が満足に通っておらず、朦朧とする意識を何とか持ち直そうとする。
フラフラとした足取りでマンションを後にしながら仁美の携帯番号を呼び出していた。
電話越しに響き渡ったのは杏子の怒声だった。
「―――馬鹿野郎!!何やってんだよ!!離すなって言っただろ!!」
「…だって…あたし…殺され掛けて…あたしじゃ…何も…」
息も絶え絶えなさやかは自身も絶望感に支配され始めていた。
肉体的にも精神的にもダメージが大きく、この状態でまどかに追い付けるかどうかは疑わしい。
しかし疲弊したさやかを立ち直らせたのは電話の本来の持ち主である仁美だった。
「さやかさん!まどかさんの本当のお気持ちは…きっと気持ちを分かち合いたいだけなんです!
全てが幸せで出来ている人なんてそうはいませんわ。
だから…嬉しい事も悲しい事も、一緒に共有してあげるだけでいいんです!
それがきっと、まどかさんがさやかさんを好きだって…大切だって思うお気持ちですわ…。」
「…一緒に…分かち合う…」
仁美の助言を受けてさやかはもう一度だけまどかを説得する希望を見出した。
仁美、杏子もそれぞれ手分けしてまどかを探す為、三人は陽の沈みかけた街を駆け出した。
………………………………………♭♭♭………………………………………
既に陽は堕ち辺りは真っ暗。
まどかはたまたま遭遇した魔女を苛立ちをぶつける様に叩き潰していた。
結界から戻ると、手に入れたグリーフシードさえも力任せに叩き割ってしまう。
「…てぃひひ…どうせこんなもの…いらないよ…。
わたしなんていらない子なんだから…何の約にも…立たない子なんだから…。
魔女なんて…みぃんな道連れにしてあげるよ………てぃひっ…・・・てぃひひひひっ……」
まどかは狂気に満ちた笑顔で、しかし後悔の涙を流しながら何処へともなく彷徨い歩く。
さやかの為に祈り、結局さやかの為に何も出来なかった自責の念が己を破綻させてゆく。
魔力が尽きた所為なのか、体力も底を尽きかけていて足元は覚束ない。
(…ドサッ)
「………ううっ…」
遂に歩く気力も失いまどかは力無く冷えたアスファルトに転んだ。
懐から転がり出したピンクのソウルジェムは、今は見る影も無く黒く鈍い輝きが残るばかり。
―わたし…何の為に魔法少女になったのかな…―
―苦しむさやかちゃんを助けてあげたくて―
―どうしたかったの? また前みたいに一緒に遊びたかったんだよね?―
―さやかちゃんの笑顔が大好きだったのに―
―わたし、それさえも壊そうとして…―
―…どうしたらいいの…?―
―……助けて……誰か…さやかちゃ…―
心の中でもその名前を言い切る事は出来ない。傷付けたその人に助けを、許しを請うなんて…。
「…まどか。」
涙で視界が霞む暗闇の中で、あの日の様に差し伸べられた懐かしい手。
自分にその手を取る資格なんて無い。大切な人にあんな酷い事をしようとした自分に。
それでも頭で考えるより先に身体が、手が本能的にその人に触れていた。
「………さやかちゃん…」
「…まどか、ご………」
さやかは"ごめん"と言いたかったがぐっと堪えてその言葉を押し込む。
今まどかに必要なのは謝る事ではなかった。本当に気持ちを分かちあう為に必要な言葉だ。
「まどか、"ありがとう"。」
「えっ…?」
まどかが魔法少女になってから、始めてまどかだけに向けて言ったお礼の言葉。
「良く考えたらあたし、一度もあんたにお礼言ってなかったよね。
ありがとね、まどか。あたしを人間に戻してくれて。」
さやかはその言葉と共にまどかを強く抱き寄せた。
抵抗しようとするまどかを押し切ってまで強く胸元へと抱きしめる。
「…っ!! は、離して…!」
「嫌だ!絶対…離すもんか!!」
「だってっ…わたし…我侭な子なのに…! さやかちゃんが思い通りにならないからって…
酷い事言って…殺そうとしたり…して…」
「聞いて、まどか。あたしはね…まどかが望んだ程完璧に幸せにはなれないかもしれない。
でもね、辛い事も嬉しい事も、まどかと一緒に分け合って生きて行きたいんだ。」
「…一緒…に…?」
やっと届いたまどかへの言葉。出来るならもっと早くに届けてあげたかった。
「うん。まどかだってさ、魔法少女として辛い事たくさんあるでしょ?
だからまどかも一人で抱え込まないで、あたしと一緒に背負ってゆくの。あたし達、幼馴染で大親友でしょ?」
「…でも…でもぉっ…!」
「分かち合わなきゃいけないって事、やっと気付いたんだ。
だから今なら言えるよ。心から"ありがとう"って。"大好き"だって。だから…」
さやかは杏子から託されたグリーフシードをまどかのソウルジェムへ当てる。
しかし…黒く濁りきったソウルジェムの色は変わらない。
「なんで!? なんで全然綺麗にならないのよ…!?」
「……えへ…もう…手遅れなのかな…。」
ソウルジェムがこのままだとどうなるのか、今の二人に知る術は無い。
しかしさやかも同じ経験をした身であるからか、それが命の危機にある事は衝動的に感じていた。
○選択肢
まどかの頭を撫でる
まどかに唇を重ねる
※GSのストックかSG容量に余裕のある方は上のルートをご閲覧の後、下のルートを進んでください。
余裕の無い片は下のルートだけご閲覧ください。
後で上のルートをご閲覧するのはお勧めしません。自己責任でお願い致します。
最終更新:2012年04月12日 01:23