こう、フレンが人間としても上司としても駄目っぽいです。
格好悪いフレンがアカン人はブラウザバックプリーズ。


 

 半月ぶりに帰還したザーフィアスの空は、青く高かった。帝都はあまり天候が変動しない。その殆んどが晴れやかな青空で、アクセント程度に幾らかのバリエーションに富んだ雲が条件次第で気儘に流れていく。フレン・シーフォは二〇年以上この街に住んでいたが、大きく天候が崩れたこともなければ、そうした類の話を聞いたこともない。つまり、そうした条件の整った場所であるからこそ、マイオキア平原を帝都に選んだのだろう。
 仰ぎ見る空に結界がないという現状には視覚的にまだ慣れない。今までならば在って然るべきものが忽然と姿を消している光景というのは、どうにもフレンを落ち着かない気持ちにさせた。
 天頂に差し掛かる少し前の太陽が、結界のない頭上で燦々と輝いている。賑やかな子供たちの笑い声が傍らを駆け抜けていくのを視界の端に捉えながら、下町へと続く坂へと目を遣った。
 登城するのなら貴族街側の門の方が近いと知りながら、未だに正面の門から出入りする癖が抜け切らない。下町側の門を使わないのは自身の立場を配慮しての謂わば理性からだった。それでも下町の様子が気になる自分を押さえられず、こうして正面の門を使い続けている始末だ。遠征から帰ってすぐには私用で使える時間は少ない――と、いうより皆無だろうが、それでも時間を見つけられたら様子を見に行こう、と思った。
 時間がないのは仕方がない。そう在ることを、そういう生き方を選んだのはフレン自身だったからだ。望んで選んだ今の自分に不満は愚か後悔すらなかったが、それでも時折、ひどく疲れる。そしてフレンは、そんな自分が嫌だった。
 遠征先ではユーリと一瞬だった。偶然会ったのではなく、調書作成の協力をユニオンに要請したところ彼が立ち会いに応じてきた。世界中の魔導器[ブラスティア]の核が精霊化した前後の混乱で半年ほどお互い各地を駆け回っていたので、顔を突き合わせるのは本当に久しぶりだった。そして、肩口で毛先を揺らす幼馴染みはまるで知らない人間のようだった。
 ユーリはもともと髪が長かったわけでなく騎士団に入団し、その忙しさから無精をしている内にいつの間にかあの長さになっていたということも知っていたし、手入れをしているわけではなかったので女性のように美しい髪をしているというわけでもなかった。似合っていないわけではなかったのでフレンはそのことについてはあまり触れたことはなかったが、丁度今回のように久しぶり会う幼馴染みの髪が少しずつ伸びていく経過を見るのは純粋でささやかな娯楽だったのかも知れない。
 結局、話をしてみればそれは何の変哲もないただのユーリ・ローウェルで、彼は矢張り相変わらずの幼馴染みでしかなかった。勿論、自分勝手なフレンの違和感も彼は知らない。
 ユーリは用事があると言って、先に町を出てしまった。行き先は同じザーフィアスだったが、退団後の自堕落な生活(本人は認めないが)の反動なのか一つところにじっとしていないユーリは、もう帝都には居ないだろう、とフレンは思っていた。
 城に着くと、フレンは皇帝であるヨーデルに簡単な報告をし、留守中に蓄まっているであろう仕事を片付けようと執務室へと向かった。途中、廊下で何人かの騎士とすれ違いはしたものの、全体的に城内は閑散としていた。人が出払っているのは必要に駆られてであるから仕方がないとして、けれどこうも城の守りが手薄なのは困りものだ。結界が失われたことで各地に配置した騎士の増強共々、城の警備に割く人員確保も次の定例会議で提案しなくてはならない、とフレンは思った。仕事は増えるが、これでまた平民や下町の住人が騎士団に入るためのハードルが下がるのなら、然したる苦ではなかった。
 そんなことを考えながら歩いていると、馴れ親しんだとはまだ言い難い執務室の前へと辿り着く。机の上にはどれ程の書類が積まれているだろう、とまだ見ぬ凄惨な光景に軽い眩暈を覚えながらドアノプへと手を伸ばす。流石に重要書類の類は机に置き晒しにするわけにはいかないので、ソディアに預かっていて貰うことになっていた。急ぎのものがあるようなら優先して片付けなければならない。最近は人の出入りが頻繁であるとはいえ仮にも騎士団長が遠征から帰ったとなれば、忙しい彼女の耳にも入るだろう。取り敢えずは現状の把握を優先するか、と思ったところで廊下に響く足音に気が付いた。
