※この項は書きかけです、
『バルマク家の粛清』
アッバース朝のカリフ、ハールーン・アル・ラシードが803年はじめ、それまで礼遇きわめて厚かったバルマク一問に対し、突然に苛酷な弾圧を加えたことを言う。
理由については数多くの説があり、実際に突然の心変わりなのか、かなり前から胸中に秘めておいたものかそこでも説が分かれている。
説には
1.バルマク家の勢力の拡大説
決して民衆からの評価が高いというわけではなかったアル・ラシード王が、拡大し続けるバルマク家の勢力を恐れ、
その権力を妬む者達の妄言により信頼性を欠いたというもの。
2..ジャアファルの異教の神(拝火教)信仰説
ジャアファルがあるときカリフに、メッカのカーバ神殿の内部に香炉をおき、昼夜、香煙をたやさぬようにするがよいと進めた。
カリフはこのことを悪くとった。つまりジャアファルは表はイスラムを奉じているごとく見せかけながら、内心は拝火教を信じていて、こういう手段を持ってカーバを拝火教の神殿に変えさせる魂胆ではないかと疑った。
3.アッ・タバリーによるアッバーサ(ハールーンの妹)との恋仲説
ハールーンにはアッバーサという美しい妹がいて、いたくこれを愛していた。
しかし、この妹がそばにいると、ジャアファルは宗教上の問題で部屋に入って来なかった。
3人で楽しく語り合う時間をいつももつためには、ジャアファルとアッバーサとを結婚させるのが一番であると考えついた。
しかし、それはどこまでも形式だけのものであって、実際に夫婦関係を結んではならぬと言明した。
だが当代随一とまでよばれた美男のジャアファルと美女アッバーサおとの間には、いつか子供が生まれた。
二人はカリフの怒りを恐れて、密かにこの子をアラビアの某所にかくしておいたが、妬む者たちはその事実を王に密告した。
802年12月のメッカ巡礼の際、ハールーンは事の真偽をかの地で取り調べた所、事実とわかった。
そのためこれまでのジャアファルへの愛情が、一転して激しい憎悪となり、イラクまで戻ると、一夜ジャアファルの首を刎ねさせた。
この説は、あくまでも噂であり、信憑性はあまりないとされている。
などが上げられている。
ジャアファルの処刑は、宦官
マスルールによって行われ、その胴体は両断され、ティグリス河の橋にさらしものにされたという。
『完訳千一夜物語 13』(岩波文庫)では切った死体の首に王は唾を吐きかけ罵倒している。
しかし、この訳では、その後王は、自分の息子やマスルールにも心を許せないほど人間不信に陥り、死の間際までジャアファルの処刑を後悔していたとされる。
前嶋信次/訳『アラビアン・ナイト8』〈東洋文庫290〉 平凡社<平凡社東洋文庫>
『完訳千一夜物語 13』岩波文庫 豊島与志雄・渡辺一夫・佐藤正彰・岡部正孝/訳
最終更新:2013年07月09日 09:00