1乙」
ほむらちゃん!?」
ある日お迎えに行った魔法少女の顔を見て、私はとても驚いた。そこにいた子が、ほむらちゃんにそっくりだったからだ。それも、【昔の】ほむらちゃん。お下げにした長い黒髪、縁の太いメガネ、そして私の姿を見て驚くというより怯えたような表情を浮かべた顔。すぐに別人だと気付いたけれど、印象が初めて会った時のほむらちゃんにそっくりな子だった。私に導かれてまど界に向かう途中もずっと怯えて縮こまっていた彼女を見て、その印象はますます強くなった。
その子には、導いた数日後にまど界で再会した。どうやらこっちにきて以来、何をどうしたらいいのかわからずおろおろしていたらしく、私と再会したとき彼女はやっと知った顔に会えてほっと安堵したような表情を浮かべた。私は彼女にこの世界でいつまででも休んでいていいこと、したいことを何でも自由にして過ごしていいこと、わからないことがあればまど界中にいる私の分霊に尋ねればいいこと、転生したくなったらいつでもこの世界を離れて次の人生に進めることなどを説明した。
私の言葉に律儀に「はい、はい」とうなずく姿が可愛らしく、彼女にはまど界で見かけるたびに声を掛けた。彼女は魔法少女になって以来、常に戦い続けていなければいけないと思い込んで生きてきたらしく、いざ何をしてもいいと言われると何をしたらいいのかわからないと言った。そんな彼女に音楽CDを聞かせたりカフェでお菓子を食べさせたり色々なことを教えると、いちいち新鮮な反応が返ってくるので、私たちは出会うたびにおしゃべりをする仲になった。
彼女は特にスキンシップに慣れていないらしく、私が頭をなでたり手を取ったりすると顔を真っ赤にして恥ずかしがった。一度悪戯心で彼女に抱き付きながら「あなたは私の嫁になるのだ〜!」と言ってみたことがある。すると彼女は必死に私の腕の中から逃れながら「よめ!? よめってなんですか〜!?」とあわあわしていた。私が説明すると「ええええ!? だだだだって、私たち女の子同士じゃないですか!? まさか、まどかさんは男の人なんですか!? それとも私が男の人になるんですか!?」などと顔を赤らめながら支離滅裂なことを口走っていた。その反応も可愛らしくて、私は「大丈夫、冗談だよ? でも、あなたがそんなに可愛いと本気になっちゃうかも! ウェヒヒ!」などとからかってしまった。混乱して赤くなったり青くなったり大変な彼女を見るのはとても楽しく、私は完全に舞い上がっていた。
そう、その光景をさやかちゃんに見られていたことに気がつかないほどに。
彼女とたっぷりおしゃべりして別れた私が家に帰りつくと、灯りがすべて消えていた。玄関も鍵がかかっている。
「ただいま〜。さやかちゃん、いないの?」
私は玄関から家の中に向かって声をかけたが、家の中は静まり返って人の気配が全くなかった。私が帰ってくるときには必ず玄関で出迎えてくれるさやかちゃんにしては珍しいことだった。
リビングの電気をつけると、テーブルの上に書き置きがあった。なんだ、お買いものか何かに出かけてるのかなと思いながら書き置きを手に取った私の目は、そこに書かれている文字に釘付けになった。
鹿目まどか様へ
今まで本当にお世話になりました。
まどかに出会えて、まどかに救われて、まどかに愛されて、あたしは本当に幸せでした。
あの子は、まどかにお似合いだと思います。
どうか、二人でお幸せに。
美樹さやか
後頭部をがつんと殴られたような衝撃を受けた。文章の内容は全く私の頭に入ってこなかった。まるで私の心がその文章を理解することを拒んでいるかのようだった。
お世話になりました? どういう意味だろう。幸せでした? どうして過去形で書いてあるんだろう。あの子? あの子って誰のことだろう。二人でお幸せにって……?
