最近よく思う。
当たり前だけど、『思い入れ』に勝る価値は存在しないって。
だから俺はこのマウスパッド、使い続けるよ。
もう本当に、思い入れ半端ないから。今更他のなんて使いたくない。
またたとえ話で恐縮だけど、
お金持ちのオジイさんから「100万円のマウスパッドあげるからそれ頂戴」って言われても、俺は絶対に譲れない。
100万人中99万人が「使いやすい」って評価した伝説のマウスパッドをあげるからこれを捨てなさいって言われても、
俺は絶対に捨てたくない。
わかりにくいけど、そういう事です。
マウスパッドに限らず、
色んなものに見えます。
ボロボロのCDジャケット、「それの新品あげるから捨てなさい」って言われても俺は断固拒否するね。
確かに、1050円出せば新たに、新しいCDが手に入るけど、『これに宿った俺の魂』は手に入らない訳で。
堂本剛くんがデザインした『サンカクくん』のグッズだって一緒。
どんな状況なのかわからんけど、たとえばこれを間違えて捨てた人が、
「ああごめん、それと全く同じ商品を新品であげるよ」ってくれたとしても、俺は許せないと思う。
『思い入れ』によって商品は『金では手に入らない存在』になっていくんだよ・・・。
確かに、明らかなゴミを後生大事にするのはちょっと違うかも知れない。
けど、まだ使えるものを、大事に大事にするのって悪い事なのかな。
極端に『使えない』ならともかく、それを使い続ける事で結果として金銭的に被害蒙るならともかく、
まだ使おうと思えば使えるものを捨てて新しいものを買っちゃえばいい・・・みたいなの、どうなんだろうね。
茶碗にしろオタマにしろ、玉子焼き機にしろ、その他色々にしろさ、思い入れがあってまだ使えるんだから、
じゃあ使わせてくれよ。
新しいもの買えば済むって問題でもないし、モノを大事にするのってそんなに悪いことなのかな・・。本当に。
蒸し返すつもりは無いけど、昔使ってたカバンも、使い続けたかったしね。
CDプレイヤーは確かにちょっと調子悪いけど、多大なる問題が生じる程でもない、し。
最終更新:2012年04月03日 19:40