2月


このカレンダーは何度見ても凄い。
何が凄いのか考えると、『与えられた制約の中』で感動する文章が綴られている所だ。
たとえばブログなら、
書こうと思えばいくらでも書ける、画像だって何枚でも載せられるスペースが提供されてるけど、
対してこのカレンダーは『開いてるスペース』という条件下の前提で作っているんだ……。

何文字書いてもいい、いくら画像を載せてもいいって提供されても逆に何も生み出せないから、
制約がある方が名作は生まれるのかもね。

『ツイッター』なんかがそうだ。
最大140文字で『つぶやける』っていう制約だし、1回のつぶやきで、1画像しか載せられない。
けど、感動するつぶやきは数多く誕生している。

東北大震災直後の、

「昨日4時間かけて歩いて帰って来た主人。赤羽で心が折れそうになってた時『お寒い中大変ですね!あったかいコーヒーどうぞ!』って叫びながら無料配布してるおっちゃんに出会った。
 これがあったから頑張れたそうだ。もう5回もこの話をして来るので本当に嬉しかったんだと思う。おっちゃんありがとう」

とかね。

まあこれつぶやいたの俺だけど・・・・・・・・・・・・・・。
「4時間かけて歩いて帰って来た主人」ってなんなんだ、今思えば。
色んなものを憑依させ過ぎだろ。

まあ、24時間テレビだって『健常者に障害者のフリ』をさせて多くの人を感動させてる訳だし、
ネット上で『本当の自分とは違う自分』を作り出して多くの人を感動させるのは有りだと思うけどね。開き直りだけど。

『嘘』はだめって言うなら、
『嘘』で作品を作るのはよくないってなるなら、
ドラマで両さんを演じた香取慎吾は、『葛飾区亀有公園前派出所』に勤務してなきゃダメなのか?って話にもなるしな。うん。極端でもなんでもなくそうなってしまう。

でも俺が作り出したこのつぶやきが、
ニュースの「東北大震災直後の感動するツイッターのつぶやき」とかで感動したつぶやきの1つとして特集されてた時は・・・、
流石に心痛んだけどね。

つくづく思うわ。
『作った奴の人間性』と『作品の素晴らしさ』は全く関係ないんだって。
現実問題どうしようもないゴミカスでも、作品は素晴らしいって例はいくらでもあるからなあ・・・。
漫画、映画、小説、音楽、なんにでも言える事だけどね。


堂本剛くんみたいに人間性が素晴らしいから、素晴らしい作詞(作品)が生み出せるって例は・・・珍しいんじゃないのかな。
知らんけど。







最終更新:2012年02月01日 20:31
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