私の心は急激に落ち着きを失っていった。思わず叫びだしそうな自分がいる一方で、冷静になって、落ち着いてと繰り返す自分もいた。待って、前にもこんなことがあったはずだよと冷静な自分がささやいた。
そうだ、前にもさやかちゃんの悪戯で、私が家に帰ったときに家の電気がすべて消えていたことがあった。あのときもテーブルの上に書き置きがあって、でかけていますと書かれていた。
あのときは、私が一人でさやかちゃんを待ちながら
「さびしいなぁ……さやかちゃん、早く帰ってきてよぉ……」
とつぶやいた次の瞬間、背後から忍び寄ったさやかちゃんに抱き付かれて口から心臓が飛び出すかと思うほどびっくりした。さやかちゃんは電気を消して隣の部屋に隠れて私の様子をうかがっていたらしい。私がびっくりした、さびしかった、なんでこんなことするのと泣きながら訴えると、さやかちゃんはごめんごめんと謝りつつも、悪戯っぽく笑いながら「でも、まどか可愛かったよ〜」とからかってきた。あんまりにも腹が立った私はもう二度とこんな悪戯しないでと約束させたのけれど、さやかちゃんはその約束を破ったんだ。そうに違いない。
「もうだまされないよ、さやかちゃん! 約束破ったからには、お仕置きだからね!?」
隣の部屋のドアを開け放つと、そこには誰もいなかった。今度はそう簡単な場所には隠れていないようだ。でも、さやかちゃんは必ずこの家のどこかに隠れているはず。私はそれ以外の可能性を頭の中から押しのけ、家中を探し回った。
「ここだあー! ん、ここも違うの!? やるね、さやかちゃん!」
バスルームを、キッチンを、寝室を、押入れを、私はありとあらゆる場所を探し回った。そのどこにもさやかちゃんの姿はなくて、私はまるで気が違ったかのように笑いながらさやかちゃんを探し回った。そうしていなければ、膨らんでいく不安に押しつぶされてしまいそうだった。
「あはははっ! さやかちゃん、どこにいるの!? 全然わからないや! 早く出てきてよ! でないと、でないと……私……」
最後の希望をかけた天井裏に上がり、そこにもさやかちゃんがいないことを確かめた私は、完全にパニックになっていた。
さやかちゃんが、どこにもいない? そして、「今までお世話になりました」の書き置き。これではまるで、さやかちゃんが……出ていってしまったみたいな……。考えちゃだめ。そんなこと、あるはずない。でも、そうじゃなきゃさやかちゃんはどこにいるの?
私は我知らず震え出していた。なんで? どうして? 最近ケンカらしいケンカはしてないし、今日だって出かけるときにキスしてくれた。さやかちゃんを怒らせるようなこと、した覚えは……。
そこまで考えて、私はほむらちゃん似のあの子のことに思い至った。さやかちゃんは、私があの子に抱き付いて「嫁になるのだ〜!」や「本気になっちゃうかも」と言ってるところを見たんだ。そして、私がさやかちゃんよりあの子のことを好きになったんだと誤解して……。
「探さなきゃ!!!」
私は家から飛び出した。走りながら、私の分霊全員と、テレパシーの届く範囲にいる魔法少女と魔女の皆にさやかちゃんを探してほしいと頼んだ。私自身もさやかちゃんが行きそうな場所を探し回った。
「やだっ、やだよぉ……さやかちゃん、行かないで……っ!」
私があの子に言ったことは、すべて冗談のつもりだった。彼女をからかうと面白くて、つい調子に乗ってあんなことを言ってしまった。それをさやかちゃんに見られていたなんて、思いもしなかった。まして、さやかちゃんが私から離れていくなんて。私こそ、私の方こそさやかちゃんに出会えて、さやかちゃんに救われて、さやかちゃんに愛されて本当に幸せだった。そのさやかちゃんがいなくなってしまったら、私は生きてなんていけない。
私は空を飛ぶことも忘れて、さやかちゃんを探してまど界中を走り回った。さやかちゃんは織莉子さんとキリカちゃんの家にも、エリーちゃんやエルザちゃんの家にもいなかった。ショッピングモールも、公園も、運動場も、美術館も、音楽ホールも、さやかちゃんとデートした場所は全て探した。さやかちゃんを探してくれている私の分霊や魔法少女、魔女の皆にも何度も行き会ったが、さやかちゃんを見つけられた子は誰一人としていなかった。
体力の限界まで走り続けて疲れ切った私は、噴水のある公園のベンチに倒れるように座り込んだ。
まど界中を全て探した。そのどこにもさやかちゃんはいなかった。その事実に、私の心は絶望に塗りつぶされていった。いまや私の頭の中は最悪の想像にとりつかれていた。そんなこと考えたくないといくら思っても、その想像を振り払うことはできなかった。
