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501 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 21:55:04.12 ID:Og7Ylgz10 [1/5]
「なに……これ……」
 それは、音符や楽器をモチーフにした包装紙で綺麗にラッピングされた、チョコレートの箱だった。今日は3月14日。ホワイト
デーということで、お勤めを早めに切り上げて家に帰ってきたまどかは、お茶を淹れようと開けた戸棚の奥に置かれていたチョコ
レートの箱を訝しげに見つめていた。さやかは留守をしており、買い物にでもでかけているようだった。
 バレンタインデーの時、まどかはさやかにテーブルサイズのチョコレートを贈っているので、素直に考えれば、これはさやか
からまどかへのホワイトデーのお返しだろう。しかし、ホワイトデーのお返しにもチョコレートを贈る、というのは少々不自然な
感じがした。それに、さやかはまどかへのプレゼントには、ほとんどの場合ピンクの包装紙やレースのリボンなどをあしらった
可愛らしいラッピングをする。それなのに、このチョコレートの箱を包む包装紙は地味な色合いで、どちらかというと質素な印象
を受ける。なにより、表面を触ってみるとわずかに埃が乗っていて、どう考えても今日のためにラッピングしたてのプレゼント、
という感じではない。
 まどかはその箱を慎重に戸棚から取り出した。同じ戸棚に入っていたお茶葉の缶や、アルミホイルの箱などの日常的に使うもの
に比べて、その箱は明らかに一月は人の手が触れられていないようだった。
 箱をまじまじと見つめて、まどかは改めてこれはさやかから自分へのプレゼントではない、という印象を強めていた。さやか
からのプレゼントならもっとカラフルな色使いになるはずだし、一月も前から戸棚に隠されていたのも腑に落ちない。ならば、
これは一体なんなのだろう。
 何かすっきりしないもやもやとした気持ちでまどかが考え込んでいると、玄関から物音がした。さやかが帰ってきたようだ。
 ほどなくして、居間にさやかが姿を現した。まどかの姿を認めると、屈託のない笑みをこぼす。
「あれ? まどか、先に帰ってたんだ。さては、ホワイトデーのお返しが待ちきれなかったな~?」
 さやかは買い物袋を腕に下げたまま、まどかをからかうように人差し指を突き出したが、その指がぎくりと止まった。さやかの
目は、まどかの持っているチョコレートの箱に釘付けになっていた。
「あの、さやかちゃん、これって……」
 まどかがさやかに尋ねようとした瞬間、まどかはものすごい勢いでさやかにチョコレートの箱をひったくられていた。突然の
さやかの乱暴な振る舞いに呆然となっているまどかに、さやかは言った。
「あー、これね! いや、なんでもないんだよ? うん、別に大したものじゃないし、まどかは気にしなくていいからさ!」
 まどかの目を見ず、手を無意味にばたつかせながら早口に言うさやかの様子からは、明らかな動揺が見て取れた。まどかは、
頭の片隅にあったある疑いが、確信に変わったのを感じた。
「さやかちゃんっ! それ、わたしの知らない子からのプレゼントでしょ!? 誰からもらったの!?」
 突然怒鳴り声を上げたまどかに一瞬ひるんだような表情を浮かべたさやかだったが、すぐに気を取り直し、取り繕うような
笑顔を浮かべてまどかをなだめようとした。
「違うって、まどか! もう、バレンタインデーの時にもらったチョコは、こっちはあの子から、そっちはあの子からって、全部
まどかに報告したじゃない!」
 確かに、まどかはバレンタインデーの際にさやかがまど界の魔法少女や魔女からもらったチョコレートの出自を、一個残らず説明
されていた。「私の知らないところでさやかちゃんがチョコレートもらってるのが嫌だから」と言うまどかの求めに応じてのこと
だったが、件のチョコレートはまどかの記憶にはなかった。それは、つまり。
「でも、この箱はわたし見たことない! もらったことをわたしに隠して、戸棚の奥にずっと大事にしまっておいたんでしょ!?