「お帰りなさいませ、騎士団長」フレンが顔を上げると、夕焼け色の髪を肩口で揺らした副官が立っていた。「道中、ご無事で何よりでした」
 ソディアの手にした書類の量がそう多くないことに安堵しながら、結果的に後倒しにしようとしていた事実を突き付けられているようでこぼれそうになる苦笑を殺しながらフレンは彼女に向き直った。
「無事も何も、今回の任務は討伐が主ではなかったからね」
「ですが、結界だけでなく武醒魔導器[ボーディブラスティア]の効力も得られなくなった今、我々が魔物から身を守る術はあまりに限られています」
 丁寧に付け足された言葉は抑揚を欠いている。常に力強く実直な印象の彼女にしては珍しく、疲れているのだろうか、とフレンは訝しんだ。そんなフレンの様子に気付いたのか、ソディアは息を詰め、それから「心配なのです」、と微笑みながら締め括った。
 オルニオンが出来た頃を境にして、彼女の周りの空気は少しずつ柔らかくなっている気がする。今までは女性ながら騎士であるという気負いからか、硬質で苛烈な印象を周囲に与えていた彼女だが、フレンの知る限り最近はそういったこともないようだった。フレンが護衛隊共々魔物に囲まれ持久戦を強いられたときも、ユーリを捜し出し危機を報せてくれたのはソディアだ。二人――特にソディアから見たユーリの第一印象こそあまり良いものでなく、会う度にそれは更なる悪化の一途を辿っていったが、以来態度を軟化させているようだった。ユーリの無事が判った(この軽薄な幼馴染みは、安否の報告にすら来なかった!)ことは勿論、友人と部下との確執が和らいだこともまた、フレンは嬉しかった。これで二人がお互いに良いように影響し合ってくれると良い、とも思った。
「差し迫り優先すべき提出書類は私が見たところ特にありません。副官権限で処理出来るものは一通り提出が済んでおりますので、後ほど報告書に目を通して下さい」
 手渡されたファイルを開ける横でソディアは言った。確かに、ファイルには羊皮紙が三枚ばかり挟まっているだけのようで、意を決して開けた扉の向こうで待ち構えていた書類も大した量ではなかった。
「いや……正直、本当に助かったよ。ありがとう、ソディア。こうも手際が良いようだと、私より君が騎士団長を務めた方が良い気がしてくる」
 覚悟していた量の十分の一にも満たない書類に、浮かれながらフレンは言った。するとソディアは眉尻を下げてまじまじとフレンを見つめた。彼女の珍しく年頃の女性らしい表情に、今度はフレンが動きを止めてしまう。フレンの様子に気付くと「今の騎士団に、フレン騎士団長ほど団長に相応しい方はいらっしゃいません」、とまたいつもの硬質な声音で彼女は返した。
「何か飲み物をお煎れします」
「あ、いや……」
 付け足して、踵を返すと足早に部屋を立ち去ろうとする彼女の背中に、慌てて声をかける。ソディアはドアノブに掛けた手を離し、それからフレンに向き直った。
「ソディア、君も疲れているだろう?自分でやるから、少し休んではどうだろう」
 呼び止めたは良いが続く言葉が見つからず、結局先ほど思ったことをそのまま口にする。
「ありがとうございます。ですがお話したいこともありますし、ご迷惑でなければ少々お時間を頂けないでしょうか?」
 そう返されては頷かないわけにも行かず、結局フレンは彼女のぴんと伸びた背中を見送った。思ったところを口にして、彼女が首を縦に振るわけがないと、そう短くない付き合いの中でいい加減理解しても良さそうなものなのに、とそんな自分にフレンは呆れた。
 扉が閉まる音を確認して、フレンは首を傾げる。留守中の報告であれば報告書に目を通せば事足りる筈だし、ソディアとはプライベートな話をしないでもなかったがそれでも何かの片手間にかわされる程度のものだ。改めて時間を作るようなものでもない。考えても仕方のないことか、とフレンはそこで思考を中断する。
 少し埃っぽい室内の空気を入れ換えようと窓際に立つと、遠く貴族街の連なる屋根の向こうに下町が見えた。
 水道魔導器[アクエブラスティア]の代替に井戸が設置され、下町の生活は落ち着いている。寧ろ魔導器[ブラスティア]に依存していた貴族街の方がその後の混乱も大きい。ソディアの話の後にでも視察に行き、その足で下町の様子も見てきてしまおう、とフレンは思った。