さやかちゃんは、もうまど界にはいないんだ。他の魔法少女たちと同じように、新しい人生に転生していってしまったんだ。
さやかちゃんは、ずっと私のそばにいてくれると言ってくれた。転生せずに、私と一緒にいると約束してくれた。けれど、私の心が他の子に移ってしまったと思い込んで、もうこの世界にいても私に愛されないと絶望して、別の人生を歩むことにしてしまったんだ……。
どうしてそんなことになってしまったのだろう。確かにさやかちゃんは一度こうと思い込んだらそのまま突っ走ってしまうところがあるけれど、私を一度問いただしてくれれば、こんなことにはならずにすんだのに。私に黙って身を引くようなことをするのが、実にさやかちゃんらしかった。
「ごめんなさい……さやかちゃん……ごめんなさい……」
私は、両手で顔を覆って泣き出していた。こんな形で再びさやかちゃんを失うなんて、思いもしなかった。過去の並行世界で、私は何度もさやかちゃんを失った。今度は、絶対にそんなことにはならないと思っていた。私はずっとさやかちゃんと一緒にいられると信じ込んでいた。
私は、こんなにさやかちゃんのことが好きなのに。さやかちゃんのことが、なによりも一番大切なのに……。
「会いたいよぉ……さやかちゃん……っ」
*
「まどか!!!」
突然、聞き覚えのある声がした。涙でぼやけた目を声がした方向に向けると、ぼんやりと水色の髪の毛が見えた。
「さやか、ちゃん……?」
公園の入り口に、息を弾ませたさやかちゃんが立っていた。私は思わず立ち上がってさやかちゃんに向かって走り出していた。さやかちゃんも私に向かって走ってくる。
あれは、幻? 私の願望が作り出した幻覚なのだろうか。それでもいい。幻でも何でも構わないから、消えないでほしかった。私がそこにたどり着くまで、どうかどうか消えないでください、どうかお願いだからとすがるようにお願いしながら、私は走った。
足がもつれて進まない。視界も涙でかすんで、あとどれくらいでさやかちゃんにたどり着けるのかもわからない。それでも私は少しでも足を緩めたらその途端にさやかちゃんが消えてしまうような気がして、懸命に走った。あと少しと思った瞬間、けつまずいて私は転びそうになった。
地面にぶつかると思った瞬間、さやかちゃんが私の体をしっかりと抱き止めてくれた。その感触は幻なんかではなく、いつだって私を優しく抱きしめてくれたさやかちゃんの腕の感触そのものだった。
「まどか、ごめんね! まどか!」
「さやかちゃん、さやかちゃん、さやかちゃあああん……っ!」
「本当にごめん、まどか。心配かけちゃったね」
「ううん……いいの。さやかちゃんがいなくなってなくて、本当に嬉しかった……私、もうさやかちゃんに会えないのかと思って、私……」
公園のベンチに腰かけて、私はさやかちゃんの膝の上で抱きしめてもらっていた。安心して気が抜けたせいか、私の涙は後から後から出てきて止まらなかった。
「さやかちゃん、ごめんね。私とあの子がおしゃべりしてるの、見たんでしょ? それ、誤解なの。私、あの子とは何でもないの……。軽口をたたいて、あの子をからかってみたかっただけなの……」
「うん。わかってるよ。いくらあたしでも、それくらい冗談だってわかってる」
「じゃあ……どうして……?」
「いや……その……」
口ごもるさやかちゃんを見て、私は聞かない方がよかったと思った。さやかちゃんにも何か理由があったんだ。私とあの子のことをさやかちゃんが誤解したのでなければ、無理してその理由を聞きだすこともないと私は思った。
「あの、言いたくなかったら、言わなくていいよ? こうしてさやかちゃんが帰ってきてくれただけで、私はもう十分だから……」
「や、違うんだよ。あのね、あたし……家にいたの」
「えっ……? でも私、家中探したんだよ? いったいどこにいたの?」
「……キッチンの床下……」
「床下って……あの調味料とか、漬物とか置いてあるところ!? あんな狭い所に入ってたの!? それじゃあ見つかるわけないよ……。でも、どうしてそんなところにいたの? ……まさか」
「いや……その、ごめんね?」
顔の前で両手を合わせて上目遣いで私を見るさやかちゃんを見て、私はぴんときた。やっぱりさやかちゃんは約束を破ったんだ。前みたいに私をいきなり驚かせるために、キッチンの床下なんかに隠れていたんだ。私の中に、急激に怒りが込み上げてきた。