なんでそういうことするの!? わたしがどれだけ嫌がるか、考えてもくれないの!?」
 まどかは、感情を高ぶらせ我知らず涙をこぼしながらさやかをなじった。
「だから違うって! これはそういうんじゃなくって……」
 さやかの言葉は歯切れが悪い。さやかの態度に一層いらだちをつのらせたまどかは、さらに声を張り上げた。
「じゃあ、それはなんなのか説明してよ! やましいことがないんだったら、説明できるでしょ!? ねえ、早く言ってよ!」
 さやかは、まどかから顔をそらしてうつむいた。「その」とか「だから」とか口の中で言葉を濁している。まどかは、涙を
いっぱいに溜めた目でさやかをにらみ続けた。

502 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 21:55:46.54 ID:Og7Ylgz10 [2/5]
 その状態で、どれほど経っただろうか。眉を寄せて困り顔をしていたさやかの表情が一変し、まどかを真っ直ぐに見据えた。
しかし、プレゼントの送り主を白状する気になったのかと思ったまどかの期待は、裏切られた。
「誓ってもいいけど、これはまど界の子からもらったプレゼントとかじゃない。それだけは絶対。でも、これがなんなのか
まどかに言うわけには、いかないの」
 さやかの言葉に、まどかは怒り狂った。
「なんなのそれ!? さやかちゃん、わたしをバカにしてるの!? プレゼントじゃないなら、言えるはずじゃない! 何で言えないの!?」
「訳も、言えない。まどかには悪いけど、これ以上は言えないの。ねえ、お願いだから……」
「いやだよ! わたしだって、疑いたくて疑ってるわけじゃないのに、どうしてわたしばっかりこんな気持ちにならなきゃ
いけないの!? どうしてさやかちゃんはわたしを不安にさせるようなことばっかりするの!? ねえ、なんとか言ってよ!」
 声も枯れんばかりにさやかを問い詰めるまどかだったが、立ち尽くしたさやかは黙り込んで何も言わない。一旦意地を張りだす
と、さやかは絶対に引こうとしないことをよく知っているまどかは、急に無力感に包まれた。
 踵を返してまどかが家から飛び出した。さやかは、追ってこなかった。

                 *

 まどかが家を飛び出してからしばらくして、玄関のチャイムの音が鳴り響いた。さやかは動こうとしない。やがて「お邪魔します」
と断りながら入ってきたのは、エリーだった。
 家に入ってきたときからさやかの重苦しい雰囲気を感じ取っていたのか、エリーはためらいがちにさやかの顔を見るだけで、
口を開くのをためらっているようだった。そのエリーに、さやかは言った。
「あんたを呼び出してあたしのとこ来させるなんてね……今度ばかりはまどかも本気で頭にきてるってことか……」
「言っとくけど、神様とは偶然会ったんだよ。エルザと家に帰る途中で、公園で泣きじゃくってる神様を見かけたから……。
神様は、エルザに頼んであたしの家で待っててもらってる」
「そう……でも、まどかに頼まれたんでしょ? 『さやかちゃんが、誰からチョコレート受け取ったのか聞き出してきて』って。
適任だよね。たとえあたしが口を割らなくても、あんたには心が読めるんだから」
 さやかの言葉に、エリーは心外だと言わんばかりの表情をした。
「あのね、いくら神様に頼まれたからって、あたしは見境なく勝手に心を読んだりしないわよ。ましてや、友達のあんたならなおさらよ」
「そう……なら、どうするの? 『聞き出せませんでした』って言ったって、まどかは納得しないでしょ」
 エリーはため息をついて言った。
「仁美を呼ぶわよ。何が原因か知らないけど、仁美になら話せるでしょ? それで仲を取り持ってもらいなよ」
そう言いながらエリーは携帯電話を取り出したが、その手はさやかに抑えられてしまった。さやかが暗い顔で言った。
「ごめん。仁美も呼ばないで」
「呼ばないでって……訳を聞かなきゃどうしようもないじゃない。余計な真似するなって言うなら、退散するけどさ……」
