3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 11:44:15.91 ID:7m8jse6JP [1/3]
あれは、わたしが小学校低学年のころ。放課後の小学校で、廊下を歩いていた時のことでした。
「おい、しかめ!」
その声とともに、わたしは突然背後から突き飛ばされ、なすすべもなく床に転がりました。床にぶつけた鼻の頭がつんとして痛みます。
「なに床に寝てんだよ、しかめ」
「やっぱこいつ鹿だから、四つんばいの方が楽なんじゃねえの?」
「マジ受ける! なに鹿のくせに人間と同じ学校に通ってんだよ」
頭の上から降り注ぐ言葉に込められた悪意の響きに、わたしの体は固くこわばり起き上がるどころか頭を上げることすらできません。
でずが、その声には否応なしの聞き覚えがありました。わたしを突き飛ばしたのは、このところ執拗にわたしをいじめてくる
同じクラスの男子三人組です。彼らは学校では札付きの悪童として通っており、クラスの気の弱い子や大人しい子は皆一度は
標的にされ、小突かれた転ばされたりひどい悪口を言われたりしていました。わたしもできる限り彼らの目につかないように
していたのですが、引っ込み思案でおどおどした態度で、その上鹿目という珍しい名字のわたしが彼らに目をつけられるのは
時間の問題でした。
「おら、起きろよしかめ」
「いつまで寝てんだよ。床が汚れるだろうが」
「そんなに探したって、床にエサは落ちてねえぞ?」
彼らはわたしの名字をわざと間違えて呼び、下卑た笑い声を上げています。わたしはあまりの恐怖と屈辱に「しかめじゃなくて
かなめだよ」と言い返すこともできず、床に這いつくばったまま必死に涙をこらえていることしかできません。けれど、
このままでは彼らにもっとひどいことをされてしまうかもしれません。わたしが「誰か、助けて」と声にならない声を口の中で
つぶやいたその時。
「まどか! あんたら、まどかになにやってんのよ!」
声を聞くだけでとても温かい気持ちになれる、あの凛とした叫び声がわたしの耳に届きました。同時にこちらに駆けてくる足音と、
いじめっ子たちが思わず息を呑んだ音も。そしてすぐに、わたしはさやかちゃんの力強い腕に抱き起こされ、強く抱きしめられました。
「まどか、大丈夫!? どっかケガしてない!?」
「さやかっ、ちゃ……っ」
さやかちゃんに抱きしめられてその体温に触れ、わたしの心に今の今まで巣食っていた恐怖や屈辱感が一気に吹き飛ばされました。
その代わりに心からの安堵がわたしの体中いっぱいに広がり、気の緩んだわたしの目尻から涙がこぼれ落ちます。嗚咽を上げる
わたしの背中を、さやかちゃんは優しくぽんぽんと叩いて慰めてくれました。
「けっ、ベタベタしやがって。おい、行こうぜ」
「おう」
「待ちな! あんたたちまどかになにしたのよ!?」
そう言って立ち去ろうとしたいじめっ子たちの背中に、語気も鋭くさやかちゃんが言い放ちます。しかし、いじめっ子たちは
へらへら笑うばかりでした。
「何もしてねえよ。なんで俺らがしかめなんかに何かしてやんなきゃいけねーんだよ」
「そうそう。言いがかりつけんなよな」
「ふざけんな! 何もしなくてまどかが泣くわけないじゃない! 男らしく謝ったらどうなの!?」
わたしを抱きしめたまま、さやかちゃんが問い詰めますが、それでもいじめっ子たちはニヤニヤ笑いをやめません。そんな
いじめっ子たちの態度に、いよいよ業を煮やしたさやかちゃんが立ち上がります。
「あんたら、もう許さない! まどかに謝れ!」
そう叫んで、さやかちゃんは一番近くにいたいじめっ子の一人に殴りかかります。しかし、それよりも一瞬早くいじめっ子たちは
こちらをバカにした顔をしながら逃げていってしまいました。
「待てっつってんでしょ!?」
「待って、さやかちゃん! もういい、もういいから!」
「まどか……でも……」
「いいの……さやかちゃんが来てくれただけで、わたし……」
涙をぬぐって立ち上がり、わたしはさやかちゃんを止めました。さやかちゃんがわたしのために怒ってくれたのはとても
嬉しかったのですが、それでもさやかちゃんがわたしのためにケンカして、ケガでもしてしまったらたまらなく悲しくなります。
そんなわたしの気持ちが伝わったのか、さやかちゃんはわたしのもとに戻ってきてくれました。さやかちゃんは再び私を抱きしめ、
