567 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 23:28:25.14 ID:nKQ4eI+d0 [6/6]
さやかに名前を呼ばれるのが、まどかは好きだった。
優しい声が、まどかのちょうど前髪のあたりに落ち、長い指が、まどかの小さな手をつ
かむと、とびきり明るい笑顔がふりそそいでくるのである。
さやかに手をひかれ、まどかは見滝原じゅうを歩きまわった。繋いだ手を介してあらゆ
る想い出を共有し、気持ちを通い合わせた。
さやかに手を握られているかぎり、目をつむってでも歩けた。怖ろしいと感じることなど
なにもなかった。
しかしながら、まどかを慈しみ、守ってくれたその手は、ある日にわかにまどかの目の
前から消えた。
化物となってまどかに襲いかかったさやかが、はげしい炎と轟音の中にしずんだ時、
まどかはさやかのぬくもりに再び触れる機会を、永久にうしなったのである。
あとに遺った黒い小さな塊だけが、まどかの触れられるさやかの全てとして、今手の中
にある。
月明かりのさしこむ部屋で、ベッドに潜りこんだまどかは、固く握りしめた指を時々ひら
いて、その黒い冷たい輝きをもつ塊をみつめた。
この塊はかつてさやかだったものである。あるいはさやかそのものである。まどかの手
を握りかえさず、名を呼ばないこれがさやかであることなど、まどかには到底受け入れら
れないことだった。
まどかは目をつむった。
そうやって、まださやかがいた頃の甘い記憶に浸ろうとしたのである。その記憶の世界
は、目をひらいた時にいやおうなく映る世界よりも、ずっと優しいに違いなかった。
幻の声が遠くに聞こえた。おぼろげな影があらわれ、やがて輪郭を形づくった。が、想
像の世界はそこが限界だった。声は一向にこちらに近づいてこず、影は表情をともなわ
なかった。
まどかは、いよいよ哀しみ、その世界に耐えきれなくなって、目をひらいた。
手の中にさやかのグリーフシードがある。まどかはぎゅっと手を握り、いかなる声も発
しない、微笑みかけもしないそれが、目に入らないようにした。
――まどか。
そう、呼んでもらうのが好きだった。
まどかの目から涙がこぼれ、枕に落ちる。
その涙を拭う指も、慰める声も、すでにこの世にない。
最終更新:2011年11月15日 00:47