「そうじゃないの。でも、訳は仁美にも言えないんだ、絶対」
「仁美にも、神様にも言えないって……」
 戸惑うエリーをよそに、さやかが深く息をついた。どうやら、腹が決まったようだ。
「エリー、あんたが聞いて、まどかに言ってくれる? 本当はまどかにもずっと隠し通しておくつもりだったんだけど、こう
なったら、訳を聞かないとまどかも納得しないだろうし……。でも、あたしの口からは、まどかに言えないから……」
「そりゃ構わないけど……」
 躊躇いがちに頷いたエリーをよそに、「立ち話もなんだから」とさやかは居間のテーブルについた。エリーはさやかから斜め
45度の角度に座る。対面してはさやかが話しづらいだろうと配慮してのことだ。もちろん、さやかの心を読む気はない。エリーは、
さやかが自分で語る言葉を受け止めて、まどかに伝えるつもりだった。
 さやかが、テーブルにチョコレートの箱を置いた。
「これが……?」
「そう、問題のチョコ。あたしが留守してるうちに、戸棚の奥にしまっておいたのをまどかが見つけちゃったんだ」
 さやかの口調には、どこか力がない。まどかとケンカになって泣かせたしまったためかとエリーは思ったが、その想像はどこか
しっくりこなかった。
「棚の中で埃かぶってたし、まどか宛てのプレゼントって感じもしないから、あたしが誰かからもらったんだってまどかは思い
込んじゃったみたい」
「あんたがもらったものじゃないなら……」

503 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 21:57:12.35 ID:Og7Ylgz10 [3/5]
「うん。これは、あたしが作ったの。まどかに宛ててじゃなくてね」
「じゃあ、誰に……?」
 さやかは、ちょっと悲しげに微笑んで言った。
「あんたも聞いたことあるよね? あたしの幼馴染でバイオリニストの、上条恭介。いまは仁美の彼氏で、あたしはあいつの腕を
治す願いで魔法少女になったんだけど……これは、バレンタインデーにあいつにあげたことにしてたんだ」
 エリーはさやかが恭介にチョコレートを贈ったという事実に衝撃を受けたが、それと同時に違和感も覚えた。『あげたことに
してた』というさやかの表現だ。エリーは、さやかの顔を見た。その視線を受け止め、さやかは言葉を続けた。
「あげたことにしてた、っていうのはわかるよね? あいつは現世にいるけど、あたしはまど界に導かれてきちゃってるから、
直接会って渡すのはできなくて……。だから、これは恭介に渡したつもりで、戸棚にしまっておいたの」
 エリーが物言いたげな表情になってさやかを見る。さやかは、それを予想していたかのように小さく苦笑して言った。
「エリーの言いたいことはわかるよ。『まだ恭介のこと好きなのか』って聞きたいんでしょ? それはないよ。恭介のことは、
いつからかわからないくらいずっと好きだったけど、もう吹っ切った。そうじゃなきゃ、まどかにも、仁美にも失礼だしね」
 さやかの言葉の響きに嘘はないことを感じて、エリーは黙って頷いた。
「でもさ、恭介があたしにとって、いっつも一緒に遊んでた大事な幼馴染であることは変わりなくって……。いまは、なんか
さんざん世話を焼かされた弟みたいな感じかな? もちろん、あたしもあいつに色んなものもらった。あいつのバイオリンは
物凄くってさ、どんなに落ち込んでてもあいつの演奏を聞けば、一発で元気になれるんだよね」
 上条恭介との思い出を懐かしむように、さやかは親しみと愛おしさのあふれる口調で言葉を続けた。
「で、バレンタインデーってさ、本来は日ごろお世話になってる人に感謝の気持ちを込めてプレゼントを贈る行事だっていうじゃ
ない。だから、今年はそういう感謝の気持ちと、あとなんていうか、あたしはこっちで元気にやってるよとか、恭介のことが
一区切りついた記念みたいなつもりで、チョコを贈ったことにしようと思って……」
「それを、神様に隠してたのは……?」