頭を優しく撫でてくれます。
「まどか、大丈夫だった? 早く気付いてあげられなくてごめんね」
「ううん……。もう大丈夫。ありがとう、さやかちゃん」
4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 11:45:06.33 ID:7m8jse6JP [2/3]
いじめっ子たちが下校したことを確認し、わたしたちも小学校の校門を出て家路につきます。通学路を歩きながらさやかちゃんは
いつにもまして元気よくしゃべり、可笑しなお話をいっぱいしてくれてわたしを笑わせてくれようとしてくれています。
手ひどくいじめられたショックはまだ後を引いていますが、わたしはなんとか笑顔を作ろうとします。わたしを気遣ってくれる
さやかちゃんを、早く安心させてあげたかったからです。しかし、わたしの笑顔を見てさやかちゃんはまだ不安げな表情を
浮かべています。わたしの演技など、さやかちゃんにはたやすく見破られてしまっているようです。
「あいつらのことなんか、気にしちゃダメだからね? しかめだとか、あいつらがバカなだけ! まどかは立派な可愛い人間の女の子なんだから」
「うん……でも……」
さやかちゃんが元気づけてくれようとしますが、わたしはなかなか落ち込んだ気持ちから抜け出せませんでした。名前のことで
いじめられるのは、これが初めてではありません。鹿目なんて名字でなければ、少しはいじめられずに済むのかな。
そんな思いが胸の内を占めています。
「まどか?」
「わたし……こんな変な名字じゃなければよかった……」
口に出してしまうと、それを口火にどんどん悲しい思いが込み上げてきます。わたしは立ち止まり、ぽろぽろと涙をこぼして
しまいます。さやかちゃんは、そんなわたしの頭をそっと撫でてくれます。
たとえ名字が鹿目じゃなくても、おどおどしたわたしはきっといじめの標的になっていたでしょう。それに、ママはとても
格好良くて、パパはとても優しくて、友達もたくさんいて、わたしは鹿目家に生まれたことをとても幸せだと思っています。
それでも、この名字でさえなければと思わずにはいられません。
「鹿目なんて名字、やだぁ……やだよぉ……」
「まどか……」
しゃくりあげて泣くわたしを、さやかちゃんはどうしたらいいかわからないように心配げに見つめています。わたしだって、
こんなことで泣いてさやかちゃんにすがっても、さやかちゃんにはどうしようもないことくらいわかっています。けれど、
今のわたしは泣かずにはいられませんでした。
ひとしきり泣いて涙もおさまってきて、もういい加減泣き止まなきゃとわたしが思ったとき、突然さやかちゃんが口を開きました。
「まどか、あたしにいい考えがあるよ!」
「えっ?」
顔を上げてさやかちゃんを見上げると、瞳をキラキラさせて満面の笑みを浮かべたさやかちゃんがわたしを真正面から
見つめていました。さやかちゃんには悪いのですが、こういう自信満々な時のさやかちゃんはとんでもないことを言いだすことも
多いのです。わたしは若干の嫌な予感も感じながら、さやかちゃんに聞き返しました。
「いい考えって……?」
「ふふーん、それはね!」
さやかちゃんが胸を張って高らかに言い放ちます。
「まどかが、あたしと結婚することだよ!」
「ええ!?」
あまりに予想外の答えに、わたしは茫然としてしまいます。名字の話からどうして結婚が出てくるのか、さやかちゃんの
話の飛躍にわたしの頭は全然ついていけません。
「まどか知らないでしょ? 結婚するとね、お嫁さんはそれまでの名字じゃなくて、旦那さんの名字に変わるんだよ! だから、
まどかがあたしと結婚すればもう鹿目まどかじゃなくなるじゃない。美樹まどかになれるんだよ、これで万事解決!」
これ以上ないくらい得意げな顔をしているさやかちゃんを、わたしはあんぐりと口を開けて見ているしかありませんでした。
いくらわたしでも、結婚でお嫁さんの名字が変わることくらい知っています。それに、女の子同士では結婚できないことも。
もう何から言ってあげればいいのかわからなくて、わたしは虚仮のように立ち尽くしているしかありませんでした。
「まどかの名字を変えるんだから、まどかがお嫁さんであたしが旦那さんね? というわけで、まどかはあたしの嫁になるのだー!」
「きゃあっ!?」
さやかちゃんに抱きつかれ、さやかちゃんの体温がじかに感じられて、わたしはドギマギしてしまいます。さやかちゃんに