 カートを押して戻ってきたソディアが、暖めたティーカップに紅茶を注ぎ机の上に置いた。添えられた脂質の高いミルクと一片の角砂糖は、甘党の幼馴染みと過ごす内に馴染んだ贅沢の一つだ。幼馴染みの嗜好という根の部分を知らない彼女はフレンに紅茶を淹れる度に、こうして律儀にミルクポットと角砂糖を添えた。下町に居た当日の贅沢が、今はこんなにも容易に振る舞われる。
 ミルクポットを軽く除けて、砂糖には手を着けずカップを口元へと運べば花とも果実ともつかない薫りが鼻腔を擽った。
「それで、話というのは何だろう」
 カートを廊下に出すために、部屋を後にしていたソディアが扉を閉めるタイミングを見計らい切り出す。ソディアは二度、音のしそうな瞬きをしてフレンを見た。それだけで、彼女が何か切り出し難い、言い難いことを口にしようとしているのだと知れた。
 結局、フレンの手にしたティーカップを凝視するように視線を落とし、ソディアは口を開いた。
「カプワ・ノールでは、ユーリ・ローウェル殿も同行されていたそうですね」
 直前までの、戸惑うような逡巡とは裏腹に硬質で、淀みのない声だった。
 もしそうでなければ、例えば彼女の発する言葉の端々に否定や中傷を臭わせるような響きがあれば、この場で適当な理由をつけて話を打ち切ってしまったかも知れない。いくら双方の態度が軟化したように端からは見えても、彼女の口から発せられる幼馴染みの名には身構えてしまう。ソディアがフレンの前で直接的に幼馴染みを非難したことはただの一度もなかったが、それでもだ。(故に、とも言う)
「同行というより、現地で鉢合わせた感じだね。私自身驚いたよ、彼が来るとは思いもしなかったから」
 彼女の、紫丁香花の色をした瞳が探るようにフレンに向けられる。
 鉢合わせた、などと口走ったのは言い訳染みていたかも知れない。だが、嘘は言っていない。ユーリがやって来たのは本当に偶然だ。
「……何か、言っていましたか?」
「いや?特には……」
 主語を欠いた彼女の言葉に即答してしまう。まずい、とフレンは思った。それでも、つい、身構えてしまう。
 しかしソディアはそんなフレンの焦りのようなものを意に介した様子もなく丁寧に付け足した。
「いえ。あの男のことでなく、周りが……」彼女は、言葉をそこで一度切った。「周りの者は、あの男に関して何か言っていましたか?」
 言い淀むというより、自分の口にする言葉を再確認するような間を置いてからソディアは再度フレンに問うた。
 今度は、少し考えてから答える。
「周り……どうかな。彼は確かにギルドの人間だが、事情を知る者にしてみれば英雄だからね。悪く言う者は見かけなかったよ」
 それでも、言い切ってしまった。無理だと知っていて、敢えて曖昧さを切り捨てた。だから、彼女はこれ以上ユーリの話などする必要はないのだという忌避感から口走ったのだと言い換えても良い。
「ソディア、君はまだ……」
 良くない予感が脳裏を過ぎってつい口走るが、上手い言葉は見つからない。ユーリのことが気に入らないのだろうか、と口にしてしまうのは簡単だったがそれは彼女の意図するところとは違うような気がしたからだ。
 ソディアは、フレンが敢えて飲み込んだ言葉の意図を汲み、その上で首を横に振った。
「団長……私は、恐ろしいんです」
 また、彼女は主語を欠いた言葉を寄越した。俯き加減の彼女の瞳に濃く睫毛の陰が落ちている。
 先刻のように、即答はしなかった。それは先の問い掛けのように、見当違いではあっても答えに心当たりがなかったからだ。否、今までのやり取りや文脈からして浮かび上がる名前は矢張り同じ人間のものでしかないのだが、口にするのが躊躇われた。けれど、結局彼女の言葉を待つより先にフレンはその名を口にした。
「ユーリが、かい?おかしなことを言う……彼が恐ろしいことなどあるものか。君はただ、悲しい誤解をしているんだよ、ソディア」
「……いいえ。いいえ、違います団長。ユーリ・ローウェルのことではないのです」
 ソディアは顔を上げた。
「団長の仰るように、彼は……英雄です。ことの顛末を知る、一部の人間にとっては。知らぬ者にもまた信憑性の有無はさておき、あの男の行いは噂のような広まりを見せるかも知れません」
