黒潮市場で買おうと思ったら、売り切れだった。
いやー、売り切れなら仕方ないな(何処にでも売ってるだろ。買う気ないんだろ)。
でもね、「はい金出せば買える」のカーネーションよりも、
「読んで欲しい」って強く思える本、『絶望に効くクスリ』の2、3巻を探す(品薄で何処にもないから、色んな本屋さん探したわ)……。
この行為の方が凄く意味があると思う。
「なんとなく、世間の『母の日商法』に釣られて、カーネーション買うかあ」ってのも勿論ありだよ。
そうやって、『四季折々の世間の商法』を楽しんで生きていくのが人間……。
まして、自分が死に物狂いで働いて得た金であるなら、
その「はい金出せば買える」の『金』も苦労の結晶な訳で、大いに意味はある。
けど、俺の場合曖昧だからね。
自分の金(もあるけど)なようで、自分の金じゃない。非常に曖昧なお金。
そうなるとやっぱり『金を出せば容易く買えるカーネーション』では無く、
『必死に色んな本屋さんで探す本』の方が思いが入ってて、価値が生じると思うんだ。
まあ『社会人が必死に働いて得た金』で買うカーネーションと、
『お金が無い子供が母のために何処かで積んで来るお花』は、
やっぱ、どちらが上とか下とか、一概には優劣付けるのは無理・・・だよなあ。
最終更新:2012年05月13日 20:18