『ロームの国』
キリスト教徒の国
出典:『アラビアンナイトストーリー』
>>『27 ラブタイトの都(271夜-272夜)』
『ラブタイトの都』
昔、ロームというキリスト教徒の国にラブタイトという名の都があった。
そこには禁断の塔があり、王が変わる度にその入口には錠前が一つづつ増え、だれもその塔に入ったことがなかった。
そこで、これまでの王朝のち筋を引いていない者が王位に就いた。
王は群臣の制止を押しのけ塔に入ると、そこには武装したアラブ人の造が並び、アラブ人によって、この国は征服される。と予言の書に記されていた。
予言通り、ラブタイトの都はイスラム軍に滅ぼされた。
考察①ローマ帝国>>
【Wikipedia】
表記:羅: Imperium Romanum
語源:ラテン語の “Imperium Romanum” の訳語
古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。
帝国という訳語があてられている事から、狭義にはオクタウィアヌスがアウグストゥスの尊称を与えられた紀元前27年からの古代ローマを指す場合もある。しかし、本来の表現からすればこの場合は帝政ローマ、またはローマ帝政期とした方が正確である。
考察②ルーム・セルジューク朝>>
【Wikipedia】
場所:アナトリア地方
時期:1077年 - 1308年
セルジューク朝(大セルジューク朝)の地方政権として分裂して誕生しアナトリア地方を中心に支配したテュルク人の王朝。当初、首都はニカイア(現在のイズニク)に定められていたが、1097年に第1回十字軍によってニカイアが占領されたため、再びコンヤを都とした。「ルーム」とは「ローマ」の意味で、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)領であったアナトリアの地を指す言葉としてイスラム教徒の間で用いられ、アナトリアを拠点としたことからルーム・セルジューク朝という。
『アラビアンナイトストーリー』實吉 達郎/著 新紀元社
最終更新:2013年02月15日 22:20