 エリーの問いに、さやかはちょっと目を伏せて答える。
「後ろめたいってわけじゃないけど、まどかにしてみたら、面白くないだろうなって思ってさ……。そういう気持ちはないんだよ
って説明しようかとも思ったんだけど、そう言ったところで実際にあたしがチョコ用意してたら、『まだ上条君のこと、好きなの
かな』って、まどかが余計な気を回して不安がるのが目に見えてるから……。結局、裏目に出ちゃったのがあたしらしいよね」
 エリーは最後に残った疑問をさやかに尋ねた。
「なんで、贈ったつもりのチョコをいつまでも戸棚に隠しておいたの? 神様に見つからないうちに処分すればよかったのに」
「ホワイトデーにさ、これも恭介からお返しをもらったつもりで、自分で食べようと思って取っといたんだよ。ただそれだけ。
こんなことしたって、恭介には何か伝わるわけじゃないのにね……つまりはあたしの自己満足。まどかには、本当に悪いこと
しちゃった……」
 全ての話を聞き終えたエリーは深く息をついた。まどかとさやかの二人が傍からみればくだらない理由でよくケンカしているの
を目にしている彼女だったが、今度の理由は、くだらないなどとは思えなかった。そして、普段なら放っておいてもすぐに二人の
仲は修復できるところだが、今回ばかりは当事者だけでなく、自分のような第三者が関わる必要性も感じていた。
「確かに、これはさやかから神様には説明できないわね……。仁美にも聞かせられないってのも納得だわ」
「ごめんね……長々とこんな話聞かせて……。あたしが恭介に未練たらたらみたいな真似しなきゃ、あんたやエルザにも迷惑かけ
ないで済んだのに……」
 申し訳なさそうにうつむくさやかに、エリーは首を振った。
「あんたがその上条君を大切に思ってる気持ちに、やましいことはないんでしょ? 好きじゃなくっても、上条君はあんたにとって
大切な存在なんでしょ? だったら、堂々としてなよ。あんたは何も悪いことしてないんだからさ」
「エリー……」
「それにね、あたしの性質は『憧憬』よ? 人が人を思う気持ちなんてものは、ハコに閉じ込めて取っておきたいくらい大好物なのよ」
 立ち上がってにっと笑ったエリーは、玄関に向かった。
「んじゃま、神様んとこ行ってくるよ。心配いらないから、あんたはゆっくり待ってなさい」

504 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 21:58:36.40 ID:Og7Ylgz10 [4/5]

                 *

「というわけで、神様の心配するようなことは何もなかったんです。ただ、さやかからは神様に話しにくいことだったってだけで……」
 エリーの家で待っていたまどかは、エリーの話を一言も口を挟まずに聞いていた。
 さやかには心配いらないと言ったものの、エリーの話を聞き終えてもうつむいたままで何の反応も見せないまどかが何を感じて
いるか、エリーにはわからなかった。
 まどかは、さやかの言葉を疑っているのだろうか。エリーがさやかをかばっていると思うかもしれない。あるいは、エリーの
言葉をすべて信じたうえで、さやかが上条恭介にチョコを贈ろうとしたこと自体に怒っていることも考えられる。さやかの気持ち
を疑っていたのなら、十分あり得ることだとエリーは思った。
 エリーが手をこまねいていると、まどかがぽつりと何かつぶやいた。「なんで、言ってくれなかったの」と聞こえた。それで、
エリーにもまどかが何を考えているのかがわかった。まどかは、さやかに隠し事をされたことで腹を立てているのだ。
 エリーは、まどかのさやかに対する気持ちの大きさに圧倒されると同時に、少々呆れるような思いも感じた。まどかは、さやか
が恭介にバレンタインチョコを贈ったこと自体は構わないらしい。むしろ、さやかが恭介に片思いをしていた頃でもさやかの気持ち
を応援していたと聞いたことがあるくらいだから、さやかが今でも恭介を大切に思っていることは、まどかにとってはなんら問題