 その通りだ。現にこれまでも噂は広まり、何故かその噂はそのままフレンの業績へと繋がった。それが、フレンは気に入らない。彼の正当性が世に認められず、世界の変革を促した英雄の存在が「一部」の人間にしか知られていないその現状に憤る。
「ですが、その一部の人間すら知らぬ側面もあの男には……」
「待ってくれソディア、それは」
 ソディアの続けようとする言葉の先に思い当たり慌てて遮るように口を挟んだが、遅かった。猫にも似た、彼女の釣り上がり気味の目が細められる。
「団長、貴方は……あの男の行い全てが明るみに出たそのとき、どうなさるおつもりですか?」
 窓が、風で鳴った。ソディアは、ただ真っ直ぐな目でフレンを見ていた。フレンは、何も言えなかった。
 キュモールを殺したのは、ユーリだ。目の前で見ていた。だから、間違いない。川から上がったラゴウの死体も、ユーリの仕業だ。本人の口から聞いた。だから、これも間違いはない。
 今までにも何度も、ユーリは法を犯している。フレンの知る限り、その殆んどは軽犯罪の類であったし、フレン自身騎士団に入るより以前は彼と一緒になって似たようなことをしていた。けれど、あの砂漠の夜に知った彼の罪は人二人の命を奪うという、決して許されてはならないものだった。フレンは幾度となく彼の罪を後倒しにし、ユーリ自身も後倒しのその罰を受けるつもりでいた。だが、それは犯した罪の多くが軽犯罪であり、比例して求められる刑も極軽いものであるという――甘さから、許されたものでしかなかった。
「或いは、ヨーデル陛下であれば不問に処することもあるでしょう。あの方自身、ユーリ・ローウェルに命を救われている。ですが評議会にも騎士団にも未だにヨーデル皇帝陛下のご即位を快く思わぬ輩が居るのは事実。何より……フレン騎士団長、」
「私も、まだまだ敵が多い」
「明るみに出れば、身贔屓であると叩かれますよ」
「明るみに……ね。出すのかい、君が?」
 そんなことを彼女がする筈はない。解ってはいたが、訊いてみたくなった。だから、ソディアが眉根を寄せて力なく首を横に振ったときすぐに、解っているさ、とフレンは続けようとした。だが、その言葉が音に成る上に彼女の声が被った。
「貴方が」短く、突き放すような冷淡さで以って、彼女は言った。「裁くのは貴方です。フレン騎士団長」
 目眩が、した。
 可哀想に、彼女はユーリへの敵愾心でとうとう気が触れてしまったらしい、とフレンは思った。だがすぐに、確かにフレンはユーリの罪を知ったあの日、自分が彼を裁くのだと心に決めたのだとそう思い起こして愕然とした。
「ソディア……」
 フレンは、愕然とした。愕然として、彼女の名を呼んだ。
 人二人の命を奪った彼の罪を、裁くと心に誓いながら結局はいつものように後倒しにしてしまった自身の体たらくに愕然とした。挙げ句、彼女に指摘される今の今までフレンはその事実すらなかったことにしていた。忘れ去ってしまいたかったのだ。だからフレンは愕然とし、絶望した。
「ユーリ・ローウェルは待っています。貴方に裁かれることを」
 ずっと、もどかしかった。水道魔導器[アクエブラスティア]のことも、帝都の奪還も、まるでフレンの功績であるかのように扱われる事実、騒ぎ立てる民衆、そして何より喜ぶユーリが、フレンはずっともどかしかった。賛辞されるべきは彼なのだと、幾度となく大声で叫びたい衝動に駆られた。自身の矜持からでなく、純粋に、陽の当たる場所で彼が評価されないことが悔しくて悲しかった。
 それでも、矢張りユーリはフレンへの賛辞をまるで自分のことのように喜んだ。だとしたら、彼女の糾弾する罪は果たして誰のものだろう。
「待って、いるって……?」
「はい。犯した罪の重さは、法に背き己の信じた正義に準じた対価は……あの男自身、よく理解しているのだと、思います」
 弱々しいフレンの問いのようなものに、ソディアは殊更厳かに言葉を返した。思わず、吐息に乗って笑みがこぼれる。
「そう。そうか……すごいな、ソディアは。僕なんかよりずっと、ユーリのことをよく知ってる」
  知っている。そんなことは知っている。彼は、ユーリ・ローウェルはそういう男だ。ソディアに言われるまでもない。そんなことは解かり切っている――返した言葉とは裏腹な思いが、胸中に渦巻いた。昔は、知らないことなどなかった。彼のことなら何でも知っていた。彼がフレンの全てを知っていたように、お互いがお互いに、お互いの全てを分かち合っていた。なのに、どうして今もそうだと言えないのだろう、とフレンは思った。