「さやかちゃん!!! もうしないって約束したじゃない! また私をびっくりさせようとして、あんな書き置きまでして……! さやかちゃんがいなくなっちゃったと思って、私がどれだけ怖かったかわかる!?」
「ごめん、ごめんてば! 反省してる!」
「しかも、なんですぐ出てきてくれなかったの!? 私の分霊も、魔法少女や魔女の皆も一生懸命探してくれてたのに!」
「その、まどかが家中を探し尽くして諦めたときに出ていくつもりだったんだよ。でも、まどかが帰ってくるの待ってたらさ、床下で寝ちゃったんだよね。それで、あたしが目が覚めたときには、まどかはもうあたしを探して外に飛び出しちゃってて、こんな騒ぎになってて……」
私はもうあきれ果てて何も言えなかった。懲りずに悪戯をしかけたこともそうだけど、悪戯を仕掛けておいて眠ってしまったなんて。さやかちゃんはどれだけ人騒がせなんだろう。
「あの〜、まどかさん……?」
「知らない。約束破るさやかちゃんなんて、もう知りません!」
私はさやかちゃんの膝から降りて歩き出した。もう、バカみたいだ。こんなくだらない理由でこれだけ大騒ぎしたことが本当に情けない。さやかちゃんにはたっぷり反省してもらわなきゃ。とりあえず三日間は口をきかないことにしよう。一週間くらい長くてもいいかな。
そんなことを考えながら公園を出ようとした私に、追いかけてきたさやかちゃんが言った。
「待ってよ、まどか。あたしだって、不安だったんだよ……?」
「……何が?」
私は振り向かずに言った。何が不安だったのか知らないけれど、私がさやかちゃんを失うかもしれないと思ったときの不安ほどではないだろう。言い訳なら聞き流そうと私は思っていた。
「……『神様は、さやかを捨てて新しいパートナーを見つけたらしい』って噂が流れてたの、知ってた?」
私は思わず立ち止まってさやかちゃんを振り返った。さやかちゃんの表情は真剣そのもので、冗談やでまかせを言っている雰囲気ではなかった。
「なに、それ……」
「魔法少女や魔女たちの間で、最近よくそういう噂が流れてるみたいだよ。買い物してるときに小耳にはさんだんだ。曰く『神様の新しいお気に入りは、黒髪お下げの魔法少女らしい』とか、『最近はいつもその子と一緒にいるらしい』とか……」
「そんなの……確かにあの子と何度か一緒におしゃべりしたりしたけど、いつも一緒にいるなんてわけじゃないよ!? そんなの、ただの噂だよ! 話が広まっていくうちに、尾ひれがついて……」
「うん、わかってる。ここは女ばっかりだからね。小さなことがどんどん話が大きくなって広まってるんだろうなって頭では分かってる。あたしだって、まどかのこと信じて、そんなの真に受けないつもりだった。でも、最近まどかの帰り遅いし、そういう噂を何度も聞くとさ、どうしても不安が振り払えなくって……夜もなかなか眠れなくなっちゃって……」
「さやかちゃん……」
さやかちゃんの頬から、涙の滴が地面に落ちた。私はさやかちゃんに歩み寄り、その手を握った。泣きながら胸の内を吐露するさやかちゃんの体は、普段より小さく、弱々しく見えた。どれだけの不安をさやかちゃんは一人で抱え込んできたんだろう。そのことに気づかず、能天気にあの子と遊んでいた自分が本当に愚かしく思えた。
「それで、まどかがあたしから離れてっちゃうんじゃないかって不安で、まどかにあたしのこと見てほしくて、ああいう書き置きすれば心配してくれるかなって思って……。その結果が、こんなんなっちゃったんだけど……本当に、ごめんなさい」
「ううん、謝らないで。私こそ、さやかちゃんを不安にさせてることに気づかなくて、ごめんね。これからは気をつけるから。さやかちゃんを不安にさせるようなことは、もう絶対にしないから!」
「うん……」
私はさやかちゃんの少し背の高いその体を抱きしめながら言った。
「大好きだよ、さやかちゃん。ずうっと、一緒だからね?」
「うん、うん……ありがとう、まどか……」
次の日、私とさやかちゃんは、昨日一緒にさやかちゃんを探してくれた魔法少女や魔女の皆に、ごめんなさいとありがとうを言いに回った。そして、何よりも大事なことを噂として広めてくれるようにも頼んだ。
「さやかちゃんを探してくれてありがとう。大騒ぎして迷惑かけて、ごめんね。あとね、これが一番重要なことなんだけど、私とさやかちゃんはらっぶらぶだから! これからもずーっと一緒だからね、他の子に浮気したりなんか絶対しないからね、そのこと他の子にも教えてあげて? それから
最終更新:2011年11月30日 08:31