ではないのだろう。けれど、まどかはさやかが、恭介にチョコを贈ったことを隠していたことは気に入らないのだ。
 まどかは、自分が心からさやかを想い、さやかには包み隠さず心をさらけだしているがゆえに、さやかにもそうして欲しいのだろう。
けれど、さやかはまどかを気遣って隠し事をした。この場合、さやかに分があるなとエリーは思った。恋人だからこそ何でも口に
出してしまえばいいというものでもないだろう。エリーは、どうにかそのことをまどかに言ってあげたかった。
「……えーとですね、こっから先はまあ、あたしの独り言だと思って聞いてもらいたいんですけど……」
 エリーは、説教するような口調にならないように気をつけながら口を開いた。まどかは相変わらずうつむいたままだ。
「神様が心配するのは、よくわかるんですよ。本人は自覚してないのがまたタチ悪いんだけど、さやかは確かに結構人気あります。
それを心配しないようにしようったって、そんな簡単に『やーめた』って心配しなくなれるものでもないですよね。あたしもこう
いう能力持ってますし、人の心がままならない代物だってことはよく知ってます。神様が『さやかちゃんが浮気してたらどうしよう』
って不安になって、いつでも本心を包み隠さず言ってほしいって思うのは当たり前のことなんです。隠し事されると、不安ですよね。
けど、なんて言うか、神様はさやかをもうちょっと信じてあげてもいいんじゃないかなって、そうも思うんです」
「……」
「さやかとは、今までは気のおけない親友同士で、隠し事なんか全然なかったんでしょう? だから恋人になった今でも、何でも
話してほしいって神様は思っているんでしょうけど、恋人になったからこそ、話しちゃいけないこととか、触れちゃいけないこと
って出てくると思うんですよ」
 まどかが、顔を上げてエリーを見た。
「今回の上条君って男の子の件もそうですしね。さやかが、まだその上条君を好きだってことは絶対ないと思います。傍目から
見ても、神様と上条君と、二人を同時に好きになれるほどさやかは器用な人間じゃないです。だけど、だからと言ってさやかに
とって上条君が大事な人間じゃなくなったかというと、そんなことはないと思うんです」
「……うん」
「さやかは上条君とは幼馴染で、人生のかなりの時間を一緒に過ごしてきたんでしょう? 思い出がたくさんありますよね。あと、
神様の前で言いにくいですけど、さやかには上条君のことをずーっと考えていた時期があったわけです。事故のことがあって、
欠かさずお見舞いに行って、元気づけたり心配したり、世話焼いたり八つ当たりされたり……。色んなことがあったと思うんです
けど、そういう過去も含めて、上条君のことを想うことも、今のさやかの一部になってると思うんですよ」
「さやかちゃんの、一部……」
 まどかは、ゆっくりと頷いた。それを見て、エリーは先を続けた。

505 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 21:59:14.48 ID:Og7Ylgz10 [5/5]
「その上条君のことを大切に思って、ずっと元気でいてほしい。バイオリンの名手として、コンサートとかで活躍してほしい。
さやかは神様を愛してると同時に、上条君のこともそう想っているんです。だけど、神様を不安にさせたくないから、さやかと
してはそういうことを神様には言いにくい。決して神様を軽んじているとかじゃなくて、あえて口に出さないことが、気遣いなんです。
だから、神様には上条君を大切に思ってることも、神様を気遣って口に出さないようにしてることも、全部ひっくるめてさやかを
受け止めてあげてほしいと、あたしは思ったりするんですけど……」
 エリーは、そこで言葉を止めた。まどかの反応をうかがっている様子を見て、まどかは言った。
「うん、エリーちゃんの言うこと、とってもよくわかるよ。その通りだと思う」
「部外者がなんか、言い過ぎましたね……」