「団長。ユーリ・ローウェル……殿は、言っていました。自分は、真に貴方に相応しい者が現れるまでの、その代わりなのだと」
 もう言葉を、返すことすらフレンは出来なかった。だが、それでも、絞り出す。
「馬鹿な、ことを……言う」
「ですが、事実です。あの男の罪は貴方を殺す」
 力なく溢したフレンとは対照的な、鋭い声で突き返された。
「それこそ馬鹿げている。僕がユーリを裁く?ソディア、僕の功績の大部分がどうして成り立っているのか知らない君じゃないだろう!」
 吊られるようにして声を荒げるが、それは何処か悲鳴染みた響きを持っていた。その上、返した言葉はてんで見当違いで、フレンはただやりたくないことを叫んだだけに過ぎなかった。
 ソディアは、そこで漸く少し驚いたように目を見開いた。そこで漸く、フレンの存在に気付いたかのような、主張を理解したかのような唐突さだった。
 重く、長い溜め息を吐く。ソディアの言わんとすることは、もう解った。だからもうやめてくれ、とフレンは念じた。けれど、ソディアは沈黙も拒絶も打ち破り、口を開いた。
「ザウデで、ユーリ・ローウェルを刺したのは私です」
 今までの会話にない、消え入りそうな声で彼女は言った。耳を擦り抜けて、ただの音として処理されてしまいそうになる彼女の言葉をフレンは頭の中で反復した。だが、その言葉の意味するところに理解は追い付かなかった。
「は……?」
「アレクセイ元騎士団長との交戦後、孤立していたユーリ・ローウェルを刺しました。殺すつもりで。彼は……体勢を崩し、そのまま海へ転落しました」
 フレンの混乱を余所に、ソディアは報告書を読み上げるかのような平坦な声音で丁寧に付け足した。
 青く、澄み渡ったザウデ不落宮から垣間見た空が脳裏に甦る。大理石にも似た白亜の台座には巨大な魔核[コア]が突き刺さり、歪な亀裂が幾重にも走っていた。その、上に――赤い血が、落ち、海へと伸びていたのを、見た。
 頭の中が、真っ白になる。
「ソディア、君は…………!」
 机の上に乗せていた手にティーカップが触り、耳障りな音をたてる。その音に、ではなくフレンの声にソディアは怯むように肩を震わせたが、それも一瞬のことだった。
「団長。貴方の隣に並び立つ資格は、私にもありません。結局私はあの男と……私自身、最も嫌悪していた筈のあの男と同じ方法でしか己の信じる正義を成すことが出来なかった」
「正義!ユーリを刺し殺すことが君の正義なのか?君が、君は、ユーリを……!」
 まともに言葉を紡ぐことが出来ず、可笑しくもないのに(当たり前だ)何故か引き攣ったかのような笑いと共に声はこぼれた。
 ソディアを責めながら、何もかもが腑に落ちていく。彼女を責めるのは門違いだった。
 フレンにとって、ユーリの犯した罪が貫くべき理想――正義への代償なのだとして、それを排除しようとするソディアの行為もまた、フレンの信念が持つ別な側面だった。フレンが抱き、貫こうとするものに必ず付き纏う翳りだ。
 本当は、もっと早くに手を打たなくてはならなかったのはフレンだった。あんなにも彼女が追い詰められてしまうその前に、フレンはユーリを法の下に裁かなくてはならなかった。そうすればソディアが手を汚すことも、ユーリが、死の淵に立つことも、なかった。その愚かさを、嗤わずにはいられなかった。
「正義です」ソディアは言った。「もう、選んでしまいましたから」
 フレンの、それこそ気の触れたような問いに彼女は答えた。言い切る彼女は、何処か清々しくもあった。
「だから団長。私は、必要だと判断すればまた、ユーリ・ローウェルを殺すでしょう……あの男が、貴方を殺す前に」


らうてんでらゐん變容傳 Ring A Bell
20090528


 

 

 


どう考えても二番煎じなネタですが、書いてて凄く楽しかったのでOK☆(ええ)
続き(ユーリのターン)は気が向いたら書きます。気が向かなければ書きません。
(20090528)


:追記:

気が向いたので書きました。(笑)
(20090616)




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最終更新:2009年06月16日 01:23