スキンシップされるのはいつものことですが、なぜか今はことさらに心臓がどきどきしています。そして、突然温かくて
柔らかな感触がおでこに降ってきました。わたしより少し背の高いさやかちゃんが、わたしを抱きしめたままわたしのおでこに
キスしてくれたのです。
「はい、誓いのキス。まどかはこれからはあたしのお嫁さんだからね? あたしが一生守ったげるから、安心してね!」
「あっ……はい……」
5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 11:46:19.52 ID:7m8jse6JP [3/3]
顔中一杯でわたしに笑いかけてくれるさやかちゃんに、わたしは思わず頷いてしまいました。けれど、一瞬のちにこのまま流されて
いいものか悩みます。小学生は結婚出来ないよとか、まずママとパパに相談しなきゃとか、こんなところでこんな突然にプロポーズ
されるなんてとか、一生守ってくれるの嬉しいとか、誓いのキスってそうじゃないよとか、そもそも女の子同士で結婚はできないよとか、
色んな言葉がわたしの胸中で渦巻きますが、どれも言葉になりません。なんだか顔がほてってどうしようもありません。わたしは
一体どうしてしまったのでしょう。
「さ、帰ろ? まどか」
「う、うん!」
さやかちゃんに手をぐいっと引っ張られて、一緒に駈け出します。足の速いさやかちゃんに必死でついて行きながら、わたしは
さやかちゃんの横顔を見つめていました。不意に「まどかを一生守ったげる」という言葉が思い出されて、再び顔が赤くなります。
さやかちゃんは、それをわたしが運動が苦手なせいだとしか思わなかったようでした。
さやかちゃんの「まどかはあたしの嫁になるのだー!」宣言以来、わたしたちの学校生活は一変しました。
翌日またもわたしがいじめっ子たちに狙われた時、さやかちゃんは文字通りわたしの前に立ちはだかり、「まどかはあたしの嫁
なんだから、もう鹿目まどかじゃないよ! 美樹まどかなんだよ!」と言い放ってくれました。いじめっ子たちもあっけにとられて
いたようです。そしてすぐに、バカにされたと思ったいじめっ子たちとさやかちゃんとの間で大ゲンカが起こり、大騒ぎになって
しまいました。
仲裁に入ったクラスの子や先生、呼び出されてきたみんなのママやパパにまでさやかちゃんは「まどかはあたしの嫁」論をぶち、
困惑したみんながひとまずその発言を措いてケンカの解決だけを図ったため、わたしが気が付いたときには、すっかりわたしは
さやかちゃんのお嫁さんということでひと段落ついてしまっていました。
一時はそのことでからかわれたり、変な目で見られたりしたこともあります。けれど、あの日以来わたしは不思議とそういうものが
気にならなくなりました。こんなわたしでも、さやかちゃんが守ってくれる。そのことがわたしの自信の源になり、わたしはあまり
おどおどしなくなったのです。からかったりこれ見よがしにひそひそ話をしてくる人たちも、何も言われてもわたしがどこ吹く風
というように受け流しているのを見て、急に興味を失ったかのようにわたしに干渉してくることもなくなりました。
そして「まどかはあたしの嫁になるのだー!」はさやかちゃんの口癖になり、学年が上がっても、中学校に入った今でも、
さやかちゃんは変わらず毎日のようにわたしに抱きついてくるのです。結婚についてのさやかちゃんの誤解は解けているのかは、
聞いてみたことがないのでわかりません。さすがに気づいているんじゃないかなとは思います。でも、わたしはそれでもいいと思っています。
ねえ、さやかちゃん。まどかをずっと守ったげるって約束してくれたの、覚えてる? ううん、忘れちゃっててもいいの。だって、
さやかちゃんが忘れちゃってても、さやかちゃんはわたしを守ってくれてるから。あの日、さやかちゃんがわたしに「まどかは
あたしの嫁になるのだー!」って言ってくれた時、わたしとても元気づけられたから。まどかはまどかのままでいいんだよって、
わたしに自信をくれたから。この先何があっても、さやかちゃんの言葉を思い出せばきっとがんばれる。さやかちゃんのあの口癖は、
さやかちゃんがわたしを守ってくれているあかしだから。
だからわたしは、今日もさやかちゃんに抱きつかれた腕からあの日の温もりを思い出して、>>1乙。
最終更新:2012年11月07日 08:28