法的に認められたら楽になる

何を、何時、何と撮って、撮った後捨てる・・・
ってロジックが俺の頭の中では組み立てられてるので、
『そっち』にとっての『ゴミ』であっても俺にとっての『私有財産』は絶対に捨てないでくださいね。
何が、何処にあるのかは全て俺の頭の中にインプットされてて、全て『大事』にしてますから。
家族であっても訴訟問題ですから。
そっちにとっての『大事にしてない』なんて私見は法的には全く意味を持たないですからね。
俺の『大事にしてる』って思いの方が優先されますからね。

兄弟での、明らかな差・・・。
これも『法的』には『虐待』として認められるのか。
じゃあ俺たちは虐待されてたんだな。

だからどうだって話じゃない。

『法的に自分が思ってた疑問がいい方向に解消』されて、心が楽になった。
それだけの話。

しかし、なんで、俺の財産を捨てられた話から、
『部屋を掃除しろ』って話になるんだ。
それは別件のはずじゃないかっ・・・。
まず「勝手に捨ててごめんなさい」じゃないのかっ・・・・・・・・・・・。
『部屋の掃除をしない』から『捨ててもいい』なんて理屈・・・あんまり過ぎる・・・。意味がわからない・・。
けど・・・法律以前に、そこじゃないのか。

弁護士さんの名言、

「法律は『金を払え』と命じる事は出来ても『謝れ』って命じる事は出来ないんです。だから『金額の多さ』こそが『謝罪の重さ』なのです」

ってのは凄く胸に響いたな・・・。わかるっ・・・。

確かにそうだ。

本当に納得出来ない事があるのなら、理不尽な事されたのなら、
面倒でも戦うべきなのかも知れないっ・・・・・・・・・・・・・・・。

一体何が、誰が悪いんだ。

大事なものが捨てられても泣き寝入りしなきゃいけないのは、

  • 子供を産んだバカが悪いのか
  • 生まれて来たバカが悪いのか
  • 人を殺せない俺が悪いのか
  • 自殺出来ない俺が悪いのか
  • 訴訟する甲斐性もない俺が悪いのか


最終更新:2012年02月14日 23:39
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