「ううん、そんなことないよ。ありがとう。あのね、さやかちゃんの気持ちになって考えてみたら、昔好きだった人にチョコレート
あげるなんて、まだ好きなの? って疑われちゃうかもしれないって思ったら、絶対わたしには言えないなって、気づいたの。
そんなさやかちゃんの気持ち、わたし考えたこともなかった……。わたしに問い詰められたとき、さやかちゃんはすっごく困ってた
のにね……」
「まあ、普通昔好きだった男の子にチョコあげようなんてこと、しませんよね。神様のことが大事なら」
「ううん、とってもさやかちゃんらしいと思う。さやかちゃんは、いつでも家族や友達を大事にして、いつだって人のためを思って
頑張れる人だから……。それにね、エリーちゃんのおかげでわたし、最初の気持ちを思い出したの」
「最初の気持ち?」
「そう。わたしは、上条君のことが大好きなさやかちゃんを、大好きになったんだって……。わたし、さやかちゃんの気持ちが
わたしに向いてくれて、そのことを忘れてたみたい」
 エリーはその言葉に安心したという顔で付け加えた。
「あ、わかってると思いますけど、自分を卑下しちゃだめですよ。さやかの中で一番大事なのは、神様なんですから。それはあたし
が保証します。なんなら、あたしの命より大事なパソコンと携帯電話を賭けてもいいです」
「うん、わかってる。わかってるつもりだったんだけど、やっぱりわたしはだめだね……。すぐ不安になって、エリーちゃんたちに
迷惑かけて……」
 少し悲しそうに微笑むまどかに、エリーは言った。
「さやかにも言いましたけど、迷惑だなんて思ってやしません。まあ強いて言うなら、砂糖を吐きそうなラブラブ電波を毎日垂れ
流すのを、もうちょっと自重していただけると、大変助かりますけどね」
 エリーの軽口に、まどかもふふっ、と笑った。
「じゃあ、さやかちゃんのところに帰ります。エリーちゃん、今日は本当にありがとうね」
「どういたしまして。あ、あと蛇足ですけど、さやかと顔合わせたときになんて言うか、わかってますよね? 『ごめんね』じゃ
ないですよ? 誰も悪くないんですから、謝っちゃだめです」
「うん、大丈夫。ありだとう。それじゃ」

 まどかが家に帰りついたとき、さやかは居間のテーブルに片肘をついて座っていた。テーブルには豪華な夕食が並んでいるが、
手は付けられていない。どうやら、さやかは夕食を作り終えた後もじっと考え事をしていたようだ。
 テーブルの中央には、大きなケーキが置かれていた。それが、さやかからのホワイトデーのお返しのようだ。まどかは、それを
見て自分の心がとても温かくなるのを感じていた。
 まどかが居間に入ってきたのに気づくと、さやかは立ち上がってばつの悪そうな顔をまどかに向けた。
「お帰り……。まどか……」
「うん……。ただいま、さやかちゃん」
 さやかは何か言おうとしたが、それより小走りに駆け寄ったまどかがさやかに抱き付く方が早かった。
「まどか……」
「何も言わないで……さやかちゃん」
 まどかの穏やかな言葉に、もうまどかが腹を立てていないことを覚ったさやかは、ふうっと体の力を抜いた。さやかの腕が
ゆっくりとまどかの体に回された。まどかは、さやかの胸に顔をうずめたまま言った。
「愛してる、さやかちゃん。さやかちゃんは、ずっとそのままでいて。さやかちゃんの全部が、大好きだよ……」
「……うん……まどか……」
 二人はそのまま何も言わずに抱き合っていた。言葉はなくとも、お互いの気持ちは確かに伝わっていた。
「まどか……ありがとう……本当に、ありがとう……」
 まどかを抱きしめる腕に力を込めると同時に、ささやくようにつぶやいたさやかの言葉を、まどかは快い気持ちで聞いていた。

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最終更新:2012年03月20日 07:50
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