鶴屋7階、ダウン症の天才書家、金澤翔子展


行って来た。ありがとう。

撮影に関して、
係員Aさんに聞いたら「撮影は禁止です」って言われて諦めたんだけど、その後俺の脳裏には、
「企業にありがちな体制」が過ぎったから、係員Bさんに「撮影してもいいですかね?」って尋ねたら「いいですよ」って快諾された。
本当に、ありがちなことだ。適当なんだな。

でまあ、本当にスバらしい作品揃いだったと思うけど、
最後の最後に『金儲けコーナー』が設けられてる事に俺は落胆してしまった。
やっぱりそうなのか・・・と。

堂本剛の場合『自分が大人、企業の金儲けに使われてる』って自覚した上で必死にメッセージを伝えたりしてるけど、
彼女の場合、自分が金儲けに使われてるって自覚すらも出来てないんだよね・・・。
そういった意味では、彼女の世界って本当に幸せな世界なのかも知れない。

やっぱ俺は捻くれてるからなのか、
素直に素晴らしい作品に感動すればいいのに、どうしても「その背景」とかを考えてしまう……。

最後金澤翔子さんの作品が凄い値段で売られてたけど、
堂本剛との違いは、『値段設定に口を出すって概念』すらもこの子には無いって事なんだよね・・・。

大体、色んな人に興味持ってもらうための映画なのに、
2400円も払って『堂本剛に興味がない人』が来るわけないって話。ってのは本人もわかってて、安くしたくても出来なかったとか。
それでも頑張ってくれて、2400円って値段もかなり値下げしてくれたらしいけど。

まあその他の映画と同価格にして、
『堂本剛って商品を安く見られたくない』って企業の考えもわからんでもないんだけど。
『パンフレットを出さない』ってのが、せめてもの抵抗だったらしい。
ただ、「パンフレットを出したら全国全ての映画館同じパンフレットになる、機械的な状況は嫌や」みたいなこと語ってて、
「ファンの子たちがそれぞれ自分でパンフレット的なのを作って見に来てくれてる子達に配ったら本当に最高。その映画館でしか手に入らない訳やから」みたいなこと語ってて、
なるほどと思った。

結局、現実として『普通の映画より高い』わけで、じゃあ高い分はどうするか?
どうやって『堂本剛に興味がない人たちに、高い金額出してでも見る価値ありますよ』って伝えられるか。

俺たちで何かしら作れば伝えればいいんだ。

俺はまあ、結局、映画館で配る事は出来なかったけど・・・、「明日でいいや」を続けてるうちに上映期間終わっちゃったけど・・・、
『映画代金以上の価値』って絶対あるからね。
映画に限らずね。

今回の入場料が500円、でも500円以上の価値は確かに存在してた。

これまた堂本剛くんが語ってたことだけど、

「僕はパソコンも使うし携帯も使う。けどそれ以上に、自分の音感、口から発する言霊を使う。
 自分がこの世で最後の一人になっても、僕は歌い続けて死ぬまで楽しむ。
 みんながみんな、何かそういうのを持つべき。そこにビジネスが発生しなくても、持つべき」

みたいなこと。
金澤翔子さんが、正にだよね。

『この世で最後の一人』になっても、この子って死ぬまで楽しみ続けられるんだろうな。



最終更新:2012年04月02日 19:34
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